マーカスメモリーズ ターコイズブルー4
クエストリタイヤを宣言すると私達の体は周囲の背景に煙の様に溶けて行った。一瞬の意識の喪失、そして、足の裏に確かな接地感を確認した後で、私は目を開く。
転送時に擬似平衡感覚と言うか、それまでその感覚に慣れていた三半規管の一時的な混乱に伴う軽い目眩を感じる。いわゆる『転送酔い』というものだが、転送終了からきっかり2秒待って動き出せばふらつく事はない。
別に目を開いたまま転送したって構わないが、システムとのシンクロ数値が高いと結構『くる』のでオススメしない。
接続先のターミナルはいつも通り、多くの人が行き来していた。私とシャドウはあちこちで立ち話をして居るプレイヤーや、時折転送して来るプレイヤー達を避けながらレストラン沢庵に向った。
「なるほど、新しい剣技スキルの試し斬りかぁ…… ブレイククエストに乱入なんて珍しいからさぁ〜」
シャドウはそう言ってビネオワを煽り「ぷは〜っ、やっぱこれだよな~」と満足気に頷いた。
サービス開始からけっこう経っているにもかかわらず、沢庵は結構混み合っていたのだが、シャドウは運良く奥のテーブルに空きを見つけ席に着き約束のビネオワを注文し乾杯したのだった。
それにしても、なんて屈託のない顔で笑うのだろう……
彼のそんな顔を見ていると、とても先ほどザッパードの斬馬を余裕で交わし、なおかつ首もとにナイフを突き付けた人と同一人物とは思えない。私はそんな事を考えながらシャドウを見ていた。
するとシャドウは私のその視線に気づき、「なに?」と聞いて来た。
私は急に目が合ったのでドギマギしながら視線を逸らしつつ答える。
「べ、別に何でもない。シャドウこそあんなとこで、一人で何してたの? 狩場はもう少し先だし……虫でも採ってた?」
私がそう聞くとシャドウは少し恥ずかしそうに俯いた。
「いや〜ネスト戻ってもどうせ今日は月曜だから依頼もこないだろうしさぁ、せっかくだからタイムアウトまで昼寝でもしようかと……ほら、あのクエ天候設定最高だし」
私の予想の斜め上を行くその答えに思わず絶句する。
「昼寝? それもクラスAのフィールドで!? 呆れた……」
私がそう言うとシャドウは「なはは……」と乾いた笑をしながら鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
いくら狩場じゃないとはいえ、セラフィンゲインの最高難易度を誇るクラスAの戦場だ。どんな場所でもセラフとのエンカウントは発生する。システムで保護されたベースキャンプならともかく、フィールド上で寝るなど自殺行為に等しい。いつ不意打ちを食らってもおかしくない状況で正気の沙汰とは思えなかった。つーかそもそも今は昼じゃないしね……
「それよりさぁ、ミゥはこれからのどーすんの?」
「えっ? どうする……って?」
するとシャドウは不思議そうな顔で聞いて来た。
「いや、だからこれからのプレイスタイル。だってチーム抜けたんだろ? どっかチームに当てあるのか? まさかソロでやってこうって訳じゃないだろ?」
「うっ……」
そんなシャドウの質問に私は言葉に詰まってしまった。それはシャドウに言われなくても考えてる事だった。
ワイコミチームなら即メンバーに入れてくれるだろうと思うチームはいくつか思い浮かぶが、狩系のチームは1つも思い浮かばなかった。
レベル10代のディーンズチームなら歓迎されるかも知れないけど、私のオーダーしたいクエストにディーンズはあまりに無謀だ。
こんな時、本当に最近はマジにクエスト挑むプレイヤーがめっきり減ったと実感する。
他人の楽しみ方にあれこれ言うつもりはないけれど、こんな所まで来て顔馴染みのメンバーでワイワイ話して、次のアクセス用のリザーブを稼げればいいと適当に難易度の低いクエストをこなすようなプレイは、私には必要ない。せっかくこんな美しいファンタジーワールドなのだから、心ゆくまで堪能しないともったいない。
それに……
「また掲示板に書き込んで、強い狩り系攻略チームを地道に探すかなぁ……」
私はビネオワのグラスを手で弄びながらそんな呟きを吐いた。するとシャドウはそんな私の顔を覗き込むようにして聞いて来た。
「なあミゥ、なんでミゥはそんなに強いチームに…… クエストにこだわるんだ?」
「アイテムを探しているの。ターコイズブルー…… 聞いたことある?」
シャドウは「ターコイズブルー……?」と呟き、しばらく考えていたが、程なく首を振り「いや……すまん、聞いたことが無いな」と返した。
様々なクエストに精通する傭兵だったら、ひょっとしたら知っているかと思ったが、どうやら名前すら初耳のようだった。
「ジュエル【宝石】系のレアアイテムか?」
「いえ、実は武器なの。片手用の細身直剣らしいわ。刀身まで青い美しい剣だって話よ」
私がそう言うとシャドウは「へぇ~」と相づちを打ち、「俺も見てみたいなぁ」と呟いた。
「レアなのかい? っつっても俺が聞いたことが無いからレアなんだろうな」
「ええ、レアも檄レア。噂じゃサーバに1振りしか存在しないらしいわ」
「そりゃ凄い。レジェンドウエポン【伝説武器】レベルかよ」
私は静かに頷いた。レジェンドウエポンとは、その名の通り伝説に登場する武器のことだ。世界中の様々な伝説、逸話に登場する武器が、このセラフィンゲインにもいくつか存在する。有名なところではアーサー王の聖剣エクスカリバーや北欧神話に登場するオーディーンの持つ魔槍グングニルなどがそれに当たる。いずれも桁違いの攻撃力を持つ装備だった。
「スペックは? つっても管理側のリークソースだろうけど」
「ええ、今までに一度もドロップされた事の無い装備だからね。リークソース以上の事はわからないけど、情報屋の間で回ってる話を半分で見積もっても相当な物らしいわ。あとね、ちょっと変わってるのよ」
そんな私の言葉にシャドウは「変わってる?」と聞いてきた。
「私も聞いた話だから何処まで信憑性があるかわからないけど…… なんでも女性プレイヤーの片手剣が装備できるキャラじゃなきゃドロップ出来ないし、男性のプレイヤーが装備してもその剣本来の性能が発揮できない仕掛けが施されているそうよ。つまり完全な女性限定武具ってわけ。たぶんそのカテゴリーじゃあ『最強』ね、きっと」
「女の子専用の近接武器かぁ…… なるほど、道理で出てこないわけだ」
シャドウはそう言って納得したように頷いた。私も「そういうことよ」と肯定した。
それはつまり、女性プレイヤー自体が圧倒的に少ないからだ。全プレイヤーの1割から2割しかおらず、そのほとんどがワイコミチームだ。
レジェンドウエポンクラスとなれば当然熟練度も高くなければならないだろうから、主にクエスト攻略を目指してレベルを上げていて、さらに片手剣が装備できる戦士階級に属するキャラとなるとその数は一気に減少する。私も含めても10人居るか怪しいところだ。
やはりこれだけリアルで、しかも実際にある程度の痛みを伴ったショックを感じるとなれば、女子は皆前衛で戦うより、後衛からの攻撃を好む傾向があるのは無理も無い事だと思う。
女性限定の専用装備では、恐らく最強の剣。私はなんとしてもその剣を手に入れたいと思っていた。
「ふ~ん…… 『レア』とか『最強』なんて言われると興味あるな」
シャドウはそう言ってまたビネオワを煽った。
『レア』で『最強』……
確かにゲームプレイヤーとしてはこの上ない魅力的な言葉だけど、私にはそれ以上にそのターコイズブルーを欲しい理由があった……
「ミゥはそれが欲しいって訳か。ま、レアで強力な武器となればプレイヤーとしては欲しくなるのは当然だわな。
でもミゥの場合、なんかそれだけではないような気がするんだけどな……」
そんなシャドウの言葉が、私の心に微かな痛みを運んできた。私は無言でシャドウを見ると、シャドウもまた私を見つめていた。
「強く……」
こぼれた呟きが空中で霧散する。私を見つめるシャドウの黒い瞳が、何故か妙に綺麗で、眩しく思えて私は目をそらした。
「強くなりたいの。最強の装備を手に入れて、『最強』の称号を…… 手に入れたい」
私は強くなりたい。男に負けない強さを手に入れたい。
それはリアルでは出来なかったこと。
でもこの仮想世界なら、出来るかも知れない。現実世界では出来なくても、ここなら、このセラフィンゲインでなら、私は強くなれるかも知れない。女性限定の最強装備。そのアイテムさえあれば私はなれる。今の自分以外の自分に……
そう考えていると、またあの嫌な記憶がよみがえってくる。
私が男に負けないくらい強かったなら、私はこうまで苦しまずに済んだ。あいつに裏切られても平気でいられたのに……っ!
「男になんて…… 私は負けない……」
思わずそう口に出てしまった。私はハッとしてシャドウを見ると、シャドウは一瞬だけ目を伏せ、直ぐに視線を外して近くを歩いていたNPCの店員にビネオワのおかわりを頼んだ。
「あ、いや、男に……とか限定じゃなくて、その、私はただ強くなりたいってだけで……」
私はしどろもどろにそう言い訳した。するとシャドウはおかわりのジョッキを受け取りながら手を振って私を制した。。
「あー、別にそんな事聞かないから無理に言い訳じみた事言わなくていいよ。クライアントの混み入った理由を聞いた所で1ポイントの経験値にもなりゃしないからな」
シャドウはそう言って再びビネオワを煽った後、また話を続ける。
「俺たち傭兵は客から仕事を依頼され、その仕事に見合う報酬を要求する。そうする事によって、そういったしがらみを絶って自分に折り合いを付けている。だからそこには完全な利害関係以外介在しない」
「……プロ意識って訳ね」
私がそう聞くと、シャドウは自嘲気味に薄く笑った。
「そんな立派なもんじゃないさ。戦闘のプロだ、ハイレベル集団だなどと言われちゃいるけど、実状はしがらみや絆なんて言う荷物を背負うのが怖いだけの、他人と上手くやっていけない半端者の集まりだよ。リアルでの引きこもり廃人ゲーマーと大差ない。
いや…… 集団に馴染めないからってスタンドアローンのゲームに走る訳でもなく、やっぱり人が集り、本物の人間と関わり合う体感ネットゲームにどっぷり浸かってる分、救いが無いのかも知れないな」
シャドウはそう言いながらビネオワのジョッキを静かにテーブルの上に置いた。
人との関わりを苦手に思いながらも、人の集まりに寄っていく。誰かと関わることを恐れつつ、それでも人を求めてしまうヤマアラシのジレンマ。もしかしたらこの世界は、そんな人々の本当のユートピア【理想社会】なのかも知れない。
私はそんなことを思いながら、目の前に座る黒衣の剣士を見つめていた。
「さて、そうしたら気合い入れて探すか、そのターコイズブルーを。なんか面白くなってきたぞ」
とシャドウは2杯目のビネオワを飲み干しそう言った。
「へ? まさかシャドウも一緒に探索に加わるってわけ?」
するとシャドウはコクコクとまるで犬のように頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そりゃあ私も1人よりは良いけど、あんた傭兵でしょ? 他に仕事とかあるんじゃないの?」
「いや~、それがここんとこ仕事なくってさ。せっかくありつけたと思ったらクエストブレイクだろ? 正直どうしようかなぁって思ってたんだよ。それに俺も見てみたくなった。そのターコイズブルーってやつ」
「で、でも、ホントにあるかどうかわからないのよ? もしかしたらガセって可能性もあるんだし。だいいち、報酬はどうするのよ?」
私がそう言うと、シャドウはテーブルの上にあるビネオワのジョッキ2つを軽く持ち上げ、キンっと甲高く鳴るジョッキの音の向こうでシャドウがニィと笑った。
「報酬ならもう貰ったよ。1杯目はさっきの分、んでもう1杯はこれからの分」
私はそんなシャドウの言葉にあっけにとられて暫くぼけーっとシャドウの笑顔を眺めていた。
やっぱり…… この人ちょっと変だよ……
私は心の中でそう呟いていたが、そんな私にシャドウは右手を差し出してきた。
「じゃ、そういうことで。改めてよろしくな、ミゥ」
そう言って笑うシャドウの笑顔は、何故か妙に心に残る笑顔だった。そして私はゆっくりとその差し出された右手を握り、これから始まるであろうシャドウとの冒険に少しワクワクしてる自分を意外に思ったのだった。