第十七話 こだわりの一皿を求めて(3/7) 野菜と愛と
料理練習の過程で作り出した実験作を自ら食処分し続けること二時間弱。車内スピーカーから放たれた迫撃砲のような声が、目的地への到着を告げてきた。
「着いたよ。さあ、降りて降りて」
「ん、もうそんな時間か」
感覚的には二十分くらいで着いたようも思える。夢中になって練習しているうちに時間が経つのを忘れていたようだった。良いことだ。
食器類を洗い機に放り込み、生ものを冷蔵庫にしまい、ゴミはごみ箱へ投げ棄てたら、すみやかに車から降りた。
「うわ、わあおーーすっごい、きれいだねー」
「げふっ……なんか匂いきついなあ」
面を上げると一面の花畑が迎えてきた。視界に収まりきらないほどに広大な畑に、小さな粒が連なったような花ばかりが咲き乱れている。
花の香りを運ぶ風に揺られて、薄紫の群れがうねりを見せる。果てしなく広がる大海原のごとき雄大な光景だ。
単純に大迫力である。これが人間の作った大地なのかと感心した。
畑の向こう側にある疎な林では、背の低めな木々が等間隔で立ち並んでいる。広い葉の間から覗く枝には、無数の紙袋がぶらさがっている。果樹園のようだ。家族連れの人間が袋をもいでは中身をつまんでいる姿も見える。
他には三階建ての民家ほどはある背の高いビニールハウスがいくつも並んでいる。楽しみは取っておきたいので、中身は覗き見ない。
ほかには、歩道がきれいに整備されていて、所々にトイレとおぼしき小屋があったりする。見るからに観光地といった体だ。実際ここは“観光”農園だが。
散歩するだけでも楽しめそうなところ、という印象を受ける。いろいろと期待できそうだなところだった。
「これって庭だよね?」
「正しくは畑だけど、似たようなものかな」
「これを人間が作ったの?」
「そーだけど?」
なにやら目を白黒させながら辺りを見ている妹が、引っ付いてきながら狼狽ぎみにささやいてくる。とりあえず肯定してみると、ぶすっとして口を結んだ。
「お母さんの庭の方がもっとすごいもん」
「なぜそこを張り合う」
イラついている様子でブツブツ言っている妹の気持ちが良くわからない。
どう声をかけるべきか考えていると、背後から太い声で呼び掛けられた。声がしたほうを向いてみると、土で薄汚れた作業服にくたびれた麦わら帽子という典型的農夫姿の男が、大きく手を振りながらこちらへ駆けてきている。
格好に見合わず日に焼けていないその顔、その匂いには覚えがあった。
「やあ、サカドふれあい高原へようこそ!」
「あっはい。えーと、首相さんですよね? なんでここにいるんですか?」
彼の農夫の名前はタイラ、ヴァラデアの古い教え子であり、この国の元首でもある。そんな人物がなぜ、こんなところで農園関係者面で出迎えてくるのだろうか。というか公務はどうしたのだろうか。
「会ったのは結構前だったのに覚えてくれていたんだね。さすがにドラゴンは物覚えがいいなあ。
ここは僕の実家でね。たまたまきみが来るって聞いたから、久しぶりに休みをとったんだ。今日は僕が案内させてもらうよ」
思いのほかノリノリで語ってくる。農場行きを決めてから間がないのだが、首相がそんな急に休みを取れるものなのか。突っ込みどころが無駄に多くてモヤモヤする。
「えっ首相!?」
「なにそんな驚いてんの、有名な話じゃない」
リュートが声を裏返しておおげさに驚くのを、その姉が冷淡に突っ込む。
ここが首相の実家というのは思いのほか知れた話ではあったようだが、首相本人が出てきたことについては驚いても良いのではないか。どちらがまっとうなのかは判断しかねる。
「私が保護者です。今日はよろしくお願いします」
「きみがアリサさんだね、よろしく」
知り合い顔で軽く手を振り合う二人。片方は首相だ。だが、もう片方もいち教諭とはいえドラゴンの関係者、釣り合いはとれているかもしれない。
「じゃあ近いところから、向こうの果樹園に行こう」
たぶん世界一偉い農夫のあとについて往く。
長く続く畑道には他の来園者の姿も散見される。よく見るのは三・四人くらいの子連れ家族か。すれ違うたびにこちらをチラチラ見てくるけど、特にちょっかいを出してくることはないので、気軽に散歩していられる。
でも十人以上のお子様集団と遭遇すると、全員が大興奮を始めてくれやがった。
「あっ、ドラゴンだ!」
「うわ、本物のドラゴンじゃん。なんでここにいんの?」
男女問わずに発見即集合だ。小さくやわらかな手で、頭やら背中やら尻尾やらを無遠慮に触ってくる。なかなかのうっとうしさだ。
でも遅れてやってきた引率の先生らしき人が一声かけると、彼らは名残惜しそうな顔をしつつもおとなしく去っていった。まったく無駄に元気な連中である。おとなしく農園見学をやっていて欲しい。
気を取り直して歩き出すと、リュートが肩辺りを叩いてきた。
「ん、どうしたの」
「妹ちゃん、ついてきてないよ」
「は?」
はっとして振り返ってみると、妹が道端に座り込んでいた。
呼びかけてみても立ち上がらないので、すぐに駆け寄って背中を叩く。妹が頭をあげると、なぜか涙目だった。さらに涙声でぐちりだす。
「あの人間たち、しーにだけ寄ってったよね。いいけど、うっとーしくないし。うっとーしくないし」
「……めんどくせえ! さっさと来いっての!」
「うん」
で、とくにグズることなく立ち上がってくれる。何をしたいのかが良く、わからないでもない。
先ほど遭遇した子どもたちは、姉にだけ群がってきていた。どうも『青い首輪の子はおとなしくて優しい、赤い首輪の子は乱暴』という話が、老若男女に至るまで知れ渡っているようなのだ。だから妹は一切触れられなかった。それでお姉ちゃんだけもてはやされているのが不満なのだと思われる。
泣きっ面を見ていると何とかしてやりたくはあるが、正直いかんともしがたい。結局は人間を邪険に扱ってきた妹の自業自得なのだから。
でもまあ、そのうち時間が解決してくれるだろう。ドラゴン生は永いのだから、百年経てば今の風評なんてきれいに消えてなくなるはずだ。
「妹ちゃんってあんなんだったっけ? 最近はなんだかいちいち落ち込んでるっていうか」
「さてね。ドラゴンやるのも大変ってことなんじゃないの、たぶん」
「なんでそんな他人事なの? 答えにもなってないよーな」
皆の温かい視線や小声の声援を受けながら再び歩き出す。今度は特に騒いだりもめたりすることなく花畑を抜けて、果樹園入りすることができた。
控えめに葉をしげらせる枝の隙間から日差しが差し込んできている。地面も草が徹底的に狩り取られていて見通しがとても良いので、林の中とは思えないくらいに明るい。おかげで狙いの獲物たちの姿が良く見える。
枝には茶色い紙袋に包まれた果実たちがたくさんぶら下がっている。こうすることで見栄えを良くしたり病気を防いだりする効果があるのだとか。手間がかかっていそうである。
「おぉ、これが噂の“珠玉”か。高級品種というだけあって味も香りも違うねえ」
アリサが無造作に実をもぎ取ると、袋を破り捨ててかじる。その無遠慮ぶりと豪胆さは、ある意味で惚れ惚れする。
この行いには首相農夫もちょっぴり呆れ顔だ。
「手が早いねきみぃ。まあいいか、収穫を始めよう。ここにある果物はいくらでもとっても構わないけど、木を傷つけたり枝を折ったりしないように気をつけるんだよ」
「はーい」
ここで栽培している“珠玉”とはナシの一品種で、イチジクのような柔らかめの食感の身にハチミツ並みの甘みが詰め込まれているという逸品だ。その濃密な甘さから、特にご婦人には人気があるのだとか。
屋敷ではヴァラデアやエクセラばかりが食べていて口にしたことはなかったので、前々から食べてみたかった。とりたてともなれば、美味しさはさらに加速するはずだ。
「あ、きみ手が届かないんじゃないかい? 代わりに採ろうか?」
「だいじょうぶですよ、ほら」
ちょっと心配そうに見てくる首相に構わず、手近な獲物に向けて低く跳ぶ。枝と果実を結ぶヘタ部分を狙って爪を一閃、切り離したら素早くくわえて着地した。
後ろ足で立ち上がっても取ることはできるが、このやり方のほうがきれいにいける。
「いやはや……すごい動きだね。それなら心配なさそうだ」
「をおッ! あのジャンプからこんなに細い枝だけを切るだなんて、なんという正確さなのか! それにこのヘタの切り口の滑らかさと言ったら、なんて鋭さなのッ!」
「カレンさあ、そんな大声出すなよなー。ほら、人が見てるじゃん。ここ屋敷じゃないんだよ?」
騒いでる人間たちのことはそっとしておいて、袋を剥いでから中身をいただく。
蜜を思わせる強い甘みがある割には濃いとは感じない。ゆるりと身に牙を食いこませてみると酸味が染み出てきて、爽快さのある風味を覚える。果肉を口の中でたっぷり踊らせてから飲み込むと、花のように甘い香りがすぐに鼻腔をすり抜けていって、さわやかといえる後味となる。
とにかくおいしいとしか言いようがない。さすがにヴァラデアが目を付けただけのことはあるか、これは良いものだ。
二つ目をいただく前に、先ほどからいぶかしげに見つめてきている妹の相手をする。
「それ野菜だよね。おいしいの? それ」
「いや、これは野菜じゃなくて果物。野菜とは違うよ」
「果物? 野菜となにが違うの?」
「えーと、それは……」
とてもとても澄んだ目で問いかけられてみて、果物も野菜であることを思い出したので答えにつまる。物知り顔で語っておいて答えられなければ恥ずかしいことになるのだが、どうにも気の利いた答えが出てこない。
こういうときは年長さんを頼るべきだろう。ちょうど暇しているアリサ先生に目配せすると、見事に意を汲んで説明をしてくれた。
「果物はね、“果肉”がある野菜なんだよ。肉だよ? わかる? つまり木からとれる肉なんだよ。肉が大好きなきみなら、きっと気に入ると思うよ」
「ふうん」
「おい、なに言ってんだアンタ」
なんかいろいろと曲解しまくっていて突っ込みどころが満載だけど、妹はとりあえずといった感じで納得してくれたようなので良しとするべきか。
こういう言葉がぱっと出てくるところは、さすがは教師をやっているだけのことはある。ちゃんと見習っておかなければならない。
アリサは実を一つもぎ取ると妹に差し出す。妹はなにも考えてなさそうな顔で匂いを嗅ぐと、一息に喰いつく。ひとつふたつと咀嚼すると、電撃にでも打たれたかのように目をかっと見開いて動きをぴたりと止めた。
一つ、もう一つ、味を確かめるようにゆっくりと噛むたびに、その面が今まで見せたことのないような驚きで満ちてゆく。そして口まわりをベロベロ舐めまわし始める。
「なにこれ、甘いんだけど。クルルなにこれ、肉よりも甘いんだけど。なにこれ、野菜なのこれ」
演技かと突っ込みたくなるくらいに、全身をわなわなと震わせながら言ってくれる。初めて文明に触れた原始人のごとき激烈な反応に失笑してしまう。
それから無造作に木の根元へ向けて尻尾を振るおうとしたので素早く止める。すると即座に激昂して牙を剥き威嚇してきた。
そこまで気に入ったのか。とっても獣っぽい行動で普段なら泣けてくるはずが、今日に限っては初々しくて良いと思える。原始人だって獣と似たようなもの、よって当たり前のことだ。
「邪魔するな! ギャウウウもっと食べるの!」
「木を折ろうとするんじゃあない! 枝とか傷つけちゃダメって言われただろうが! いくらでも取ってあげるから落ち着け!」
猛然とがっつきに行こうとする妹に組み付いて全力で止める。止めて落ち着かせなければ果樹園が崩壊してしまう。
姉弟はまた始まったといった顔で笑う。先生は暖かい目で静かに見物する。農夫は若干引いている。食材集めは開幕から大荒れである。
だがこれでいいのだ。ある意味で楽しい。こういう観光地への旅行はにぎやかで、心躍って良いものだと思う。