第十七話 こだわりの一皿を求めて(7/7) 実食
屋敷の台所には、子ドラゴン用としてこしらえてもらった調理机を置いてある。その上に豪華な食材が並べられている。
契約農家から直接仕入れてきた五種の野菜に貴重な馬肉、その他はもともと置いてあった調味料の数々である。
今より、これらの材料を使って調理を行う。ついにこの時が来た。
本日の献立は、ドラゴンも大満足の厚切り焼き肉セットである。お肉に彩りを添えるために、揚げ芋とサラダと甘味をつけることにしている。
作るだけなら高度な技術を必要としない簡素なお題だが、簡素ゆえにごまかしが利きづらいので、純粋な腕試しにはピッタリといえよう。
己の腕前は未知数。甘く見積もっても大したことはない。詰め込みの練習で基本的な技術は一通り身に着けたとはいえ、どうやっても経験不足が響いてくるだろう。
だからこそ頭を使う。足りないものは知恵を駆使して補う。
料理とは科学だ。美味しくなる方程式に従って味の解を正確に導き出せば、悪くても普通未満の出来になることはないはずだ。
もちろん余計な工夫などはしない。よくある失敗作は、基礎がなっていないのに応用しようとすることによってもたらされる。それを忘れなければ、今宵の料理作りは必ずや成功することだろう。
今日は勝つ。意気込みの掛け声で自らを奮起させる。
「さて、始めようか。いっしょに頑張ろうね」
「任せてーっ」
首輪の色と同じ赤色のエプロンを付けている妹は、果物ナイフを振り上げながら元気良く声をあげる。爪や尻尾だけじゃなくて刃物も振り回すのは危ないということを理解して欲しい。
他の面々は全員見物にまわっている。
今日の食材集めと料理の特訓を手伝ってくれた三人、お母さん、話を聞いて駆けつけてきたエクセラが、調理机の向こう側で静かに見守っている。
「ふむ、ちゃんと手を洗っていますね。感心感心」
「いやいやセスさん、前足の間違いでしょう」
「おっと、これは失礼」
あと、白衣で白髪のおっさんが何人か席についていて、姉妹の作業風景を見てきながらペンを操ってメモを取っている。
「うほっ、かーわい」
「仕事しろおまえ。ほら照明当てろ!」
さらに若い二人の男が、それぞれ大型の照明とプロ用らしき大型カメラを向けてきている。
後半の連中は見たことのない面だ。材料集めから帰ってきたときには、なぜかすでに台所に陣取っていた。
感じからしてなにかの番組撮影か。お母さんの姿をずっと見ないと思っていたら、案の定コレだ。変な趣向を凝らしてくれるものである。
見世物にされている感がものすごいが、気にしても疲れるだけ無駄だ。幸い手出しをしてはこないようないので、無視してやることをやる。
「シルギットちゃーん、練習の通りにね!」
「ほんと覚え早いよね、あの子たち」
家人たちの声援に前足を振って応えたら、まずはサラダ作りに取り掛かる。少し放置しても味が落ちづらいものから仕上げるのだ。
と、その前にやっておくことがあった。浅めの鍋に、油を半分くらいのかさまで注いでから火にかけておく。充分に温まるまで少し時間がかかるので、その間に別の作業をする。
まず、菜っ葉を均一の大きさに千切ったら、皿の底へ平たく敷いていく。
次はナス系の野菜二種だ。妹と手分けして、人間基準の大きさでくし切りや輪切りにしていく。一通り切り終えたら、菜っ葉の上へ適当に並べていく。
妹も旅路で刃物の扱い方を覚えたので、問題なく作業できている。たった一日で華麗なナイフさばきを身に着けるのは、さすがといったところだ。
サラダの次は甘味だ。あの妹が気に入った噂の果実をくし切りで四等分にして、皮や種などの余計なものを取り除いたら、そっと小皿に盛る。
当初は甘煮にしたものを冷やして頂こうと思っていたけど、今回は妹の希望を受けて素材そのままを使っておくことにした。
「こら、まだ食べないの」
「匂いを食べてるだけ。匂いを食べてるだけだもん」
妹が果実を喰おうとしていたのを止めると、ぷいとそっぽを向いてシラを切った。
それでごまかしたつもりなのだろうか。本番中だというのに、まったく油断ならない子である。
観客たちの忍び笑いを聞き流しつつ作業を続ける。
次は妹と並行で別々の作業を行う。油がほどよく温まっていたので、芋揚げのほうは妹に任せる。
こちらの役割は、本日の主役であるお肉を焼くことだ。さっそく二手に分かれて動き始めた。
「どうして子どもたちへ料理作りに挑戦させることにしたのでしょうか?」
「そこは私が説明します。実はですね……」
エクセラがカメラの人々となにか話をしてるが、集中がそれてしまうので無視する。
赤みが強くて香り高いお肉を手に取り、刃先を入れて堅い筋を丁寧に切る。それが終わったら、コショウなどを軽くまぶしてから軽く擦り込むことで下味をつける。
火を入れた鉄板に油を敷いて、サラサラになるまで熱する。いい感じに空気が揺らいできたことで適温になったことを確認したので、満を持してお肉を投入する。じゅわぁと油が軽快に弾ける音が実に心地よい。
横目で妹の様子を見てみると、すでに刻んだ芋を油に投入済みで、ときおり素手でかき混ぜながら揚がるのをじっと待っていた。突っ込まない。
あちらはもう仕上がりが近いか。こちらも負けてはいられない。
焼き加減は表面を焼く程度でじゅうぶん。決まった時間だけ焼いてからひっくり返すことを二度繰り返したら火を止める。あとは余熱を行き渡らせれば焼き上がりだ。
この肉は脂身が少なくて淡白だが、噛みしめるほど旨味が出るのが特徴だ。そこにお母さんが作り置きしていた自家製タレというひと手間を加えることで、その味の潜在能力を限界以上に引き出す。本当はタレも自分で作りたかったが、そこまで背伸びはしない。
琥珀色の光を放つ味覚の芸術によって彩られた焼肉は、見ているだけで食欲をそそる。今すぐ味見をしたくなるけど、もう少しでできあがりなので我慢我慢だ。
仕上がったお肉を鉄板ごと持ち上げて、木製の皿へそっと乗せる。妹が揚げ芋を同じ鉄板に盛ってきたのは、それと同時だった。
完成だ。
「良しッ! ついにできたぞ!」
「おおーお見事ー! 練習通りにいったねー!」
「うむ、できたか。さすがはこの私の娘たちだ、なかなか良い出来じゃあないか」
「やるもんですねえ」
感慨深く三皿を見つめる。お手製ステーキにサラダと甘味という、ドラゴンのお子様が大喜びするであろう欲張りセットである。これを誰の手も借りずに姉妹の力だけで作り上げた。それも生まれて初めて。
皆が拍手してくるのが合わさって、もう天にも昇るような極上の達成感を覚えた。
ではさっそく、これから伝説となる味というものを舌で確かめるべく皿を食卓に運ぼうとして、いきなり皿が消えた。
「なんだとッッ!?」
すかさず鼻を利かせて匂いを追うと、すぐに見つけることができる。
幾多の苦労を乗り越えて作り上げた品は、なぜかこの台所にいた白衣のおっさんたちの前に並べられていた。
「お待たせしました。それでは評価をお願いします」
おっさんたちに向けて、ヴァラデアが丁寧口調でなにかを促す。
今の超常現象はお母さんの仕業なのか。行動の意味が謎過ぎてついていけず、頭の中が真っ白になってしまって身動きが取れない。
それは妹も同じようで、口を開けてぼけっとしていた。
おっさんたちは、ヴァラデアから差し出されたナイフやらフォークやらを手に取って、丹精込めて焼き上げたお肉を汚し始めた。
少しずつ切り取っては薄汚い口に放り込んで、くちゃくちゃと舐めまわすように頬張っている。大事なお肉を食っているのに笑顔の一つもないうえ、なにか物書きしながらとか、作り手にケンカ売ってるのか。
次いで揚げ芋も壊しにかかる。雑にフォークで突き刺さすと、さくりと香ばしそうな音を立てる。これも感慨なさそうに食い散らかしてくるのが腹立たしい。苛立たしい。忌々しい。
皆に手伝ってもらいながら厳選したサラダも蹂躙されてゆく。なんの罪もない緑たちが、悪の鋼に虐殺されてゆく光景には涙を禁じ得ない。
最後の砦であった甘味もあっけなく、虚無感すら覚えるあっけなさで奪われてしまった。
最後に残るのは、食い散らかされた残骸だけ。
おっさんたちはなにかを書き留めながら、ヴァラデアを加えて論議を始める。そうしてダラダラとくっちゃべること数分、おっさんたちは机の下から白板を取り出すと、なにかを書いてから頭上に掲げた。
そこには二桁の数字が書いてあって、ヴァラデアがそれを読み上げていく。
「九十二点、八十九点、九十四点。合計は二百七十五点! 満点にしないとは良い度胸だな。この出来ならば、検定は合格として良いのでは?」
「うむ、そうですね」
「わたくしも同意します」
なんか各々が妙なことを口走ってるが、相変わらず意図がつかめない。
ふと家人たちの様子を見てみると、エクセラ以外の全員の姿が消えていた。逃げたのか。一方で撮影をしている男たちは、アホ面で拍手している。命が惜しくないらしい。
そこでようやっと思考が虚無から復帰して、口から言葉を紡ぎだすことに成功した。
「おい、お母さん。なんなのコレ」
「ん? 調理師資格検定だよ。食材選びから調理技術までを評価する、料理に関する総合技術の試験さ」
いかにも自信ありそうな満面の笑みで答えてくる。どんなときでも自分の行いの正しさを信じて疑わない、残念な類型的ドラゴンの顔だ。
「私のクルルルゥゥーーごはんんんんーー!」
急に立ち直った妹は、涙目で料理の残骸に飛びついていったけど、構わずにお母さんを問い詰めるのを続けておく。
「いや、なに? あのね、なんで知らぬ間にこんなのやることになってたの?」
「おまえはこの頃、ずっと沈みっぱなしだっただろう? そこでおまえが料理をしたいって言いだしたから、こうして成功体験を得る機会を用意したんだ。いやあ、この短期間で舞台を整えるのは苦労したよ」
なんか得意顔でいかに苦労したかをスラスラ語っているけど、なにがどうなったらそういう流れになるのか。
「ごめんなさい。全部決まってたことなんですよ、コレ」
エクセラがひどく申し訳なさそうな顔で言う。言われなくてもわかっている。
なにかを察したらしい外野たちが早足で退室していったのはどうでもいいとして、お母さんへの責めを続ける。
「料理したいとは言ったけどね、私は資格とか欲しいんじゃなくてね、ただおいしい料理を作って、食べたかっただけなんだけど」
「だったらちゃんと資格を取って、自力をしっかりつけるのが先だろう? これで身につけるべきことは全部身についたから、これからはいくらでも美味しい食事を作ることができるよ。ふふ、やったね!」
お母さんがやりたかったことはわからなくもないけど、一周してやはり意味がわからない。
とりあえず、視点やら解釈の方向性やらが狂っていると言わざるを得なかった。これで善意の行動なのだろうから始末におえない。
そっと目を閉じる、そして見開く。
常日頃から、全身に神秘の力が駆け巡っているのを感じている。その力は、たまに“光”という形に換えて生活に利用している。
体温が急激に上がって、溢れ出た力が口先の一点に集う。お母さんに鼻先を向けると、本能が命じるがままに口を開いて咆哮し、収束した力を一気に解き放った。
種の最高の攻撃手段、“波動のブレス”である。成功したのはこれが生まれて初めてだ。
もちろんお母さんにはまったく効かなかったけど。
その後、エクセラの力を借りてお母さんを精神的にねじ伏せてから料理を作り直させた。
お母さんが作ったものは、自分たちが手掛けたやつよりも見栄えがはるかに良かった上に、異様にうまかったのはさすがとしか言いようがなかった。
想定以上に美味しい体験をできたのは良かったが、それはそれで悔しくもあった。
第十七話 完