第十七話 こだわりの一皿を求めて(1/7) 食材探しの旅へ
よく晴れた昼下がりの屋敷前広場で、リュートが振りかぶって軟球を放り投げる。
意外な強肩からの豪速球を、その先にいる妹が尻尾を横に振って打ち返す。
球はあさってのほうに飛んでいったので、リュートは慌ててその後を追うが、足を滑らせてスッ転んでしまう。
顔から地面に突っ込んだように見えてひやりとしたが、幸い柔らかい草地だったので、頬を少し切っただけで済んだようだ。まったく危なっかしい。
人間が必死でもがく姿をさらしても、妹は幼稚園でやってきたように指差してケラケラあざ笑ったりはしない。
「よし、行くよー」
「いいよ」
球を手に戻ってきたリュートが妹に声をかけると、妹は普通に返事をする。
『しーを連れてこい人間』とか『遅すぎるぞ弱虫』とかは言わなかった。
この頃、妹が人間に急接近している。今までは人間を見下して威張ってばかりいたのが、それなりにまともに付き合うようになった。家族にとる態度を人間にもとるようになった感じだ。
ドラゴンが格上、人間は格下、という意識自体はそのままではあるようだが、わかりやすい尊大さが鳴りを潜めたのは大きな進歩と言えるかもしれない。
ただ気にかかるのは、本心から望んでそんな態度をとっているようには思えないところだ。こうしないといけないんだという強迫観念にかられている感がしてならない。
どうしてこうなったのかについては、心当たりがなくもない。
まえに妹は、姉との隔絶した差を思い知らされて自尊心を激しく傷つけられた。だから、姉の真似をすることでどうにか追い付こうとしているのだろう、自分の存在を周りに認めさせるために。
人間よりもはるかに高い知性を持つドラゴンとはいえ、これが幼児のやることか。思春期の少年少女じゃあるまいに。
なにか大切なものが失われてしまった気がする。胸にぽっかりと穴が開いたような虚しさがあって、妹の変化を喜ぶことができない。
こんな寂しくて苦しくて切ない日は、おいしいものを食べて気を紛らわすに限る。
というわけで、いっちょ料理作りに挑んでみることにした。
第十七話 こだわりの一皿を求めて
「料理はいいよね、おいしい食事は心を満たしてくれる。人間文化の最たるものだと思うよ」
「いやいや、いきなりなに言い出すのシルギットちゃん」
隣で端末いじりに勤しんでいたカレンが、半笑いで的確に突っ込んでくる。彼女がつっこみに回るとは珍しい。
「最近なんだか気分が沈みがちでね、なにかパーっと気分を変えられるなにかをしたいんだ」
「そうかあ、いろいろあったもんねえ」
「でね、こういうときはおいしいものを食べるのが一番じゃないかと思ったわけだけど、せっかくだから自分で作ってみるといいかなって思ったんだよ」
「そうかもしれないね、なんか話が繋がってないような気もするけど」
今日は六連休の後半初日。カレン姉弟は自由な休日の時間をドラゴン姉妹のために使っている。
カレンいわく、連休の前半でやりたいことはやり尽くした、あとはドラゴンといっしょにいたほうが面白いことが起きそう、とのこと。あえて危険な猛獣に寄ってくるとは勇敢な連中である。
ゆえに気遣う理由はない。これからやる挑戦に付き合ってもらうことにした。
「それで、料理するつもりなんだよね。どんな肉を焼いてみるつもり?」
「いや、そんな単純なのじゃなくて、もうちょっと凝ったやつを作ってみたいと思ってる。でも私は、ほとんど料理をやったことがないから自信がないんだよね。だから手伝ってくれない?」
「うん、よくわからんけど任せてくださいな! 私たちがいれば百人力だよ!」
カレンはがしっと肘をつかんで、控えめに力こぶを作りながら快諾する。“たち”と言った。弟も勝手に含まれている。
でも彼なら『望むところ』と言うだろうから、きっと問題なしだ。
「ありがとうね。じゃあ、近いうちに……今日はもう食べちゃったし、明日のご飯の時間になったらやってみようか」
やると決めると最近錆びつきがちだった頭が回り始めて、少しばかり気分がたかぶってくる。まずは何を作るか、作り方はどうやって調べるか、食材はどうやって仕入れるか、様々な案が浮かんでくる。
「こういうときに真っ先に頼るべき者は誰か、それがわからないお前じゃないと思うんだ」
そこでいきなりヴァラデアが飛来して、渾身の踊りによる迫真の自己主張を始めた。『総会に出る』とか言って昼前から姿を消していたのだが、もう用事を終えたらしい。
でかいのがいきなり天から舞い降りて広場を占拠してきたので、さすがの皆も驚いてしまっている。
せっかく気分が乗ってきたところなのに、いろいろとぶち壊しにされてしまって、かなりイラッときた。
「お母さんさあ……急に来て出しゃばんないでよなーっ」
苛立ちに任せて強く文句をぶつけてみる。だがヴァラデアはまったく動じずに、涼しい顔で受け流してくれた。
「ふっ、そう身構えるな、手出しはしないよ。おまえの活躍の場を奪ったりはしないさ」
にやりと不敵に笑うと、一歩引いた態度でなだめすかすように言ってくる。
活躍とかの問題ではないのだが、とりあえずヴァラデアなりに気遣ってくれていることはわかる。発想が斜めにズレてはいるものの、その心意気は買うべきだ。
「シルギット、せっかく料理をするのなら、なるべくおいしくしたほうが良いだろう? 私にいい考えがある」
「いい考え……ね。それで?」
「ふふ、私はたくさんの牧場や農場と契約していてな、そこから良い食材を手に入れられるように根回ししてあげよう」
「ええと、食べ物ならもう台所にあるんじゃ。あ、材料を自由に使っていいってこと?」
彼女の言う契約農家から仕入れたという食材は、台所にある倉庫に十日ぶん以上が備蓄されている。一食作るくらいなら十分すぎる種類と量があるはずだろう。
真っ先に浮かんだ疑問を口に出すと、ヴァラデアはなにかを見透かしたような薄ら笑いを浮かべながら首を横に振った。
「それだけだと味気ないと思わないか? 実際に現地に行ってみて試食しながら材料を選んでみるといい。気分転換にもなると思うぞ」
「あーなるほど、確かにそれはおもしろそうだね。それがいいかな」
直接産地に行く発想はなかった。未だ見ぬ地への旅行も兼ねるので、とても魅力的な提案だ。
とりあえずお礼を言ってみると、ヴァラデアはわかりやすく上機嫌に笑い鳴きした。
「今、きみの端末に生産者のリストを送ったから、シルギットに見せなさい。この子はなにを選ぶべきかはわからないだろうから、きみたちが助言するんだぞ」
「あ、はいっ、承知しましたッ!」
ヴァラデアがカレンに目配せして命令を下す。なにかやった素振りがなかったのだが、いつの間にそんなものを送ったというのか。
カレンは特に突っ込んだりせず、姿勢よく直立して元気良く返事した。
「私は車の手配をしておくからね、どこに行くか決まったら私を呼びなさい」
そうヴァラデアは貫禄たっぷりに言ったあと、歩きでおもむろに立ち去っていった。
ただ情報をくれるだけのあっさり加減なので何か企んでそうな気もするが、いちいち疑ってかかっても暗い気持ちになるだけ無駄である。今はやりたいことにだけ集中しておく。
「しー、なにかやるの?」
きょとんとした顔の妹が、小首を傾げながら尋ねてくる。
「料理をやるよ。なにを作るかはこれから決めようと思ってるから、おまえもなにが良いか考えてよ」
「しーが好きなものでいいよ。野菜とか」
「私はね、おまえが、何が良いのかを訊いてるんだよ。いいね?」
出だしから妹らしくないことを言われて、思わずため息が漏れかける。まったく、やり辛くなってしまったものだ。
妹は一瞬目線を落として考え込むような仕草をするが、すぐになにを考えているのかわからないトボけた顔で頭をフラフラ揺らし始める。数秒後、両前足を挙げてひと鳴きしながら答えをひねりだしてきた。
「んーっ、肉っ! 肉と、肉をおいしくするなにかで!」
「そうだねー、肉の味を引き立たせるか……なにか良い組み合わせはあるかな? とにかくどんな材料があるか見てみないと」
そう言った途端に、カレンが滑り込むようにして端末の画面を見せてくる。
ヴァラデアが言っていた生産者リストなのだろうが、評価に関する情報がないため、なにが良いのかを判断することができない。
「……きみ、コレ、わかる?」
姉も弟もそろって首を横に振る。
見かたをわかっている奴がこの場に誰一人いない。これからどうすればいいのだろうか。
と、リュートが何かを思いついたようで、ぽんと手を叩く。
「これってさ、だいたい台所にあるものなんだよね? 実際に見て、いや、食べてみれば、どれが良いのかわかるんじゃないかな」
「あ、それもそうか。でも良いか悪いかとか、私にわかるのかな……」
ヴァラデアが用意した高級食材の数々は、どれもが甲乙つけがたい珠玉の逸品ばかりであろう。そもそも食の素人が甲乙つけられるのかが疑問だ。『全部おいしい』で選べずに終わりそうな気がする。
そんな懸念はカレンが軽く笑い飛ばしてきた。
「そんな細かいこと気にしないでテキトーに気に入ったの選べばいいじゃないの。こういうのは感覚感覚」
「まーそうだね」
まったくもって彼女の言うとおりである。
細かいことがわからないのは当然なのだから、勘と感覚とその場の勢いで決める以外にないのだ。
「とにかく行ってみようか、台所」
カレンにリストを仕舞わせてから、皆に手招きして広場から離れる。
これからどんな食との出会いが待っているのだろうかと、期待に胸を膨らませながら台所へと向かった。