第十七話 こだわりの一皿を求めて(5/7) 竜の村
収穫はつつがなく終わった。ひとつ小さな事故はあったが、それ以外はおおむね予定通りに事を済ませることができたので、なかなかの達成感で気分が良かった。
首相と別れたあとは、本日最後の目的地である牧場に向けて車を飛ばしてもらっている。
目的地に着くまで時間がかかるので、その間は料理修行の続きをする。農場土産の余剰分を使って、おいしく調理することに挑戦してみるのだ。
やることは野菜を切ったり味付けしてみるくらいだが、なかなかどうして奥深い。切り方ひとつで見栄えも食感も味の付き方も変わってくるのが曲者だ。先生たちに教えを請いながら、ひとつひとつ着実に覚えていっている。
「ちょうだい!」
「ほれ」
ウサギの形に切った果実を一切れ放り投げる。妹は舞う実を見事に口で捉えて、幸せそうにむしゃむしゃした。先ほどからこうして食ってばかりいるので、いい加減おまえも練習しろよと言いたい。
でも言えない。おいしい野菜を堪能して喜ぶ妹を見ていると、ついついもっと喜ばせてみたくなってしまう。それが姉として正しいのかどうなのかはわからなかった。
高級野菜に舌鼓を打っているのはドラゴンだけではない。姉弟もこれを良い機会とばかりに、調達した食材を消費していっている。
まあ、それ込みで多めに収穫したからいいのだけど。彼女らは無償で料理指導をしてくれているのだから、労働の対価はできるだけ支払うべきだ。
「ニンジンって輪切りと乱切りどっちでやったほうがいいんだろ。乱切りのほうが好みではあるけどね」
「とっちも一長一短だねー。乱切りだとひと塊が大きくなるでしょ? 味を染み込ませるのに時間がかかっちゃうんだけど、そのぶん味が強くなって食べ応えもあるよ。
輪切りは火が通りやすくて手早く調理するのに向いてるかなー。厚く切れば乱切りと同じような使い方もできるよ。工夫なしだと見栄えはちょっとアレだけどね」
「ほほう、なるほど」
このように彼らから技術を盗みつつ色々と試す。
閉鎖空間での集中学習によって、なかなか様になってきたと思う。これで今夜の夕食づくりもバッチリだろう。
「みんなー、着いたよー」
そうして無我夢中で食材いじりをしている最中に、次の目的地への到着を告げられたので、練習を中断した。
軽く片づけをしたあと、車窓から外を見てみる。いつぞやのお泊り会のときに訪れたところのような、低めの山々とうっそうと茂る原生林が視界いっぱいに広がっている。
この牧場はヴァラデアの縄張りの端っこにある。町はずれの中の町はずれの中の町はずれにある、村とも言い難い集落であるという。
集落のわりに人の気配がまったくしないが、別の気配はする。動物とも害獣とも違う、それらよりかは不思議と親しみを覚えるものだ。
いったいどんなところなのか。事前調査では写真などを見てなかったので、さっそく皆を連れて車から降りて、現地の姿を確認してみることにした。
「ええ……なにここ……」
ここは本当に牧場なのか。第一印象がそれだ。牧場と言えば広い草原があるものだと思うのだが、ここはまったく開けてない山だ。それに目に見える人工物は、森の中でまばらに建つ掘っ立て小屋くらいしかない。
肝心の家畜の姿も見えない。資料では食用の偶蹄類やら奇蹄類やらを飼育しているとのことだったが、ざっと見る限りそんなものはいない。
実際にいるのは、森林色をしている小さなドラゴンの群れだけだ。
この牧場の名は“特定牧場・竜の入植地”。ドラゴンの名を関する通り、かつてヴァラデアに下されたドラゴンがヴァアデアのために牧畜を営んでいる、ということで知られているところだった。
「ここは危ないから、シルギットちゃんたちから絶対に離れないようにね」
「わかってるよ」
挙動不審な姉弟が警戒度全開で身を寄せてくる。運転席から降りてきたアリサも同様だ。人間なんてわざわざ襲うとは思えないけど、肉食猛獣を相手に注意を払うのは止む無しなのか。
ここに棲みついているドラゴンたちは、数百年前に喰い詰めてヴァラデアの縄張りで狩りをしたら、ボコされて脅されて従わされた一族だそうだ。それ以来ここに縛り付けられて、ヴァラデアのために牧畜を営まされているらしい。
そんな連中が棲むところに子どもだけでやってきて復讐とかされないかと言われれば、そんなことはないと断言できる。
少しでも逆らえば確実に根絶やしにされる。それが解っている以上は手出しをしてくることはないのだ。嫌味のひとつくらいなら吐かれるかもしれないが、それは聞き流せばいい。普段の生活で慣れている。
とりあえず、あまり気を張らずに入村する。木々でいっぱいな集落の中心あたり、透ける日差しが落ちてきていて明るい広場まで来ると、小さなドラゴンたちが駆け足で群がってきた。
小柄とはいっても人間と同程度の体格はある。つまり姉妹と同じくらいの大きさ。
犬と猫の合いの子的なモフモフ毛玉だが、耳朶の無い頭を飾り付ける二本の角、トカゲ系の長い尻尾、背中に生えている鳥のような翼など。特徴的な部品の数々からドラゴンの一種であることがわかる。
頭に対して眼が大きく丸っこくて、おとなしそうな顔に見える。しかし、ドラゴンを見た目で判断してはならない。気性が荒くて凶悪なのがドラゴンという生き物の当たり前だ。
実際よく見ると、縦割れの瞳をもつ黄土色の眼は狡猾さを感じさせるもので、好んで血肉を喰らう冷酷な獣のそれと同じ獰悪な光を放っている。口元から覗く牙の列も非常に鋭利そうで、隙を見せれば喉笛に食らいついてきそうだった。
「シルギット様と妹様ですね。ようこそ! 僕らの牧場へ!」
リーダーらしき比較的大柄なドラゴンが、犬っぽく笑いながらにこやかに出迎えてくる。予想外に友好的な出方だった。
「うん……ようこそされたね」
「ギュルルーどうしました? なにか気になることでも?」
長は首を傾げながら尋ねてくる。その仕草は子犬や子猫のようで、愛玩動物としてもやっていけそうな面だ。かぎ爪がやけに大きく鋭いのが浮いているのを置いておけばだが。
「私たちはヴァラデアの娘だしさ。ほら、あんたたちってさ、昔に私のお母さんにさ、いろいろ酷い目にあわされたんでしょ? 子どもだけで来たから皮肉の一つくらいは吐かれると思ったんだけど」
「またあ、そんなことするわけないじゃないですか」
表情はそのままに、いやいやと前足を横に振りながら当たり前と言わんばかりに笑い飛ばしてくる。
「僕らはもともと縄張り争いに負け続けて、滅びを待つしかなかった種です。ヴァラデア様との誓約を守るだけで、願っても無かった安住の地での生活が保障されるのだから、逆らう必要なんてないんですよ」
「ああ、そうなの……そういうもんなんだね」
恨みだとか復讐だとか、そんなもんは知ったことではないようだった。超合理的というかなんというか。
生活が保障できなければ速攻で反旗を翻すつもりともとれるが、この際そんなことはどうでもいい。今重要なのは、食材を確保することだ。
「まあいいや。連絡行ってると思うんだけど、私たちは極上のお肉を手に入れに来たんだ。物を見せてもらうおうかな」
「喜んで!」
長がひと鳴きすると、やや小柄なドラゴンが三頭、大きめな掘っ立て小屋に駆け込んでいく。
少しすると、なにかをくわえて駆け戻ってくる。まず一頭が持ち出してきたゴザを地面に敷き、二頭がゴザの上に肉を六つ並べた。
で、出てくるのが未調理の生肉である。しかもちゃんと処理されていないようで血濡れだ。どこの部分かはわからない。
「僕らが狩った家畜の肉を全種類持ってきました。まずは一口試してみて、気に入ったものをひとつ選んでください。それを狩りに行きますから」
どうぞお試しくださいと差し出されても、試す物の鮮度が良すぎて困る。
振り返って人間たちの様子を見てみる。なぜかみな平然としていた。妹は速攻でがっついている。そんなもん食うなと言いたい。
「さっきからぼーっとしてますけど、どうしたんです? 調子でも悪いんですか?」
「そんなことはないよ。いや、ある意味気分が悪いかもしれないけど」
「気分が悪い? それはいけないです、そんなときはパーっと血肉を喰らわないと!」
「なんなのその理屈」
確かにドラゴンは肉食獣だし、そういう活きの良いモノを食べたほうが自然なのかもしれないけれど。長が見つめてくる眼はとても純粋で悪意はひとかけらも感じられず、いろいろ物申しても通じそうにないのが悲しいところだ。
「いやー、さすがにあれは食べられそうにないわー」
「僕らは見てようか」
人間たちも外野で雑談しつつ、なんか知らんが期待するような眼差して見物してきている。逃げられない空気になってしまった。
こうなった以上は覚悟を決めるしかない。食べても腹を壊さないのはわかりきってることだし、この一食だけ試すことにした。
血濡れ肉をひと思いにほおばって味わってみる。
脂が少なく筋張った身は味が薄い。というか血の味しかしない。正直いって不味い。
だがしかし、噛むほどに謎の興奮が湧きおこる。血の香りが口の中に満ちていくほどに、強いめまいを伴う快感であふれていく。体面だとか理屈だとか将来への不安といった諸々がどーでも良くなって、とっても気楽ですっごく幸せな気分になる。
気が付くと肉がすべて無くなっており、ゴザに残っている血糊を必死に舐めとっていた。
「どうでした? どれが良かったですか?」
「一番右のヤツ! 一番身が締まってていいのっ!」
どれが良いとかサッパリわからなかったはずなのだが、なぜか思ってもいない答えが勝手に出てくる。口まわりについた血を丁寧に舐めて掃除しながらだ。
芳醇な血の香りが内なる獣を呼び覚ましたのだろうか。まるで自分が自分ではないようだった。いや、ドラゴンなのだし、そんな獣としての自分も正しく自分ではあるのだけれど。
そして危ない考えが間欠泉のごとく噴き出して、強烈に理性を揺るがしてくる。もっと喰いたい、新鮮な生き血をいっぱい飲み干して気持ち良くなりたい、下等生物をなぶり殺して悲鳴を鑑賞したい、手ごろな獲物が周りにいっぱいいる。
「うん、私もそれ! おいしいお肉を作るじゃないの、褒めてつかわす!」
「褒めてつかわすじゃねえよ」
妹の上から目線な一言のおかげで普段の自分が戻ってきた。速やかに突っ込みの裏張り手を入れる。
「この子たちは確かに私たちの部下みたいなもんだけどね、仕事してくれる分は敬意をもって接しなきゃ」
「なんで? こいつら格下だよ?」
「実際格下だけど、だからって無駄に偉そうにしちゃだめなの。相手を見下して威張ってばかりじゃ品性を疑われて、人間もドラゴンも誰もついてこなくなるよ」
「……えー、よくわかんないよーっ」
思うままに説いてみると、妹は悩ましげにうんうん唸る。頭は超良い癖にこういうのはパッとわからないのか。謎である。
「ふーん、シルギット様のことはヴァラデア様から聞いてましたけど、ほんっと甘っちょろいことをほざくんですねえ」
ここに来て長が初めて毒を吐く。それとは裏腹に悪意は感じられず、新鮮な驚きと妙なすがすがしさだけがそこに在るように思える。
「それはそれはどーも。いいでしょ別に、甘っちょろくたって。お互いが笑い合える接し方が一番健全だと思うけどね」
「……なに言ってるんですか。あなた、本当に僕らと同じドラゴンなんですか?」
「は? いや、見りゃわかるでしょ。たく、まぁたコレ系の話か」
長は明らかに困惑している感じで、こちらをまじまじと見つめてくる。少ししてからドラゴン的に笑う。やはり悪意は微塵も感じられない。
「そういうことなら僕らとしては歓迎です。ヴァラデアの娘ではなく、あなたとしてもてなし……ヒイッ!」
しかし笑顔は一瞬で凍り付く。長の視線の先を追ってみると、妹が殺意をみなぎらせて睨みつけながら唸り声をあげていた。お姉ちゃんだけが褒められてご立腹なのだ。
が、目が合うと、すぐに険しい表情を収めた。
「ふふふーん! どうだ、しーのすごさがわかったか!」
で、胸を張って姉自慢をする。文句があるなら聞いてやるのに、すぐにこうやってごまかす。まったく困った子である。
「はいはい。じゃあお肉獲りに行こう。案内お願いね」
「は、はい」
とにかく次にやることは決まった。元気いっぱいなお肉を狩りに行って、今夜の食卓に並べてやるのだ。
まだ怯えをぬぐい切れていない様子の長に指示をして、さっそく飼育場へ案内してもらうことにした。