第二十二話 今と昔の巡り合わせ(1/5) ドラゴン喫茶で接客しよう
この世に産声をあげてからどれくらい経ったか。
ずっと寝起きに使ってきたこの育児部屋は、最初はなにも無くて寂しいところだったけど、今ではそれなりに物が増えて賑やかな場所になった。おかげで外に出ずとも退屈せずに過ごすことができる。
出入り口の向かいに並べられている三つの鉄箱には、姉妹のために用意されたおもちゃが収められている。
なにかいい感じに暇を潰せそうなものはなかったかと思って、何も考えずテキトーに箱の中を漁っていると、青と白のまだら模様になっている球を見つけた。前足の平に収まるくらいの大きさの品である。
もっと未熟だった頃のこと、お母さんに屋敷の外へ出ることを許されてからしばらくの間は、こいつを使って妹とよく遊んでいたものだが、あれから他のおもちゃが増えたので、出番はめっきり減っていた。
ふとわき起こる懐旧の念。せっかくなので、ちょっとぶりにコイツで遊んでみることにした。
ひとりで尻尾をぱたぱたさせながら本を読んでいる妹に、球がよく見えるよう高く掲げて大きく振りながら呼びかける。
「おーい、こんなの見つけたんだけど。キャッチボールでもしようか」
「うん? お、そーだね! やろうやろうー」
妹は本を閉じて棚に置いてから、床に顎がくっつくくらいに深々と伸びをする。ちょっと鳴き声が漏れていて気持ちよさそうである。こちらもつられて小さくあくびをしてしまう。
短い柔軟体操を終えた妹が小走りに正面へまわってきたので、さっそく球をぶん投げてやることにした。
「行くぞ! ほれっ、取って来ーい!」
あいさつがわりに部屋の壁際へ放り投げる。が、妹は動かなかった。
「え、どこ投げてるの?」
妹は変なものを見るような目を向けてくると、なにが起きたのかわからないといった感じで尋ねてきた。なんか出だしからつまづいてしまって、こちらとしても反応に困る。
「えっ、取ってこないの?」
「取ってこないのって……なに言ってんの? キャッチボールするんでしょ? 普通にやろうよ」
「あーそうか、もうわかるんだよね、キャッチボール。そうだね、悪かったね」
ド正論をかましてきて反論できない。
この子とキャッチボールをやり始めた頃は“取ってこい”ばかりやってくれたものだが、今はもう正しい遊び方を理解しているようだった。というか幼稚園で時々やっていたので、いまさらだったか。
変な気分で粛々と球を回収したのち、今度こそ真の遊びを始める。
後ろ足で直立し、前足を振りかぶってから、全力で球を投げつける。人間では見切ることが不可能であろう速度が出たが、妹は前足で軽々と受け止めた。
妹は全身を大きくひねり、四足獣の下投げを繰り出してくる。低い角度から迫る剛速球をすかさず受け止めると、いい感じの衝撃が前足から伝わってきた。人間が受け止めたら肩が千切れ飛ぶくらいの威力がありそうだ。
一投一殺の心構えで投球し、返球を受ける。球から伝わる破壊力が心地よく、丸一日だって続けられそうだ。
人間たちがこれを見たらキャッチボールと判断するのかは知らない。
「おまえたち、もう出かけるぞ。さ、来なさい」
だが突如天井が割れると、そこからヴァラデアが顔を出して呼んできたので、すぐに遊びを止めた。
気分が乗ってきたところで邪魔が入ってしまったので不完全燃焼感が強いが、この時間は出かける予定だということはわかっていたので仕方ない。続きは帰ってからにすればいだろう。
ボールを箱へ投げ入れて戻してから、お母さんの懐へ姉妹で飛び込む。
ヴァラデアはぎゅっと抱きしめてくると、光の翼を羽ばたかせ、晴れ渡った空へ向けて飛び立った。
第二十二話 今と昔の巡り合わせ
というわけで、敷地の外縁部にある施設までやってきた。
二階建てのログハウスを思わせるオシャレな外観のここは、今日開いたばかりの喫茶店である。その名も“ドラゴン喫茶”。
ヴァラデアによれば、強くてかわいい子ドラゴンたちによる接待が商品とのこと。客どもから破産するまで金を搾り取れるだろうと豪語していた。
長生きしすぎてとうとう頭がおかしくなったのかと思ったが、実は人間たちの要望が多いから応えてやったのだとか。どいつもこいつも頭脳が腐っている。
ヴァラデアが店の裏手に着陸するのと同時に、店から十数人の人間たちが示し合わせていたかのように出てくる。ヴァラデアが姉妹を離すと、そこへ人間たちが一斉に群がってきた。
彼ら彼女らの手には様々な服飾品が握られている。流麗な連携作業によって、あれよという間に着つけてくる。
かかった時間、わずか五秒。仕事を終えた人間たちがどこかへ散ったあと、全身が着飾られていた。青い花柄模様で、リボンやフリルがついている女物の服だ。
女物である。ドラゴンの人格形成に性が影響しないとはいえ、生物学上は雌だ。だから服も女物でいいのかもしれないけど、それでもある種の悪意を感じた。
尻尾の先を見てみると、かわいらしいリボンが蝶結びでくっつけられている。こういうのが好きな人間が多いということなのか、謎である。
妹のほうは同じ柄だけど、赤色が基調となっている服を着せられている。鱗にまとわりつく布を嫌がって引き千切ろうとはしないが、愉快そうでもない。お母さんが着れと命じたから仕方なく身に着けている感がある。
しかしこうして客観的に見てみると、これはこれで可愛らしいかもしれないと、ちょっとだけ感心する。客商売をするなら上等な外見と言えよう。妙なものを着せやがってとは思うも、お母さんの目の付け所は確かのようだった。
「よし、来なさい」
着替えが終わったので裏口から店に入る。短い通路を数歩行った先が仕事場だ。大人ドラゴン大の扉をくぐり抜けた先で、初めて来る店の様子を見てみる。
人間用の施設なのにドラゴンの育児部屋くらいの大きさで、実に広々としている。天井や壁には大きな窓が複数付けられていて、自然の光だけでも充分に明るい。空調を利かせているのか穏やかな微風が吹いていて、空気は淀みのない爽快な無臭だ。
内装は外観同様に木造で、見た目的に温かみが出ている。並べられているテーブルや椅子、観葉植物と言った飾り等々は、どれも高級感はないけど安っぽくもない。一般人でも気軽に来店できる感を演出している気がする。
パッと見て、特に引っかかる要素は皆無。とても開放的で過ごしやすそうな所だった。
そんな良い感じの場所を人間たちが占拠している。各々が席に着いて茶などを喫していたが、ドラゴンが姿をあらわすと一斉に注目してきた。同時にヴァラデアがお盆を口に突っ込んできた。
盆の上には、苺が山のように乗せられている超美味しそうなケーキが二切れと、焼き目がついて香ばしい匂いをたてている一口大の肉という、何故この二つが出会ってしまったんだと突っ込みたくなる物が乗っている。どっちも食いつきに行きたくてたまらない。
妹も同じように盆をくわえさせられていて、あちらにも似たような物が乗っていた。
「さあ、お仕事だぞ。シルギットは向こう、おまえは向こうの席に盆を持って行きなさい。さあ、しっかり奴らを魅了してこい!」
お母さんに尻を押されて、指示通りの場所へと向かう。
そこでは一組の若い男女が待っていた。身なりはきちんと整っている、育ちの良さそうなおふたりさんだ。
皿をテーブルの上に置いて、事前練習の通りに小さな子ども風の台詞を言ってみる。
「お待たせー、苺のケーキを持ってきたよ」
「ありがとうねってうわ、や・ま・盛・り・ヒッフッフッ・過・ぎ・る」
二人はなぜか息を切らせて大笑いしながらケーキを評する。しばらくして笑いを収めると、男が肉を手に取る。
「じゃあレイナ、あげてみるか!」
「うん、ありがとー」
それから男は女に肉を手渡すと、女は肉をこちらへ差し出してきた。
「はい、お肉だよー、どーぞ」
「ありがとう、いただきますね」
あまり牙を見せないよう控えめに口を開いて、そっと肉に噛みついた。
このお肉は、彼らが注文したものである。この喫茶店は、子ドラゴンへの餌付けを安全に楽しむことのできる唯一の場所なのだ。
「くるるっ、ふぐっふぐっ、んっんっ」
「おいしい?」
「んぐっ、きゅーっ、うん!」
できるだけ愛らしい仕草になることを意識して、お肉をはむはむ、口まわりをぺろぺろする。ドラゴンの食事を見物するお客さんの顔はほころんでいて、実に満足そうである。
「な、こっちのケーキも食べてみるか?」
「え? それってあなたたちのために、私のお母さんが作ったものですよ」
「ぷっ! ふふふふふ、いっていって、一口だけどうだ?」
「うーん……うん、じゃあ」
なぜか吹いている男が、苺とクリームを予備のスプーンでひとすくいして差し出してきたので、ありがたくいただかせてもらう。
「クルゥゥゥ~……味、甘味……甘みの津波が、迫ってくるッ……これぞまさに、味覚の大海嘯ッ……!」
感想は『超美味しい』以外に思いつかず、もはや笑いすら込み上げてくる。こんな芸術を味わうことができるとは、お客さんがうらやましい限りだ。いつかは自分の方がお客さんになって振舞われてみたいものである。
「うわあ、すごく美味しそうな顔してるーふっふっふっ」
「ドラゴンってデザートも普通に食えるんだなあ。ほんとは肉食のはずだよな?」
なかなかありつけない甘味を堪能しつつ、気配で妹の様子を観てみる。
あちらも普通に接客している。普通に接客できている。
人間を見下したり威嚇したりすることなく、最後まで問題を起こさずにひとつの接客を終えていた。
「赤い首輪の子って凶暴だって聞いたけど、そうでもないのかな?」
「最近はおとなしくなってきたって聞いてるよ」
「へぇー」
妹の接客を受けていた人間たちがヒソヒソ話をするけど丸聞こえだ。ドラゴンは耳がいいということを知らないのだろうか。
ひと仕事を終えた妹と目が合う。なにやら不敵な笑みを浮かべると、音なき声で姉だけに伝わるように言ってくる。
「ふふん、こういうことできるの、しーだけじゃないんだからね」
それだけ言って、お母さんが待っている裏の方へ、サカサカと小走りで去っていった。
あの子はほんと、日に日に賢くなっていっている。今日など常識的な接客を人間相手にできたほどだ。
知的に育ってくれて嬉しいとは思うけど、代わりに動物的な無邪気さが消えつつあるのは寂しくもあった。