第二十一話 我が身に課した誓い(1/6) ありふれた終末
カレン姉弟は同じ屋敷に住んでいる。ご近所どころか同居人ということもあって気軽に会うことができるので、ちょくちょく遊びに行っている。
遊びに行く間隔は短くて一週間ごと、休日のときに限る。音なき声で連絡して、お互い暇だったら彼らの住処に押し掛けているのだ。
今日も微妙に暇な時間ができたので、カレンたちの部屋に上がり込んでいる。
彼らの家でやることは決まっている。ゲームである。
最近よくやっているのは、体ではなく頭を使うものだ。今は業界で一番有名だというカードゲームをやっている。
こういう類の遊戯は、ドラゴンの圧倒的身体能力によるゴリ押しが通用しない。せいぜい記憶力の良さくらいしか明確に優位に立てる要素がない。
だからこそ、やりがいがあって充実を感じられる。彼らも裏で練習や勉強をしているようで手ごわいので、退屈になることは無いのが嬉しいところだ。
でも、今日のリュートはどうもキレが鈍かった。
実力ではカレンにやや劣っている彼ではあるけど、思いもよらない発想でアッと言わせてくることがよくあるので場を沸かせてくれる。でも今回はそれが無い。その上、単純なミスによる敗北を続けてくれて、いちいち勝負を盛り下げてくる。
なにか心ここにあらずといった感じで、かなり気になってきた。
「なにか調子悪そうだね。どうしたの?」
「ええと、その、実は、昨日の夜中にさ、病院にいる僕のお母さんが倒れたって、今朝連絡もらったんだ」
「そう……あ、なに?」
彼は言いにくそうに答えをこぼすが、その内容が聞き捨てならないにも程があって、瞬時にゲームどころではない空気になってしまった。
手札を放り出す。リュートが握るカードも奪ってその場にばらまかせて、鼻を突き合わせ真っすぐに目を合わせる。彼は驚き顔で目をぱちくりさせている。
「おい、今なんて言った?」
「あの、昨日僕のお母さんが倒れたって……」
「今すぐ会いに行けよ。私と遊んでる場合かよ」
そんな大変なことが起きていたというのに、なんで彼らは今日の遊びの誘いを受け入れたのか。実に理解に苦しむ。
「きみのお世話をするのが私たちの役目ですから。今日くらいならだいじょうぶ! 別に危篤状態とかそんなんじゃないみたいですし!」
「どこがだいじょうぶなんだよ、このボケども! 今すぐ会いに行ってやれ!」
カレンはへらへら笑いながらなだめてこようとしてくるけど、あえて咆えて押し返してやる。すると、彼らは困ったように顔を見合わせた。
困るようなことではないのではないか。今優先するべきものが何かわからないのか。もう頭が痛くなってくる。
「なら、せっかくだからさ、シルギットちゃんもいっしょに来てくれないかな?」
「……え? なんで私が?」
急に思いもよらない話を振られて、一気に気勢を削がれた。頭の中を巡っていた熱気が不意に消し飛んだため、責めが続かず逆に呆気にとられる。
「シルギットちゃんたちとの友だちぶりを見せれば、私たちのお母さん喜んで元気になるかもしれないから。病は気からってヤツ!」
ドラゴンの友になれた人間は人生の勝者だ。喜ばせるには良い知らせかもしれない。それ以外の問題があるが。
「いいのかそれ。というか私、きみらのお母さんとは無関係だよ。行くのはいいんだけど、いくら私がドラゴンでも面会はさせてもらえないんじゃないの?」
「かもしれないけど、窓から姿を見せるだけでもいいんじゃない? しーちゃんがよければ一緒に来てほしいんだけど……さすがに駄目かな?」
リュートもいっしょになって頭を下げてくると、なんとなく断るべきではない場面のような気がしてくる。
ついていくこと自体は別にいい。貴重なお出かけの機会を得られるので望むところだ。一方で、よその家庭の事情に首を突っ込みすぎだから、引くべきではないかとも思う。
でも知れた仲なのだ。一友人としてまでならば、できることはしてやってもいいだろう、と思った。この辺りのバランス感覚は難しいけれど、少なくとも間違った行いではないはずだ。
「いいよ、わかったよ。じゃ、行こう!」
「え、今から?」
「何か問題ある?」
「いや別に。片付けしないと」
行くと決めれば速やかに実行するべし。さっそく病院に向かうため、車を手配してもらうようにエクセラへ呼びかけた。
第二十一話 我が身に課した誓い
ヴァラデア屋敷の敷地には、人間向けの施設が多数ある。多くは一般に公開されているけど、そうではないものもいくつかある。その一つが病院だ。
ここの敷地の従業員のために用意されたところで、小規模ながらも大病院に匹敵する設備を備えているうえ、患者の症状に応じた専門医をわざわざ呼び寄せて治療を施させるという贅沢な施設なのだとか。
姉弟の母親は、そこに入院しているそうだ。思ったよりも近かった。
エクセラが操るキャンピングカーに揺られて病院へと向かう。
会話は特に無い。姉弟ともに黙りこくって不安そうに縮こまっている。状況が状況だけに、おしゃべりに興じる心の余裕は無いのだろう。
「しー、ここの場面なんだけど、なんで殺さないの? 親の仇が首を差し出してきてて、主人公はいつでも殺せるんでしょ?」
「それは解釈がいくつかあるかな。一つは、首を差し出してきてるってことは断罪されることを望んでるってことだから、あえて望みを叶えてやらないことで苦しめる。もう一つは、主人公の親が『決闘での死は決して恨まず悲しむな』って言ってたから、その言いつけを守った……ってところ?」
「むぅーっ……殺せばいいのにっ」
「殺すことばかりが正解じゃないんだよ」
そんな重い空気の真っただ中にあっても、妹は普通に読んでいる本の内容に突っ込みを入れてくる。なにかこう、空気というものを察せないものかと思うが、なごませるのには充分だから、これはこれで良いか。
「着きましたよー」
「はーい」
張りつめたひとときは、出発から十分間程度で終わる。車内スピーカーを通じてエクセラが呼びかけてきたので、読んでいた本を閉じる。自動で開いた扉から、皆を連れて降りた。
目的地である建物の前に立つ。“従業員用医療棟”との看板を下げているそこは、ヴァラデアの体色である空色を基調とした塗装を施されている、三階建ての小型ビルである。清潔そうで素っ気ない外装は医療の場らしいといえるか。
「きみら、ここに来たことはある?」
「何度かあるよ。お母さんの様子は時々見て行ってたし」
「そうか……」
ちゃんと母親と顔合わせをしていたらしい。以前、彼らは家庭内にいろいろと不和を抱えているような話を小耳に挟んでいたから、なんだかほっとした。
「私たちが屋敷に引っ越してきてから、ずっとここで治療を受けてたんだよ。もともと持病持ちだったせいだろうけど、なかなか回復してくれなくて。
いい治療を受けてるんだから絶対良くなると思ってたのに、まさか倒れるなんて思ってもみなかったよ」
カレンは諸々の苦難をにじませる口調で、声をひそめて語る。詳しい病状は聞くと後悔しそうだから尋ねない。
「じゃ、行きましょうか。シルギット様たちはちょっと待っててくださいね」
「ん、エクセラさんも行くんですか?」
「私は保護者代理ですからね、付き添いですよ」
「そういうもんですか」
エクセラの後に続いて、姉妹も正面玄関から病院に入っていった。
気配を探ってみると、中には四人の人間がいることがわかる。一人はエクセラたちの応対をしているようで、二人は一ヶ所に固まって動かず、上のほうの階にいる一人も同じく動かない。最後の気配が一番弱いので、恐らくそれが姉弟の母親だ。
しばらく待っていると、玄関扉をわずかに開けて、エクセラが顔だけ出してくる。それから首を横に振りながら、掲げた腕を交差させた。
「ごめんなさい、ちょっと問題がありまして、家族と保護者以外が立ち会うのは遠慮してほしいそうです」
「そうですか、じゃあここで待ってますよ」
「ありがとうございます」
やっぱり面会は駄目だったらしい。無理強いする理由はないので、頼み通りに外で待っていることにした。
「しー、あいつらなにしてるの?」
エクセラが引っ込むのと同時に、本をくわえている妹が、わけがわからないといった感じで小首を傾げながら質問してくる。
「病気のお母さんの具合が悪くなったから、会いに行くんだってさ。急な話だから、あの子たち結構参ってるようで、ちょっと心配でさあ」
「ふーん。弱いと大変だねー。本、いっしょに読も!」
「うん、そうだね……」
人間たちのもめ事には関心が無いようで、とても軽い感じで言う。実にドラゴンらしい冷たい答えには笑うしかない。でも、以前のこの子だったらもっと辛辣な言葉を返していたと思うから、まだ良しとするべきか。
妹がくわえた本を押し付けて読書の続きをせがんできたので、その場で本を読むことにした。
この本は童話集である。子ども向けの割には、子殺しだの裏切りだのと妙に重い内容が混じっているのが目がつく。
物語を通じて現実社会の苦みというものを教えようとでもしているのか、作者はもう少し手心を加えられなかったのかと思う。これはこれでおもしろいから良いのだが。
「えーと、さっきしーが読んだよねー。だから次は私が読むねー」
「はいはい。さ、どうぞ!」
「クルルゥー。昔々あるところに、はた織り屋の一家が住んでいました。お父さんは朝から晩まで働きっぱなしで、家族のことをあまり構っていませんでした。お母さんはあちらこちらへ遊び歩いてばかりいて、家にあまり帰ってきませんでした。娘は両親に見向きもしてもらえず、毎日毎日寂しい日々を送っていました」
妹は楽しそうに鳴きつつ、音なき声でゆっくりと朗読する。
以前のこの子は、お姉ちゃんに本を読んでもらってばかりいたが、今では立派に自力で読むことができている。良いことではあるけど、これはこれでちょっと寂しい気もする。
「ある日、娘は寂しさのあまりに家を飛び出してしまいました。娘は夢中で走り続けましたが、気が付くと一人森の中にいて、どこへ行けばお家に帰ることができるのかわからなくなってしまい、心細くて泣き出してしまいます。
そこで『お嬢ちゃん、どうしてひとりで泣いているんだい?』と、娘の泣き声を聞きつけた森の魔女が声をかけてきました……さらって喰い殺すつもりでしょ?」
「話四分の一も行ってないんだから、さっさと続き読めよ」
基本ほのぼの時々暗黒な短編たちに目を通していく。
ふたりで突っ込み合いながらなら、時間を忘れて読みふけることができる。
忘れるほどの時間を費やしても、エクセラたちからお呼びがかかることがない。
五の物語を消化しても状況が動くことがない。
十の物語を消化しても変わらず、少し焦れてくる。
十五の物語に到達したところで、さすがに姉弟の様子が気になって、集中がとぎれとぎれになってしまう。
声をかけるか、そっとしておくべきか。悶々とした気分のまま無理やり物語を読み進めていると、いつしか玄関扉が開く音がする。
「お待たせしましたシルギット様。だいぶ待たせちゃいましたね、すいません」
本から目を離して顔をあげると、皆が表に戻ってきていた。ようやく用事が済んだようだ。
本を妹の口に突っ込んでから彼らを迎える。
「お帰りー。私たちの出番無かったね……って」
話しかけてみて、姉弟のやけに暗い顔を目の当たりにして言葉を失う。いかにも大きな問題があってどうしようもなくなりました、という顔である。
どう声をかけるべきか迷っていると、彼らの方が先に口を開いた。その表情は死面のように硬く、唇は鉛のように重そうなので、本当に何事なのかと思う。
「どうしよう……」
「どうしようって、どうしたの?」
リュートが妙に曖昧模糊とした一言をくれるので、反射的に聞き返す。
彼は苦々しげに唇を噛みながら答えた。
「お母さん、あと三か月の命で……」
「ちょっと、そういうこと気安く言わないの」
カレンが即座に突っ込んでリュートの口をふさぐ。エクセラは困り顔。
こちらは突っ込めない。気の利いた言葉なんて出せなくて、『そう』、とあいまいに答えることしかできなかった。
余命一か月に比べたら今回はだいぶマシだね、という本音はもちろん出なかった。