マーカスメモリーズ ターコイズブルー15
「何のつもりよ、ザッパードっ!!」
私はターコイズブルーを握り締めながらそう叫んだ。
「いやぁ、無事にレアウエポンをゲット出来たみたいだしよ。そろそろ俺たちのトコに戻ってくる気になったろうと思って迎えに来たのさ」
ザッパードはそう言ってすぐ後ろに立つ天竜猟団のメンバーに「なぁ?」と同意を求めた。それを受けて猟団のメンバーも一様に頷き笑っていた。
「バカじゃないの? そんなこと天地がひっくり返ったってあり得ない。もう一度ハッキリ言うわ。私は戻らない。二度と私の前に仲間面して現れないでっ!」
私は声を荒げてそう怒鳴り返した。
「そっか、なら仕方ない。本人の意志は尊重しないとな。わかったよミゥ、もうお前に付きまとうのはやめるよ。その代わり……」
ザッパードは私の握るターコイズブルーを見てニヤリと笑った。
「それを置いて行ってもらおうかな。手切れ金代りとしてよ」
私は心の中で舌打ちした。
やっぱりそう来たか。というか、はなからそのつもりだったくせによく言う。
「手切れ金……? はっ、よく言うわね。人のアイテム勝手に売り捌いたくせに。で、今度はキルして奪おうって訳? 天竜猟団ってキラーチームになったんだ、最っ低ねっ!」
「オイオイ、俺は交渉してんのさ。ネゴシエーションってやつだよ。もっとも、交渉決裂の時はコッチも多少の荒事の準備はしてるけどよ」
ザッパードはそう言って左右に広がるキャラ達を見やった。
「こんな人数連れて来て何が交渉よ…… どうせギルドメンバーに『分け前』ふっかけて集めたんでしょ。たった4人相手に恥ずかしくないの? 聖杯の雫もたかが知れてるわね」
「コレはギルドとは関係ないぜ。このキャラ達は確かにウチのギルメンだけど俺の『個人的な友人』だよ。ギルトは全く関係ないことさ」
何が個人的な友人よ! 先週入ったばっかりのくせしてっ!!
「それにそっちは凄腕の傭兵が3人も居るんだ。そんなチーム相手に交渉するなら当然こっちもそれなりの用意をしないと交渉できねぇだろ?」
ザッパードは肩をすくめてそう言った。自分達の数の優位で余裕の表情でニヤ笑いするその顔を見ながら、私は爆発しそうな怒りを抑えるのに苦労した。
「この場で即座にリセットして逃げたって構わないぜ? そしたら直ぐに剣がリポップするだろうし。どっちでも同じことだからな」
私はその言葉に心の中で舌打ちした。ザッパードの言うとおり、この場でリセットしたら私たちは即座にベースに転送される。しかしこの手に握るターコイズブルーは私の手を離れて再び女神像に戻るだろう。こうしたクエストドロップの武器は直ぐに装備して戦う事も可能だが、ベースに持ち帰りセーブして初めて装備者に所有権が発生する。今現時点では私の装備であっても所有権は仮固定されたままだ。つまり私には諦めるか戦うかの2つしか選択肢は残されていない。
「この人数相手にやるってんならそれでも構わないけどよ。結果は変わらないんだし、俺だったら痛い思いして抵抗するのはゴメンだぜ。利口とは思えないだろ?」
ザッパードは勝ち誇った顔でそう言い、今度はシャドウ達にも言葉を掛けた。
「あんたらはどうすんだ? 何度も言うけどコレはギルドの喧嘩じゃ無いぜ? 俺たち天竜猟団の内輪の話さ。この女からどんだけ貰ってるか知らないけど、あんた達は傭兵だし、こんな事に付き合う義理はねえだろ? その剣にはベラボーな高値がついてんだ。なんなら契約分をこっちで払ってやっても良いぜ」
そんなザッパードの言葉にシャドウはふっと笑った。
「ふむ、しかしよく集めたもんだ。流石にこの人数はビックリだが、あんたの今の話は悪くない条件だな……」
「――――っ!!」
私はそのシャドウの言葉に目の前が真っ暗になった。そしてシャドウの横顔を見た。シャドウはいつもと同じ顔してうっすら笑っていた。
信じてた…… いや、信じかけていた……っ!
私の後ろに居たゼロシキとスプライトも絶句したままシャドウを見つめていた。
確かにシャドウは傭兵だ。彼を味方にするにはそれ相応の報酬が必要だ。仕事を依頼され、その難易度に応じた対価を要求する。
『――――そうする事によって、そういったしがらみを絶って自分に折り合いを付けている。だからそこには完全な利害関係以外介在しない』
初めて会ったときに確かに彼はそう言った。傭兵としてその考えは至極まっとうな考え方だと私も思う。
けど…… けどっ!
沢庵でジョッキを2つ持ち上げて笑った顔。
左腕を失ってまで私を助けてくれた後に笑った顔。
仲間を助けるのに理由なんていらないと笑った顔。
脳裏に此処に来るまでに私に見せてくれたシャドウの笑顔が浮かんでは消えていく。そのどれもが、私にもう一度人を信じさせてくれる何かがあった。いや、あると思っていた。私はシャドウの事が……!
そしてそうやって消えていった笑顔の向こうから、走り去って行くナオトの背中が浮かんできた。
結局私は、ただの懲りない女だったんだ……
「ま、そんじゃそういうことで……」
天竜猟団のフロント、私と同じ片手剣士のブレイカーが私の前までやってきてスッと手を出した。
「さあミゥ、それをよこせよ」
その声を聞いたとき、じわっと目頭が熱くなった。
悔しい。
苦労してゲットしたアイテムを諦めなければならないのが悔しいんじゃ無かった。いや、確かにそれも悔しいのだけれど、それ以上に心を許しかけていたシャドウに裏切られたのが悔しくて、悲しかった。
私は手にしたターコイズブルーを鞘に仕舞い、ゆっくりとした動作でブレイカーに差し出した。
此処で暴れて、敵わないまでもこの悔しさをたたきつけられれば良いかもしれないが、私にはそれは無理な相談だった。確かに悔しいし天竜猟団の連中が憎らしいけど、こんな時でさえ私の手足は震えている。どんなに怒っても心の奥底では男が怖くてたまらない自分がいるから……
差し出したターコイズブルーをブレイカーが掴んだ。その時、隣に居たシャドウがポツリと呟いた。
「本当に…… それで良いのか、ミゥ?」
「えっ?」
私はシャドウを見た。涙に滲んだ視界の向こうにシャドウが居た。シャドウは私の瞳をじっと見つめたまま続けた。
「男に負けない様に強くなりたいって…… 初めて会ったときにあんたは俺にそう言った。あれはマジじゃ無かったのか?」
いつになく真剣なシャドウだった。そんなシャドウを見ていると、不思議と勇気が湧いてくる様な気がした。
「私は…… 強くなりたい。強くなりたいよ、シャドウ」
「なら、ミゥの思った通りにやってみな。人は変われる。それが人の可能性ってやつなんだとさ。これも例の親友の受け売りだけどな」
シャドウはそう言って恥ずかしそうに苦笑した。
「は? あんた、何言ってんの? つーか離せよミゥ!」
ブレイカーはそう言ってターコイズブルーをグイっと引くが、私は負けじと引き返した。
「傭兵は金と信義を天秤に掛ける。だがな、傭兵は一度引受けた仕事を途中で放り出したりしないんだ。雇い主が諦めない限り、俺達は戦える」
「シャドウ……」
なおも剣を引っ張るブレイカーを無視して、私はそう呟いた。
「それにさっき言ったろ? 俺は仲間を裏切らないってさ。大丈夫だミゥ、俺たちがついてる。滅多に無いけど、経験値以外で着いてくる傭兵は強いぜぇ?」
すると後ろのゼロシキが「そうそう!」と声を上げた。
「それに影兄ぃが超久しぶりにマジになってるッス。怖いもん無しッスよ」
「そうですね、安綱を握ったシャドウは片腕でもハンデにならないですからね〜」
とスプライトも嬉しそうに言った。ゼロシキやスプライトがそう言う根拠が何なのか私には全くわからないけれど、この2人の言葉もまた、私の背中を優しく押してくれた。
「ミゥ、過去を引きずるのも自分なら、それを克服するのも自分にしか出来ない。後はミゥ次第だ」
きっとさっきシャドウは私を試したんだ。だからあんな態度をしてみせたんだ。私の中にある忌まわしい記憶と恐怖に対峙させるために……
相手は30人以上。こんな全滅必死な状況の中で、それでも私のためにそこまでしてくれるシャドウ達の気持ちに、私は胸がいっぱいになってまた涙が出た。でもその涙はさっきの涙とは違い、嬉しくて、とても心地よい涙だった。
「ありがとう、シャドウ。私やってみるよ」
たとえここでデッドして、ターコイズブルーが手に入らなくても構わない。私はもう過去の記憶に怯えたりなどしない。前に進む事ができる。この全てが虚像の仮初めの世界で、私は本物の勇気を教えてもらったから……
だから今は、それを教えてくれたシャドウの期待を裏切りたくないっ!
「あ、あんたら頭おかしいのか? こっちは30人以上いるんだぞ? 中にはレベル29の上位魔導士まで出派って来てるんだ。勝てる訳ねぇのにやろうって言うのかよ!?」
私はターコイズブルーを握りながらそう言うブレイカーをキッと睨んで掴んでいた鞘からターコイズブルーを抜き、そのまま体を回転させてブレイカーのわき腹を斬りつけた。
「うおぉっ!?」
ブレイカーは仰け反って私の剣を避けようとしたせいで手応えが浅かったが、ターコイズブルーはブレイカーの装備していた鎧を抵抗も無く引き裂いた。私はその斬れ味に驚いた。
な、なんて斬れ味……っ!
するとそれに反応してザッパードの左右にいた斧使いと、盾持ち片手剣士の2人が「やろうっ!」と吐き捨てる様に言って突っ込んできた。
しかしその瞬間、隣のシャドウが黒い風の様に動いてその2人の前に出ると腰の太刀を抜き放つ。それと同時に2人の絶叫が響きわたった。
美しい石が敷き詰められた床を染める真っ赤な血溜まりの上に、バラバラと落ちる2人の装備と両腕。蹲る両腕の持ち主達の前で、シャドウはその手に持つ刀身まで真っ黒な太刀を慣れた動作で左右に振ったあと、ゆっくりと刃を肩に背負った。
漆黒の出立で不敵に笑う黒衣の剣士。そしてその手に握る漆黒の太刀……
私の持つターコイズブルーも美しい剣だが、その黒い太刀はまるで光さえ吸い込まれそうな怪しい美しさを放っていた。
「スプライトっ!」
シャドウの声にスプライトが「はいはい」と答えつつ呪文を口ずさむと、私達の身体を一瞬光が包み込む。プロテクションの魔法だ。
するとザッパード達はザワっとして後方に控えていた数人が動いた。
「ゼロシキっ!」
シャドウの声に間髪いれずに今度はゼロシキが「わかってるッスよ!」と答え、それと同時にドン、ドドンっ!とザッパード達の後方で爆発が起こり、数人が呻いて蹲った。
「手品師達っ! 妙な動きすっと、頭撃ち抜くッスよ!」
銃口から薄い煙を立ち上らせた撃滅砲を構えながら、ゼロシキはザッパード達にそう啖呵を切った。
するとシャドウは肩に担いだ太刀をゆっくりと下げてザッパード達を見据えた。
「あんた、ザッパードとか言ったっけ? 良いね、悪者ぶりがキャラ立ってるよ。RPGの本質、役を演じきるってのは大事なことさ。気に入ったよ」
「あんた、何言って……」
ザッパードはシャドウの言葉にそう答えるが、シャドウは構わず続ける。
「大根役者の三文芝居じゃ興醒めだけど、あんたのはなかなか良かった。だから当然覚悟もあるんだろ? やられる悪役ってケースもさ」
シャドウはそこでクスっと笑った。
「さっきから人数がどうの、大ギルドがどうのと言ってるけど、そんなの関係ないんだ。いくらワイコミチームが多くなったところでこの世界の本質は変わらない。破壊と殺戮、狩るものと狩られるもの。恐怖を克服した勇者だけが、この世界に祝福される。恐怖を恐れて群れて雑多な日々をここで過ごすのも俺は否定しないけど、そんな連中が熱い奴に水を掛けるってんなら話は別だ。落とし前は付けさせてもらう」
話の途中から、シャドウの雰囲気が変わったのに気付いて私は身震いした。姿形は変わらない。ただ静かに、そして確実にまとった何かが変質していく……
「恐怖を恐れて逃げた連中が何人集まったって怖くない。教えてやるよ、負け犬は叩くのが此処の流儀だ」
シャドウはそう言ってぶんっと太刀を振るい足元で蹲る2人の首をはねた。
飛び散る鮮血と弾けるポリゴンの雨の中で、黒い剣士はその太刀を静かに回し、その瞳に目の前に並ぶプレイヤー達を写して仄かに口をゆがませた。
何だろう、その時私はシャドウが少し…… 怖かった。