マーカスメモリーズ ターコイズブルー22
まるで剣先が伸びてくるように見えるのは、そのスピードが目測より遥かに速い事を示している。
そんな錯覚に肝を冷やしながら斬撃を弾くと、相手の刀身にまとわりついている炎が火の粉になって飛び散った。
力任せに弾くのでは無く、相手の刃の上を少し滑らせる様に、若干力をいなす様にして力を逃がしながらも、その力をある程度利用して自身の機動を変える。大型を相手にする際は、こうした相手の力を逆に利用する戦闘機動が、戦闘を有利に運ぶ為の必須スキルだ。そして同時に、次の瞬間、自分の身体が何処にあるかを想定し、2手3手先の相手との位置関係を予測するのも重要だ。
だがこれは一朝一夕に身に付くものじゃなく、気の遠くなるほどの戦闘経験によって培われるもので、俺がこうもうまく動けるのも、これまで数多くの修羅場をくぐり抜けてきた経験によるものに他ならない。
それはレベル制VRMMORPGでの絶対性である『キャラクターパラメーター』とはまた別の要素であり、この限りなく現実に近い仮想世界での経験が、現実側の体や精神に与える影響の一部だと思う。
少し前に失った左腕は未だ復活せず、部位欠損に加え、ドレインによるパラメーター低下で反応が遅れている。
俺の場合、スキルによる補正でドレインの効果は微々たる物だが、こういったギリギリの戦闘では、その『微々たる物』って奴が後になって効いて来る。その影響でか、俺は着地の瞬間後方へ僅かによろけた。
思わず心の中で舌打ちする。人間相手なら、隙を見逃す事も期待できるが、ケルビムを司るAIは精密にその生じた隙を突いて来る。
俺は完全に回避は不可能と判断し、ダメージ覚悟で無理やり身体を捻り致命傷を避ける。この場合の致命傷とは、行動制限の判定をかわすという意味だ。
次の瞬間、右の脇腹に焼きごてを当てられた様な熱と痛みが走り、同時にハンマーで殴られた様な衝撃を味わい、石畳の上を風に煽られたゴミ袋よろしく転がった。
「痛……っ!」
思わずそんな呻きを漏らしつつ、慣性に抗い石畳に足を踏ん張り、なんとか体制を立て直して顔を上げた瞬間、炎に包まれた剣が視界を埋めた。
ちっ! 直撃かよ……っ!
俺は襲って来るであろう衝撃と痛みに備え身体を強張らせた。
「ソニックブーストぉーーっ!」
ダメージを覚悟した瞬間、叫び声と共に、横合いから青い閃光が走った。青白い火花のエフェクトを霧散させ、その後に鉄を打ち鳴らす甲高い音が鼓膜を叩くのは、そのスピードが音速を超えている証拠だった。その速度は俺にある女の子を思い出させる。
「ミゥっ!!」
僅かに青い残像を引きつつ、ミゥは俺の目の前を横切った。それは彼女の異名である『青刃』のなに恥じない絶妙なタイミングの迎撃だった。
スピードだけならレベル30代を凌駕する動きだが、恐らく装備中のターコイズブルーがミゥの身体パラメーターを大幅に引き上げているのだろう。レジェンド級装備と言うのも、どうやら嘘じゃないようだ。
「と、届いた……っ!」
そんなため息とも取れる様な呟きがミゥの口からこぼれる。しかし必殺の一撃を弾かれたケルビムは、そのターゲットを瞬時に俺からミゥに変更し、追撃の剣を振るった。
「ぐぅ……っ!!」
いつもよりコンマ数秒遅れる反応に、思わずそんな呻きと舌打ちを吐きつつも、俺は床を蹴るが間に合わない。
と、その時……
「うおぉぉぉっ!」
気合のこもった声と共に、ケルビムの放った一撃が、大剣に叩き落とされた。
「ザッパードっ!?」
ミゥの驚きの声が上がる。正直俺も驚いた。だが、そんな驚きのまなざしをスルーして、大柄な大剣使いは、身の丈に達する刃を振り上げる。大剣技、斬刃の連続コンボである斬り上げ、弐型『朱雀』だ。
大質量の大剣を、振り下ろしから斬り上げに移行する際に、その腕が若干膨らんだように見える。恐らくレベルアップ時のパラメーター振り分けのパーセンテージを筋力に多く振っているのだろう。
「女が戦ってるのに……っ!」
薄いピンク色の発光を伴うエフェクトを引きつつ、ザッパードがそう言いながら俺に視線を流す。
「男の俺が、ブルッてる訳にはいかねーんだよっ!!」
そして気合いと共にケルビムの炎の剣を押し返した。ケルビムが腕を跳ね上げて1歩後退した。すると今度は、ケルビムの顔が複数の爆炎に包まれる。一つは魔法弾、恐らくゼロシキの放った物だろうが、他の爆発は明らかに爆炎系攻撃魔法『メガフレイヤ』の物だ。
「そうさ、女にああも馬鹿にされて、しかも守って貰うだけなんてかっこつかねぇよっ!」
そんな声に後方を振り返ると、ザッパードが連れてきたプレイヤーの魔導師達が次々に魔法を放ち、前衛の戦士達が手に獲物を掲げて突撃を開始していた。
「あいつら……」
そんな言葉を吐くが、その口元が少し緩む感触がするのは気のせいだろうか……
「やっぱり、女神様の力は絶大だな」
ふと見ると、ミゥの横を数人の戦士達が雄叫びを上げて突撃していく。
ワイコミチームがいくら増えようとも、この世界に生きる対価は変わらない。そしてその対価を払ってこそ、分かる何かがある。
リアルでどんな人生を送っているかは分からない。もしかしたら、一生交わる事の無い相手かも知れない。ましてやほんのついさっきまでいがみ合っていた者同士が、共通の脅威に立ち向い共闘する。冷めたリアルじゃ決してあり得ないことが、決して出来ない戦友が、ここではできる……
「おあぁぁぁっ!!」
「コ、コーガぁーっ!?」
突然悲鳴が上がり、その後に絶叫が続き視線を移すと、戦斧を振るう戦士がケルビムの炎の剣の直撃を喰らい、ポリゴンを撒き散らして爆散した。
「クソッタレがっ!!」
ザッパードはそんな叫びを上げて、続けて横薙ぎに飛んで来た炎の剣を辛うじて大剣で受けるが、吹っ飛ばされて床に転がった。
そしてケルビムは再び、鼓膜がキリキリと悲鳴を上げる雄叫びを放った。
その瞬間、身体全体がグンっと重くなる。見ると突撃した数名が身体を硬直させ片膝を着いた。『アゴイストボイス』によるドレイン効果だ。
ドレイン効果でパラメータダウン。魔力も未だ回復せず、しかも未だに部位欠損中の満身創痍と言って良い状態だ。ミゥやザッパード、ゼロシキやスプライト、そして勇気を奮い起こして参戦した聖杯の雫のメンバー達もよく戦っているが、明らかに戦力不足だ。
ここまでか……
俺は心の中でそんな呟きを吐き、右手に握る漆黒の太刀を見やる。数えきれないほどの戦いをくぐり抜けて来たにもかかわらず、その黒い刀身はまるで初物の様に濡れた様な怪しい輝きを放っている。そして僅かにその黒光する刀身が震えていた。
恐らくケルビムや、今は姿が見えないあの男に反応しているのだろう。もしかしたら、通常じゃあり得ないこのフィールドそのものに反応しているのかもしれない。コレにはそういった『招かねざる存在』に反応する機能がある。そしてあるものに似た、そのような存在を駆逐する為の装備だ。その力を使えば、この絶望的な状況を打破することは可能だろう。
だが……
俺は眼前で必死で戦うキャラ達を見渡しつつ、そう心の中で異を唱える。
あの力は反則だ。チートどころの騒ぎじゃない。アレはこの世界そのものを否定して仕舞うものだ。それに間違えば俺自身が彼等をロストさせて仕舞うかもしれない。
「うぐぅっ!」
そしてまた一人、呻きと共に戦士キャラがポリゴンを撒き散らして爆散する。このままでは全滅は時間の問題だろう。
「迷ってる暇は無いってことか……」
俺は誰ともなしにそう呟き、右手の安綱を握り締めた。そこに、ケルビムの炎の剣が襲いかかる。
「シャドウっっ!?」
「兄ィっっ!?」
その瞬間ミゥにスプライト。それにゼロシキの叫び声が響くが、俺は右手の安綱でその斬撃を弾き飛ばした。
俺は……
弾いた際に飛び散った火の粉が雨の様に身体に降りかかり、漆黒の鎧を怪しく照らす。そして熱に煽られて安綱の刀身が陽炎の様にゆらりと歪んだ。
俺はもう一度、悪夢を見よう……
俺はそう心の中で呟き安綱を固く握ると、安綱はそんな俺の感情に反応するかのようにその刀身を小刻みに震えさせた。
「シャドウっ! どうしたの!?」
「おいっ! あんたなにやってんだっ!?」
そんなのミゥとザッパードの悲鳴のような声が鼓膜を叩く。ケルビムの一撃を弾いてもその場を動かない俺を心配してのことだ。
「ミゥ、ザッパードっ! 10秒だけ奴のタゲを俺から外してくれ、頼むっ!」
俺はそう2人に叫んだ。2人は一瞬迷った様に顔を見合わせたが、ミゥは直ぐに頷いた。
「了解、何とか10秒凌いで見るわ!」
そんなミゥの言葉に俺は「頼む」と短く答えた。ザッパードも「ふんっ」と鼻を鳴らして頷いた。
あの男の思うとおりに動くのは癪だが、どうもそうは言ってられない状況だ。良いだろう、その思惑に乗ってやるよ……っ!
俺は安綱を構え直し、大きく息を吸い込んだ。すると安綱の震えがより一層激しくなっていった。それはまるで、この童子切り安綱の『歓喜』を表しているようだった。
「笑ってやがるのか? この野郎……」
そんな呟きが漏れると同時に、頭の中で無機質で機械的な声が流れ始める。それと同時にこめかみの周りを、キリキリとした痛みが覆っていった。
《システムガーディアン、アクセス開始…………》
《…………アクセス成功。続いてプログラムダウンロード……》
《ロード率、60%……70……80……90……ダウンロード完了》
《起動スタンバイ……》
プロセスが実行される度に、頭の中をスプーンでかき回される様な感覚が襲う。そして視界に捕らえたケルビムに目を向けると、その姿が砂を噛んだときのようにザリっと音を立ててノイズが走った。
オォォォォォンっ!!
その音が安綱から発せられたのか、それとも俺の口から発せられた声なのか判断できなかったが、今の俺には、そんな事はどうでも良かった。
不意に、足下からフワリとした不可視の風のような力が吹きだし、黒い愚者のマントを持ち上げる……
左胸の心臓から送り出され、体の細胞一つ一つに『歓喜』の詰まった血液が送り込まれる感覚。全身の筋肉がめいっぱい引き絞られた弓弦のように張る錯覚。
膨大な情報処理に演算領域が埋め尽くされ、シナプスが悲鳴を上げる頃、脳内を飛び回る電気信号の処理速度が数倍に膨れ上がって行くのを感じ、痛みと同時に得体の知れない恐怖のイメージが急速に広がっていった。
気絶してしまえばどれだけ楽だろう。
だが、俺の脳内にあるアザゼル因子が送り込まれる情報に反応して瞬時にシナプスラインを増殖させ処理を実行させる為、切れかかる意識を強制的に復旧させる。
そして、全ての処理が実行された後、俺の中に一匹の魔物が目を覚ます。
さあ、この世ならざるこの世界で、今宵も狩りを始めよう……
俺は、俺ではない俺が、そうつぶやくのを聞いた。