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第十六話 奇跡の証明(8/8) 脱漏への第一歩

 なんとも言えない気分で診療所の扉を開けると、ものすごい夕明かりが押し寄せるように飛び込んできた。

 見れば彼方の地平線では陽が沈もうとしていて、曇りがちの空も見渡す限りの街々も茜色に染め上げられている。反対側の空では明月が昇り星が瞬き始めているという、まさに夜の帳が下りていく真っ最中であった。


「ああ、こんな時間になってたか。早く帰らないと遅くなっちゃいますねえ」


 エクセラが手元の端末を見て、ややだるそうに声をあげる。

 ドラゴンたちが長話をしていたせいで、今や一日の終盤という時間帯になっていた。

 事が終わったら観光でも、と思っていたが、そんなことをしていたら帰りが夜中になってしまうのでダメだろう。


 と、残念に思っていると、横にいたカレンが体当たりのごとき勢いで飛び付いてきた。


「弟を助けてくれてありがとう! シルギットちゃんの慈悲深さに感謝しますっ! 感謝しますっ! 感謝しますっ!」


 目端に涙を浮かべて力いっぱい抱きしめながら、背中をバシバシと叩いてくる赤毛の少女がいる。濁流のごとき勢いでお礼の連撃を繰り出されると、人間相手でもひるんでしまわざるを得ない。

 この圧倒的な猪突猛進ぶり。今までは気持ちが沈んでいたためか、積極さが鳴りを潜めていたのだが、弟の復活によって見事に復調したようだ。これを喜んで良いのやら悪いのやら。

 彼女の勢いに飲まれて流されてしまわないように、いつも通りに対応することにする。


「落ち着け。というかあんたらは被害者でしょうが、ありがたがることなんてないでしょ」

「え、いやいやいや。シルギットちゃんが必死に頑張ってくれたのは確かじゃない。いくらなんでも謙遜しすぎ」


 本来だとここは更なる褒め口撃を重ねてくるところなのだが、今回はやや憂いげな顔をして説きつけてくる。リュートもうんうんと頭を上下に振っている。

 今回はただ、やらかしたことの落とし前をつけただけに過ぎない。危機に陥れてきた相手に助けられて、それを感謝できるものなのか。おかしな話である。


「まーできる範囲で頑張ったつもりだけどさあ。というか一番の功労者はエクセラさんじゃない? エクセラさんがいろいろと便宜を図ってくれたから、ここまでやって来れたんだし。お礼を言うならあの人に……」

「シルギット様、経緯はどうあれ『ありがとう』の気持ちは、ないがしろにしちゃあいけません。そういうのは相手に失礼ですよ?」

「……そうですね。すいません、気をつけます」


 横から清流のような声で咎められて、それ以上はなにも言えなくなる。言われてみれば確かに卑屈すぎたか。

 褒められ慣れすぎると、お母さんや妹みたいに図に乗ってしまいそうなので下手に喜ぶのは控えていたが、自重するにも時と場合は考えるべきだった。

 ちょっとこそばゆいけど、こういうときくらいは喜びを分かち合ったほうがいいかもしれない。


「あっそうだ、あんた礼言ってないでしょ」

「そうだった。ありがとうしーちゃん」

「あはは。まあとにかく、なんとかなってよかった」


 姉に促されてリュートもぺこりと頭を下げたところで今回の事件は終了。あとは帰っていつも通りに過ごすだけだ。


 エクセラが華麗な身のこなしで車の運転席へと乗り込む。続いて姉弟も車に入っていく。

 リュートは姉の手を借りることなく独りで歩けていて、動きにおかしなぎこちなさも無い。健康なのは実に良いことである。

 彼らに続いて車に乗り込もうとすると、不意に尻尾を掴まれる。振り向いてみた先には、やたらと暗い顔をしている妹がいた。


 診療所に入ってからだったろうか、この子はずっと黙りっぱなしだったので、つい居ることを忘れてしまっていた。

 いやに落ち込んでいる様子なのが妙に気にかかる。なにか気にでも障ったのだろうか。とってもめでたいときだというのに、シケた顔をされるのは嫌なものだ。


 とりあえずお肉でも食わせれば機嫌を直すだろうと思って車へ引っ張っていこうとすると、急に抱き着いてきた。

 人間の背骨を軽く粉砕する力でぎゅっと抱きしめて、鼻先で猛烈にすりすりしてくる。振り払おうにも地に根が張ったかのように動かせない。その体は小刻みに震えていた。

 いったい何事なのかと困惑を隠せなかった。


 どうしたのかと問おうとするが、妹の顔を見たとたんに絶句してしまう。

 その大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。とても不安そうに、悲しそうに、ひうひうとか弱く鳴いているのだ。

 こんな妹の顔は初めて見た。ほんとなにがあったというのか、謎過ぎる展開に目を白黒させてしまう。


「し、しし……しー、わたしたち、わたしたち、ずっといっしょだよね! ずっといっしょだよね!」


 大きな目をぎゅっと閉じると、溜まっていた涙があふれ出て鱗の頬を伝い、ぽとぽとと肩にこぼれ落ちてくる。


「しーは、しーは、しーだけで、どこかに行ったりしないよね! わ、わ、わたしを置いてかないよね! わたしを捨てないよね! ううーっ、そうだって言ってよッ!」


 絶叫する勢いで必死に訴えかけてくる。やや気圧されつつも、ふるふると揺れる妹の背中をそっと撫でて、できるだけ優しく声をかけてなだめてみる。


「あーもう、なに言ってんの、なに言ってん……なんだ? なんで、震えてるんだ、私まで……」


 なぜだろうか、妹の泣き顔を見ていると、前足がひとりでに震えてくる。全身に謎の悪寒が走り、呼吸がおぼつかなくなっていく。

 自分たちは本当に、これからも共に在ることができるのだろうかと、そんな底冷えするような不安感に襲われて、居ても立ってもいられなくなる。


 今日この日、ヴァラデアに並ぶ絶大な力を誇るドラゴンであるセランレーデに能力を認められた。本来なら許可なく越えると殺し合いになる縄張り境を自由に越えられる資格だって与えられた。

 だが、特別なことはなにもない普通のドラゴンである妹に対しては何もなかった。


 能力に見合った舞台というものがある。特別な能力を持った者は、それに活かすことのできる舞台へと躍り出ることができる。だが、そうでない者はどうなるか。

 セランレーデが何となしに吐いた、『よく片方を間引かずにおいたね』という言葉がよみがえる。自分たちは本当に、これからも共に在ることができるのだろうか。周りがそれを許すのだろうか。


 妹は間引かずに(・・・・・)いられるのだろうか(・・・・・・・・・)。これからもずっと。


 『半身を失うのは嫌だ』、『それが摂理』、『そんなものは受け入れられない』、『分身といえとも生き方が同じとは限らない』、理性やら本能やらがごっちゃになって頭がこんがらがる。

 だめだ、考えてはいけない。どうにもならない宿命を、これ以上考えてはいけない。


 今は勝手気ままな幼児の身。将来を案じて思い悩むなんて似合わない。ひとつ深呼吸をしてざわつく想いを鎮めて、心を蝕む暗い思考を強引に封じ込めた。そうしなければ未熟な心が壊れてしまうと、ドラゴンとしての自分が必死になって警鐘を打ち鳴らし続けていたから。


 知らぬ間に流れていた涙をぬぐって、声を震わせないように気をつけながら妹を元気づけてみる。今、姉として元気づけてやらなければならない。


「おまえはなにを言ってるんだ。そんな心配することないからね。とりあえずお肉でも食べようか。おいしいの焼いちゃうよ?」

「お、やったー!」


 とりあえず食べ物の話をしてみると、あれだけの泣きっ面が瞬時に満面の笑顔に化けた。つくづく単純な子である。

 だがそれがいい。こんなふうに純真無垢だからこそ癒されるのだ。


「しーちゃんどうしたの? もう出発するよー」


 リュートが車の窓から顔を出して呼んでくる。ちょっと待たせてしまったようだ。


「あ、ごめんね、今行くよー」


 妹を引っ張って、さっさと車へ乗り込むことにする。


「さ、いっしょに行こう」

「うん」


 タラップを踏み越えて車内に上がり込んで、尻尾で扉を閉じる。それから程なくして車が急発進した。

 エクセラの容赦ないアクセルの踏み込みによって五秒以内に最高速に到達するが、車体に仕込まれている慣性制御装置とやらのおかげで発進の衝撃はそれほど感じない。乗り心地はいつだって快適だ。


 暮れなずむ街の景色が流れてゆくのを横目に見ながら備え付けのキッチンに向かう。

 さあ、お肉を焼こう。なにもかもが丸く収まった記念に腕を振るおう。

 おいしいものをお腹いっぱい食べれば幸せになれる。幸せなのが一番だ。


  第十六話 完

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