第二十一話 我が身に課した誓い(2/6) 勝利のための作戦会議
ドラゴン用キャンピングカーの居間で、皆と額を突き合わせる。
子ドラゴン二頭に人間三人が一室に集うと、大きな車と言えどもやや窮屈だ。
冷蔵庫から天然水入りのボトルを取り出し、ひっくり返して冷水器と接続する。付属のドラゴン専用給水管を手に取って、冷たい水を一つあおる、もう一つあおる。
きれいな水は良い。混ざりけが無く爽快な後味は、体や心の奥底に降り積もった重苦しい沈殿物を跡形もなく洗い流して浄化してくれるような気がする。
息を吸って、吐いて、心を落ち着ける。給水管をしまい、神妙な顔をしている姉弟にこのたびの事情を尋ねてみた。
「で、今回はなにがあったの?」
「えーと、どうしよう。言っていいのかな?」
青い顔をしているリュートが、気をもんでいる様子できょろきょろと周りに目をやって様子をうかがっている。彼はあまりだいじょうぶではなさそうだ。
「話したくなければ別にそれでいいからね? きみのお家の事情だし、無理してまで話すことはないんだから」
「いや、私から」
カレンが手を挙げて注目を集めてくる。皆と順繰りに目を合わせてくると、こほんと小さく咳ばらいをしてから話を始めた。
「私たちのお母さんはね、精神系の病気で入院してたんだけど、ほかに内蔵系の持病も持ってたの。昨日はそれが悪くなって倒れたと思ってたんだけど、改めて精密検査したら新しい病気が見つかったんだって。それも末期の。
珍しい病気で治療法が見つかってないらしくてさ、対症療法でできるだけ進行を遅らせた場合で、もって三か月だって。はぁ、可能な限り治療はやるけど、心の整理はしておいてって言ってたよ」
彼女はいつになく真顔でとうとうと語る。親の進退に関することなのに、やけに落ち着き払った語り方である。
「心の整理をしとけって言われてもね、正直どうすればいいのかわからないよ。これからの身の振り方とかも考えると、いっぱいいっぱいになってさ」
「急なことでびっくりしてるだろうから、時間をかけて頭を冷やしましょう、ということですよ。不安で仕方ないでしょうけど、まずはあなたたちが冷静にならないと何も始まりませんよ。
確かに難しい病気みたいです。でも、気の持ち方ひとつで不治の病が良くなったという例はたくさんありますから。今はお医者さんやお母さんの頑張りを信じましょう」
淡い暗さを見せるカレンに対して、エクセラがいたく優しい意見を語る。とても一般的で無難な答えか。
姉弟は特に返事はしない。カレンはため息をついて壁に力なくもたれかかり、リュートはもごもごと何かを言いかけては止めてばかりいた。
とりあえず、気になるのは今後のことである。話題の主役は置いておき、エクセラに確認をとる。
「病院のほうは、これからどう対応するんですか?」
「治療は続けるそうです。大きな病院につれて行けばもっと良い治療を受けさせられるかもしれないですけど、福利厚生にも上限がありますしね。当面は現状維持になるでしょうね」
誰でも彼でも最高峰の治療を受けさせるなんてやったりしたら、治療希望が長蛇の列をなして財政及び医療破綻の未来が待っている。当然の対応であろう。
では別の切り口を考えてみる。姉弟のシケた顔を交互に見ながら沈思する。
お母さんに頼んで延命してもらう。これは無い。話をしても呆れられて終わることが確信できる。医療施設の利用を許しているだけでも最高に慈悲深いといえるので、これ以上は求められない。
世界一の医者であるお隣ドラゴンのセランレーデに依頼してみる。珍しい病気とか喜びそうだから望みはあるけど、実験体としていじり倒された挙句に喰われて終わりそうなので駄目だ。
頭をひねりにひねっていると、ふと我に返って『なんでこんなことで悩んでるんだろう』と思う。そもそも、面識もない彼らのお母さんのために働く義理など無いのだ。
でも、理屈を抜きにして、これでいいやと思えた。困った奴を手助けしようと思ったのなら、行動するのに理由は要らない。それに提案するくらいなら大したことはない。
肝心の案がなにも浮かばないのが困りものだけど。
と、今にも死にそうな顔をしているリュートくんに目が行く。放っておくと倒れそうなくらいに顔が青いので、さすがに声をかけざるを得ない。
「ちょっときみ、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ。うん……だいじょうぶなんだよ」
「んん?」
なにやら恥じ入るように肩をすぼめてうつむきながらも、意外と平気そうな感じで言う。妙に含みのある答えに思わず首を傾げる。
「僕、だいじょうぶなんだ。全然辛くも悲しくもないんだ。むしろせいせいしたって思えて、それがなんか嫌で……」
彼は口端をきゅっと結んで、震えを抑えるようにきつく腕を組む。
急に家庭の闇が飛び出してきて何も言えない。
「あー、そう。まーまー、うん!」
すかさずカレンが気まずい間を埋めにくる。しきりにうなずきながら手を打ち鳴らし、変に明るい調子で強引に話を継いだ。
「あんた、お父さんが死んじゃってから、ずーっとお母さんにしごかれてきたもんね。そりゃ文句しかないよねえ」
「お父さん、亡くしてたんだ」
「うん」
なんか際どい話だが、カレンは平然と内情を明かしてくる。まあ、とっくの昔に乗り越えていて今さら深刻になるような話ではない、とかなのかもしれないが。
こういうところは、なにげに強い女だと思う。
「私たちのお父さんはね、ヴァラデアさんの覚えもめでたかったスゴい狩人だったんだ。だからなのかな、お母さんはリュートのやつにお父さんに追いつけ追い越せって教育してきたんだよ。
そのためにすっっごくがんばって働いて、お金稼いで、それで体壊してからいろいろ病んじゃったみたいで。それからというもの……うん、今までよくやってこれたなって思う、私たち」
カレンはそこまで言い切ると、遠い目をしてため息を吐いた。
よくある母子家庭崩壊の流れか。今までよく耐え抜いてきたものである。
「いい思い出なんてろくに無いんだけどさ、でもさ……」
リュートがぼそりとささやくような声をこぼす。視線を床に落とし、溜め込んできたあれこれを吐き出すように口を動かす。
「いざ、お母さんがいなくなっちゃうかもって言われると、胸の奥がこう、ざわざわするんだ。なにか嫌なのが込み上げてくるんだ。なんなんだろうコレ。どうしようって思って」
言うだけ言って、リュートは頭を垂らすと再び口をつぐんだ。
彼は実のお母さんのことを良く思っていない。付き合いはそんなに長くはないけど、それくらいならわかる。
でも、本気で憎んで切り捨てることはできないのだろう。そうでなければ、今こうして悩んでなどいない。
このまま何もせずに母親を送ってしまうと、彼は一生の心残りを抱えることになるかもしれない。
それを見過ごすのも忍びない。とりあえず助言するだけしてみることにした。
「これで最後になるかもしれないんだし、一度ちゃんと話してみたら? そうやって目を背けたままだと、いつか後悔すると思う」
「話した事はあるよ。でも意味なかった。なんも意味なかった」
「……なにがあった?」
「顔を合わせれば、ハンター技術コンテストで優勝しろ~、優勝しろ~、優勝しろ優勝しろ優勝しろ優勝優勝優勝……そればっか。今日だってそうだったし、ぜんぜん話にならないんだよ」
彼は憎悪に歪んだうんざり顔で、実に忌々しそうに闇を吐き出す。
その辺りの事情は姉弟から断片的に聞かされている。彼は母親からなんらかの結果を出すことを強要されて、でも成果を挙げることが叶わず、それでもめ続けてきたのだ。
ならば、やることははっきりしている。
「じゃあ、優勝すれば? もう一度コンテスト受けてさ。お母さんへの手切れ……じゃあなく最後の贈り物だと思ってやってみようよ。なんにせよ、きみから一歩踏み出さないと、なにも進展しないと思うんだ」
「ああ、なるほどー。言われてみれば、元気づけるにはそれが一番手っ取り早いかもね。さすがはシルギットちゃん! すてきな妙案ですね!」
相手が求めるものがはっきりしているのなら、それを与えれば済む話だ。カレンも賛成のようである。
「無理だよ」
「は?」
しかしリュートは一瞬すら考える素振りを見せずに言い切った。
建設的な方向にもっていこうというのに、一顧だにしない態度をされるとムッとくる。一発睨みつけて威圧してみると、彼は思い切りひるんだ姿を見せてから訳を並べ立て始めた。
「きみの家に越してきてから、あまり練習してないんだよ。絶対無理だよ」
「じゃあ練習すればいいじゃん」
「コンテストは来月だし。申し込み期限は……ギリギリ今週末まであるけどさ、練習の時間が無さすぎるから無理だし」
「そりゃあ良かった。一か月も時間があるんじゃあないか。私も手伝えることは手伝うよ」
「むちゃくちゃ言うなぁ。だから無理だって」
「……ああもう、私はやってみようと言ってるんだ! こういうときくらい気張れんのか!」
頑なに拒否され続けると、一気にかっとなって床を思いっきり叩いてしまう。
頑丈な車で良かった。皆の体が跳ね上がって調度品が散乱するくらいの揺れがあった程度で、車体が崩壊せずに済んだ。
エクセラがすかさず膝で立ち上がって、首の後ろ辺りをさすってきた。すると頭に昇っていた血がさっと引いて、気分が落ち着いてくる。
「シルギット様、落ち着いてください」
「すいません」
「どこが無理なの? あんた前にコンテストに出たときは、準優勝を獲ってたじゃない。あとちょっと練習すれば優勝狙えるでしょ」
ここでカレンからもお姉ちゃんらしく推してくる。
彼ならいけるはずなのだ。人間にしては運動神経が良いし、子ドラゴンとタメを張れるほどに頭の回転が早くて物覚えが良い。その気になれば栄光をつかむことができるだけの強さを持っているのだから。
「いい機会だし、今回もコンテストに挑戦してみればいいじゃない。どのみち年齢制限に引っかかるまでにはもう一度参加するつもりだったんでしょ? シルギットちゃんもこの通り超乗り気だしさ、やるだけやってみようよ」
カレンはいつになく真摯な態度で呼びかける。弟の心をくじかないように、可能な限り言葉を選んでいる感じで発破をかけている。
「早くうんと言いなよ。でないと今度はシルギットちゃんがあんたを殴るよ?」
「わかった。うん、わかった」
「おいコラ」
姉の嫌な殺し文句と共にリュートが降参する。そこで折れるんじゃあないと言いたい。
最後の最後でいろいろと興を削がれたけど、なんだかんだでリュートがやる気にはなったようなので、とりあえず良しとする。
やることが決まれば話は早い。
「よーし、誓ってきみを優勝させてやるぞー。エクセラさん、“ハンター技術コンテスト”でしたっけ。良い感じの教材を持ってきてもらえませんか?」
「いいですよ。にしても、随分と乗り気ですね」
「ちょどいい暇つぶしですし。この際だから全力で応援してみますよ」
エクセラは苦笑しながらも、すでに端末を操作し始めている。さすがに仕事が早い。
「しー、そんなことを誓ってだいじょうぶ?」
しかし妹が、なぜか不安そうな面持ちで訊いてくる。この子は今の話を聞いて何を考えたのだろうか。
「だいじょうぶだよ、あの子には充分見込みがあるしね」
「そう……? じゃ、がんばって人間の世話してねー」
「お前も手伝うんだよ」
「えーっ」
妹はめんどくさそうにブー垂れるも、特に嫌そうな顔はしていなかった。
この子の役目は特に考えていないが、必要になったら手伝いをお願いする、くらいでいいだろう。
さて、これからどうやって少年を勝利へと導いてみせるか。作戦を考え始めると、無数の案が次から次へと浮かび上がってくる。頭の回転が急に早くなって止まらなくなる。
なぜだろうか、それが今までにない種類の興奮をもたらして心を沸き立たせてくる。これは狩りで獲物を追い詰めているときの感覚に似ているか、とにかく胸が躍って仕方ない。
今夜は眠れそうになかった。ドラゴンは十数日くらいは寝なくてもだいじょうぶだけど。