第十六話 奇跡の証明(1/8) 不慮の事故
ヴァラデア屋敷へ訪れる者は少ない。屋敷の主に用事があったとしても、大抵は屋敷外でことを済ませる。
ドラゴンみたいな恐ろしい猛獣の棲み家に入ってくる勇者など珍しいに決まっているのだから、当たり前のことだが。
恐怖を乗り越えて敷居をまたいでくる奴は、色々な意味で強く勇敢であるか、深い事情を抱えている者くらいだ。
本日のお客さんは、雰囲気的には後者の類だが、前者でもある感じもする。なにせ、育児部屋にまで押しかけてくる猛者なのだから。
小綺麗な紳士背広を身にまとう人の良さそうなおっさんが、緊張ぎみに口上を述べながら頭を下げる。
「本日はお忙しいところ、貴重なお時間をいただき恐悦至極に存じ……」
「月並みのあいさつなどいらんわ、さっさと本題に入れ。この私の貴重な時間を浪費させる気か」
で、下がった頭をさらに押さえにかかってくるのが、このお母さんのやり方である。
今のお母さんは、一般受けする“優しいドラゴンさん”の仮面を身に着けていない。横暴で高慢なドラゴンとしての地をさらけだしている。
そんな態度をとる理由は、ドラゴンの屋敷にまで乗り込んでくるという勇気を見せた訪問者に対して敬意を払っているためである。相手を一人前の男と認めて、飾ることなく腹を割って話をしているのだ。
本音で語る以上、慈悲も容赦も見せることはない。
それでも、臆することなく立ち向かう。そんな“強さ”を示すことができる者だけが、ドラゴンの前に立つ資格を得る。
これは試練なのだ。
「おまえの身の上についての調べはついているから自己紹介もいらんぞ。
四年前に興った慈善事業団体の会長。主に隣国の難民孤児を引き取って、生活と教育の支援を行っている。しかし最近は、寄付金が集まらず資金繰りに苦労している。そこでおまえは、この私にも寄付を取り付けることを考えた。
このたびの訪問の目的はそれだ。間違いないな?」
「は、はい」
「そうか。では、答えは“否”だ」
威圧的に男を見下すヴァラデアは、ただ冷徹に言い放つ。男は目を見開いて息を飲む。
「なぜこの私が、縁もゆかりもないおまえごときのために、そんなことをしなければならんのだ。私の力を借りたければ、まずは対価を示せ」
「た、対価……あ、あのですね、これは見返りを求めるような話ではなくて……あの」
冷や汗だらだらな男は、まるで回っていない舌で、ふわっとした話をしどろもどろに展開する。
「その、恵まれない子どもたちのために……いや、あの、次世代を担う子どもを、こっ子どもたちを助けることで、未来への投資をすることが我々の……ひっ」
ヴァラデアは苛立たしげに眉を吊り上げると、冷たい獣の瞳でぎろりと男を睨みつけた。
刺すような視線に射ぬかれた男は、飢えた子ネズミのように体を震わせてすくみあがる。
それでも彼は、思いっきり引きつった顔をしながらも、けなげに正面から向き合い続ける。
ドラゴンに殺気をぶつけられているのに、尻尾巻いて逃げ出さないとは大した度胸である。惜しむらくは、説得力がまるで足りていないところか。
「うっく……いや、で、では、貴女はなにをお望みなのですか」
「それを私に訊くようでは話にならん。これ以上話をしても無駄だな、出直してこい」
男はぽかんと口を開けると、死んだような顔をして絶句した。
にべもなく突き放しているように見えて、二度と来るなとまでは言わないのはちょっとした優しさか。あるいは最後まで崩れ落ちなかった度胸を評価してのことか。
そんな人生劇場の一幕を横目にしながら、今日も気ままに遊びほうける。
第十六話 奇跡の証明
笑顔でいっぱいの妹が、刀剣以上に鋭いかぎ爪を振りかざして襲いかかってくる。手加減のない斬撃を跳び上がって避ける。妹はその動きを予測して、すかさず追撃を仕掛けてくる。
跳んでから着地するまでの間は、ろくに身動きの取れない無防備な時間だった。
そう、“だった”、過去形だ。今はもう弱点を克服している。
神秘の光を力強く解き放って、その反動によって再び跳ねる。以前なら状況的に回避不能だったはずの妹の突撃を、見事に避けてみせた。
最近はドラゴンの神秘による“跳躍”の練習にハマっている。ある種類の光を強く放つと、大きな推力を生み出して跳びあがることができるとわかったので、より効率良く跳べる方法を模索している。
攻撃を避けると、妹も空中でいきなり方向転換して追撃の噛みつきを仕掛けてきた。
この子は新しい技を披露すると、すぐに見よう見真似で身に着けてくる。そうして力で負けないように追いすがってくるのは、いつものことなので気にしない。
妹の咬撃を受け流しつつ頭を掴み、さらに地へと向けての三段目の跳躍、急降下攻撃を決めることで、床に叩き伏せてやった。
ぱらぱらと拍手が飛ぶ。近くでケンカを見物していたリュートくんからである。
「おー、前に比べると見違えたね、すっごいキビキビ動けてるよ」
「きみのアドバイスのおかげだよ。ほんと参考になった、ありがとうね」
だいたい彼の案をもとに、色々な跳びかたを試しているのだ。なんでも、今まで見てきたゲームのキャラクターの動きを参考にしているのだとか。
ゲームキャラクターさんはすごい。今度リュート家に遊びに行ったときに、その勇姿を拝んでみたいものである。
「エアダッシュも多段ジャンプもいい感じになったし、そろそろホバリングを試してみてもいいんじゃない?」
「おっ、そうだね。よし、いっちょ飛んでみるかな」
宙を自在に跳ねる、その完成形が“飛行”である。
今まで重ねてきた練習はすべて、空を飛ぶためのものであった。いろいろな技術が身についてきた今なら、十秒間くらいは飛べそうな気がする。
明るい未来に胸を弾ませているところで、妹が水を差してきた。
「さすがのしーでもまだ無理でしょ。やめたほうがいいよ」
「え、なんで?」
先ほどまで見せていた興奮をぴたりと収めて、なにやら心配そうな面持ちで言ってくる。ちょっと意味がわからない。
「私はできないもん。それなら、しーも無理だよ」
「うむ、この子の言うとおりだ。お前には五年早い。消耗するだけだから、今はやめておきなさい」
ついでにお母さんも便乗してくる。お客さんが帰ったので暇になったようだ。
「ただ跳ねるだけならともかく、飛び続けるとなると難易度がまるで違ってくるんだ。今のお前じゃあ、絶対にまともに力を制御できずに終わるぞ」
「そうだそうだ~」
「ほーら、おまえの妹はよーくわかってるじゃないか。これくらいのこと、おまえならわかると思ったんだけどなー?」
そして親子で仲良く駄目だしをしてくる。というか親は幼児といっしょになって煽るんじゃないと言いたい。
それはともかく、一方的に無理だ無理だと言われると、逆に反抗心がふつふつとわいてくる。ドラゴンとしての誇りをちくちくと刺激される。
無理に背伸びをしてはいけない、という話はわかる。でも、一度すら試すこともないまま無理だと決めつけられるいわれはない。失敗から得られるものだってあるはずなのだと、逆に挑戦したくて仕方なくなってくる。
「まったく、無理だと思うから無理なんだ。そこで黙って見てなよ、私が華麗に飛ぶ様を見て、今の弱腰発言を恥じるがいいさ」
「え、そこで強行するのか?」
ヴァラデアはちょっと困惑している模様。今の煽り方で挑戦を諦めると思っていたらしい。相変わらずズレている。
「もう、強情なんだから。知らないからねっ!」
妹は不機嫌そうにむーっと唸ると、ぷいとそっぽを向いた。
抵抗勢力は捨て置いて、さっそく新技に挑戦する。最初の目標は十秒間の空中浮遊だ。
「よし、行くよ!」
まず、神秘の力だけで低く跳ぶ。高さが頂点に達したところで、今度は弱く跳ぶ。それから間断なく跳び続けることで、同じ高度を維持するのだ。
しかし、まるで姿勢が安定せず、前後左右にふらふらと揺れまくる。少しでも気を抜くと、あらぬ方向にすっ飛んでいってしまいそうだ。
左に跳ぼうとすると前へ倒れ込みかける。起き上がろうとすると右に傾きすぎる。頑張って姿勢を保とうとすればするほどに不安定さが酷くなっていく。
ついには逆さにひっくり返ってしまったので、なんとか立ち上がろうと思いっきり踏ん張ったら、そこで限界が来た。
制御の限界を超えた神秘の力が暴走する。
よくわからない光があらぬ方向へ何発も放たれたあと、妹の体当たりのごとき激しい衝撃がいきなり全身を打ちつけて、ものすごい勢いで上方向に吹っ飛ばされてしまう。
弾丸の勢いで天井に体当たりしたあと、受け身をとる暇もないまま墜落した。
まともに飛ぶことは一秒間すらできなかった。見事な大失敗である。
内心で舌打ちして立ち上がる。そのとき視界に入ってきたドラゴンたちは、『それ見たことか』と言いたげな、最高にムカつく顔をしていた。
拳が勝手に動きそうになるが、ぐっとこらえる。遺憾ながら、彼女らの指摘通りの結果になってしまったのだから、この失敗は事実として素直に受け止めるべきだ。
このままでは終わるつもりもないが。
今回の経験を次に活かす。うまくいかなければ、うまくいくまで練習すればいいだけだ。
次の練習は始められない。何事なのか、リュートがいきなり前のめりに倒れた。
「ちょ、どうしたの?」
急なことにさすがに驚いてしまうが、様子を見に行く間もなく彼はすぐに起き上がった。
困惑顔で額をコツコツ叩いて、気だるげにため息を吐きながら頭を振っている。顔色は悪くはない。
「いや、きみがホバリングしてるのを見てたら、急に気分が悪くなってきて」
「そう……え?」
「いまはなんともないし、だいじょうぶだよ」
「あんな倒れかたしといて、だいじょうぶとか言われても」
なにがあったのかと考えて、さっきホバリングをしようとしたときに失敗して、全方向に光を乱射してしまったことが思い当たる。
人間がその光を浴びてだいじょうぶだったのか。
見た目は傷を負ってはいないのたが、もしや、なにかやってしまったのではないか。
鼓動がじわじわと早くなる。息遣いが自ずと荒くなり、得体の知れないしこりが胸の内から染み広がっていく。
お母さんに目配せをすると、先ほどと同じムカつく顔のままでこちらを見てくる。リュートが急に倒れたことをまったく気にかけていないその様子に、どこか薄ら寒いものを感じた。
「昨日徹夜したから、立ちくらみかな。今日は早めに寝るかなあ」
彼は思い出したかのように、背伸びをしながらあくびをする。
疲れているだけなら良いのだけどと、嫌な動悸を押さえ込みながら彼を見る。なにも起こらずに済むことを願ってやまなかった。