第十八話 滅びをもたらした獣(3/3) 先人の教え
ドラゴンの第二屋敷上空までやってきた。ヴァラデアの腕の籠から身を乗り出して、ここのお家はどんなものかと観察してみる。
「街の中に、山がある……」
それは山だった。比喩でもなんでもなく、本当に山そのものだ。
緑の姿がない灰色の大都市のど真ん中を、木々が良く茂る鮮やかな山が異様な存在感をもって占めていた。標高が周りの高層ビルよりも低いので、少々迫力が足りていないのはご愛嬌。
自然でいっぱいの山だけど、舗装された山道まわりは見通しが良い。
頂上には弁当箱のような単純造形の建物が一軒ある。あれが住居だろう。他には公園らしき広場や用途不明の建物が、幾重も枝分かれした道で繋がりあっている。
ふもとには背の高い石造の塀があって山全体を囲っていた。そこがドラゴンと人間の領域の境界線だろう。
見た感じ、ちょっとした自然公園みたいである。実際、親子連れが山道を散歩していたり、ゴザを広げて寝転がっていたりする姿も見られるので、まさに公園だ。
「なんでこんなところに棲み処を作ったの?」
「私たちドラゴンは元来、野山の洞穴で暮らしてきたものだからね。なんだかんだでこういう環境がいちばん落ち着くから、あえてここに屋敷を建てたんだよ。管理はかなり大変だけどね」
それはそうだろうけど、だからといって山ひとつを家にするか。なんというか、ドラゴンらしい無駄に規模がデカい発想と言える。
「それで、例の記念碑ってどこにあるの?」
「私の敷地の中だ。ほら、あそこ」
ヴァラデアが指す先を目で追う。眺めの良さそうな開けた丘に、並の木くらいの背丈がある暗灰色の石碑が立っていた。事前に人払いをしていたのだろう、お客さんの姿は見られない。
と、そこで奇妙な点に気付く。あれは“終戦記念碑”だ。多くの人間たちが共有する歴史的建造物だ。そんなものがなぜ、ドラゴンの私有地にあるのだろうか。設置するなら、もっとふさわしい場所があるはずだ。
その辺りの事情も説明してくれるのだろうか。黙するヴァラデアは、記念碑に向けてまっすぐに降下していった。
この山は木々が適度に切り開かれていて日当たりが良い。都会のど真ん中にしては空気もそれなりに澄んでいるので、なかなか過ごしやすそうな場所である。
崖際にある木の柵から外界の景色を眺めてみる。空から見下ろしたときからわかっていたけど、視界が山よりも高い高層ビルに阻まれているので、景観としてはいまひとつである。夜景を楽しむならそれなりに使えるかもしれないが。
件の終戦記念碑はそんな微妙な景色を、静かにたたずみながら見つめ続けていた。
簡単な台座にぽつんと立つ、見上げるような大きさの石碑だ。表面はツルツルになるまで磨かれていて、汚れはそれほど無いので顔がきれいに映りこむ。なんの石でできているかは知らない。
造られてから千年以上は経っているだろうに傷は少ない。かなり丁寧に管理されてきたようだ。と、うっかり爪を立てかけたので、慌てて前足を下ろした。
「さて、軽く洗っておくか……」
ヴァラデアは石碑の背後から長いゴムホースを引っ張り出してくると、固定バンドで自らの尻尾にくくり付ける。それから勢いよく水を出して石碑に浴びせかけた。水が弾けるそばから泡立っていくので洗剤入りのようだ。
次に大人ドラゴン用の巨大モップをどこからともなく取り出してきて、水をかけながら磨き始める。まんべんなく汚れを落としていくその仕事は実に丁寧だ。
お母さんが自らの手で掃除をする姿を見るのは、なにげにこれが初めてである。屋敷では係の人に任せっきりだった。彼女は今、いったいどんな思いで前足を動かしているのだろうか。
「しー、これどういう意味? よくわかんないよ」
お母さんの仕事ぶりを見ていると、うんうん唸っている妹が呼んでくる。石碑の正面に彫られている文を読もうとしているようだ。
あの子の読解力は、なにげに小学校高学年レベルくらいはあったりするので、難解な文でなければ問題なく理解できるはずなのだが。
水洗いによる小雨のなか妹のそばに寄って、さっそく碑文を読んでみた。
「えーと、『新暦の制定をもって災厄の時代は過ぎ去った。竜と人、二度と道を違わぬことを願う』……だってねえ」
短くてやや抽象的な文だった。
新暦元年とは、今から千四百と数十年前である。ヴァラデアが三十歳くらいの頃だ。そんな時期に、毎年記念碑参りをさせるほどの出来事に遇ったというのだろうか。
「よくわからないけど、とにかく昔なにか起きたってことでしょ。お母さんは詳しく知ってるんでしょ?」
「もちろんだとも。私は当事者だったからね」
お母さんは前足を動かしながら、昔を懐かしむかのように話を始める。
「私がまだ赤ちゃんだった頃、先代……私の親が人間を滅ぼそうとして縄張りを壊滅させてしまってな。その大災害から立ち直ったことを記念して、この石碑を建てたんだよ」
「は?」
一発目から聞いた話と違っていて思わず声をあげてしまう。
「これってさ、終戦の記念碑なんだよね」
「そうだね」
「で、昔起きた戦争が終わったことを記念してるからコイツがあるんだよね」
「そうだね。正確に言うと、狂った私の親を倒して、私の親が暴れたことで起きた戦争も終わって、すべての始末がついた日が今日だから」
お母さんは特に隠す気もないようで、なんともまあ淡々とした調子で突っ込みどころだらけの真相を語ってくれる。
「前に歴史の本を読んだけどさ、そんなことを書いてるのは一冊も無かったよ?」
「千年以上前のことだからね。一般的な資料には、もう正確な情報は残ってないんじゃないかな?」
このお母さんなら情報操作して都合の悪いことは消していそうだけど、とりあえずそういうことにしておく。
「お母さんのお母さんって、おばあちゃんか……。おばあちゃんが狂ったとか、倒したとかしれっと言ってるけど、いったいなにが起きたのさ」
とりあえず一番わけのわからないことについて質問をぶつけてみる。変わらぬ様子で掃除を続けるヴァラデアは、姉妹と顔を合わせることはないが、口だけはこちらに向けてくる。
「私の親はね、人間に子どもを殺されてしまってな。その事実に耐えられず、理性を捨て去り、目につく人間を襲うだけの獣に堕ちてしまった。そのせいで、この地の人間の文明は一度滅んだんだよ」
「そう……ええと、人間が、ドラゴンの子どもを? そんなことできるの?」
「方法は無いわけじゃあない。確かに人間は脆弱だけど、弱さに代わる強さを持っている奴も、ごくまれにだがいる。決して無力ではないよ。だからね、そうやって人間を侮ってはいけないぞ?」
やんわりと慢心を咎められて、胸がどきりとくる。
自分の言動を振り返ってみると、否定することはできなかった。ドラゴンの圧倒的な力のまえでは人間など相手にもならないと、無意識のうちに見下していた。
お母さんもよく観ているものである。今見ているのは石碑だが。
「うん……」
少しばかりうろたえさせられたが、とりあえずいつもの深呼吸で気を落ち着けてから話を続ける。
「というか子どもをやられたって言ってるけど、じゃあお母さんは?」
「私は二頭目だったんだよ。親が狂気に陥ってから作られたな……」
かなり嫌な思い出なのだろう、ヴァラデアは掃除をする前足を急に止めると、わかりやすく暗い顔をしてうなだれた。正直気まずいことこの上なく、訊いたことをちょっと後悔してしまう。
少しするとヴァラデアは気を持ち直したか、モップを操る前足を再び動かして、昔話の続きを紡ぎ出した。
「私は人間の仲間を集めて親に立ち向かった。奴の力は今の私並みだったから、どうしようもない程に強かったよ。でも、最後には打ち倒すことができた。人間の仲間たちと知恵を出し合うことでな。
あのときドラゴンをも超えることができた“強さ”こそが、私たちの種が永年に渡って追い求めてきたものだと信じている。
いつかおまえたちにも、あいつらのような素晴らしい仲間に巡り合う機会に恵まれて欲しいものだね」
感極まった感じの語りをしながらも、せっせとモップを操って石碑の掃除をし続ける。
黙々と行われるその作業には、一切の手抜きが見られない。むしろ情熱を込めて磨きをかけているように思えてくる。これにはお母さんにとって、なによりも貴重な思い出がたくさん詰まっているのだろう。
お母さんにもそういう類の情緒があったんだとか、昔の仲間たちとエクセラとどっちが良いのかとかの無粋な疑問は投げ捨てておく。
「そんな大事件に遭ったんだなあ、しかも私くらいの年頃に。今は平和なのは、お母さんの頑張りの成果ってところなのかな?」
「そういえば、先代はシルギットと似ているところがあったな。方向性はまったく違うが」
適当に感想を言ってみると、なぜかまったく噛み合わない答えが返ってくる。何事かと思えば、ヴァラデアは前足をまた止めていて、深くうつむきながらモップの柄を握りしめていた。なにか考え込んでいるように見えるので、たぶん今のは独り言だろう。
ドラゴンの音なき声は、基本的に相手へ伝えることを意識しなければ出ないもののはずなのだけど。うっかり声を垂れ流してしまっているのか、実は聞いてほしいのか、判別はつきづらい。
「先代はドラゴンにしては甘くて、人間の近くに在ろうとして、必要以上に心を開いてしまった。だから弱みに付け込まれて、愚かにも破滅してしまったんだよな」
身じろぎひとつすることなく、ぶつぶつと小声でつぶやき続ける。その表情にも語り方にも、なにか異様な念を込めているような気がして、なにかよくわからないが畏れを感じる。
「あの子は優しいのはいいんだが、先代のようにただ甘いだけのやつにだけはなって欲しくないものだ。どうやって教育していくべきか……」
ヴァラデアは一通りぼやき終えると、無言で掃除を再開した。
いまの独り言に対して、いったいどう返せば良いのか。というか何か言うべきなのか。お母さんが働く姿を見ながら、しばし思い惑う。
「えーとえーと、私は甘いの好きだよ」
「そういう意味じゃないんだけどなー」
妹が顔色をうかがっているかのような不安顔で、不自然に明るく言ってきながら鼻先ですりすりしてくる。お母さんのせいで場が微妙な雰囲気になってしまったから、和まそうとでもしているのだろうか。ほんと良い子に成長してくれたものである。
一方のヴァラデアは、姉妹など眼中にない様子で熱心に掃除を続ける。
その姿からは奇妙な圧を感じる。今日の話を忘れるな、昔の失敗を繰り返すなと、しきりに念を押しているように思える。今日、姉妹をここに連れて来た目的は、それを教えるためか。
そんなのはどうでもいいから観光できないかなーと思ったけど、空気感からしてその願いは叶いそうになかった。
実際叶うことはなかった。
第十八話 完