第十六話 奇跡の証明(5/8) 生命喰らいの黒竜
とても遮音性が高そうな、重く分厚い黒の扉。そこをくぐった先にあったのは手術室だった。
外壁とは正反対の明色で統一された室内は、埋め込み型の無影灯で煌々と照らされて、全体が純白の輝きを放っている。
空調設備はしっかりしているようで、空気は高原のように澄み渡っている。掃除も徹底的にやっているらしく、塵一つすら浮かんでいないので清潔感たっぷりだ
種々の大きな医療機器や薬瓶入りの棚などが整然と並べられている光景は、いかにも病院といったおもむきがある。
そんな、どことなく厳かな香りを漂わせる白い部屋のど真ん中で、真っ黒い小山がうごめいていた。
「おい、聞こえているか人間! 命令だ、気をしっかり持てっ!」
中性的な印象の音なき声が、部屋の主に対して狭めな室内に響き渡る。
ヴァラデアと同じくらいの体格がある漆黒のドラゴン・セランレーデが、大きな前足で小さな電極パッドをつまんで、手術台に乗っている人間の胸に何度も押し当てている。
鋭いかぎ爪を備えるごつい前足で、よく人間サイズの精密機器を取り扱えるものである。さすがにお医者さんだけあって、手先はかなり器用なようだ。
その肌は一見ビロードのような質感の皮に見えるが、よく目を凝らしてみると非常に細かな鱗で覆われていることがわかる。それを鱗と呼ぶべきかは知らない。
しっとりとした鱗は黒一色かと思いきや、光の加減によっては鮮烈な青みがかかっているようにも見える。えらく深みのある艶やかな色合いだ。
背中にある二本の背びれのようなもの以外に余分な装飾はまとっておらず、太古の地層から発掘された彫刻のごとき無駄のない肉体美を形作っている。このドラゴンもヴァラデアに負けず劣らず美麗なものである。
少々童顔が入った顔つきに、なんか眠そうな目つきをしていることと相まって大人しそうなナリなのだが、額から伸びる雄々しい一角がドラゴンらしい風格を演出していた。
「ありゃ、忙しいようだね」
「終わるまで待ってましょうか」
「そうですね」
無論そうするべきだろうと、エクセラの言葉にうなずき返す。
手術の真っ最中とあっては、さすがに邪魔するわけにはいかない。あの傍若無人なヴァラデアでさえ、今このときばかりは異を唱えたりしないので間違いない。
とりあえず退室しようとすると、なぜかエクセラが引き留めてきた。
「あ、出ていく必要ないですよ」
「は? なんで?」
「え?」
今の話の流れで、どうしてこの場に留まろうというのか。
反射的に突っ込みを入れると、合わせて隣の姉弟も同じような声をあげてくれる。彼らも同じ疑問を抱いたようだ。
「ほら、感染症とかあるから手術室って清潔じゃないとダメでしょう?」
「いえ、雑菌とかは神秘で全部殺すから、人が出入りしてもだいじょうぶなそうなんですよ。ほら、そこに待合場所があるでしょう? あそこで待てばいいですよ」
と、彼女が示す先を目で追うと、入り口から見て真横の隅に、人間用の椅子やらハンガーやらが置いてある空間があった。
先客もいるので確かに待合場所のようだ。施術を生で見学しながら待てるとか、斬新すぎる間取りである。
手術中の患者の関係者とおぼしき健康そうな日焼け男は、驚き顔でこちらを見てあんぐりしていた。いきなりドラゴンの一家が現れたらうろたえて当然だ。至極まっとうな反応で、なぜだか心があったかくなる。
「私たちがいたら邪魔じゃないのかなあ」
「奴もドラゴンだ、見物客がいるくらいで集中を乱すようなことなどないよ。そもそも、この私たちを招いておいて追い出すような無礼はしないさ」
「ああ、そう。そういうもんなんだね……」
続けてヴァラデアによって言い切られたので、一同そろって黙っているしかなかった。
なんとも不条理だが、相手さんについては大人たちのほうがずっと良く知っている。下手に口を差し挟むことができないのが苦しいところだ。
とりあえず、大人たちの言うとおりに待つかと思ったそのとき、状況が動いた。
「ここまで手を尽くさせておいて、勝手に逝こうとするな! このボクに許可なく命を散らすなんて許さないぞ!」
鬼気迫る様子で電極パッドを操るセランレーデが、ドラゴン特有の音なき声で患者に強く呼びかける。
語り口は必死で情があるっぽいが、言葉面はやけに高圧的なところが、いかにもドラゴンらしい。
器具が押し当てられるたびに、弾ける電撃音とともに患者の体がびくりと跳ねる。それを何度も何度も繰り返す。
しかし、あるところで患者からなにかが抜け出たような感じがする。そのとたんにセランレーデの前足がぴたりと止まると、そっと器具を近くの机に置いた。
今、すべてが終わったのだ。漂ってくるほのかな死の匂いから、そう思えた。
深くうなだれるセランレーデは、握りこぶしをわなわなと震わせると、苛立たしげに床を殴りつけた。
音をはるかに越える速度の拳撃によって軽い地震が起きるが、倒れたり壊れたりしたものは無いので問題なし。
しかし頑丈な床である。ドラゴンの拳を受けてもヒビ一つ入らなかった。ヴァラデア屋敷の建材と同じような材質なのかもしれない。
「やはり手遅れだったか。おのれ病魔め、このボクの命を許可なく奪い去るとは!」
そうして悔しそうに気炎を吐くこと数秒、急に姿勢を正してピタリと静かになった。
そのたたずまいは平静そのもの。今しがた見せた苦悩ぶりはどこへ行ったというのか、切り替わりぶりが極端すぎて不気味である。
次いで、不意に遺体を雑に掴んで持ち上げる。
とっても鋭そうな牙がぞろりと並ぶ大あごをヘビみたいに開くと、外皮とおなじく真っ黒なそこへ、遺体の頭から放り込んだ。
「は?」
軽くくわえてから頭を一度振ると胴体まで、もう一度振ると足首まで、さらにもう一度振ると完全に飲み込んでしまう。
長い首筋に浮かび上がるわずかな膨らみが、ゆっくりと胴体の方へと動いていく様が実にえぐい。
なんか当然のように人間を喰ってくれたのだが、それにどういう反応をすればいいのかがわからない。
「え……え? ちょ……」
「ん、どうしたシルギット。怖くなったのか? おまえともあろうものが」
ようやっと言葉を紡ぎだすと、お母さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「なんか喰ってるんだけど。なにしてるの、どういうことなの」
「なんだそれか。やつはああして人間を丸のまま取り込むことで死因を調べるんだよ。いわゆる献体というやつだ。まったく、野蛮だよね」
「ああ、そうだね……」
非難するような言葉面に反して、なんとも思ってなさそうな感じでスラスラと理由を説明してくれる。
そう言われて観察してみると確かに、セランレーデがどこかから取り出した本に向けて熱心にペンを走らせているところから、らしくはある。
だが理解はしがたい。誰もが認める肉食獣とはいえ、人喰いが人の側で過ごしていられるものなのか。
カレン姉弟、なんともいえない苦笑いを浮かべて突っ立っている。妹、尻尾をふりふりしてるだけで特に反応なし。
「つーか家族に文句言われないの?」
待ち合い場にいる遺族らしき男に目を向けると、彼は男泣きしながら手荷物をまとめて帰り支度をしているところだった。
亡くなった後とはいえ、連れとおぼしき人が喰われたというのに、抗議しに行く気配はまったく無い。なんか普通に帰ろうとしているのは何事なのか。
「ここに来る人はみんな、こうなるかもしれないことはわかってるんですよ。あまり気にしない方がいいですよ、シルギット様」
エクセラも訳知り顔で、当然だと言わんばかりの態度で語ってくる。帰り行く男の小さく見える背を見ても、お気の毒様という感じに肩を竦めるだけである。これ以上の答えは望めそうにない。
いろいろと納得いかないが、この地にはこの地なりの歴史や文化があるのだ。今は見たままを受け入れるほかないのだろう。
これを受け取れないといけないんだなあと、少しやさぐれた気分になった。
「ん、いたの」
人食いドラゴンがこちらに気付いて、寝ぼけ眼を向けてきた。
縦に伸びた獣の瞳はどこまでも冷たいが、確かなる理知を感じさせるものなので、獣特有の無情さはあまり感じられない。
その代わりに、底知れない黒をたたえるその瞳を見つめていると、胸の内の大切なナニカを持って行かれてしまいそうな気がする。ヴァラデアとは全く別種の威圧感があって、あまり目を合わせていたくはない。
ここに来て本当に良かったのかと、いまになって後悔の念がちょっぴり湧いてくる。こいつにリュートを任せたりしたら喰い殺されたりしないかと心配になってきた。
「ようやく気付いたか、引きこもりの老いぼれが。相変わらず鈍いやつだ、私がその気なら千回以上死んでいたぞ、おまえ。まあ、招待されてやっている身だから、そんなことはしないが。この私の温情をありがたく思うんだな」
なぜかふんぞり返っているヴァラデアが、最高になめ腐った態度で煽りの口火を切る。
「いやあ、あまりにも存在感が無さすぎで気付く気にもなれなかったよ。人間から隠密系の技術でも学んだりしたのかな? そんな情けないこと、ボクには真似する気にもなれないねえ」
対するセランレーデも負けず劣らず、裂けた口元を釣り上げて愉快そうに唸りながら嫌味に煽り返す。
「ああ、おまえには真似できないだろうな、この私が人間から学び昇華した技は。まだまだ磨くべき技術は無数にある、私の力はさらにおまえを引き離すだろうなあ」
「ククッ、強くなっているのがキミだけだと思ってるのかい? 人間という生命には未知の部分が多くてね、その秘密を解き明かせば、ボクの神秘はキミ以上の高みに到達することになるだろう」
お互いに言いたいことを言うばかりで微妙に会話が噛み合っていないが、特に問題はない。これが同格のドラゴン同士が出会ったときの『こんにちは、お元気ですか』らしいから。示威行為を兼ねた新しいあいさつの形だ。
様子見はそこそこで終わり、さっそく本題に入る。
ヴァラデアは姉妹をまとめて捕まえると、セランレーデの前に置いてきた。
「この子たちが私の娘だ。この私の同年代の頃と比較しても、それ以上の知と力をすでに身に付けている期待の星だぞ。
我らが種の更なる躍進を、この子たちは実現することになるだろう。どうだ、羨ましいか」
満面の笑みのヴァラデアは、この上なく誇らしげに自分の娘を紹介する。セランレーデも興味津々のようで、鼻面を寄せてきてマジマジと見つめてくる。
「ほう、これはこれは。本当に双子じゃあないか。よく片方を間引かずにおいたね? 相続はどうするつもりなのかな」
「おまえには関係のないことだ」
セランレーデの軽口に、ヴァラデアは即座に唸り声付きの開口威嚇で応える。激しく失礼な発言なので、怒るのも当然といえよう。
というか、“間引く”とか恐ろしいことをさらっと言わないでほしい。
横の妹が無言で抱きついてくる。見ればなにか不安そうに目の光を揺らしているので、なにも問題はないと鼻先で小突いてやった。
「この程度の挑発で、そこまで怒るほどに大切か。この小娘どもは確かに、キミにとっての傑物らしいね。ククッ、がぜん興味がわいてきたよ」
セランレーデは意外にも柔らかな笑みを見せる。
その黒の双眸は姉妹を捉えて離さず、確かなる興味を持っていることが見て取れる。
なんか実験動物でも観察しているかのような嫌らしい目つきだが、これでよい。興味を持ってもらえば、話をしやすくなるかもしれないから。
真の目的を遂げるためにも、今は自己主張にはげむことにした。