マーカスメモリーズ ターコイズブルー14
一通り装備を点検して、私達は陽炎宮に入った。私はてっきり内部は迷宮の様になっているのかと思っていたが、内部は全体が大きな一つの部屋で、中央を行った突き当たりに等身大の女神像が鎮座していた。
周囲の壁は高い天井に伸びており、その壁には精巧な彫刻が施されていた。そしてその壁が支える頭上の天井には、これまた美しい絵が描かれていた。
「悪魔を退けた女神の伝説を彫刻と天井の絵で表しているのか。それにしてもこれはまた……」
シャドウはそう言って言葉を失いつつ天井を見上げた。私もそんなシャドウにつられる様に天井の絵を見上げ言葉を失っていた。
悪魔を退かしたとされる女神が蒼天の空を翔ぶ姿が描かれており、凛とした表情までも生き生きと再現されていて、今にも動き出しそうな迫力がある。この絵を見るためだけにここにアクセスしても構わないと思わせるほど、その絵は素晴らしい物だったからだ。
「なんか…… セラフィンゲインって、無駄に凄えッスよね……」
ゼロシキも同じ様に天井の絵を眺めながらポツリと呟いた。
確かに…… こんな誰もこない様な場所にこれだけ精巧で優美なオブジェクトを設置する製作者の意図がサッパリわからないが、でもそこはつっこんじゃダメな気がするんだけど……
「ま、でも私はこういう演出は好きだね。この世界でしか見る事の出来ない景色やオブジェクトなのだから。それはプレイヤーでなければ得る事のできない物だし」
スプライトもそう言って壮大な天井の絵を見上げていた。
「確かにな。リアルじゃ盲目でも、ここじゃこういった素晴らしい物を見る事ができる。この世界だからこそ出来る、得られる感動ってのもあるんだって…… コレをここに設置したヤツはそう言いたいのかもしれん……」
そう言うシャドウの言葉に私は妙に納得してしまった。ここは脳内に投影された仮想世界だ。現実には目が見えなくとも、この世界では物を見る事が可能なのだ。そういった人にとっては、たとえ仮想世界の虚像であっても芸術に触れる貴重な体験に違いない。
シャドウの言う通り、こんな誰もこない様な場所に設置された名画はそんな製作者達のメッセージなのかもしれない。
「さ、ミゥ、ターコイズブルーを取ってこようぜ」
シャドウはそう言って正面の女神像に顎で合図した。私は「うん」と頷いて女神像に歩み寄った。
「これが、ターコイズブルー……」
私は思わずそう呟き女神像が握る青い剣を手に取ってみた。するとその剣は何の抵抗も感じず、私の手に収まった
か、軽い……っ!?
サイズは今腰に下げている片手剣ブリンガーと差は無いが、その重量はブリンガーの半分にも満たないだろう。私は携帯を取り出しブリンガーをキャリアに収納した後、改めて2、3度ターコイズブルーを振り、剣全体を見回してみた。
形や大きさは一般的な片手用直剣だけど、作りは全くの別物だ。薔薇の形をあしらった柄の細工は花弁一枚一枚が極めて精巧に彫られており、スラリと伸びる刀身は通常の片手直剣に比べて若干細身なものの、どの様な金属なのか全体的にボンヤリと青緑の光を放っている。
それはまさしく私が伝え聞いたターコイズブルーの外観そのものだった。
「ほぉぉ…… こいつはまた綺麗な剣だな。装備条件云々抜きにして欲しがるヤツも多いだろう」
私の隣に来たシャドウが渡私の手もとのターコイズブルーを見てそう言った。その瞬間、私の頭上に『Qwest completion』の文字が浮かび上がる。これでこのターコイズブルー探索クエストのコンプ認証が私達のデータに付加された。ベースに帰還すればクエストボーナス経験値が入るはずだ。
「よっしゃ、これでクエスト終了ッスね。因みにコンプアベレージはと…… おお、A+だ!!」
シャドウの隣で携帯を開いていたゼロシキが驚いて声を上げた。その言葉にスプライトが「ヒュ〜」と唇を鳴らした。
「こりゃあ経験値期待できるね。しかもサーバに1本きりってことは、秋葉端末じゃ俺達フラグネーム取れるじゃん!」
スプライトは少し興奮ぎみにそう言って、ゼロシキと2人で「スゲー!」と声を揃えて肩を叩き合っていた。この2人、仲がいいのか悪いのかよく分からないな。
しかし2人が興奮するのも無理は無いと思う。私だって内心ワクワクしていた。
こういった本来のナンバークエストから分岐派生するチェーンは報酬判定が複雑で、そこに至るまでの分岐回数、順序、戦闘、タイムなど、複数の要因を複合的に数値化して最終評価となる。ただ今回の様に未だ誰もクリアしていない未踏破のクエの場合は全てを手探りで進んで行くため判定値の予想がつきにくく、また総じて判定が低くなるのが常だった。
しかし今回私達の出したA+という判定結果は上から2番目という高判定だった。しかもこのターコイズブルーがサーバに1本しか無いというレア度なので、私達のアクセスしている秋葉原の端末では、これ以降クリアネームを更新される事がなく、秋葉原の端末が無くならない限り私達4人の名前が残り続けるのである。これがスプライトの言う『フラグネーム』と言う意味だ。
ゲームが存在する限りの『データの永遠』……
この世界を知らない人にとってはただの記録データでしか無い。経験値のようにリアルの現金に換金できる訳でも無い。しかしそれは私たちプレイヤーにとって経験値獲得と同じ、いやそれ以上に価値のある事だった。その気持ちはシャドウ達傭兵であっても変わらないのだろう。
「後は無事帰還するだけだけど…… さて、荒野からどうやって抜けるかが問題だな」
不意にシャドウがぽつりとそう呟いた。
「え? シャドウはセーブポイント知ってるんじゃ無いの?」
私は驚いて思わずそう聞いたが、シャドウは首を振った。
「いや、知らない。つーかそもそも荒野にセーブポイントなんてあるのかな?」
そんな冷静に! 他人事みたくーっ!
「ってことは、今来た道を帰るって……」
「まあ、そう…… なる…… な」
私はその場にへたり込みそうになった。またあの道を30分近くかけて帰らなければならないなんて思わなかった。しかもくる時は運良く? ボスセラフとのエンカウントは無かったけど、帰りに会わない保証は無いどころか、確実に「こんにちは」する確率の方が高い。マジかー
「ま、何とかなるッスよ。影兄ぃも久々にマジガンバしてるんスから」
そう言ってゼロシキは「なはははっ」と笑った。なんともノーテンキな笑いだ。
「何よそのマジガンバって……」
私がそう呆れた様に呟くとスプライトも「デスね」と自信ありげに頷いた。
こんなにダメージ食らってるのにその自信はどこからくるわけ?
「安綱ですか…… いつ以来ですかね、シャドウ?」
スプライトがシャドウにそう聞くが、シャドウは答えなかった。そんなシャドウにスプライトはヤレヤレと言った様子で肩を竦めながら苦笑した。
ヤスツナ……? なんのこと?
私が首を傾げるとシャドウは「さあ、サッサと帰ろうぜ」とクルリと背を向けて歩き出した。
「あ、ちょっとシャドウ、待ってよ!」
私はそう言って慌ててシャドウの後を追った。他の2人もいそいそとついて来た。
「ねえ、ヤスツナって何のこと?」
私はシャドウの隣に並んでそう聞いた。しかしシャドウは私のその問に答える代わりにグッと私の肩を掴んで立ち止まった。
ん……? なんだ?
「ど、どうしたの?」
そい聞いたがシャドウは黙って入口を見つめ、やがて口を開いた。
「そこにいる奴、出て来いよ?」
シャドウはそう言ったが、私はシャドウの見つめる先には何も変わったところは見出せ無かった。
「ーーーー出て来ないなら、問答無用でフレイストームあたり行っとくか?」
シャドウがそう言って右手を前にかざして魔法を放つ仕草をすると、入口の直ぐ横にある大きな柱の影から、スッと人影が飛び出した。
「ちょ、まっ、待てって。それギャグになってないだろマジで?」
そいつは慌てた様子で両手を上げた。私はその男の顔を見て思わず「あ、あなたっ!?」と声を上げた。
「あんた、いつから気付いてた?」
その男、天空猟団のシーフ『ロキオ』は上げた手をゆっくり下ろしてシャドウにそう聞いた。
「何となく気付いたのは、外であの亀と戦う前あたりかな。んで確信が持てたのはこの陽炎宮に入ってからさ。ちょっかい出してくる気配が無かったから放っておいた。ま、あの亀でそれどころじゃ無かったしな」
シャドウがそう答えるとロキオは肩を竦めた。
「ショックだぜまったく…… 俺はパラ振りで隠密行動スキルは上級者並に上げてるんだけどな…… あんた、索敵スキルいくつだよマジで?」
ロキオは呆れたようにそう言った。私も同じチームに居たからよく知っている。確かにロキオはパラメーターの振り分けで隠密行動に特化したキャラで、そのスキルだけなら上級者に匹敵する。現に私も彼よりレベルは上のはずだが、今まで追跡に気が付かなかった。
「でも影兄ぃ、此処ってミゥ姉さんが同じチームに居たから入れたんスよね? 何であいつは入れるんスか?」
「恐らくこの陽炎宮に入る直前に、最後尾にいたやつ…… ゼロシキかスプライトに触れるか、追跡糸でも結んでいたんだろう。システムの識別判定を交わすには良い手だが……」
シャドウはそこで言葉を切り、ククッと苦笑した。
「隠密スキルが高いのは確かみたいだな。この二人に気付かれずにそんな真似が出来るんだからさ。それに度胸もある。大したモンだよマジで。もっともその接近で俺も確証が持てたんだけどな」
そんなシャドウの言葉にゼロシキとスプライトがお互い顔を見合わせて「お前だろ?」「いやお前だって!?」みたいな事を言い合っている。
確かにシャドウの言う通りロキオのスキルと度胸は大したものだと思う。百戦錬磨の傭兵に気付かれずに、触れるまで接近できるのだから。でも、そんなロキオを見破るシャドウっていったい……
「いやいやあんたには恐れ入ったよ。全部お見通しだったって訳だ。まあもっとも、もう隠れてる必要も無いんだけどな」
ロキオはそう言って脇に避けた。すると入り口からぞろぞろと数人のプレイヤーが入ってきた。
「な、何よちょ……っ!?」
私は思わず叫ぼうとしてそのまま言葉を飲み込んだ。入ってきたプレイヤーの人数にちょっと驚いたからだ。その数およそ30人、中規模ギルドぐらいの人数だ。そして私はそのキャラの中央を割って入ってきた人物を睨んだ。ロキオを見た時に予想はしていたけど、でもこの人数……!
「ようミゥ、また会ったな!」
そう言って天空猟団のリーダー、大剣使いのザッパードは嫌な笑みを浮かべていた。