第十六話 奇跡の証明(6/8) 心の形
子どもの紹介が終わってからは、大人ドラゴンたちの雑談が長く続いた。
『こんな力を身に付けた』、『あんな知見を得た』といった類いの自慢話が一向に尽きない。
リュートの診療の件について話をしたいのに、ドラゴンたちの話が弾みすぎていて割り込む機会はなかなかやってこなかった。
下手すると滞在期限ギリギリまで話し続けて、なにもできずに終わってしまうのではないか、という危機感がわいてくる。
それを払拭するためには強引に切り込むべきではと思うが、超絶な力を誇るドラゴンたちの間に割って入る勇気はさすがにない。
そもそも下手をうってセランレーデの機嫌を損ねることになったりしたら本末転倒なのだ。今はじっと機会をうかがうしかなかった。
「さて、こっちの青い首輪の娘がシルギットだったね?」
不意にセランレーデが意識を向けてきて、少しぎょっとする。話をしたいと思ってはいたが、いざ話を振られると緊張するものだ。
比較的柔らかい雰囲気ながらも、肉食獣の冷たさをはらむ視線を受け止めて、なんとか心折れないように堪えきる。
「は、はい、そうです。私がシルギットです」
「どうした急に」
ヴァラデアはきょとんとした様子で首をかしげる。セランレーデは好敵手を無視して話を続ける。
「キミのことは噂でよく聞いている。史上最も人の側に近いという、類いまれな神秘を持つんだってね? それなりに気になっていたんだよ」
平坦に言いつつも、いたく興味深そうにまじまじと見つめてきた。
最強ドラゴンの子として生まれてからそれなりに経っているから、ある程度名が知れ渡っていることは知っていたが、まさか外国のドラゴンにまで伝わっているとは思わなかった。
予想を超えてくる展開にうろたえかけるが、動揺を表に出さないように心中で食いしばる。ドラゴン相手に精神的な隙を見せてはいけない。
が、必死の防御は次の一言であっさりと突破された。
「良い機会だ、キミの神秘とやらをこのボクに見せてみろ。どうやらキミは、このボクに頼みたいことがあるようだね?」
「え?」
「なんだと」
「人間の小僧の怪我を診てもらいたいのだとか。診療録をもらったから、症状もだいたい把握済みさ」
確かに頼みたいことはそれだ。だが、なぜそれを彼が知っているのか。
消去法で考えて、事前に連絡できそうな人物に注目する。
「おまえのしわざだな?」
「なんのことですかね」
ヴァラデアは恨めしい眼差しをエクセラに叩きつけるが、彼女は知らんぷりするだけだ。そのわざとらしい態度からして、彼女が情報を漏らしたのは確実だろう。
この人はいつも姉妹の味方をして、ヴァラデアを涙目にする。どうしてそんなことをするのか、その思惑はいつもながらよくわからない。今このときばかりは素直にありがたいと思うが。
大人たちの思惑はさておいて、今はセランレーデの相手に集中することにする。
息を吸う、息を吐く、息を飲まない、怖くない。
「ええと、診てもらいたいのは、そこにいる人間の男の子なんですけど、あなたなら治せるのでしょうか?」
「無理だね。診療録の通りなら、アレは病気以前に死んでいるも同然だ。このボクでも、どれだけ手間をかけようが治せはしないだろう。死体いじりをする趣味はない」
セランレーデはリュートを鼻で指しながら、いかにも興味なさそうに言い放った。
指された側はなにを言われたのか理解できない感じで唖然としている。彼の精神衛生のために、詳しい症状は教えていなかったのでしょうがない。
このドラゴンならなんとかできると聞いたからここまでやってきたというのに、いきなり無理だと言われてずっこけかける。
これまでに決めてきた覚悟はなんだったのか。今までの努力は無意味だったのか。これで終わりだというのか。
いや、無意味ではない。まだなにも終わっていない。できることはある。
「本当に治せないんですか? あなたならなんとかできるだろうと、そこのエクセラさんから聞いたんです」
「ああ、今の医療技術じゃあどうやっても治せないね。まあ、数千年くらい技術が失伝することなく発達が続けばいけるかもしれないから、それまで待てばいいんじゃあないかな」
「人間はそんなに生きません」
「知ってるよ、ククッ」
突っ込みを返してみれば、余裕面のセランレーデはニタリと気味悪く笑ってみせる。
ヴァラデア一族とは違って表情はやや判別しづらく、牙を剥く獣の威嚇みたいに見えるので怖すぎる。
「ボクの意見としては、キミの手で楽にしてやったほうがいいと思うがね。この症状なら、どうせ苦しみながら死ぬことになるだろうし」
「この子はまだ生きてるんですよ、私の都合で人生を終わらせるなんて、そんなひどいことできませんよ」
「ほう、逃れられない死の苦痛と絶望を与えることのほうを望むのかい。おもしろそうな試みじゃないか」
「いつそんなこと言ったんですか」
あからさまにおちょくってきているのだ。
かなりイラっと来るが、むかつきは決して表に出さず、平静を装い続ける。
熱くなってはいけない。そう、頭を氷のように冷やして考えるのだ。
こいつを紹介したときのエクセラはなにを言っていたか。
子ドラゴンの頭脳をフル回転させて、当時の生声まで鮮明に思い出す。『あのドラゴンさんの神秘なら、神経を直接再生させることができると思いますよ』だった。
ドラゴンの技術ではなく、神秘ならばと言っていた。
「あなたの技術では治せないなら、神秘ではどうなんですか?」
「ふふん、この偉大なボクの神秘なら、楽々完治させてやれるとも」
とっても居丈高な態度で楽勝宣言をしてくれる。こういう自慢の機会には過敏に反応するところはドラゴン共通か。
「ひとつ仕事を依頼したいのですが、あなたの神秘でこの子を治してほしいんです。そのため必要なものは……」
「嫌だね。なんでこのボクが、そんなことをしなきゃあならないんだい」
セランレーデのわずかな表情が完全にかき消えて、怖いくらいに真顔で言ってくる。
深海に広がる常闇のごとき重圧だ。今にも押し潰されてしまいそうな威力に後ろ足が震える。
今すぐ逃げ出したくて仕方ないが、死ぬ気でこらえる。
「このボクの神秘はあまねく生命を操る。ボクが持つ命を分け与えれば、どんな病気だろうと直すことができるだろう。だがね、ボクの命はボクだけのものだ。他者のために分けてやるつもりなどない。
そもそもさあ、神秘で解決するのは強引に過ぎるから野暮ったいんだよね。だからボクは神秘ではなく、この手が持つ技術一本で病気を狩るべきだと思ってるんだよ。その果てに新たな神秘を見出だすためにね。
理解できるかい? このボクの高尚な考えを」
すげなく拒絶してきたあと、なんか自分語りを始めてくれる。
その自信満々の憎たらしい面を見ていると、なんだか打ち負かしてやりたくなってくる。言うことを曲げさせたくなってくる。
いや、そうさせるのが目的なのだ。神秘を振るいたくないのなら、そうさせるように交渉あるのみである。
「そうですか。だったら、ひとつ提案させてください」
セランレーデは自画自賛をぴたりとやめると、ちらりとヴァラデアに目線をやって、うなり声交じりの含み笑いをする。
で、先ほどから黙って成り行きを見守っているヴァラデアは眉を寄せる。
大人たちが地味に目でけん制し合っているが、とりあえず無視する。
「クク、小娘ごときがよく吠える。それで? なにを企んでいるというのかな? このボクに言ってみなよ、その提案とやらを。幼生がする稚拙な話など、たかが知れるだろうがね」
子どもだと思って侮っている感全開で嘲笑ってくる。
本当に嫌みったらしくてムカつく態度であるのだが、その目つきだけは話し始めから至極真剣であり続けていることは見逃さない。
いちいちもてあそんでくる陰で、こちらの一挙一動を観察しているように思える。まるでなにかを見極めようとしているかのようだ。
いや、こいつは『キミの神秘を見せてもらおう』とか言った。十中八九試しているのだろう。
ならば望み通りに試されてやろう。
普通のドラゴンでは決して持ち得ないという自分だけの神秘を、自分の心というものを、ここにいる全員に見せつけて度肝を抜かせてやるのだ。
「あなたの命を使うのが嫌なら、代わりに私の命を使うならどうでしょうか」
「……へえ。それはそれは、存外に殊勝なことを抜かすねえ……」
“誰かのために我が身を賭す”。自分が一番かわいいのが当たり前なドラゴンでは絶対に言えない台詞である。
セランレーデがわずかに細目を見開く。効果は抜群のようだ。横柄な態度はそのままだが、動揺を隠しきれていないのが笑えてくる。
「くだらん冗談を言ってないで、もう帰るぞシルギット」
ヴァラデアはもっと良い反応をする。うんざりした感じでため息をついてから、素早く首根っこをくわえようとしてきた。
が、その牙は届かない。今まで座して動かなかったセランレーデが立ち上がって、目にも止まらぬ速さで彼女の頭を押さえたのだ。
刹那の激突のあと、巨獣たちは互いに一歩引くと、長い鼻づらを突き合わせて火花を散らし始めた。
「ボクはこの娘と話している、キミの出る幕はないよ。幼生の分際でこのボクに立ち向かう度胸を見せたという、この娘の栄誉を傷つけるつもりかい?」
「子が誤った選択をしたのならば、それを正してやるのが親としてするべきことだ。私の娘に手出しをすれば、おまえの冗長な生をここで終わらせてやる」
「ここで出しゃばるという醜態をさらすことを選ぶなら、この世界の終焉の時までそれを全世界に吹聴し続けてやるけど、その覚悟はあるのかな?」
大層に規模のデカい脅し文句を受けてもヴァラデアは揺るがず、睨みを利かせたまま動かなかった。
お母さんの気持ちはわかる。とてもよくわかる。子が自爆しようとしている場面で黙っていられるはずがない。
しかしながら、今この時においては余計なお世話でしかないのだ。お母さんには悪いが、すっこんでいてもらいたい。
「お母さん、邪魔」
お母さんの巨体をそっと押し退けて、セランレーデの前に出る。実際はぴくりとも動かせていないが、心だけでも退かせて矢面に立つ。
「ヴァラデア様、ここは見守ってあげましょうよ。だいじょうぶ、悪いようにはされないですよ」
さらにエクセラからの援護攻撃が入ることで、ようやくヴァラデアは不承不承と言った感じながらも引き下がった。
「自信満々だな。お前だから話に乗ってはやるが、もしものことがあれば命はないと思え」
「どーぞご自由に」
あのヴァラデアが敵を見るような目で戦友を睨み付けるという貴重な図である。
その姿を思い出資料館にそっと納めたあと、改めて黒ドラゴンと向き合った。
「すいません、話がそれました。それで、どうでしょうか?」
「“誓約”の生命を使った実験が同意のうえでできるというわけか。うん、おもしろそうだ。この機会を逃すと二度とできなさそうだな。いいよ、それなら望みを叶えて……と、その前に確認しておくよ」
「まだほかになにか?」
「“誓約”の子よ、今一度己に向き直るがいい。おまえの種の誇りに誓って、心よりそれを望むのか?」
めいっぱいの悪意が忽然と消えて、なんか普通にドラゴンの大人らしい感じで問いかけてくる。
改めて言われてみると、ふと『自分はなにをムキになってこんなことをしているんだろう』、と思った。
こんなこと、命を懸けてまですることか。周りの人々を振り回してまで、お母さんを心配させてまでやることだったのか。非合理的というか、考えなしというか、とにかくおかしいと言える。
だが、間違っているとは微塵も思わない。やると決めた以上は決して妥協しない。何者だろうと、この決断に口出しはさせない。それがすべてにおいて優先される。
幼児がなにを偉そうにと自嘲する。それでも、そうであっても、自分の誇りには逆らえないのだ。
こうやって意固地になって盲進してしまうところは、やっぱり自分も典型的なドラゴンなんだろう、と思った。
そんな想いは胸の内にしまって、今は黒ドラゴンの応対に集中する。目をそらさずに、真っ直ぐに向き合う。
「もちろんです。二言はありません」
「そうか。うむ、よろしい」
きっぱりと正直な思いを伝えると、セランレーデは満足そうにうなずいて、それからリュートに手招きした。
「そこの人間、ここに来い」
「あっはい」
彼はいかにも話についていけていなさそうなアホ面で、ふらふらと駆け寄ってくる。さっきからおいてけぼりにされて置物状態になっていたので仕方ないかもだが、こんなときくらいはしゃきっとしてほしい。
そんな頼りない彼と並んで立つ。そびえる黒の巨体を共に見上げる。
「覚悟はいいね。じゃあ行くよ」
そして、静かにことが始まった。
どこか体の熱が抜けていくような感覚がある。なにかが流れ出ていくような違和感がある。
これが続くと死ぬかもしれないが、抗うことはしない。躰から力を抜き、そのまま流れに身を任せた。