第32話 魔人と堕天使
「アザゼル因子を持つガーディアンと、それを狩る為のルシファーモード……」
鬼丸は静かに呟いた。
「そのルシファーモードを発動させる条件は、ガーディアンであること。そして安綱を装備し、それを使いこなせること……」
それは以前メタトロンから聞いた事だった。
「そしてもう一つ、重要な要因があるんだよ。ルシファーモードを発動するために必要なトリガーが」
鬼丸はそう言って薄く、そして静かに続けた。
「一方向に偏った強い感情…… ガーデイアンの肥大増殖したシナプスから発せられる生体電流。感情という化学変化で発生した情報の電流がルシファーモードを発動する決定的なトリガーなのさ。プラグラムで統括管理されたこの世界の規則性をねじ曲げるほど強い感情…… 言い換えるなら、『人の意志の力』ってところかな。
だが人間は絶えず何かを考えてしまう。なかなか『一方向』に感情を向けられない生き物だ。たとえ何かを決意したとしても、迷い、恐れ、躊躇う。容易には一つの感情に支配はされない。俺を消去するためにここに来たはずのスノーが、俺の姿を見て、その決心が揺らいだのがいい例さ」
鬼丸はそう言いながら、チラリとスノーを見て口元を歪めた。その鬼丸の仕草を見た俺の中に、先ほどからくすぶり続ける嫌な気持ちの炎が勢いを増すのを感じていた。
「迷って当然だろ! 人間なんだからなっ!」
俺は怒気を込めてそう怒鳴った。ここに来る前に、スノーの告白を聞いた今では、彼女の気持ちがよくわかる。その事で、スノーがどれほど苦しんだのかも……
損得を抜きにして、自分のためについてきてくれた仲間を巻き添えに出来ないと言って涙を流したスノーの気持ちを…… 地獄に堕ちても良いと決心せざるを得なかった、たった一人の妹の心を…… 兄であるあんたが笑うのかっっ!!
「その通りだ。だが、ある部分を突いてやれば、人は簡単に『一方向』に感情を誘導できるんだ」
人を惹きつけて止まない、あの極上の笑顔が、今は酷く冷たく見える。もしこの世に本物の悪魔ってのが居るとしたら、きっとこんな笑顔を見せて近づいてくるのだろう。
「憎悪だよ。何かを憎む心が、人の感情を支配するのにもっとも効率的で即効性がある。憎悪って感情は、人間の中で一番原始的な感情の一つだ。人が何かを憎むのは遺伝子に刻まれた『条件反射』と言っても良い。知ってるか? 『平和』とか『共存』とかって状態は生物学的に言うと、人間つー生き物にとってはとても不自然な状態なんだぜ?」
その鬼丸の言葉に、先日の初めてルシファーモードを発動したバルンガモーフ戦を思い出す。
確かに俺はあの時、メタトロンを、バルンガモーフを…… いや、何より誰も救えない自分自身の不甲斐なさを、『憎い』と思った。そしていま、この目の前で笑う鬼丸に向けつつあるどす黒い気持ちも……
「お前がルシファーモードを起動出来ないのは、それが欠けているからだよ。だからさ、俺が手伝ってやるよ……」
鬼丸がそう言った瞬間、目の前から鬼丸の姿が消えた。いや、そのスピードに目が付いていかないだけだ。
「こういう趣向はどうだ?」
瞬きするほどの一瞬で、後方から聞こえる鬼丸の声に、反射的に振り向いた。そして次の瞬間、目に飛び込んだ光景に一時的に思考が停止する。
「あ…… お、お兄……さ……」
胸の下あたりから、怪しく光る太刀の刃を生やしながら言葉を発したスノーだったが、肺を満たし、口からあふれる血に言葉にならず、その純白のローブに紅い花を咲かしている。手にした杖がゆっくりとその細い指を滑り落ち、妙に乾いた音を響かせる頃、背中からゆっくりと引き抜かれる刃にすがるように崩れ落ちるスノーの姿が目に焼き付いた。
そして床に蹲るスノーの純白のローブとは対照的に、太刀を手にして立つ深紅の鎧姿……
『だからお願いよ、シャドウ! 鬼丸を…… 兄の意識を、完全に消去して』
俺の左手にすがるようにして、涙を浮かべて哀願する顔
『沢庵でビネオワ…… つきあえよ? スノー』
『うん、ありがとう…… シャドウ』
俺の軽口に、まるで憑き物が落ちたような優しい笑みを浮かべる顔
『みんな、ありがと…… 私、間違いを犯さなくて良かった……』
そう言って言葉を詰まらせながらも微笑む泣き笑いのような顔
このクエスト開始から見てきたスノーの表情がくるくると脳裏をよぎる。その表情のどれもに鬼丸という兄への想いがあったのを、俺は知っている。
人間らしい生活を送れなかった兄に、せめて人間らしい死を迎えさせてあげたいと、スノーは言った。その想いだけで、自分の大切な物全てを捨てようと決心した兄に……っ!!
「てめえぇぇぇぇ――――――――――っ!!」
「この外道がぁぁぁ―――――――――っ!!」
リッパーが残った左腕で、それと同時にドンちゃんが怒りにまかせて至近距離で撃滅砲をぶっ放す。だが鬼丸はそれを悠々と交わすとアスファルトを蹴り後方に飛んだ。しかしドンちゃんは尚も撃滅砲を連射する。凄まじい連射スピードだ。
俺はその隙に倒れているスノーに向かってダッシュした。膝関節に刺すような痛みが走るが構うことはなかった。そしてスノーの横に滑りこみ、彼女を抱き起こした。
「おいっ! おいスノーっ!!」
俺の言葉に反応して、スノーはうっすらと目を開ける。その瞳はいつもの彼女の瞳の色とは違い、やけに色のない瞳だった。
「シャ…… ド……ウ……」
声が細すぎてよく聞き取れない。恐らく気管にまで血が流れ込んでいるんだろう。顎下が口から零れた血で真っ赤に染まっている。俺は安綱をアスファルトに置き、右手のグローブで顎下の血をふき取った。
「やっぱ……り…… 私…… お…… にい…… で…… き……」
何かを必死に喋ろうとして咳き込み、また口から血が零れてしまい、せっかく拭った口周りがまた紅く染まった。俺はそれを再び拭いながら声を掛ける。
「もういい喋るな! 綺麗な顔が台無しだぞ」
スノーを元気づけようとして口をついた言葉は、情けないほど陳腐な気がした。だが、スノーの口元が少し緩んだ。それを見ながら、俺は回復魔法『ミィケア』を唱えようと詠唱を始めるが、スノーの右手が震えながらゆっくりと俺の口を押さえる。
「た……ぶん…… むり……よ」
そう言ってスノーは左胸下の傷口から、押さえていた左手を外す。すると真っ赤に染まったローブの中央から、細かな光の粒子が空中に霧散していくのが見えた。
「デリート現象…… くそっ、イレーサーかよ!」
俺はそう吐き捨てた。腕や足なら、多少痛いが『フレイヤ』で傷口を焼けばデリートは止まるだろう。だが、この位置では間違いなくデッドしてしまう。通常システムとリンクしていないこの聖櫃でのデッドがどういう扱いになるのか不明な今、そんな賭けに出るわけにはいかない。ちくしょうっ! 鬼丸っ! あんたは……っ!!
噛みしめる奥歯がみしっと軋むのが聞こえた。
「ごめん…… ごめん……ね わ……たし……リーダー…… 失格……だね」
「そんなことは…… そんなことはないっ! あんたは立派なリーダーだ。あんなに濃いメンバーの俺達を、てんでバラバラだったみんなを、高々数ヶ月でここまでこれるチームにしたじゃないかっ! あんたほどカリスマのあるリーダーはそうは居ないし、そもそもあんたは、俺が鬼丸以外で初めて、太刀を預けても良いと思ったリーダーなんだ。俺達『チーム・ラグナロク』を率いることの出来るリーダーは、あんた以外には考えられないだろっ! だから…… だからそんなこと言うなよ!」
「ありがとう……」
俺のその言葉にスノーは薄く微笑んだ。
「ね、え…… シャドウ…… 兄…… を…… おね……が……い……」
「ああ、ああ、わかってるよ。だからもう喋るな。妹であるあんたに義務があるように、俺にも義務がある。あいつがどう思っていたかなんて関係ない。俺にとって鬼丸は、紛れもなく『友』だったんだから…… それが友だった俺の義務だ。だからもう迷わない!」
俺の言葉に頷いたのか、それとも咳き込んだのかわからなかったが、スノーは苦しそうに目を閉じた。
「少しだけ…… 待っていてくれ……っ!」
尚もチリチリと銀色の粒子を霧散させる傷口と、激しく上下している胸を確認して、俺はスノーの頭を静かにアスファルトの上に降ろし、傍らの安綱を握りしめた。そのとたん、胸の中で沸々とくすぶっていた感情が一気に膨れあがり、頭痛を伴う耳鳴りと共に、安綱が激しく震え出す。
鬼丸…… 許さねぇぞ、この馬鹿兄貴がぁっ!!
膨らみ続けた負の風船が、体のずっと奥の方で破裂する。心と意識が一気に塗り替えられていく。赤と黒が渦を巻いて攪拌される感覚。画用紙が無数の黒いクレヨンで塗りつぶされていくビジョン。人間のもっとも原始的な感情に、もっとも単純な衝動が呼応する。
憎悪…… そして破壊衝動……
安綱…… もっとだ…… もっと持ってけ。俺の中から洗いざらい持っていけ…… そしてあいつを…… 人の姿をしたあの鬼を、お前の異名である『童子切り』の伝説のように食らい尽くせっ!!
「うぐぉぉぉっ!」
全弾打ち尽くし、手にした撃滅砲で殴りつけようとしたドンちゃんが、鬼丸に腹を刺され呻きながら崩れ落ち、飛び込んだリッパーがメガフレアの爆発で吹っ飛ばされていく。そしてその向こうに、メガフレアの残り火に煽られた鬼丸の紅い鎧姿が、まるで陽炎のように揺らぎ立つ。
「鬼丸ぅ――――――――――っ!」
熱風で歪む鬼丸の姿を睨みつつ、俺は溜まりに溜まった感情を言葉と共に吐き出した。
―――――カチリ
その時、俺の中のどこかずっと奥の方で、何かが繋がる音がした……
《脳波一致、Pf.tomotikaであることを装備Yasutuna承認。
同調値起動レベルをクリアー…… 全活動プログラム、ノーマルからガーディアンに移行します……》
頭の中に、あの時と同じように無機質な電子音声が流れ出し、それに呼応して耳鳴りがそのボリュームを上げ鼓膜が悲鳴を上げる。絶え間なく襲う頭痛に、食いしばった歯の隙間から獣のようなうなり声が漏れだした。
《プログラムダウンロード…… ロード率、60%……70……80……90……ダウンロード完了》
《起動スタンバイ……》
相変わらず一つプロセスが実行されるたびに頭の神経が焼き切れるような激痛が走り、その都度意識をつなぎ止めておく糸が、ギリギリと音を立てているようだ。そして、その時は唐突にやってきた。
《―――――Starting The Lucifer mode…… 》
一瞬の意識の消失、そして俺の全てが右手に握る安綱に吸い取られる感覚。
鼓膜を叩くのは、耳鳴りではなく歓喜の歌。
破裂し行き場を失って体中を駆け回っていた憎悪は、痛みにも似た快感と狂気のデュエット。
肥大し、増殖したニューロンを狂気と歓喜が爆走し、全身の細胞と筋肉に鞭を入れる。
背中に纏う黒いマントが、数枚の翼のように大きくはためき、夕暮れのアスファルトに長く黒い影を落とす。
「やっと現れたか。待っていたよ、シャドウ」
手にした妖刀『鬼丸國綱』を構え直し、不敵な笑みを浮かべる鬼丸。
「スノーは最後まで迷った…… さっき言ってたろ? マジで迷っていたんだよ。何故かって? そんなこと、言わなくてもわかるはずだ。ましてやあんたは実の兄貴だ、わからないわけはない。だがあんたはそんな彼女の気持ちをわかっていながら鼻で笑いやがった! 彼女の一言がきっかけで、その願いを叶えるためにこんなシステムを作ったんじゃないのか? 誰よりも…… 誰よりも身体的に不自由な人間の気持ちを酌み取れるはずのあんたが、それに唾を吐いたんだっ!!」
くすぶり続けてきた感情が一気に口から迸る。
「けどさ、今のでハッキリした…… わかるはずがない…… わかるはずなかったんだ!
自分を信じてついてきてくれる仲間と、あんたを想う気持ちに挟まれ、悩み続けた彼女の心なんて……
自分の目的のために一緒に戦った仲間を、自分を想ってここまで来た妹を、戸惑うことなく消しちまうあんたにさ!!」
俺は正直、どっかでまだ、どうにかなるんじゃないかと思っていた。ガチで戦わなくても良いんじゃないかって。
だけど無理だ。ゴメン俺が間違ってた。わかるはずがないじゃんか? だって昔からよく言うじゃんよ……
『馬鹿は死ななきゃ直らない』ってさ。
安綱、俺に構うことはない。お前の力を全部ぶつけろ。俺の何かがお前に力を与えるのなら、遠慮しないで洗いざらい持っていけ! そしてあいつを食らい尽くすんだ。1バイトも残さずに……っ!!
さあ、この世ならざるこの世界で、最後の狩りを始めよう。
小刻みに震える安綱を握り直し、俺はアスファルトを蹴り全力疾走に移った。目の前の距離が一気につまり、仁王立ちする鬼丸をあっという間に射程距離に捉える。さっきまでとは比べ物にならない段違いのスピードだ。俺はそのまま上段から安綱を振るった。
鬼丸はすぐさま俺に反応し、その斬撃を手にした國綱で受ける。鬼丸の國綱と俺の持つ安綱の刃が交わった瞬間、鼓膜を刺すような甲高い音と共に、交わる刃の周りの空気が震えた。空間を構成するテクスチャーがブレるように歪んでいる。
「イレーサーの共鳴現象…… なるほど、お互いの力が反発して周囲のプログラムを歪ませているんだな。装備者がルシファーモードに移行し、同調率が跳ね上がったことで本来持つポテンシャルが開放されたってわけか」
その現象を見ながら、鬼丸はそう分析した。俺はそんなことはお構いなしに安綱に力を込める。もっと…… もっとだよ安綱っ!
俺の心の声に反応したように安綱の二尺六寸の刀身が振動し、それに比例して金切り音が高くなる。自分の中の何かが、手を伝わり安綱に引っ張られていく。
「ほほう、國綱が力負けし始めたよ…… 凄まじい意志の力だな。そんなに俺が憎いか? シャドウ」
鬼丸はその状況を面白がるようにそう聞いた。
ああ憎いさ。
マリアを斬ったあんたが
スノーの気持ちを踏みにじったあんたが
俺や俺の戦友達の心を裏切ったあんたが
だが……
ホントに憎いのは
仲間を救えなかった俺自身なんだっ!!
「お…… に…… まるぅ……っ!!」
自分の口から、自分の物とは思えない獣じみた声が漏れる。震える安綱の黒光りする刀身の向こうを睨むと、鬼丸の姿が時折ノイズが走ったように、ザリっとブレる。
次の瞬間、鬼丸は地面を蹴って横っ飛びに跳躍する。さっきは全く捉えられなかった鬼丸のスピードが、今は完全に視界に捉えることが出来る。
見える、見えてんだよ! 逃がさねぇぞ、鬼丸っ!!
常軌を逸した反応と機動に、俺の関節が早くも悲鳴を上げる。すると頭の中に、あの無機質な電子音声が流れる。
《ペインリムーバー機動……》
《β-エンドルフィン増大……イプシロンオピオイド受容体結合……》
《神経伝達抑制率95%……痛覚遮断……脳負荷42%に上昇……危険域に入ります》
危険域? そんなの関係ねぇ! ぶっこわれたって構うものか、使える領域は全て攻撃力と機動力に回せっ!!
《承認……コマンドリリースAttack and mobile ……サポートブースター全開》
《プログラム干渉リミッター52%解除……システム続行》
頭の中の声が終わると同時に、関節を襲っていた痛みが霞のように消えていき、全身の血液の流れが加速していくのを感じ、俺はアスファルトを蹴った。狂気の沙汰で流れる視界の先に、紅い鎧姿を捉えた。そのまま一気に追いつき安綱の射程に入るやいなや、連続して斬りつけた。
「くっ……!」
鬼丸の顔から先ほどの余裕の笑みが消え、苦い表情と共に小さなうめきが漏れる。俺が斬り付け、鬼丸が受ける。または鬼丸が太刀を振るい、俺が飛ぶ。刃が交わる度に甲高い音と衝撃が、この狂ったスピードの攻防を演出するかのように無人の秋葉原の街に響き渡る。そして数合の撃ち合いの後、再び唾競り合いの状態で俺達は動きを止めた。
「いやはや、想像以上の力だなシャドウ。この聖櫃のフィールドプログラムとメタトロン、そしてセラフィンゲインのコアシステムを使って、数手先を予測して動いているはずの俺が、捌くだけで手いっぱいだとは…… お前のガーディアンとしての資質は俺以上だよ」 鬼丸はそう言って驚いた表情で俺を見つめた。
「少しはキモが冷えたか?」
俺は低い声でそう鬼丸に声を掛けた。
「ああ…… そしてますます欲しくなった」
鬼丸の口元がニヤリと歪む。俺はそれを虚勢だと思った。ハッタリだ、大丈夫、俺はコイツより『強いっ!!』
そう思った瞬間、鬼丸はぐいっと力を込め、俺を突き放すと後方へ飛んだ。俺も瞬間的に鬼丸を追撃するべく地を蹴った。
「ギガボルトン!!」
一瞬で距離を開け詠唱し、鬼丸がギガボルトンを放つ。鬼丸の左手から放たれる青白い雷撃が轟音と共に俺に迫った。だが俺はその雷撃を左手で払い落とした。
「効かねぇよっ!!」
たたき落としたギガボルトンの雷撃が周囲にはじけ飛び、俺の横にあったソフマップの電飾看板を吹っ飛ばす。流れ弾の雷撃が当たった道ばたの軽トラックのフロントガラスが派手な音を立てて飛び散る中を、俺は一気に跳躍して鬼丸の脇腹に蹴りを見舞った。
確かな手応えと共に鬼丸が呻き、そのまま吹っ飛んだ体が正面店舗のショーウィンドウにめり込むのを見ながら、呪文を口ずさむ。
「フリサルド・ソード!」
呪文名を口にした瞬間、黒光りした安綱の刀身に一瞬にして霜が降りる。冷却系魔法剣『フィリサルド・ソード』は斬った対象物を絶対零度の冷気で凍り付かせる。俺はそれを一瞥すると鬼丸に視線を移す。
凍らせて動きを止めてから、確実に消し去ってやるっ!
口元に残忍な笑みが浮かぶのを自覚しながら、俺はバリバリと硝子を踏みしだきながら立ち上がる鬼丸めがけ、疾走に移った。
それに反応した鬼丸は瞬間的に太刀を構えて俺を迎え撃つ。
「おせぇんだよっ!!」
鬼丸の刃を唾元で弾き、がら空きの脇腹に渾身の力で安綱を突き入れた。鬼丸の脇腹が安綱を中心に瞬時に凍り付き、深紅の鎧が霜で白く染まると同時に、耳元で鬼丸のぐもった呻きが漏れたのを聞いた。
俺はすぐさま次の攻撃に移るべく安綱を引き抜こうとしたが、その手を鬼丸の手が押さえた。
――――――!?
「かかったな、シャドウ。チェックメイトだ……」
耳元で鬼丸がそう呟いた。そして次の瞬間、体が金縛りにあったように硬直した。
な…… に……っ?
続いて、まるで割れるような激痛が頭の中を駆け回り、半開きの口から呻きが漏れた。
「あ…… が、ぐぅ……っ!!」
お、鬼丸…… な……に、しやがっ……たっ!
「安綱を通して、お前と安綱の接続にウィルスを送り込んだ。数分もすれば安綱とのシンクロが強制的に切断されるだろう。お前の意識と記憶の大部分は安綱に吸われた状態でな」
頭が割れるような頭痛に襲われながら、鼓膜に鬼丸の言葉が響く。ウィルスだと……?
「お前のミスは魔法剣を使ったことだ。あのままイレーサーで俺を消しに掛かれば、俺は安綱に干渉できなかった。俺としてもハイリスクな賭けだったがな。もっとも、伏線は張っておいたけどね。
俺が今まで太刀で戦いながら魔法を使っていたのも、お前の頭に刷り込むためだ。最後にギガボルトンを使ったのもその為。怒りに駆られたお前なら、絶対一撃で俺を消しはしない。恐らく魔法剣で高ダメージを狙い俺の機動力を削ってくるだろうと思っていた。さっきも言ったろ? お前わかりやすいって……
ルシファーモードに移行したプレイヤーと安綱は、セラフィンゲイン本来のプログラムから開放され、ガーデイアンシステムによって外部からのプレイヤープログラムへの干渉は遮断されてしまう。だが『魔法剣』はセラフィンゲインに元々ある基本プログラムだ。メタトロンやここのシステムを7割方自由に出来る今の俺には、そのプログラムからならガーデイアンシステムに干渉できる。ほんの一瞬だけだが、ウィルスを注入するには釣りの来る時間だ」
そう言って鬼丸はゆっくりと安綱を抜くと、自分に回復魔法ディケアを唱えた。霜で白く染まった鎧が瞬時に元の紅い光沢を取り戻す。そして俺に向かって微笑むと、胸ぐらを掴み一本背追いの要領で投げ飛ばした。
俺は硬直した体のまま、全く受け身の取れない格好でアスファルトの上に背中から叩き付けられた。
「がっ……はっ!」
背中を襲う衝撃で一瞬息が詰まり、情けない呻き声が口をついた。必死に立ち上がろうと藻掻くが、治まらない頭痛と、まるで酷く深酒をした後のように平行感が無く、アスファルトを舐めた。
鬼丸はゆっくりと俺に近づき、また胸ぐらを掴むとそのまま無理矢理立たせて呪文を詠唱する。
「フリサルド・ソード!」
先ほど俺が使った魔法剣の呪文名が鬼丸の口から発せられ、鬼丸の持つ國綱の刃に瞬時に霜が降りる。
「惜しかったな……」
鬼丸が俺の耳元に口を近づけてそう呟いた瞬間、脇腹に鋭い痛みが走った。瞬時に凍り付く脇腹周りを左手で押さえながら、俺は呻いた。ペインリムーバーで痛覚が遮断されているはずなのに痛みを感じるのは、れいのウィルスでルシファーモードのプログラムに傷害が出ているのだろうか。
「なあシャドウ、最後に俺が復活する本当の目的を教えてやろうか?」
激痛で思考が上手く固まらない俺の耳元で鬼丸はそう言った。その声は、そんな状態にもかかわらず、妙に鮮明に聞こえた。
本当の目的…… だと?
「インナーブレインシステム、高性能自立学習型軍事戦略AIメタトロン。そして、お前の脳が持つ類い希なるガーディアンの能力…… これらを使って、俺は……」
鬼丸はそう言いながら俺の顔を自分の正面に向け、妖しい光の帯びた瞳で俺の目を見据えた。
「世界を造り替える!」
――――――はぁ? 何言ってんだあんた?
そんな思いが顔に出たのか、俺を見て鬼丸はクスリと笑った。だがその目だけは笑っていなかった。
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。
毎度読んでくださる方々、心から感謝しております。
第32話更新いたしました。
さて、いよいよこのくそ長かった物語も大詰めです。いやマジで長かった~ 途中インターバル有ったけど1年以上掛かるなんて思ってなかったッスw(自業自得)
毎度毎度つき合ってくれる読み手さんには感謝の気持ちで溺れそうですまじでww みんなのおかげだよー!……ってまだ早い?
それにしても鬼丸の外道ぶりが際だってるなぁ。こんなキャラだったっけ?(オイ)実は鬼丸が主人公の話も企画してるんだけど、そっちとのギャップが…… まあそっちは当分先だし、その頃ならほとぼりが冷めてるでしょう(マテコラ
さて、着地に向かってがんばりますです。
※前々回あたりから、身体の傷害と『健常者』という言葉を頻繁に扱っております。私自身は傷害がありません。決して中傷するつもりではないですが、そんな私がこういう物を書き、また私の表現の仕方で不快に思う方がいらっしゃったら、大変申し訳なく思います。ひとえに私の文章力の無さです。深くお詫びいたします。しかし、このお話のコアな部分の設定なだけに、出来れば寛大な心で読み流してくだることを願います。
鋏屋でした。
次回予告
鬼丸の手に掛かったスノーを見て、ついにルシファーモードに移行したシャドウ。その強力な攻撃力と殺人的な機動力で鬼丸を圧倒する。だが、これで逆転と思ったのもつかの間、シャドウはまんまと鬼丸の罠にはまってしまった。そして聞かされる鬼丸の真の目的に驚きつつも呆れる。そして鬼丸は身動きできないシャドウに意識のダウンロードを始める。そして意識を失い掛けるシャドウは、自分の脳に流れ込む鬼丸の記憶に触れる。紅の魔人、鬼丸の過去に、シャドウは何を想うのか?
次回 セラフィンゲイン第33話 『魔人の記憶』 こうご期待!