第十七話 こだわりの一皿を求めて(4/7) クレーマー登場
果樹園での木の実狩りは大いに盛り上がった。
特に妹は、ひとりだけで木一本分の実を喰い尽くすほどに大暴れしてくれた。体格は人間の大人と同程度だというのに、どこにそんな入るところがあるのか。同族ながらふしぎである。
ひとつの木を丸裸にされて、持ち主の首相も乾いた笑いを隠せないようだった。
それはともかく、これで妹にも野菜の美味しさを知ってもらえたのが何よりの収穫だったか。これからも肉以外も好きな食べものを探求して欲しい。生存欲求だけに寄らない食への理解は、文明人としての健全な精神的成長をもたらすに違いないのだから。
「じゃあ必要なものも手に入ったし、次行こうか次」
「もっと食べる」
「家に帰ったらいくらでも食べさせてあげるから。他にもおいしいものがあるかもしれないからさっさと行くよ」
まだ食いに行こうとして荒ぶる妹を脳天締めで鎮めて、次の食材選びへ向かう。
木の実狩りが興に乗りすぎて時間を食いすぎてしまった。今日だけで野菜を五品種も選ばなければならないのだ、のんびりしすぎていると後の行程が苦しくなる。
自らが立てた計画を成功させるため、気を引き締めて次に向かうことにする。
「ええと、次はあそこの温室だね。さあ行こう、ついてきて」
「はーい」
首相が手元の端末をちらちら見ながら、いくつか並んでいる大きな温室を指し示す。
何が欲しいかは事前に伝えてあるのだ。彼に任せておけば欲しいものがすべて手に入るだろうから、おとなしくついていく。
果樹の林を出て、三つ並んでいるうちの真ん中の温室へと向かう。
「あのう……首相さん? すいません、あそこにはなにがあるんですか?」
「ニンジンと丸芋かな。あそこでは寒季にとれる野菜を育てているんだけど、温度も湿度もしっかり自然の状態を再現しているから、いつでも旬のおいしさをもった野菜を収穫できるんだよ」
「“旬の野菜”とかよく聞くけど……いや、聞きますけど、旬だとなにか違うんですか?」
「旬の時期にできる野菜は一年で一番元気なものでね、実が大きく成って栄養もたっぷり含むようになるんだ」
「リュートさ、それくらい自分で調べなよね」
移動の間はリュートがもたせる。彼はなにか目につくたびに熱心に質問を投げていて、主賓でもないくせに楽しんでいるようだ。
計算通りである。おかげで妹の世話に専念することができる。
「甘いの。クルルー果物、甘い甘ーいの」
とっても幸せそうにしている妹は、なんか知らんが歩かずに背中に乗ってきて、尻尾を振りながら収穫した果物をはみはみしている。
自分で歩けと言ったのに、『この姿勢がいいの!』とか抜かして聞き入れてくれなかった。果物の甘さに脳をやられでもしたか、徹頭徹尾の甘えん坊さんモードに切り替わったようだ。
しばらくすれば平常運転に戻るだろうから、今は好きにさせておく。ここでの野菜狩りを終えてもひっついてきたら殴り倒す。
「おまえって甘いものが大好きだったんだなぁ。まあ私も好きだけどさ。肉肉言ってばかりだったからわからなかったよ」
「肉は甘いもん」
「……そーだね」
確かに肉もいいものなら甘みを感じるほどの旨味はあるが、それを果物と同列に語るべきかは疑問である。
「ここって野菜たくさんあるんだよね。ほかにどんなのがあるのかなー、あるのかなー」
このように妹をあやしながら広い農園を往くこと数分、何事もなく目的の温室の前へとたどり着いた。
木が余裕で収まりそうな、中で大人ドラゴンも飛び回れそうな、見上げるほどに大きな鉄骨と透明なビニールで組み上げられた巨大な屋内菜園である。これ一棟でどれだけの作物が収穫できるのかは想像もつかない。
「この温室は、きみたちのお母さんにゆかりのあるものでね。実に九百年ほど前からある歴史あるものなんだよ」
「え、そうなんですか?」
ふと成された、首相農夫からの予想外の語りに思わず声をあげる。
言われてみて良く観察してみると、金具部分にはサビを何度も落とした痕跡があり、様々な建材を付け足して補強を繰り返したあとが見られるなど、歴史を感じさせる風格のある建築物であることがわかる。こんな農場にあって、なにげに重要歴史文化財だ。
「昔、僕のご先祖様は農場の経営に苦労してたそうでね、借金を重ねて畑も家も全部奪われそうになったところを先生が……ヴァラデアさんが資金援助をして助けてくれたんだ。おかげで今ではこの国で有数の大農家だ」
腕組みをしてしみじみと昔話を語ってくれる。その話に聞き覚えがある気がするのは気のせいか。
「僕個人もね、若い頃にきみのお母さんに世話になったからね。一族揃ってきみたちには頭が上がらないよ。恩返しも兼ねて、今日は精一杯案内させてもらうよ」
「はあ、そうですか。で、その心は?」
「ハハハ。……え?」
「……いや、なんでもないです」
やや間を置いた後、本気でなにもわかってなさそうな間抜け顔をする。急に妙な打ち明け話を口に出すものだから思わず勘ぐったが、そのてらいの無い顔を見るに本当にただの雑談だったようだ。
いまは純粋に楽しみに来ているのだ、独りで勝手に神経をすり減らしてどうするか。こういうときくらいは権謀術数的な意地悪い考えは追い出さないとだめだ。心の中で自分の頬を平手打ちにして気を引き締める。
「お母さん、そんな昔からここに手を付けてたんですねえ。それなら野菜に期待していいですよね」
「もちろんだとも。伊達に御用農場と呼ばれては……って……」
お話はそこそこにして早速入ろうかと思ったそのとき、どこからともなく怒声と破壊音が聞こえてきた。すかさず皆で視線を集める。
「オラオラオラ! この土地はよォォーー一万年前から俺らノミーズ一家のものなんだよ! おとなしく地権と経営権明け渡せや!」
「キャー!」
「ひいい!」
こん棒やらさす又やらで武装しているハゲ主体のいかつい荒くれ三人組が、畑を踏み荒らしたりお客さんを恫喝したりして暴れている。
「なにあれ」
なんかこう、過程や道理を百八通りくらい無視しまくったような異様な展開に開いた口がふさがらない。あれか、またお母さんの罠か。
言葉を出せずに呆然としていると、首相が心底うんざりした感じでため息を吐きながら説明をしてきた。
「こんなときに……うちの農場には商売敵がいてねえ、ああして人を雇って嫌がらせをしてくることがあるんだよ。これが頭の痛い問題で、誰が差し向けてるのか長年わからなくて」
それまた随分な話である。社会秩序もクソもあったものではない。首相はやれやれと言って肩をすくめた。
「まあ放っておけば家の者が追い払ってくれるからだいじょうぶ。僕たちは収穫に行こうか」
「いや、放っといたらマズイいでしょアレ。なんか軽ーく言ってますけど」
「なんとかしたいのはやまやまだけど、僕はいろいろと面倒な立場でね、手を出すと問題になるから」
「……あー、それもそうですね。ったく、世知辛いな」
休暇中とはいえ彼は一国の首相だ。その体も頭も命も彼一人だけのものではないから、あんな腕力が強そうかつ頭の悪そうな暴漢たちの相手をさせてはいけない。
でも相手をすれば勝ちそうな気はする。首相は顔こそ弱そうな典型的中年オヤジではあるのだが、首から下は若者のような筋満体である。歩き方もブレがあまりなくて鍛えこんでいるようなので、戦闘能力は相当に高そうと見受けられた。
それでも万が一ということもあるから、対処しに行くと言ったら止めるが。
「ここは私に任せてください。ああいうのを片付けるのは得意なんです。ついでに情報も吐かせておきますよ」
そこでアリサが名乗りを上げた。おまえはなにを言ってるんだと突っ込んでやりたくなる。
「おいおい。いや、ああそうか、きみは確か……」
首相も同じ思いのようで、やんわりとたしなめようとするが、なぜか言葉を濁らせている。
「どうせわたしらが来るのを狙ってきたんだろうし、責任もって片づけますね」
「あっちょっと」
圧倒的余裕を見せるアリサは首相の制止に耳を貸さずに、さっそうと暴漢どもへ向かっていった。その後ろ姿は相変わらず力強く、彼女が敗北する未来はまったく見えてこないので、心配をすることはない。
いいのかこれでという気持ちが抜けないけれど、今は他にやることがある。アホの処理は彼女に任せておいて温室入りすることにした。
「あの人ならだいじょうぶですし、先に入ってましょうか」
「……わかった。仕方ない」
タイラが背の高い骨組みの扉を開けたので、彼のあとに続いて温室に足を踏み入れる。
地面も空気もあまり外と変わらず、屋内に入ったという感覚はない。
天井を見上げてみる。縦横無尽に張り巡らされた鉄骨の幾何学模様がよく目につく。耐久力を持たせるためかアーチ状になっている天井が、空という空を覆い尽くしている。しかし透明度の高いビニールは陽の光を遮ることが無く、暖かい日差しを素通ししてやわらかな明るさをもたらしている。
屋内なのに湿り気が強くそよ風が吹いている。大量に設置されている散水機や換気扇の仕業だろう。これらの機材の相互作用が自然に近い環境づくりを実現しているのに違いない。
さすがヴァラデア提供物件というべきか、異様に凝った造りである。整備がとっても大変そうだった。
目線を地に戻す。最初に見た花畑ほどではないが、土から生え出てきた赤緑黄の数々が大地を埋め尽くす壮大な光景が広がっている。
ぱっと見た限り、その葉々は虫食いなどがほとんどなく、色づきも良くて至って健康そうだ。実っている作物たちも丸々としていて、実に食いでがありそうだった。
「……うー、苦い……。しーはこんなの美味しいって言ってるの……? 嘘だよねっ」
なんか妹がうめき声をあげ始めたと思ったら、葉っぱを口いっぱいに入れてもしゃもしゃしていた。背中に乗りっぱなしなのに、いつの間に食いついたのか。
文句を言いながらも吐き出したりはしないので、しかめっ面が治まらない。というか明らかに食用でなさそうな葉っぱを食わないで欲しい。
「何食ってんのおまえ。どこから採ってきたのそれ」
妹が側に生えている葉っぱを指さす。たしか根菜の丸芋である。
「それ葉っぱは食べられないから。葉っぱを引っこ抜いて、地面に埋まってるのを取り出すの。ほら」
その隣に生えているやつの葉を掴んで引っこ抜く。良く耕された土は柔らかく、おかげで力加減を意識せずとも茎をちぎることなくスルリと抜くことができた。
土にまみれた地下茎に大地の宝石がたくさん成っている。丸芋と言えばデコボコしているのが一般的な姿なはずなのに、ほぼ球形なところが正に宝石だ。ほんとうに野菜なのか疑わしいくらいに整った造形である。
なんて評していたら、妹が首を伸ばすとイモを持つ前足に食らいついてきて、作物をかっさらっていった。
「私の足ごと食おうとするんじゃあない」
「……うー、味しない……」
五秒後、案の定だが妹は続けて渋い顔をしてくれた。
「ったくもー、さき走んなって。今おいしくするから、ちょっと黙ってなよ」
「コレはね、生のままじゃおいしくないよ。ちゃんと焼いてから食べないとね。この品種のイモはブドウ並みの糖度があってね、焼くととっても甘くなるんだよ」
「へえーっ、そこまで甘いものなんですか? じゃあさっそく……」
「ちょっと待った! こんなこともあろうかと持ってきてたんだよ、この“どこでもアツアツくん”を!」
死角からの奇襲により割り込んできたカレンが、背嚢から金属的にギラつく銀色の袋を取り出して見せつけてきた。それが“どこでもアツアツくん”らしい。
「これに野菜とかを入れればこんがり焼くことができるの。いやー、アウトドア用品を買いあさっておいた甲斐があったね!」
「いや、私自力で焼けるから」
ドラゴンの神秘を用いれば野菜に火を通すことはできるのだ。だがカレンは、『甘いねお嬢ちゃん』とでも言いたげに、チッチッと舌を鳴らしながら指を振る。
「シルギットちゃんの神秘はレンジと同じで、火を通すだけでしょ? それだけじゃ足りない足りない。こいつは直火焼きと同じことができるから、もっと甘く仕上げることができるよ!」
「ふーん……そんな変わるもん?」
「そうです! “焼き目が付く”だけでだいぶ違うものなので!」
そこまで堂々と言い切るなら任せるほかあるまい。イモについた土を払ってカレンに渡す。
「洗ってないけど……いや、私たちが食べるならいいか。このまま頼むよ」
「待たせたね」
「え」
暴漢退治に行っていたアリサが、良いタイミングで手を振りながら戻ってきた。早い、五分も経ってないし怪我ひとつ見あたらない。
「あいつらには思い知らせておきました。二度とあんなことはしないでしょうねえ。あと黒幕についても吐かせて、家の人に伝えておきましたよ」
処刑の様子は探っていなかったので、いったいなにをしたのかはわからない。しかし暴漢たちの気配は確かに消えていた。
これが一教師のやることか。どういう生き方をしてきたらこんな風になるのか。恐ろしい人である。
「さすがに手際が良い。……きみは事情が事情だというのに、こんなことをやらせてしまってすまないね」
「いえいえ、それはそれで私の強みになってますから。少しでも前向きにね?」
「うむ、そうか。強いなぁキミは」
ドラゴン関係者繋がりで縁があるのか、首相はアリサの実力を知っている風だ。実家のいざこざに巻き込んでしまったためだろう、彼はばつが悪そうに頭を掻いている。
「しー、イモ焼くんでしょ? 甘くなるんでしょ? 焼こう?」
「あっうん」
妹が鼻先でつついて催促してきたので、注意が収穫方面に引き戻される。確かに大人たちのゴタゴタなんかより、そちらのほうが重要だった。
「でも焼けるまで時間かかるでしょ。待ってたら予定に間に合わなくなるし、今のうちにいいやつを見繕おうよ」
「その通りです! こんなときにあっても当初の目的を忘れないのはさすがの冷静さですね!」
「はいはい」
「よし、じゃあ僕が良いイモの選び方を教えてあげよう」
雑事は隅に捨て置いて、とにかく野菜狩りを楽しむことに徹しておく。
これ以上妙なトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。何事もなく終わることを祈って、粛々と食材選びを再開した。