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第一話 新生(1/3) 見覚えのない場所

 初めに、全身に圧し掛かってくるだるさを感じた。


 ひどく疲れているのか、わずかでも動こうとすると激しい脱力感に襲われる。まぶたを持ち上げることすら、まともにできやしない。

 ふと目覚めてみたらコレだ。どうしてこんなに消耗しているのか。辛うじて働かせることのできる頭を動かして、これまでの出来事を整理してみる。


 五秒後、なにも思い出せないことがわかる。これまでの出来事どころか何一つ浮かんでこない。自分が誰なのかすらもわからないのだ。

 これが音に聞く“記憶喪失”なのかと内心で頭を抱える。これはこれで稀有な体験なのかもしれないが、実際に体験してみると困惑するばかりだ。


 この状況はなんなのか、どうしてなにも思い出せないのか、いくら考えようとも答えは出てこない。

 ならば、益体のない考えごとで時間を潰すよりは、とにかく動いてみたほうがいいだろう。弱ったまぶたに喝を入れて、むりやり目を開けた。


 まず見えたものは、淡い光を放つごく普通の天井だ。今はどこかの建物の中に居ることがわかる。

 よく見てみるために、いやに重く感じる上体を気合で持ち上げようとしてみると、ふと自分の手が目に入った。


 太い四本指の先に暗色のかぎ爪がついている、青白な鱗に覆われた“普通の”手が見える。

 それを見てまず浮かんだことは、『自分の手ってこんな感じだったか』という疑問だ。

 自分のものではないように思えるが、確かに己のものであると感じる。

 正しいような気がするし、間違っているような気もする。


 なにかがおかしい。

 なにかがずれている。

 胸の奥からせり上がってくる不快な動悸が心をざわつかせる。


 謎の認識に取り乱しかけるが、今は我を失っている場合ではない。とにかく状況の確認を急ぐことにした。



  第一話 新生



 少しぼやける視界に飛び込んできたものは三つある。

 まず一つ。つるりとした鉄棒でできている、ごく普通のベッドの手すりだ。今までベッドに上で寝ていたらしい。

 もう一つ。深い光沢感のある、ごく普通の白い床だ。汚れはまったく見当たらず、丁寧に掃除されていることがうかがえる。

 最後の一つ。白に近い空色の鱗をもつ、ごく異常の巨大な四足獣だ。


 三つめを認識した次の瞬間、ほとばしる緊張感が心臓を激しく突き上げてきた。


 目前で鎮座するトカゲ然とした姿の生き物は、“ドラゴン”と呼ばれる超危険な猛獣である。“神秘”と呼ばれる超常の力を操る最強の生物としてよく知られる。

 ただし、最強だから危険なのではない。なによりタチの悪いところは、とにかく残酷で非情なこと。獲物をいたぶることを喜びとするという悪らつな気性をもつことだ。

 そんなのに捕まったら、なぶり殺しにされるかもしれない。


 恐る恐るドラゴンの出方をうかがってみるが、少しすると緊張感はあっさりと霧散した。

 いつまで経っても襲ってこないのと、その青の双眸が愛し子を見守る母の慈愛に満ちていたからだ。

 むしろ親近感や安心感がわいてきて、思いっきり脱力することができた。


 このまま力尽きれば一秒で爆睡できそうだが、それよりも状況の確認を続けたいという気持ちが先立つ。

 何度か瞬きをしていると目の霞みが取れてきたので、とりあえず周囲を見回してみた。


 今居る部屋は、ドラゴンの巨体が十体は余裕で収まりそうな広さがある。そのわりに調度品の一つも見当たらないため、必要以上にだだっ広く感じる。

 出入り口はドラゴン並に巨大な金属扉がひとつだけあるのみで、窓の類は一枚たりとも存在しない。天井自体が輝く照明により明るさは十分なのだが、なんともいえない閉塞感がある。

 四方すべてが白色で統一されていることもあって、監獄や病院を思わせる息苦しい部屋だった。


 次に、すぐ側で優雅に寝そべっているドラゴンをじっくりと観察してみる。


 筋肉質だがやや細身の体型をしていて、首も尾もすらりとして長い。四足で立ち上がると大きめのトラックくらいはあるのだろうけど、重量感はそれほど無く身軽そう。

 全身を覆う蒼白の鱗は継ぎ目がほとんどなく滑らかで、鱗というよりは羽に近い。部屋の明かりを乱反射して鮮やかな輝きを放っているので、なかなか綺麗である。

 頭部に伸びる三本の角以外に、トケやヒレなどのゴテゴテした飾りはついていない。至ってシンプルな体つきなのだけど、良く引き締まっているためか地味さはまったくなく、ある種の完成された肉体美を感じさせられる。


 ふと目が合う。その瞳孔は縦の楕円形をしていて、やや白目がちなので目つきが鋭く見える。でも、そこから放たれる視線はきわめて優しげで、悪い印象を受けなかった。悪いどころか、愛おしささえある。


 そんな視線を向けてくるこのドラゴンは何者なのだろうかと思ったところで、不意になにかを思い出しかける。


『このドラゴン、どこかで見たことがなかったか』


 混濁した意識の深淵に広がる泥沼から、ナニかがじわりじわりと浮かび上がってくる。ソレが記憶を取り戻すための手がかりであるに違いないと、なんとなく思う。

 その意味を確認するべく、すぐさまドラゴンに質問を投げかけようとしてみるが、どこかから響いてきた機械の駆動音によってさえぎられてしまう。


 音がしたほうを見ると、開いた扉の向こうから長身の女が姿を現した。


「ヴァラデア様、だいじょうぶですか?」


 上質そうな青の背広に身を包む女は、肩口まで降ろしている漆黒の髪を軽く払いながら、やや心配そうに声をかけてくる。


 綻び一つ無いつややかな肌から察するに、年齢は二十代前半くらいか。そんな見た目の若さに反して、妙に落ち着いた印象の顔立ちである。

 その切れ長の双眸には猛禽系の鋭さが見え隠れしていて、どこかの企業で幹部でもやっていそうな雰囲気を持っていた。


「なんで入ってくる! だいじょうぶじゃない! 来るな!」


 ヴァラデアと呼ばれたドラゴンが急に焦りだすと、素早く前足を突き出して制止しつつ警告する。

 その口はまったく動いていないのにもかかわらず、しっかりと頭のなかに人間の声が伝わってくる。声の感じとしては、ちょっと低めな女のものか。

 いわゆる精神感応能力(テレパシー)というものなのだろう。音がしないのに音がするとは、なんともふしぎな感覚だ。


 女は警告を受けても構うことなく、黒光りする革靴で良い音を鳴らして扉を潜ろうと迷いなく歩き出す。

 すると、ドラゴンがなにも無い空中から青白い光線を音もなく放ち、女の横髪を数本切り飛ばした。

 威嚇の一撃だ。

 女は足を踏み出そうとした片足立ちの体勢のまま、ぴたりと動きを止めていた。


「エクセラ、当分近寄るなと何度も言っただろう! 無理に鍵を開けてまでやってくるだなんて、おまえは死にたいのか!」


 つい先ほどまで静かにたたずんでいたヴァラデアが、怒りに満ちた険しい顔で鋭い牙を食いしばり、腹に響くような低い唸り声をあげている。

 エクセラはゆっくりと浅く腰を落とした体勢をとると、じりじり後ずさりしていく。充分に下がったところで、へらっと笑ってみせた。


「だめですか?」

「だめだ! これでも落ち着いてるほうなんだ。間が悪かったら私に殺されてたぞ、おまえ。不幸中の幸いというやつだ」


 寒気さえ感じさせる恐ろしげな唸り声は止まらない。今すぐにでも飛びかかっていきそうなくらいに猛っているヴァラデアだが、見た目の荒ぶりように反して冷静な声色で抗議する。


「はっはっは。落ち着いてそうに見えたんですけどね、怖い怖い」

「この命知らずめ。なにがおまえをそこまでさせるんだ?」


 エクセラは、殺気すらこもった抗議を受けても余裕の笑みを崩すことはなく、自らの口元にそっと手を添えると、頬をほんのりと紅潮させた。


「超貴重な赤ちゃんドラゴン、今が一番かわいい時期でしょう? 愛でるチャンスをみすみす逃すなんてありえないですよ」

「よくわかってるじゃないか、さすがは私の戦友だな」


 突然に落ち着いたヴァラデアが、とても愉快そうに笑いながら親指相当の指をグッと立てると、エクセラもまったく同じ動作で軽快に応えてみせる。

 脈絡のない謎の言葉を交わして勝手に納得しあったらしいふたりだが、息の合ったやり取りでもある。なかなか深い絆で結ばれた間柄なのかもしれない。


「よくわかってるなら、頼むから今はあっちに行ってくれ。これ以上は本当におまえを殺してしまう」


 ヴァラデアはいきなりうずくまると、ふるふると細かく身震いしながら懇願する。

 エクセラのほうは、なにやらほほ笑ましいものを見ているかのように、とても優しげな面持ちでその様を眺めている。


「お母さんしてますねえ」

「まんまケダモノのね。本能に勝てないのが悔しいよ。クソッ、本能ごときがこの私をさいなむかっ」


 長い首を丸めてうつむきながら、心底悔しそうに悪態をつく。その顔は隠れていて見えないが、握りしめた前足をわなわなと震わせている姿を見るに、たぶん絶望に打ちのめされて歯ぎしりしているのだろう。


「はは、残念。もう行きます。無理させてごめんなさいね」


 猛り狂うドラゴンを目前にしても、余裕しゃくしゃくの態度を崩さなかったエクセラだが、これ以上粘ってはさすがにまずいと悟ったらしい。迷いない動きで背中を見せると、早足で逃げていった。

 それを見届けたヴァラデアは、警戒の態勢を解くと、長く静かに安堵の息を力なく漏らす。その前足はまだ震えていた。


 とりあえず話は終わった。さっきは質問し損ねたが、今ならいける。

 深々と息を吸い込む。残り少ない体力と気力を振り絞り、すべてを吐き出しきる勢いでヴァラデアに呼びかけてみた。


「あの! ドラゴンさん!」


 入れた気合とは裏腹に、小さくかすれた声が漏れるだけに終わる。それだけのはずだったが、なぜか伝えようと思っていたことが頭の中に大音量で響きわたった。

 脳髄を揺さぶる大音響に意識を持っていかれかけるが、尽きる寸前の気力を限界まで振り絞ることで辛うじて踏みとどまる。

 そんな“音のない声”は目の前のドラゴンにもちゃんと伝わっていたようだ。明らかに呼びかけに反応を示して凝視してきた。


 なにげなく“声を出さずに言葉を伝える”という芸当をやってのけてしまったが、あえて気にしないでおく。緊急時に細かいことを気にする余裕はないし、その必要もないのだ。

 目の前にいるドラゴンと視線がしっかり合ったことを確認してから、改めて問いかけてみた。


「私は、ええと……あの、どこかでお会いしませんでしたか? いや、訊きたいのはそれだけじゃなくて……ああ、なにから言えば良いんだ」


 問いかけに対してヴァラデアはなにも答えることはなく、ただ彫像のように冷え固まる。

 まん丸に開いた目をぱちくりさせる。

 右を見る、左を見る、正面を見る。

 一本深呼吸をして微妙な間を置いた後、人間とか丸かじりにできそうなくらい大きな口を全開にすると、実に情けない叫び声をあげた。


「うおっ……! しゃああべったああああ! なにゃああぁぁああ~~!?」


 肉声の甲高い咆哮とともに音のない悲鳴が爆発的に広がり、その場に在るすべてを静かに打ちつけ強かに揺るがす。

 体が不自然に反り返るほどに身を反らし、声を裏返して思いっきりわめき散らすその姿は実にこっけいである。

 それでも驚き足りないのか、後ろ足でカニ歩きする謎のびっくりダンスを始める始末だ。


「えぇー……なんだこいつ」


 驚きたいのはこちらのほうだと言いたいが、完璧に冷静さを失っている様子からして話は通じそうにない。

 ひとまず落ち着くのを待つしかなさそうだった。

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