マーカスメモリーズ ターコイズブルー20
「性能評価試験だと? どういう意味だ?」
シャドウは首を傾げながらその男にそう聞いた。
「このデジタル世界で唯一無二の絶対的な力…… その引き金となる安綱を、現在君が何処まで使えるのかを知っておく必要がある。だから試すのだよ、この様な物を用意してみた」
男はそう言って右手をスッと空に掲げた。すると、そのはるか頭上の雲がぐるりと渦を巻き、不可思議な文字を散りばめた大きな光の魔法陣が出現した。
それはこの場にそぐわない、神聖とも言える様な清らかな美しさで、私を含めた全プレイヤーが、その光の演出を目を奪われていた。中にはそれがゲームの演出だと思っているプレイヤーも居る様で、其処彼処で歓声めいた声まで上がっている。
ただシャドウだけが、歯を食いしばりつつ、敵を見る様な目で、空に浮かぶ光の魔法陣を睨んでいる。
「旧世代召喚魔法……? いや、魔法じゃない…… なんだ?」
そんなシャドウの呟きが鼓膜を打った。そしてシャドウの横顔を見ながら、私は首を捻る。
魔法じゃない? でも、そしたらあの魔法陣は……
するとその魔方陣は光の明滅を繰り返しながら、その中央に大きな異形の生物を出現させて行った。
「な…… なに……よっ、あれ……!?」
空中に浮かぶ魔法陣からゆっくりと降下する様に現れた『ソレ』は巨人だった。
だかそれは決して『ヒト』と呼ぶ事のできない形をしていた。
頭には人、牛、獅子、そして鷲と4つの顔があり、右手にはぐるぐると渦を巻く炎を纏った剣を持ち、白銀の鎧に包まれた身体と、その背中には4枚の大きな純白の翼がはためいている。そして頭上には、先ほどの魔法陣が小さな光の輪に変化して浮かんでいた。
身体の異様さはあれど、その姿は私たちの記憶にある、ある物に酷似していた。
「天…… 使……?」
思わず私はそうつぶやいた。そう…… ソレは伝説に登場する天使の姿だった。
「4つの顔に4枚の翼。第二天位クラスの上位天使…… なるほど、それで智天使の塔って訳か。『天使の詩』の舞台である座天使大聖堂と同じだな」
そんなシャドウの呟きにローブの男は「ははっ」と笑った。
「よく知ってるじゃないかシャドウ。中々博識なんだな」
「ふん、調べたんだよ、色々とな。この世界は旧約聖書とそれにまつわる伝説がモチーフになってるからな。中でも天使に関わる事柄はこの世界の重要な位置付けになってる。調べたくならない方がどうかしてる」
ローブの男の言葉に、シャドウは不快そうな顔で答えていた。
「で、その天使を使って俺を試すとかってあんた…… 神にでもなったつもりか?」
すると男は肩を軽く揺らして笑った。
「神か…… なるほど、現時点で、ある程度システムを操作出来る私は、そう言った意味では確かにこの世界の神と言えるかも知れないな」
顔のほとんどがローブに隠れていて表情がわからないのが少し不気味だった。
「シャドウ、アレもセラフなの?」
私は空に浮かぶ巨人を見ながらそう聞くと、シャドウは複雑な表情をしながら「まあな……」と答えた。
「しかし、ただのセラフじゃない。『異界の脅威』に登場する悪魔と並びSystemCodeに保護されたMiit【相互干渉無効標的】だ。本来なら倒せる相手じゃ無い。HPゲージの何割かを削ったところでクリア判定が立って相手が退く、つーのが通常設定だ。」
シャドウのその言葉に私は息を飲み空に浮かぶ異形の巨人を見る。
「ケルビム…… 上位三天使隊では熾天使に次ぐ第二天位を持つ強力な上位天使だ。日本じゃ人の心に恋の矢を打ち込むキューピットとして有名だが、聖書の伝説ではエデンの東を守る守護天使で、神から授かった回転する炎の剣でエデンの生命の樹と聖櫃を守る任務を帯びている」
「キューピットって…… 全然見えないわね……」
空に浮かぶ天使の姿を見ながら、私はシャドウのうんちくに思わずそんな言葉を漏らした。
「天使は本来高次な概念的かつ霊子的な存在であって、時間、次元、空間、そして与えられた任務によって、その時に最も適した形で実体化すると言われている。存在が人よりも神に近いからな。日本でも仏教曼荼羅の『大暗黒天』が七福神では『大黒様』になっているだろ? 二つとも同一神だが姿形は完全に別物だ。元々物質界に居る存在じゃ無いんだから、物質界で具現化された形をあーだこーだ言ったって無駄ってもんだ。だから『概念』として捉えることが神や悪魔、天使を知る近道なんだそうだ。さしずめあの姿は、奴さんの『戦闘形態』ってところだろうな」
私はそう言うシャドウに相槌は打つものの、よく理解できなかった。
「で、でも天使って正義なんじゃないの? 人間を救ってくれる存在じゃないの?」
するとシャドウはクスッと笑った。
「俺たちと全く違う存在が、俺たちと同じ価値観の正義を持つと考える方が不自然だ。ぶっちゃけ正義なんてものは、下手すりゃ存在の数だけあるもんだ。そのジャッジを神に委ねるなら、それが人にとって有益である可能性の方が少ないだろ?」
シャドウはそう言ってフンっと鼻を鳴らした。
「悪魔は愚かだから人間にちょっかいを出す。しかし神はそんな事はしない。そもそも神にとっちゃ世界なんてどーでも良いんだ。一人で全部事足りちゃう奴が、世界の事なんかに興味があるとは思えない。ましてそんな存在が人の信仰心なんかに期待すると思うか? その気になれば悪魔だって存在出来ない様に出来るはずなんだ。全知全能ってそう言う事だろ? 俺は『面倒くせーから話しかけるな』ってのが神様の本音なんだと思うよ。けどあまりに退屈なもんだから、代わりにその使い走りである天使を使って適当に管理させてるんじゃないか?」
シャドウはそう言って肩を竦めてみせた。
「だから天罰や神罰など存在しない。神が与える物に罰なんてものは無い。あるのは事象と結果だけだ。そこに神の意思は無く、罪も罰も、人が負って課すべきものでなければならない。そしてそもそも……」
シャドウは上空の天使、ケルビムからローブの男に視線を移し睨み付けた。
「この天使が統べる地に神は必要ない……っ!」
シャドウがそう言うと、ローブの男は声を上げて笑い出した。
「はははっ、なるほど確かにその通りだ。ならばこの世界を統べる者を、己が力で退けてみたまえ」
ローブの男がそう言うと、空に浮かんでいた天使がすうっと降下し、私達の居る塔最上階に降り立った。その衝撃で塔全体が身震いしたかの様に揺れ周囲で悲鳴が上がった。私も思わず片膝をついた。
私は直ぐさまターコイズブルーを握り締め立ち上がろうとした瞬間、甲高い金切り音が周囲に響き渡り私の鼓膜を直撃した。
「あ、ぐ……っ!?」
その音は鼓膜を突き抜け、脳全体が痺れる感覚に襲われ身体が硬直した。
な、何なのよ、これ……っ!?
私は辛うじて動く首を必至に捻って周囲を見ると、他のプレイヤーも一様にしゃがみこんで身体を強張らせていた。しかしシャドウだけは苦々しい表情でケルビムを睨んでいたが、その姿には私が今感じている『硬直』が微塵も感じられなかった。
「アゴイストボイス…… 通称『歌』と呼ばれる天使や悪魔族特有の精神干渉だ。喰らうとプレイヤーのステータスに応じてレベル6セラフでお馴染みの『ハウリング』と同様の身体硬直を引き起こす……」
そこでシャドウはいったん言葉を切った。そして大きく息を吐き、頭を軽く振った。
「しかし、この『歌』の厄介なところはハウリングと違って『ドレイン』効果が付加されていることだ。喰らうたびにHPが何割か削られ、おまけに基本ステータスが一時的に数ポイントダウンする」
未だに脳がしびれる様な感覚に陥りながらも、息を飲む。
「ハウリング同様スーパーイヤーでもある程度緩和できる筈だ。ミゥ、持ってきてるよな」
「うん…… でもシャドウは? 見たところ付けてない様だけど、なんで平気なの?」
「全然平気って訳じゃないが…… 俺は『虚勢』のスキルレベルが28で『ボイス』系の攻撃を食らうとオートで発動するのさ。でもって『自然治癒』スキルのボーナスが10秒で500Pあるからな。ドレインの効果によるHP減少はそれ以下だから相殺されるんだ。俺の場合ドレインのみで死ぬ事は無いがステータスダウンは防ぎようが無い…… 長引けば長引くほどコッチが不利だなマジで」
シャドウはそう答えて軽い舌打ちをした。
相違しているうちに、フロアに降り立ったケルビムが、その右手に握った炎の剣をブンッと振るった。先ほど私たちと対峙していたザッパード達の後方に居たプレイヤー3人が、未だに硬直から回復しないまま残撃の直撃を喰らい吹っ飛ばされる。空中に投げ出された体が一瞬にして炎に包まれ、次の瞬間細かいポリゴンを散らして消えていった。
「そ、そんなっ!? トゥエンティーズが、たったの一撃でっ!?」
その光景を見ていた私は、思わずそう叫んだ。レベル20を越えるキャラは、何処のチームでも主要メンバーとなる実力で、自他共に認められる上級プレイヤーである筈だ。それが身体硬直で無防備状態での直撃であったとはいえ、たったの一撃でデッド判定を喰らうなど聞いたことが無い。
ザッパード達もその光景に唖然として声も出ない様子だった。
「とてつもない攻撃力だな。恐らくそれだけならレベル6セラフ以上だろう。もしかしたら、あの炎の剣のなにかしらの特性なのかも知れない……」
シャドウがそう呟く矢先にも、再びザッパード達のプレイヤーが2人ほど弾け飛んだ。
すると、ローブの男が「そうだった。一つ言い忘れていた……」と呟いた。
「ここでのデッド自体は通常のデッドだが、アレを倒さん限りログアウトは出来ないんだ。勿論SystemCodeは解除してあるからその点は心配しなくていい」
「なん…… だと……?」
見上げていたケルビムからゆっくりと視線をその男に移して睨むシャドウの口から、唸るような声が漏れた。
「倒さない限りログアウト出来ない? オ、オイっ、それってどういう事だよっ!?」
突然ザッパードがそう質問する。どうやら話を聞いていたようだった。
「言ったとおりの意味だが? あのケルビムを倒さない限り、君たちは現実に帰還することが出来ない。君たちの意識はウサギの巣の端末には戻れないと言ったのさ」
ローブの男は淡々とそのザッパードの質問に答えていた。
「じ、じゃあ倒せなかったら…… 一人残らずデッドしたらどうなるんだよっ!?」
「それは…… もう二度と現実には帰れなくなる…… って事になるかねぇ……?」
ローブの男はちょっと意外そうな顔をしてそう返した。今初めてそのことに気がついた様な仕草だ。そしてその返答は内容の重大さに反比例して、とても軽い口調だった。だから私を含めた他のプレイヤー達も、そのローブの男が何を言ったのか、よく理解出来なかったのだ。
帰れ…… ない?
「ちょ、お、おまえっ……っ!?」
ザッパードの後ろに居たプレイヤーが、引きつった様な声を上げる。だが、ローブの男はゆっくりと首を振った。
「いやいや済まんね、正直今気がついた…… そうだね、全滅したらどうなるのかねぇ? 私の条件付けでは『倒さないとログアウト出来ない』というだけだからね。細かい事まで条件付けせずにシステムに任したから…… 全滅してみないと分からないね。あまりオススメは出来ないが」
ローブの男はそう言って肩を竦めた。その言葉の内容と仕草のギャップに声も出ない。そこにまたプレイヤーの悲鳴と共にポリゴンが弾けた。それがキッカケだった。
怒号と罵声がわき起こり、身体硬直の呪縛から解放されたプレイヤーから我先にと逃げ出すが、もとより下階へ下るための階段が無い塔の最上階だ。何処にも逃げ場が無い状態で、プレイヤー達はパニックを起こし、怒声を上げてお互いを口汚くののしったりしていた。
無理も無いと思う。もしかしたらロストするかも知れない状況で、まともになど居られないのだろう。そんな中、果敢にも武器を手にケルビムに挑む者も居たが、いずれも一撃でデッドして行った。
その頃には私も呪縛が解けたが、その凄惨な光景に息を飲む。
圧倒的…… 人間が虫を潰すかのように、その力の差は歴然だった。