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セラフィンゲイン  作者: 鋏屋
EP-1.2 ターコイズブルー
44/60

マーカスメモリーズ ターコイズブルー6

 ああ、また……


 声の無い声で、南野優希【ミナミノユウキ】はそう呟き、自分が夢を見ていることを悟った。

 突堤から眺める東京湾の海は、お世辞にも綺麗とは言えないが、沖を航行するタンカーらしき船影が浮かぶ海面は、夕陽を浴びてオレンジ色に輝いていて、その瞬間はテレビで見る海外のビーチに勝るとも劣らない美しさだった。


『ずっと一緒にいような、優希は絶対俺が守るから』


 不意に、突堤のコンクリートブロックに並んで腰掛けていた隣の男がそう言った。優希がその男を見ると、その男は優希に笑いかけた。

 優希は『うん』と肯き、それから自分の頬を静かに男の肩に載せる。すると男は優希の肩を抱き寄せた。

 優希はこのまま時が止まり、2人で永遠にこの場所で海を眺めていたいと、本気でそう思っていた。


 今思えば、この頃が一番幸せだった。2人の想いは永遠に変わらないと、私はそう信じられたのだから……


 ここで目が覚めて欲しいと、優希はいつも思う。そうすれば美しく幸せな気分で目覚めることができるから。

 しかしその願いが叶えられたことはただの一度もない。そして場面は唐突に切り替わった。

 夕陽に照らされた美しい宝石を散りばめたような海は消え失せ、薄暗い視界に数人の男が優希を覗き込んでいた。

 不意にすぐ近くで打撃音が響き、その直後に濁った呻き声が聞こえた。

 見ると先ほど並んで海を眺めていた男が、血に染まった口元を押さえて蹲っている。


『ナオト、ナオトぉっ!?』


 優希は蹲る男の名前を呼び近づこうとすると、肩を掴まれ引き戻された。そうして複数の手が優希の身体に伸びて来た。そのおぞましさに、優希は悲鳴を上げた。


『い、いや、いやぁっ! ナ、ナオト、助けてっ! 助けてよぉ、ナオト!』


 すると蹲っていた背中がヨロヨロと起き上がった。そして口元を血で汚した顔が、優希の方を向いた。

 優希はナオトの怯えた瞳に、自分の顔を見た気がした。そして次の瞬間、直人は立ち上がると優希とその周りを囲む男達に背を向け、一目散に駆けていった。

 ナ、オ、ト……?

 優希は拘束されたまま、遠ざかるナオトの背中をぼんやりと眺めていた。その背中が見えなくなったあと、直ぐに聞き慣れたバイクの排気音が聞こえた。


『あいつ、ビビって女捨てて逃げやがったぜ? マジひでー! わはははっ!』

 

 背中から羽交い締めにして居た大柄な男が耳元で大声で笑う。それにつられて手足を押さえつけていた男達も同じ様に笑った。


『お前、彼氏に捨てられたんだぜ? ひでー彼氏だな、マジで同情するぜ』


 自分達の行為を棚に上げ、男はそう言ったが、その声は優希の耳には入ってこなかった。

 ナオトが、私を、捨てて、逃げ……た?


 嘘だ。


 優希は直ぐに否定する。ナオトが自分を見捨てて、自分だけ逃げるなんてあり得ない。優希の脳裏に、コンクリートブロックに並んですわり海を眺めていたナオトの姿が浮かぶ。


『ずっと一緒にいような、優希は絶対俺が守るから』


 あの海でナオトは私にそう言ってくれた。あのナオトが私を置いて、自分だけ逃げるなんて絶対にない。


嘘だ、嘘だっ!!


 そう心の中で繰り返し、必死に否定する優希の耳元で誰かが囁く。それが背中の男なのか、それとも自分の心の声なのか、今の優希にはわからなかった。


 オ、マ、エ、ハ、ウ、ラ、ギ、ラ、レ、タ、ノ、サ……


 その瞬間、優希の世界は消失した。真っ暗の空間に一人取り残され、視界を埋める虚無の闇を眺めながら、優希は自分の心にヒビが入る音を聞いた。


☆ ☆ ☆ ☆


 ……ゥ姉

 ミゥ……ま、ミゥ姉……


 誰かが自分を呼ぶ声が聞え、優希は微睡みからゆっくりと意識を覚醒させる。

「ミゥ姉様、ミゥ姉様てば」

 名前を呼ばれつつ身体を揺すられながら、優希が上体を起こすと、目の前にはバイト仲間である、モモにゃんこと榛野百恵【はるのももえ】の顔があった。

「ああ、なんだモモっちか……おはよ」

 優希がそう答えると、百恵が目を丸くした。

「おはよーと違いますってミゥ姉様! 具合が悪そうに早目に休憩入って、なかなか戻ってこないから、モモにゃん心配したんですぅ」

 そう心配そうに言う百恵の頭を飾る少々大き目のサテンのカチューシャが揺れるのを見ながら、優希は未だボンヤリする目をこすりつつ答えた。

「ゴメンね、ちょっと寝不足で……」

「具合が悪くなければ良いんですぅ。ミゥ姉様はあまり自分を表に出さないから、モモにゃんは心配してしまうのですよ」

 そう言って百恵はニッコリと笑った。そうした時の百恵は、黒髪ツインテールと濃紺のメイド服が相まってとても愛らしいと優希はいつも思う。しかし萌え数値MAXとも思えるそんな彼女でさえ、指名率が2位と言うからこの店のレベルの高さがどれほどの物か知れてくると言うものだ。

 まあもっとも、この店の人気1位のメイドは、ちょっと突き抜けた美貌の持ち主で、2位である百恵も1位を狙うなどとは全く考えていないのであるが……

「でも今日はララ姉様が居ないから色々と忙しくて……」

「ああ、具合が悪くなければ早くホールにいて欲しいと……つまりそういうことね」

 優希がそう言うと百恵は酷く困った顔をした。優希はそういう百恵の顔も好きだったのでつい意地悪を言ってしまうのだ。

「でも本当に心配しているのですぅ。ただちょっと忙しいので、その……他の子も手が回らなくて困っているので、あの……」

「あはは、ゴメンゴメン。モモっちの困った顔が見たくてつい意地悪な言い方しちゃったよ。オッケー、ララも就活で忙しいみたいだし、私もがんばるかなー」

 優希はそう言って伸びをしつつ立ち上がった。そんな優希を百恵は「もう~ひどいですぅ~」と口をとがらせながら言うが、すぐに笑顔になった。優希はそんな百恵に笑顔を返し、スタッフ用の休憩室をあとにした。

 優希と百恵がホールに出ると、さして広くない店内には数名のメイド達が甲斐甲斐しく動いていた。

 そう、ここは秋葉原でもメイド達の質の高さに定評があるメイド喫茶で、優希と百恵はここでバイトしているメイドだった。

 今日は人気ナンバー1のメイドとナンバー3が不在であったが、それでも客足は多く、この店が秋葉原ではかなり人気がある事がうかがえる。

「ララとトモが居ないけどモモっち目当てのお客が多いんじゃない? 流石はナンバー2だね。このままララを抜いちゃえば?」

「もう、またそんなことを言う…… モモにゃんはララ姉様の足下にも及ばないですぅ」

 百恵はそう言ってまた困った顔をしながら上目遣いで甘えるような仕草をする。その顔がまた萌えると評判なのだが、この子の場合狙ってやっているのでは無く天然だから恐ろしいと優希は息を飲む。

 優希は決してそっち方面の趣味は無いのだが、気を許すと妙な道にはまってしまいそうで怖くなるのだった。

 百恵は優希の二つ年下で、優希と同じ年のララという指名率ナンバー1の娘ララの妹的な立ち位置であり、百恵もまた2人に良くなついていた。休憩やアフターなどは3人で良くつるむのだが、優希の指名率は2人には遠く及ばなかった。

「さ、さてと、私は何処に付けば良いかなー?」

 百恵の妙な色香に一瞬捕まりそうになった優希は慌てて百恵から目を逸らして店内を見回した。店には相変わらずヲタク系の客が多いが、一見秋葉っぽく無い男の客も見受けられ、中にはカップルで来ている客もいた。

「こういう店に彼女連れでくる男ってどうなんだろうね?」

「誰と一緒だろうとご主人様の自由なのでモモにゃんは気になりませんけどぉ? でもちょっと羨ましいですねぇ」

 そんな百恵の答えに優希がぎょっとして聞き返した。

「えっ? デートでメイド喫茶が?」

「違いますよぉ~ 彼氏とラブラブがですよぉ。モモにゃんも恋してみたいなぁ」

「指名率ナンバー2が何言ってんだか…… モモっちがその気になったら男なんか選り取り見取りでしょ?」

「そんな簡単にいかないですよ。それにやっぱりモモにゃんは胸がキュンキュンするような恋がしてみたいのです。どんなときにもモモにゃんを1番に思ってくれて、守ってくれるような人がいいです」

 そんな百恵の言葉に優希はため息をつき「恋に恋するお年頃ってヤツね…… モモっちらしいけど」と呟いた。

 守ってくれる人、か……

 優希の脳裏に、先ほど夢に見たナオトの背中がよみがえる。すると心がちくりと痛んだ。


『優希は絶対俺が守るから』


 そう言った彼は、私を置き去りにして逃げていった。あれ以来ナオトとは会っていない。携帯も繋がらないし、住んでいたアパートも訪ねたが、いつも留守でそのうち行かなくなった。

 どれだけ想い合っていても所詮そんなものだ。痛みや恐怖、単純な打算で人は簡単に人を裏切る。

 別に……

 別に助けられなくても良かった。相手は沢山いたし多勢に無勢だったのだから。

 それに確かにあのとき抵抗して、ナオトが酷く打ちのめされるところなど見たくはなかった。

 でも、何も言わずに、振り返らずに逃げていく後ろ姿に、私は何か大切な物を失ってしまったように思う。あの後、通りがかったおばさんの集団が大声で騒いだので事なきを得たのだが、あれ以来私の中には大きな穴が空いたままになってしまった。埋めることも、塞ぐことも出来ない、黒くて大きな穴……

 自分ではとうてい塞げない穴。誰かに塞いで欲しい、私の心に空いた穴を埋めてくれる誰か。しかしあれ以来、男の人に触れられるのが怖くてたまらなくなったのだ。

 だれか、私を……

 優希は声なき声でそう喘いでいた。

 そんな優希の脳裏に、ふと昨夜仮想世界で出会った黒衣の青年の姿が浮かんだ。

 真っ黒な鎧に真っ黒なマント。

 どことなく掴みどころのない飄々とした仕草の中に、時折見せる人なつっこい笑顔が浮かんでくる。昨日会ったばかりなのに、その笑顔が頭から離れないでいた。


『沢庵でビネオワな』


 自分は傭兵だと言いながら、まともな報酬を要求せず、仮想世界のお酒をまるでリアルで仕事の後に飲むビールの様に飲み干して笑う変なやつ……

 優希はそれを思い出し、クスっと笑った。あの黒衣の青年は、リアルではどんな人なのだろう? 

 歳は多分自分とそれ程変わらないと思うのだが、いやに大人びた視線で遠くを見る様な目をしたかと思えば、ふとした瞬間、とても子供っぽく見えたりする。

 太刀の腕前もそうだが、メイジの高位魔法まで操ることから判断して、かなりの高レベルプレイヤーであるはずで、そういうプレイヤーは大抵それを鼻にかけて他のプレイヤーを見下したような態度を取るのに対し、彼はそれを全く感じさせない気安さで接して来るのだ。

 昨日お互いの技量を確認するために挑んだクエストでは、優希は全く背中を心配すること無くボスを仕留めることが出来た。

 たとえ仮想世界であっても痛みや恐怖が感覚としてフィードバックされるのがセラフィンゲインである。それは現実世界での命のやりとりと大きな差は無い。そんな中で自分の背中を任せる事の出来る存在が、どれだけ精神的な安心感をもたらすか計り知れない。

 優希はたった2度の戦闘であの黒衣の剣士への信頼が芽生え始めているのを自覚していた。

 かつて愛した男に裏切られ、もう誰も信じないと心に誓ったのはいつだったろう……


 ホント、私も懲りない女だね……


 自然に口元に自嘲の笑みが浮かぶ。リアルでは散々だった自分だが、あの世界なら違う自分になれるかも知れないと磨いてきた剣の技。あの世界なら、弱い自分を克服し、男になんか負けない自分で居られると、そう思ってやってきたのだ。そんなとき『ターコイズブルー』の話を聞いた。

 その至高の武器さえ手に入れることが出来たなら、その時こそ自分は『強さ』を手に入れることが出来るだろうと確信したのだ。たとえ仮想世界の話だったとしても、その自信がリアルの自分を変えてくれるかも知れない。裏切りなどに動じない、強い自分になるために……

 だが、あの黒衣の青年は自分には無い、その『強さ』を持っている。

 単純なレベルでは無く、その魂から発せられる、もっと根源的な強さだ。優希はその強さの根拠が知りたかった。


 もし……


 ふと優希の脳裏に浮かぶものがあった。


 もしあの時、私が乱暴されそうになった時に、そばに居たのが彼だったら、彼は私を見捨てて逃げただろうか……?

 

 そんなことは考えるだけ馬鹿馬鹿しいと自分でもわかっていた。そもそもリアルでの彼がどんな人間なのかもわからないのだ。でも知りたいという欲求があるのも確かだった。

 セラフィンゲインはあくまで仮想世界のゲームであり、現実ではない。

 だが、ゲームのキャッチコピーにもあるように、あの世界は『もう一つの現実』と呼ぶにふさわしいリアリティを持っている。痛みや死の恐怖を恐れ、仲間を見捨てて我先にとリッセットを叫ぶプレイヤーも大勢居る。知らない人は『どうせマジに死ぬわけじゃ無い』と言って笑うが、一度でもゲーム内での死を経験した者ならば、そう楽観的に笑ってはいられないだろう。

 そんな世界で、彼は傭兵として生きている。今まで受けてきた仕事は決して楽な物ばかりではなかったはずだ。撤退戦の殿などは傭兵の日常業務だと聞いたことがある。

 生還が望めない役を受け、仮の仲間を逃がすため、仮初めの命を張る。身のすくむ様な死の恐怖を推してでも尚、他人の為に戦うその心とは、いかなる物なのだろう?

 報酬のため。

 確かにそれもあるだろう。だがあの黒衣の剣士にはそれ以外の何かがあるように思える。それが何なのか、優希はそれが知りたかった。あの日のナオトや、今の自分に無い強さ。それを知って初めて、過去を過去として捉えることが出来る。この忌まわしい呪縛から逃れられる。

 優希にはそんな予感がしていたのだった。

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