第二十二話 今と昔の巡り合わせ(2/5) 子どもだけで買いだし
喫茶店での接客は無事に終わった。妹が暴れたり人間を見下す態度を取ったりといったトラブルが起きることはなかった。
皆にお疲れ様と言って労いたいところだが、まだ終わりではない。喫茶店の裏口で帰り支度をしているところで、ヴァラデアが妹を呼び止めた。
「おっと、明日の分の材料が足りないじゃあないか。おい、ちょっと買い物に行ってきなさい」
宙に浮かぶ画面の前でなにかの作業しながら、服を脱いでいる最中の妹に向けて指示を下す。
予想外の出来事が起こったかのような体で言っているが、これはお母さんが最初から計画していたことでトラブルでもなんでもない。妹を人間社会に慣れさせるために、人間たちが支配する都市へと買い物に行かせるのだ。
「お母さんさ、私が行く意味ってあるの? 注文すればいいよね?」
しかし妹はいぶかしげに首を傾げると、鋭い突っ込みを繰り出してきた。
ドラゴンは体がでかいため普通の店には行きづらいので、買い物をする時はほとんど電話注文で済ませているということを、この子は知っている。ちゃんと親の行動を観察しているので、わかっているのだ。
賢くなってしまうと、こういうところがやり辛いか。
「私は買い物に行けと言ってるんだ、いいから行きなさい。じゃあ、説明するからね」
「……うん」
出だしから話の腰を折られたせいか不機嫌そうにするヴァラデアは、親の強権を発動して妹を無理やり黙らせる。妹はビクビクと親の顔色をうかがいながら服を脱ぎ終える。
もうちょっと言葉を選べんのかと言いたい。横暴が普通のドラゴンに細やかな気遣いを求めても仕方ないのかもしれないけど、自分はああはなりたくないと思う。もちろん妹にもああなってほしくはないが。
「中心街にある青果堂という果物屋に行って、ここに書いてあるものを買ってきなさい」
「うん」
ヴァラデアは神秘でぱっと画像を出して、ぱっと消す。その間わずか十秒ほど。ドラゴンの記憶能力なら余裕で覚えることはできるけど、もう少しゆっくりやり取りしてもいいのではないかと思う。
「じゃあ、これを持って行きなさい。これを渡して今教えたことを言えば、果物を買うことができるからね」
「うん」
ヴァラデアは妹の首に大きな布籠をくぐらせると、そこに何かを入れた。恐らく電子決済のための即席端末だろう。支払いはそいつで済ませるのだ。
電子決済は楽だ。銀行口座に金さえ残っていれば、端末をポンと渡すだけで商取引が成立する。幼い子どもかつドラゴンでも簡単に買い物できるので、すごい制度だと思う。
ただ、電子決済はお金をやり取りしているという実感が湧きづらいという欠点を持つ。教育のことを考えると現金を持たせた方がいいのか、それとも。
などと考えているうちに、妹がひとりだけで旅立つ流れになる。
いってらっしゃいと前足を振る母親に見送られて、人間の領域へと向かおうとしながらも、妹はこちらにチラチラと目配せしてくる。
そんな妹と目を合わせていると、ついていきたくなる。いっしょに買い物をしに行きたくなる。
というか妹だけお出かけとか、ものすごく不公平感がある。なんでお姉ちゃんだけが茶番に付き合って、妹だけが解放されるのを指をくわえて見ていないとならないのか。
考えれば考えるほど今の扱いが理不尽に思えてきて、一気に抑えが効かなくなる。
「お母さん、私もいっしょに行きたい。外を見てみたい」
「うむ、そうだな。行ってこい」
「……は? なに?」
「妹といっしょに行ってこい、と言ったんだぞ、私は」
ダメもとで言ってみると普通に許可してきたので、思わず聞き返すと普通に言い直してきた。
お母さんはこんなに話のわかるドラゴンだっただろうか。
いや、お母さんは予定をこうすると決めたら絶対に守る習性を持つ生物だ、こんな柔軟に切り替えることなんてできるわけがない。
きっと想定内だったのだろう。妹だけで行っても、姉妹で行っても、どっちでも良いと考えていたのだ。
前足の平の上で踊らされているようで気に喰わないけど、外出できるならそれで良し。お楽しみの機会は逃さない。
「えっ、しーもついてくるの?」
なぜか妹は微妙な顔をする。喜んでいるようであり、嫌がっているようでありと、どういう感情を抱いているのか判断しづらい。
「ついてくるつもりけど、どうかした?」
「別に。じゃ、行こっ!」
慎重に様子を見ていると、妹は嬉しそうな顔にぱっと切り替えてきた。しかし微妙に乗り切れていないようなのは見逃さない。以前なら大喜びしていたはずだけど、ここにきて生まれて初めての振る舞いを見せてきた。
もしかしたら、ひとりだけで行きたかったのかもしれない。だとすると、お姉ちゃんからの卒業の始まりということなのか。
だがしかし、妹は年齢一桁なのだ。というか姉だって同い年だ。独立心とか言う前に、家族との交流を深めたほうがいい。
「それで、何を買いに行くの?」
「ほら、これだ」
ヴァラデアが答えるとともに、宙に浮かぶ画像が目の前に現れる。
画面左には買う物が十七品目あり、イチゴ、ウリ、リンゴ、サクラ、マタタビなどの定番が並ぶ。こいつらが一つになったときにどんな甘味ができあがるのか、味を想像するだけで幸せになってくる。
画面右には屋敷周辺の地図に店までの経路が赤線で引かれたものがある。歩きで数分というかなりの近場にある。寄り道せずに行けば、すぐに終わるだろう。
以上、画像は十秒で引っ込むが、余裕で全部覚えることができたので問題なかった。
「よし、覚えたな」
「うん。というか、私たちが町に出てだいじょうぶなのかな? 喫茶店じゃあ愛でられまくってたし……」
喫茶店の仕事は地味に忙しかった。お客さんたちからかわいがられまくったので、精神的にも肉体的にも大変だったのだ。
もし通行人たちからも、いちいち“よしよし”されたりしたら買い物どころではなくなるだろう。
「だいじょうぶだよ、お前たちが出かけるっていう連絡はしてあるからね。それでもちょっかいを出してくるような愚か者はこの私が消してあげるから心配しなくてもいいよ」
不穏な言葉は聞き流しておく。人間たちもドラゴンの恐ろしさはよーく知っているはず。変な気は起こさないだろうから意識しなくていい。
喫茶店の裏口から出て、外から表口へとまわる。
灰色の高いビルが軒を連ね、四車線ある広い道路を車が行き交う、文明的な大都市が目前に広がる。喫茶店の駐車場と歩道の境を超えると、そこは人間の領域だ。
人間の町にどんなものがあるのかは、まだよくわかっていない。これを機会にしっかりと観察していこうと思った。
「お母さん、買い物ついでにちょっと遊んできてもいいかな? 遊ぶと言うか、少し寄り道して街を見て回るくらいのつもりなんだけど」
「ああ、いいよ。しっかり見て回ってきなさい。だけど、あまり遠くには行かないようにね」
お母さんにお代わりを要求してみると、気前良く許可してくる。遠くというのがどれくらいなのかは知らないが、近場を見て回るだけでも充分だろうから気にしなくてもいいだろう。
「むーっ!」
「……あ? どうした?」
「真っすぐ行って帰ればいいじゃないのっ」
妹がなんか不満そうなので話を聞いてみると、妙なことを口走ってくる。
せっかくの保護者同伴なしでのお出かけで、保護者が寄り道していいと言ってるのに、なにをつまらないことを抜かしているのか。まったくもって意味がわからない。
「せっかくふたりで出かけるんだしさー、いろいろ見て回ろうよ。私たち、あんまりお出かけできないんだし、買い物だけして終わるなんてもったいないよ」
「お母さんがやれって言ったことは買い物でしょ。寄り道なんてしないで、ちゃんと買い物しようよ」
妹は口をぴちっと堅そうに結んで、キリリとした真顔で言ってくる。
なんだか頭が痛くなってきた気がして、思わず額を抑える。この子はこんなに頭が固かっただろうか。
この変に一本気なところはお母さんを思い起こさせる。これはもしかしたら、“誓約”を司るドラゴンという種族の本能ゆえなのかもしれない。
だがしかし、そういった本能的な衝動を乗り越えて新たな領域に至るのが文明に生きるドラゴンというもの。ここはお姉ちゃんが牽引してやるべきだ。
今まで培ってきた知識と経験を活かして、妹を口先で丸め込むことにした。
「お母さんはね、『あっちこっち見て回っていいか』と訊かれて、『いいよ』と答えたんだよ。せっかくのお母さんの好意を無駄にする気?」
「やらないといけないのは買い物だけだもん。私はちゃんとお母さんの言うとおりに買い物するんだもん」
むくれて眼を潤ませる妹は未熟な抵抗を見せるが、容赦なくねじ伏せるべく鼻先を優しく擦り寄せる。
「んんー? やらないといけないことが買い物だけだと思った? お母さんがやれと言ったのは買い物だけじゃないんだよ?
あのお母さんがさ、なにも考えずに『寄り道していい』なんて言うと思った? ねえ、思った?」
「……え? なに言ってるの?」
「お母さんはね、私たちに寄り道させるためにああ言ったんだ。つまりあれは『人間の町の観察もしてきなさい』って意味だったんだよ!」
妹が怯みを見せて精神的に一歩引いたので、引いた分だけ詰めていく。
真正面から目線を合わさせて、逃さない。大きな身振り手振りを交えながら強く言い放って、妹に反論の機会を与えない。攻勢を維持したまま落としきるのだ。
「私たちがやることは人間社会の勉強だよ? だからね、私たちは寄り道もしなきゃいけないの!」
「……そうなの?」
「そうだよ、この私に間違いはない。買い物も寄り道もね、両方やるべきことなの。わかった? ほら返事をするッ!」
「えーとえーと……うん」
妹はいかにも納得いってない感じで思いっきり引いているけど、無理やり妥協させることに成功した。
勢いに任せて適当に言ってみたが、間違ってはいないだろう。買い物も寄り道も社会勉強のためにやるのだから。
と、笑いをかみ殺したような感じの唸り声がする。見ればヴァラデアが物凄く愉快そうにニヤニヤ笑っていた。音無き声の方も笑気で震えている。
「クククッ、嘘は言ってないみたいだからタチが悪いな。大きくなったら立派な詐欺師になるんじゃあないか? おまえ」
「さてね。さ、行こうか」
からかってくるヴァラデアは適当にあしらっておいて、さっさと店へ向かうことにする。
まごまごしている妹を後ろから押して、いっしょに人間の領域へと足を踏み入れた。