マーカスメモリーズ ターコイズブルー10
さらにしばらく歩いていると、不意に前方の景色がゆらりとブレたように見えた。私は初め、錯覚かと思い、何度か目をこすり目を凝らした。
「どうした、ミゥ?」
そんな私を妙に思ったのか、隣を歩くシャドウがそう聞いてきた。
「えっ? ああ…… なんかね? いまちょっと目の前の景色が歪んだように見えて……」
するとシャドウは真剣な顔で前方を睨むように目を細めた。私はそんなシャドウに慌てて声を掛けた。
「いや、でも錯覚かもしれないから……」
しかしシャドウは立ち止まり、更に正面に目を凝らした。シャドウの瞳が仄かに蛍光グリーンのような淡い光を放つ。感覚スキルの一つである『狩人の瞳』を発動しているエフェクトだ。それも蛍光グリーンは最高レベルである事を意味する。
「セラフィンゲインに『目の錯覚』なんてものはない。俺たちは今、視覚を使っているわけじゃ無いからな。『何か見えた気がする』のなら、脳に与えられている情報が上書きされた可能性が高い…… ゼロシキ、スプライト、何か見えるか?」
すると後ろにいた2人もシャドウと同じ様に狩人の瞳を発動させて周囲を見回した。
「特に…… これといって変わった物は見えませんね」
スプライトの言葉にゼロシキも「俺も変わったモンは見えねぇッス」続く。
「単なるラグりかも知れないッスよ?」
そんなゼロシキの言葉をシャドウはすぐに否定した。
「精緻なオブジェクトや大型セラフが出現しているならともかく、こんな何も無いフィールドでシステムにどんな負荷が掛かるって言うんだ?」
「まあ、それもそうッスね……」
ゼロシキもすぐに納得してそう呟いた。シャドウは立ち止まったまま腕を組み考え込んでいた。
「まさか……」
不意シャドウはそう呟き私の目を見つめた。
「ミゥ、歪んだように見えたのはどの辺りだ?」
私はその言葉に右手の人差し指を正面にさして「あの辺りだけど……」とシャドウに言った。
「もう一度よく見てくれ。今度はスキルを発動させて」
私はシャドウのその指示に従い、今度は『狩人の瞳』を発動させて再び正面をにらんだ。じっと目を凝らすと、一瞬視界がぐにゃりと歪んだ。私は「あっ!」と短く叫んだ。
まるで液晶モニターの映像にノイズが入ったように視界が揺れ、次の瞬間正面に大きな建物が出現した。
「おお……っ!」
他の3人の口からもそんな驚きが漏れた。
「あれが、陽炎宮か」
そんなシャドウの呟きを聞きながら、私は目の前に出現した白亜の宮殿を見上げていた。
形はどことなくインドにあるタージマハルに似ている。宮殿と言うより霊廟のような雰囲気だ。もしかしたらその悪魔を退けたという女神を祀っているという設定なのかもしれない。
「しかしいきなり現れるとかって、どういう設定なんスカね? 意味わかんねーッス」
とゼロシキは首を捻る。確かにゼロシキの疑問はもっともだ。たが、シャドウは何か分かったように「なるほど……」とつぶやいていた。
「恐らく主人公キャラにしか見えず、そのキャラが認識する事で初めて姿を表すつー設定なんだろう。この場合、主人公に既定されているのはミゥなんだ。そこにあるのにミゥが認識しない限り辿り着けない…… 陽炎宮とは良く言ったもんだぜ」
シャドウはそう言ってため息をついた。
本当にシャドウの洞察力には驚かされる。これまでの経験から洞察して答えを導き出しているのだろうけど、その想像力は非凡なものがある。
いや、まるでこの世界の意思を読んでいるかのような……
「にしても妙だな……」
私がそんなことを考えていると、不意にシャドウはそう呟いた。私は「何が?」と聞きながらシャドウの横顔を覗き込んだ。シャドウは私に振り向き、私を見ながら立ち止まった。
「どうしたんスカ?」
今度は後ろを歩いていたゼロシキがシャドウにそう聞いた。しかしシャドウはその質問に答えず考え込んでいた。
「やっぱ変だ。わからないか?」
シャドウはそう聞きながら周囲を見回した。他の2人はどうか知らないが、私はちっともわからない。何が変なの?
「ここまで来るのに30分以上歩いている。なのに一度もセラフとエンカウントが無い。これってどう考えても変だろ?」
シャドウの言葉に一同お互いを見た。確かにここに転送されてから、ここまで一度もセラフと出くわさない。
「知っての通り、ここはレベル6のボスセラフも徘徊する極め付けの危険地帯だ。チェーン途中に運悪くマンティギアレスやバルンガモーフに出くわして全滅したチームも少なく無い。仮に運良くボスに出くわさなかったとしても、中ボスやノーマル、加えて雑魚にすら出くわさないなんてあり得ない」
「つまりそれって……?」
私がそんな疑問を呟くと、スプライトが答えた。
「こと、今回に限っては通常のバイパスフィールドじゃ無い…… ってことですかね」
「ああ、多分な。だが、クエストフィールドとしても此処までセラフの妨害が無いのは変だ」
するとゼロシキが口をはさんだ。
「条件が複雑だからじゃないんスかね? セラフの出現率で難易度のバランスを取ってるとか。実際これでセラフがバンスカ出てたら、俺ら絶対気がつかなかったッスもん」
するとシャドウは肩を竦ませて薄く笑った。
「難易度のバランスねえ…… フン、あいつがそんなに甘い訳が無いさ」
そんな小さな呟きが私の鼓膜を震わせた。
あいつ……? あいつって誰?
とその時、足元の地面が軽く揺れたような気がした。私はあれ? と思い足元に目を落とし、続いてシャドウを見た。するとシャドウも私を見た。
――――っ!!
「さがれぇっ!!」
シャドウの叫びと同時に全員その場から飛び退いた。その瞬間、足元の地面が跳ねた。そして数秒前に私達がいた地面から何か大きな物が、まるで火山の噴火のような音をたてて飛び出してきた。私は揺れる地面に着地したがバランスを崩して地面に転がった。
「なん…… なのよ、もう……っ!?」
口の中にザリッとした嫌な感触を感じながら、私はそう悪態をつきつつ正面を睨んだ。すると辛うじて、砂埃の向こうに赤く光る2つの光点が見えた。
薄っすらと砂埃に煙る視界の向こうに、その赤い光点の主が巨体を震わせた。
姿を形は亀によく似ているが、足が左右に3本つづ、計6本あり、ちょっとした岩山のような背中の甲羅を支えている。
その足には奇妙な曲がり方をして伸びた凶悪そうな爪があり、恐らくあれが硬い地面を掘り地中を移動するのだろう。
そして大蛇のような太く長い尾が私達を威嚇するように地面を叩き、その先端には水晶のような輝きを放つ鋭利な突起が付いていた。
それは私は初めて見るセラフだった。
「なんだよ、アレ……!?」
隣でそのセラフを見上げながらスプライトがそうつぶやいて息を呑んだ。
「か、影兄ぃ、なんスカあれっ!?」
ゼロシキのその声に私とスプライトもシャドウを見た。長いこと傭兵をやってるシャドウなら知っているだろうと思ったからだ。しかしシャドウは首を振った。
「わからない。見たこともないセラフだ。何かの亜種って訳でもなさそうだ。こんなの初めて見る……」
シャドウそう言いながら腰の太刀に手を掛けた。そして一瞬ブルっと身を震わせた。
「パイルドゥン…… 聞いたことの無い名前だ。やっぱここはスゲーや。まだまだ知らない事が沢山ある……」
狩人の瞳でセラフの名前を確認したシャドウがそう言って腰の太刀を抜刀した。その口許は微かに笑っているように見えた。
初めてのクエストで初めて見るセラフ。そんな不利な状況でさえ、この人はそんな顔をする。
この人はたぶん、セラフィンゲインを単なるゲームとして捉えてはいないんだ。彼こそ、本物のロールプレイヤーであり、アドベンチャラー『冒険者』なんだ……
そんな事を考えながら、私も腰の剣を引き抜いた。
「まず初めに俺が仕掛けるからゼロシキは援護射撃を。ミゥは向かって右からクロスシールドを展開して接近、攻撃してくれ。スプライト、プロテクションを頼む」
シャドウがそう指示を飛ばしたところでパイルドゥンが私たちを威嚇するように咆吼を放った。幸い『竦み』効果の付加されたセラフの特殊能力『ハウリング』では無いが、その声はフィールド全体に響き渡るかのような大きな声だった。
「いいか、あれは俺も見たこと無い未知のセラフだ。どんな攻撃を仕掛けてくるか、どんな特殊能力を持っているのかさっぱりわからん。だから絶対に深追いするなよ」
私はシャドウの言葉に無言で頷いた。
「よ~し……」
そしてシャドウは太刀を握りしめるとパイルドゥンをにらみ返す。
「各自散開、攻撃開始だっ!!」
そのシャドウのかけ声と共に私達4人は瞬時に散開した。
まずシャドウが飛び出し、左側から接敵する。ゼロシキは後方に後退して撃滅砲構え、同じく後方に下がったスプライトはすぐさま呪文の詠唱に移った。
私は右前方から接近するべく疾走するが、走りながら左腕に固定されていた盾、『クロスシールド』を展開した。このクロスシールドは移動などの通常時はスモールシールドのような小さい盾なのだが、戦闘時には装着者の意思に応じてシールドが上下左右に展開し大きな盾になる優れものだ。その防御力も上位装備にランクインされており、私のような盾持ち片手剣士には喉手もののアイテムだった。
疾走中に体を緑色の光が包み込んだ。スプライトの防御魔法『プロテクション』が発動したのだ。この魔法は体の周囲に不可視のフィールドを形成し防御力を一時的に引き上げる魔法で、しかも攻撃魔法の効果も50%カットしてくれるお得な魔法だ。ボス戦では大抵どのチームも戦闘開始と同時に掛けるのが今やセオリーとなっている。
私は先行するシャドウに視線を走らせ目を丸くした。シャドウの疾走スピードが尋常じゃなかったからだ。早くもパイルドゥンに肉薄してた。
一方パイルドゥンはその長い尾で接近してくるシャドウを迎撃するが、シャドウのスピードを捕らえることが出来ず、ことごとく空を切っていた。シャドウは頭上から絶え間なく襲ってくる尾っぽをするすると交わし懐に入ると、パイルドゥンは今度は前足を振り上げてシャドウを迎撃した。
シャドウはその前足の攻撃も紙一重で交わすと、手にした太刀を下からすくい上げるようにして斬り上げた。その瞬間、赤い体液がぱっと宙を舞い、けたたましい咆吼が辺りに響き渡った。シャドウの太刀は見事前足1本を斬り落としていた。
凄い! あの太くて固そうな足を一撃で斬り落とすなんて……っ!!
シャドウは尚も太刀を振るおうと試みるが、真ん中の足の攻撃に加え、後方からも尾っぽの攻撃もあり、体を回転させながら後退した。
パイルドゥンは後退するシャドウを体の向きを変えて追撃するが、突然その顔に爆発が起こった。ゼロシキの魔法弾による狙撃だ。後退するシャドウを援護するための予測射撃だが、そのタイミングは賞賛に値する。シャドウの言うとおり確かに良い腕だ。
私はパイルドゥンが体の向きを変えたので、ちょうど真後ろから接近する形になった。私はこれは好気とばかりに飛び込み、片手剣技『ソニックブースト』を放った。私の刃は右後足にヒットし、先ほどと同じように赤い体液が舞うが、流石にシャドウのように『斬り落とす』とまでにはいかなかった。というか、手応えから判断して結構固い。これを初撃で斬り落とすシャドウの技量と斬れ味に驚愕する思いだった。
するとパイルドゥンは傷ついた足を胴体の中に引っ込め、ぐるんと体を回転させた。私はソニックブーストのモーションエンドから急制動を掛け、そのまま横へ飛び退いた。するとそこへシャドウの声が飛んできた。
「ミゥ、左っ!!」
わかってるっ!
私は心の中でそう答え、すぐに盾を構えて備える。横に飛んだとき尾っぽが視界の隅を横切った。私はその尾を盾で受けてから追撃するつもりだった。
しかし、尾の攻撃を盾で受けた瞬間、その衝撃で私の体は宙を舞った。
「――――えっ!?」
世界が回転する視界の中で、何かがキラキラと舞っているのが見えた。何が起きたのか良く理解できないまま、私は地面にたたきつけられた。幸い受け身はとれたものの、さっきの衝撃で頭がくらくらする。
「いったたた……」
私はすぐさま立ち上がり、それからじんじんとしびれる左腕に視線を移して絶句した。左腕に装備されていたクロスシールドが粉々になっていたからだ。
「そんな…… まさか一撃でクロスシールドが破壊されるなんてっ!?」
そんな事聞いたことが無い。使い始めてまだ1月も経ってない。装備のメンテナンスにはそれなりに気を使っていたつもりだし、命数にも充分余裕があったはずだ。それにクロスシールドは上級者も愛用している人が多いほど耐久性も高く、レベル6のバルンガモーフでさえ、流石に一撃で破壊する事は不可能のはずだ。それが一撃で木っ端微塵にされるなんて、あまりに桁外れな威力だ。
パイルドゥンは尚も私に追撃を掛けようとするが、そこにゼロシキの魔法弾が着弾。更にはシャドウが飛び込んで来て直上から剣技を叩き込む。
「フレイアソードっ!!」
魔法と剣技の両方に精通した魔法剣士だけの特権技。その刃に魔法の効果を付加させた魔法剣だ。掛けられた魔法の属性と斬撃の物理属性という2つの属性を併せ持つ攻撃方法で、相手の弱点になる魔法属性ならその威力は通常攻撃の十数倍になるという。
しかし紅蓮の炎を纏ったシャドウの太刀がパイルドゥンの甲羅に当たった瞬間、甲高い音と共にシャドウの体が吹っ飛ばされた。
「マジかよっ!?」
シャドウはそう吐き捨てる様に言い、空中で体を捻って着地した。
「大丈夫か、ミゥっ!?」
シャドウのその問いに私は「なんとかね」と応じた。
「でも盾が吹き飛んだ。てか、たった一撃でクロスシールドが破壊されるなんてどうかしてるよ。意味わかんないしっ!」
するとシャドウも頷いた。とそこに今度はパイルドゥンの足が襲い掛かり、シャドウはそれを太刀で受けた。
「うぐ……っ!?」
攻撃を受け止めたシャドウの口からぐもった呻きが漏れ、ブーツが足元の地面にめり込んだ。それを見た私はシャドウが受け止めた足を横合いから薙いだ。
足を切りつけられたパイルドゥンはたまらず足を引っ込めた。するとまたパイルドゥンの眼前に爆発が起った。だが今度の爆発は閃光を伴ったものだった。その閃光にパイルドゥンは目が眩んだ様で、咆哮を上げながらのけぞっていた。
もちろんゼロシキの魔法弾だか、今度は目くらましの魔法『メガクライーマ』を封入したものだろう。その証拠に弾けた閃光をまともに見た私だったが、私の視力は奪われてはいない。私とシャドウはその隙に離脱をはかった。
「あの図体なのに動きも遅くないし攻撃も重い。それにあの背中の甲羅は物理攻撃と魔法攻撃の両方に耐性があるな。俺の魔法剣のダメージが通らなかった」
シャドウはそう言って太刀を握る右手の手首を摩った。先ほど弾かれた魔法剣のダメージだろう。
「それと一番やっかいなのはあの尻尾だな」
シャドウはそう言って眉を寄せながら、もがくパイルドゥンの尾を睨んだ。
「確かに、あの攻撃力は凄いわ。クロスシールドが役に立たなかったもの……」
そう言って私は砕け散った左腕のクロスシールドを見た。腕の装着具とその周りに辛うじて砕け残った破片が付いてるだけの無惨な姿だった。たぶん修復不能だろう。
「いや、単純な攻撃力の話じゃない。たぶんあの尻尾の先に付いてる突起が、何か装備を破壊する属性を不可されてるんだろう。プロテクションの効果が持続している状態で、クロスシールドを一撃破壊するなんて攻撃力にしてはミゥのダメージが軽すぎる」
確かに……
クロスシールドがこんなになっているのに、私自体は腕が痺れているぐらいだ。
「だが、剣で受けても装備破壊が有効なら相当ヤバイ。あの変幻自在な尻尾の攻撃を全て交わすのは至難の技だ。俺も全てを交わせる自信は無い」
しかしあのシャドウのスピードを持ってしても、全てを交わせないとなると私じゃ到底無理な話だけど、剣で弾いてもその剣が破壊されるのなら意味が無い。
「とんでもないセラフだ。間違いなくレベル6のボスクラスだな」
そんなシャドウの言葉に私は息を飲む。私はレベル6のボスは見たことが無いけど、魔法と物理攻撃に耐性がある甲羅に守れていて、しかも装備破壊属性のオプション付き攻撃……?
何よそれ、打つ手無しじゃん!?
そんな事を考えていたら、ようやく目くらましの効果から回復したパイルドゥンの体が震えだした。そしてそのうちに地鳴りのような音が辺りに響いてくる。
「『メガンシェイク』!? あいつ魔法まで使えるのかよっ!?」
とシャドウが驚いて声を上げる。そうこうしているウチに、とうとう立っていられなくなり、私たちはしゃがみ込むような格好になって仕舞った。
「みんな、伏せろっ!!」
シャドウの叫びに全員地面に伏せた。次の瞬間、ドンっという音と共に世界が揺れ、私の体は空中に投げ出された。