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セラフィンゲイン  作者: 鋏屋
EP-1 セラフィンゲイン
33/60

第31話 ダウンロード

「計画? 何のことだ。あんたは記憶をここに補完させることが目的だったんだろ?」

 俺は鬼丸の言葉にそう質問した。自分の朽ちかかった肉体に見切りをつけ、自分の記憶と意識を、このセラフィンゲインのシステム領域に移し替えることが鬼丸の目的だったんじゃないのか?

「それは俺の計画の第一段階にすぎない。ふふっ 今に解るよシャドウ。俺の計画にとって、お前は重要な役割を果たすんだからな」

 そう言いながら、鬼丸はその手に持つ太刀をすうっと鞘から引き抜いた。俺の持つ安綱によく似たその刀身は、鈍い光を放ちながら俺たちを威嚇しているようだった。

「あの日…… 安綱の代わりに持っていったお前の太刀『細雪』をベースに俺が創造したものだよ。刀名は『鬼丸國綱』…… お前にやった『童子切り安綱』と同じく、現実世界では『三日月宗近』『大典太光世』『数珠丸恒次』に並ぶ『天下五刀』に数えられる至宝の太刀だ」

 いや、天下五刀とか言われてもさっぱり解らない。つーか俺、マニアじゃないし…… だけど鬼丸らしいセンスだな。

「その昔、北条時政の夢に夜な夜な現れては時政を苦しめていた鬼の首を切り落としたとされる逸話からそう呼ばれるようになった太刀…… この世ならざる夢の世界『セラフィンゲイン』で、俺が持つ太刀には相応しいネーミングだと思わないか?」

 その言葉にまるで応えるかのように、鬼丸が持つ『鬼丸』がギラリと冷たい光を放った。やはり、鬼丸は俺たちと戦うつもりのようだ。にこやかな柔らかい笑顔とは裏腹に、全く隠そうとしない、あからさまな殺気がそれを物語っていた。俺は右手に握る安綱に力を込めた。すると、安綱がかすかに震えだした。

「安綱が反応し始めたな。その安綱はアザゼル因子に反応する…… 」

 鬼丸はそう言いながらククっと喉を鳴らす。

「俺はもう現実側に肉体が無いからアザゼル因子は無い。厳密にはガーディアンですらない。だが安綱はそれに似た存在に反応する様になっている。このデジタル仮想世界で、その物理法則やルールに干渉するような特殊な脳神経回路を形成するアザゼル因子、本来それはこの世界ではあってはならないイレギュラー…… そして、ロストプレイヤーの意識もあるべき物ではないイレギュラーなんだ。

 いずれもこの世界に招かれざる存在。そしてその存在を消去するために、同じ因子を持つ者の力で施行される削除方…… デジタル管理されたこの世界の物理法則をねじ曲げるほどの人の意志…… デジタル世界の存在から見れば、まさに悪魔の力。ルシファーモードとは、よく言った物だよ」

 鬼丸の声を聞きながらも、さらに震えを強くする安綱を、俺はその震えを押さえ込むかのように両手で握りしめた。確かに鬼丸の言うとおり安綱が反応し始めているのは確かなようだ。しかし、この前のバルンガモーフ戦の時のような、ガーディアンプログラムとそれに連なるルシファーモードの発動を促す、あの無機質な声は聞こえてこない。

 そう、なにか…… 何かが足りにような気がする。

「お兄さま……」

 そのとき、後ろからスノーの呟きのような声が聞こえてきた。

「私は…… お兄さまの意識を完全に消すために此処に来ました。でも、今お兄さまをこの目で見たとき、その考えが揺らいだ…… 初めて『エデン』でお兄さまを見たときと変わらない姿を見て、正直嬉しかった……」

 そう言うスノーの声が、俺の鼓膜を貫き、俺の心の奥に痛みを伴った針を穿つ。

「現実世界で、あんな風な姿で逝ったお兄さまが、私は不憫でならなかった。たとえ死がさけられない事実だったとしても、人間として逝ってほしかった。でないと私はお兄さまの死を受け入れられないって思っていた」

 俺に鬼丸の意識の抹殺を託したその想いが、声に乗って寂しく響いた。抜け殻の兄が眠る墓の前で、スノーはどんな想いで手を合わせていたのか…… 残された者にとって、いや、兄を愛していたスノーにとって納得できなかったのだろう。

「はははっ! 何言ってるんだよスノ~!」

 そこに場違いな鬼丸の笑い声が響く。

「『人間として』だって? まともに人として扱われてこなかった俺が? 悪いが肉体もそうだけど、あの世界での生活にだって少しも未練なんて無いよ」

 鬼丸はスノーにそう言って笑いながらさらに続ける。

「俺はあの体のおかげで散々差別されてきた。お前だってそうだったろう、スノー? なあシャドウ、本当の差別ってどんなだと思う?」

 終始笑顔で話す鬼丸の目の中に、何かどす黒い物が見えたような気がした。

「幼い頃から出会うたびに『大変ね』だの『偉い』だの言われ、何かにつけて『がんばって』みたいなことを言われる。必要のない気を遣われ続ける。そのくせ瞳の奥では、明らかに見下した光を宿しているんだ。同情と好奇の入り交じった視線でな…… それがどんなにつらいか、お前にわかる?」

「いや…… だがそれは……」

 俺の言葉を遮り、鬼丸はなおも続ける。

「ああ、そうだ。そこに悪意はない…… だがな、それは俺にとっては差別にしか感じない。そんな言葉を聞くたびに、まるで『お前は不完全な人間だ』と改めて言われているようで正直胸くそ悪くなる。そんな言葉をかける相手にも反吐が出る思いさ。そんな言葉を吐く連中はな、その言葉を言った時点で相手を高慢に見下しているのと同じだって気が付いていない。健常者の傲りって奴だね。

 俺はな、世の中で悪意のない差別ほど質が悪いものはないと思ってるよ。本人たちにとってそれは『善意』だと思っているし、端から見れば善意であり好意であるだろうからな」

 善意のつもりでも、それが障害を持っている人にとっては差別に感じる。俺はそんなことを初めて考えた。何気ない好意や善意が相手を傷つける…… そこに悪意が無くても、そのことで傷つく人がいることを俺は初めて知った。いや、『善意』と思っていること自体、鬼丸の言う『健常者の傲り』なのかもしれない。

「言葉だけじゃないさ。車いす用のスロープ前に投げ捨てられた空き缶。障害者用の駐車スペースに堂々と駐車する健常者の車。駅前の歩道に備え付けられた点字ブロックの上に延々と続く違法駐輪車の列…… どれもそこに明確な悪意は無い。そのことで、それに頼る者達がどれだけ迷惑するかなど考えもしない。そんなことに1バイトの興味も無い。当事者でなければ考える必要性すら感じない。他人に指摘されて初めてそうだと気づく。自分たちが生きている社会に、そういう存在が居ることすら忘れているんだよ。そして口をそろえて言う。『悪気はない、そんなつもりはなかった』ってな。だからこそ、差別はなくならない……

 差別のない平等な世界の実現…… それが建前と判っていながら、さも当たり前のように喧伝されるのが現実世界の一般社会ってわけだ。そんな物はこのセラフィンゲインのような仮想現実でないと実現できないファンタジーなのかもな」

 そう言う鬼丸の顔は、どこか寂しそうだった。

「だから現実世界に見切りをつけ、肉体を捨ててこの世界に意識を補完させたってわけかよ……」

 俺は鬼丸の境遇に同情しはじめていた。もしかしたら鬼丸は、そんな自分の境遇を改善するためもあってインナーブレインシステムを作り上げたのかもしれない。

「でも、残された者はどうすればいいの……? 触れれば暖かいのに、まるで死体のように何の反応も示さない『人形』のような状態のお兄さまを受け入れなければならなかった私は……」

 まるで何かにすがるようなスノーの声に、さっきの彼女の告白が重なり、俺は胸が締め付けられる思いだった。

「アレは単なる『入れ物』だよ。それもかなり壊れかけた。それにどういう感情を抱こうがお前の勝手だが、その答えを俺に求めるのは正直迷惑だな」

 鬼丸のその答えに絶句するスノー。そして同時に俺の心の奥をぞわりと撫でる黒い感情。何かとてつもなく嫌なものを聞いた気がする。俺がこの目の前に立つ男に初めて抱く感情だった。

 ここに来て、鬼丸を見てもやはり戦う理由を見いだせなかった俺に、わずかばかりその理由が芽生え始めるのを実感した。


 迷惑…… だと?


「だがなに、心配しなくとも俺は復活する。そのためにシャドウ、俺はお前を待っていたんだからな」

「復活? 現実世界にってことか? あっち側にもう肉体がないのにどうやって復活するんだよ」

 ざわざわと泡立ち始める心のコップに満たされた黒い感情を抑えながら、俺は疑問を投げかけた。奴の肉体はもはや現実世界には存在しない。なら、奴は何を持って復活するって言うんだ?

 だが鬼丸はその俺の疑問にクスリと微笑しながら答えた。

「確かにその通りだ。現実側の俺の肉体は存在しない。だけどさっきから言ってるだろ? あんなポンコツの肉体に興味は無いって」

 鬼丸はそこでいったん言葉を切り、俺を眺めつつさらに続ける。

「ヒビが入ったグラスに、ワインは注げない…… さてシャドウ、お前ならどうする?」

 ひびが入ったグラスにワイン? 何言ってんだ? そんなのグラスを……


―――――――――!?


 不意によぎった考えの馬鹿馬鹿しさに呆れ、捨て去ろうとしたが上手くいかなかった。そして俺が今考えた事と寸分違わぬ考えをした者の声が、背中からかかった。

「器を変える…… お兄さま、あなたは……っ!?」

 二の句をつなげないでいるスノーに、鬼丸は静かに語る。

「俺の意識をこうしてシステムにアップロード出来たんだ。なら、ダウンロードも出来るはず…… ただし、違う器にね」

「意識と記憶のダウンロード…… そんなこと……」

「いろいろと条件はあるけど理論上では可能だ」

「第一体はどうすんだよ? 死体でも探してきてインナーブレインに繋ぐってのかよ!?」

 俺は鬼丸の言葉にそう返す。だがすぐにスノーがそれを否定する。

「無理よ。意識があって初めて同調できるのだから。生命活動が停止した大脳皮質ではシステムにアクセスすることは出来ない…… まさか、未帰還者を……!?」

 そうか、ロストは脳の干渉事故だ。生命活動が停止したわけではない。ロストした被験者の肉体ならシステムに繋ぐことが可能かもしれない。

 だが、鬼丸はそれを否定した。

「惜しい! 実はそれも考えた。でもインナーブレインがこの世界に運んでくるのは、あくまで『表層意識』だ。意識や記憶の大半は脳にある。いいか、此処はあくまでイメージの世界だ。被験者の脳に偽りの景色や感覚を見せたり与えたりしているにすぎない。だからロストプレイヤーにダウンロードすると、同じ肉体に2人分の意識と記憶が同時に存在することになってしまうだろ? そんな状態を人間の脳が耐えられないはずだ。よく聞く『乖離性同一性症候群』いわゆる『多重人格症』だって、価値観や考え方が違う『本人の意識』なんだぜ」

 じゃあ鬼丸はどうやって新しい肉体を手に入れようとしているんだ?

「だが、発想は間違っちゃいない。問題は脳の中にある意識をどれだけこちら側に持ってこれるかってことだ」

 まるで教師ができの悪い生徒に教えているときのような口調で鬼丸は語っている。

「そして思い当たったのさ。このイメージの世界にたった一つだけ自分の意識や記憶のほとんどを持ってこれる存在がある…… 」

 そう言いながら、鬼丸は手にした太刀の切っ先を俺に向けた。

「もう判るだろ? アザゼル因子を持つ特殊脳の人類、ガーディアンだ。ガーディアンはその内包するアザゼル因子の影響で意識をダイレクトにデジタル媒体にシンクロさせることが出来る。同調率が高いのはその為…… そして、カーディアンシステムの管理下では桁外れな同調率を示す。

 あのルシファーモードに移行した際に見せる圧倒的な攻撃力と殺人的な機動力は、驚異的なスピードで肥大化し、増殖した脳内シナプスから逆流する感情という『化学反応』によって生成された意識電流が大量にこちら側のプログラムに送り込まれている結果なんだ。設定されたステータス数値をスキップし、こちら側の物理法則にまで干渉する強い意志の力…… 同調率が上がることで、自分の意志の力がこの世界に及ぼす影響が強くなる。それがルシファーモードの戦闘力の源だ」

 そう言いつつ、鬼丸は白い歯を見せながら笑う。あの極上の笑顔で。

「アザゼル因子を持つガーディアンであること。ガーディアンシステムに単独でアクセスできること。そして、ルシファーモードを発動できる鍵『童子切り安綱』を使いこなせる人間であること…… それが生きたまま脳内の自分の意識のほとんどをこの世界に移行できる条件だ。そして、その条件に合う存在…… シャドウ、悪いがお前の体をもらう」

 鬼丸の言葉に俺は絶句した。

 体を貰う? 乗っ取るって事か? 馬鹿言ってんじゃねぇよっ!

「つまり、シャドウの体めあてだったってことなの!?」

 と、ドンちゃんが心配そうな声で叫んだ。あのさ……

 言葉も意味も間違っちゃいないけど、その言い方は止めてくれ。ドンちゃんが言うとなんか違う意味に聞こえてくるし。

「俺の意志を無視してか? そんなの無理に決まってるだろ。第一、『体をくれ』って言われて『はいどうぞ』って簡単にやれるかっ!」

「まあ、そりゃそうだ」

 俺の言葉に鬼丸はあっさり納得した。

「『貰う』じゃなくて、この場合『奪う』って言った方がいいな」

 鬼丸の目が冷たい光を放ち始めた。それを認めたスノーの声が飛ぶ。

「あなたは私の知る兄ではない。そんな他人の体を平然と『奪う』なんて、何の抵抗もなく口にするような人が…… 目の見えない私でさえ、その笑顔がはっきりと頭に浮かぶような優しい声で語りかけてくれた、あのお兄さまであるわけがない! あなたにシャドウの体なんて絶対に奪わせないわっ!!」

「大丈夫だスノー、ようはルシファーモードにならなきゃ良いんだ。それにいざとなったらリセットすりゃいいんだからな」

 俺がそう言った瞬間、鬼丸の笑い声が響き渡った。

「あははは―――――――っ! オイオイ此処は使徒でさえアクセス不能な『聖櫃』だぜ。本来のシステムエリアじゃないこのフィールドで、通常リセットが可能だと思っているのか? 此処は出現した最終標的を倒さない限り戻れなし、リセットも不能。そして、この状況では、最終標的はこの俺だ。つまり、この俺を倒さない限り、システムから抜け出すことは出来ない。『帰らずの扉』を潜ったとき、すでにお前達は囚われていたってことさ。だからこのAKIBA・PJにお前達が足を踏み入れた時点で俺の計画は8割方達成されたことになるのさっ!」

 そしてその言葉が言い終わるが早いか、鬼丸は一気に間合いを詰め上段から斬りかかってきた。虚をつかれた俺だったが、危ういところで鬼丸の暫撃を安綱で受け止めた。だが、受け止めた瞬間、太刀を握る鬼丸の左手がスルリと離れつつ、鬼丸の口元から素早く詠唱が響く。速いっ!!

「ボムフレイア!」

 俺の鳩尾あたりで炎が爆ぜ、それと同時に前進に浴びる衝撃波と熱風に炙られた俺の体は後方に弾け飛ばされた。ボムフレイアはフレイアの強化版でメガフレイアとの中間に当たる比較的下位の魔法だが、対象1つに限定されるフレイアと違い、放たれる火球が対象付近で爆発し広範囲に広がることで攻撃対象が密集している場合複数の対象にダメージを与えることが出来る。

「うぐぅ……っ!」

 思わずうめきが漏れ、片膝がアスファルトを舐める。不意をつかれた太刀の暫激を受け止めたことで完全に無防備状態で、しかもゼロ距離の超至近で食らったため結構効いちまった。しかしなんつースピードだ。

「シャドウっっ!!」

 ララとスノーの叫びが響き、リッパーとサムが得物を構えた途端……

「ギガボルトンっ!」

 再び鬼丸の呪文名が轟き、轟音とともに閃光と衝撃がメンバーに襲いかかった。

 速すぎる! 呪文の詠唱スピードが尋常じゃないっ! サポートマジック専門の高位聖職者【ハイビショップ】であるサンちゃんのプロテクションが間に合わないなんて……

 皆同じようにダメージを食らって蹲り、驚愕するメンバー達に鬼丸の声が響きわたる。

「ルシファーモードにならなけりゃいいって? シャドウ、アレなしで俺に勝てるのか?」

 俺は心の中で舌打ちしつつ、震える膝を叱咤し立ち上がった。

「野郎っ!」

 と叫びつつ、リッパーが横合いから斬りつけた。鬼丸はこともなくその一撃を軽くいなす。その隙に俺は一気に間合いを詰め、水平に構えた安綱で、鬼丸の喉元に突きを入れる。鬼丸はリッパーの攻撃を太刀ではじき、その反動を利用して俺の突きを交わすと、そのまま後方に飛び退いた。

 さすがは鬼丸だ。戦い慣れしている…… と敵であるにもかかわらず思わず胸中で賞賛した瞬間、独特の飛来音とともに鬼丸の着地を狙った魔法弾が数発、鬼丸の体に殺到するのが見えた。相変わらず職人芸のようなタイミングで放たれるドンちゃんの攻撃だ。

 だが、鬼丸は殺到した数発の魔法弾を、なんと手にした太刀でことごとく空中でたたき落として見せたのだ。

「うそぉ! なんて奴!?」

 後方のドンちゃんが驚きの声を上げる。いや、無理もない。着地を狙われ、しかも音速を超えるスピードで飛来する弾丸をたたき落とすなんて芸当、普通じゃ考えられないからな。

 たたき落とす際に至近に落ちた魔法弾から爆ぜた炎の火の粉を、マントの裾で払いながらゆっくりとした動作で太刀を構える紅の魔神。体を覆う紅い鎧の色が、アスファルトから立ち上る爆ぜた炎に煽られ鮮やかに浮かび上がる。ゆらゆらと蜃気楼のように薄くぼやけ、まるで己自信が紅蓮の炎のように燃えているような錯覚をみせる。その姿は神話や物語にたびたび登場する炎の魔人『イフリート』を連想させた。

「この程度じゃ勝てないぜ?」

 不意に後方で鬼丸の声がして、戦慄とともに振り返る。すると視界に、サムの腕を切り落とす鬼丸の姿が見えた。

「馬鹿なっ!?」

 切り落とされた左腕がアスファルトに落ちると同時に、サムの肩口から血しぶきが舞いサムの絶叫が響き渡った。

 サムは絶叫しつつも、残った右手に握った槍を振り向きざまに鬼丸に向け放つが、鬼丸は難なく交わし流れるような動作でサムの脇腹に強烈な蹴りをみまった。サムは肩口から鮮血をまき散らしながら吹っ飛ばされた。

「サム――――――――っ!!」

 悲鳴のようなララの声を聞きながら、俺は驚愕で打ち震えていた。

 馬鹿なっ、いつ後方に回ったんだ!? 鬼丸の動きが全く見えなかったっ!!!!?

 ドンちゃんの攻撃を凌いだときは間違いなく俺の前に居たはずなのに、次の瞬間鬼丸はサムの背後から腕を切り落としていたのだ。まるで瞬間移動したかのように……

「よくも……っ!!」

 ララが叫びながら鬼丸に突っ込む。ララのスピードはレベルは低いが、モンク専用レアアイテム『韋駄天の靴』でチーム内最速を誇る。

 一瞬遅れたようにララの方を向く鬼丸の顔面に、ララの必殺の爆拳が炸裂した!

 ……と思った瞬間、ララの右拳が空を切り、代わりにララの脇腹から太刀の刃先が生えていた。

「あ……、あ、が……っ」

 声にならない呻きがララの口から漏れ、その背中に太刀を突き立てた鬼丸が立っている。鬼丸が完全に動きを止めたララの背中に膝を当て、力任せに太刀を引き抜くと、何の躊躇いも無く太刀を低く振るい、ララの両足を切断した。支えを失ったララの体は、まるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

「ララ――――――っ!!」

 自分の血だまりの中で体を痙攣させるように藻掻くララの姿を見た瞬間、一時的に思考が停止した。

 鬼丸はそんなララの姿をチラリと見下ろし、興味の尽きた表情で太刀の刃に付着した血糊を振るい落としてこちらを向いた。

「まずは2人……」

 そうつぶやき、鬼丸はにやりと唇を歪めた。あっという間だった。鬼丸が攻撃を仕掛けてから僅か数十秒でメンバー2人が深刻なダメージを食らい戦線から離脱を余儀なくされた。

「サンちゃん、ディケアを……」

「リディアルコン!」

 とりあえずララとサムの回復をサンちゃんに言おうとした瞬間、鬼丸の声が俺の声をかき消した。ララとサムに回復魔法のディケアをかけようとしていたサンちゃんの体が仄かにピンク色に輝いた。鬼丸のかけたサポート魔法『リディアルコン』が対象者をとらえた合図だった。サンちゃんはすぐさま呪文詠唱を中止し沈黙する。奥歯をかみしめ、ギリっと歯が軋む音が聞こえてきそうな悔しい顔をする。

「おいサモン! なにやってんだよっ!!」

 サンちゃんのその行動に納得がいかず、リッパーが怒鳴りつけるが、俺がそれを押さえる。

「いや今はだめだ。サンちゃんの回復魔法は今の鬼丸の魔法で封じられたんだ!」

「封じられた? 魔法が使えなくなる魔法だったのか、今の?」

「違う。セラフィンゲインの魔法に『魔法を封じる』つーアンチマジックは存在しない。だが…… くそ、こんな方法があったとは……っ!」

 サポート魔法『リディアルコン』は対象者の魔法の効果ベクトルを反転させる魔法だ。つまり攻撃属性の魔法は回復、若しくは範囲効果に、その逆に回復効果の魔法は攻撃の魔法になる。要するにこの場合、サンちゃんの専門である回復魔法、若しくは範囲効果魔法はすべて対象者にダメージを与えてしまう『攻撃』属性の魔法に変換されてしまうのだ。

 本来は魔法を使用するセラフに対して、長い詠唱時間を必要とする高位攻撃魔法を唱える魔導師のいわば『時間稼ぎ』のために使用されるが、それもまれで、ほとんど使用されない魔法の一つだった。

 先ほど言ったようにセラフィンゲインに術者の魔法を使えなくしてしまう『アンチマジック』は存在しない。だが今のリディアルコンで、一時的ではあるがサンちゃんの回復魔法は完全に封じられた事になる。

「リディアルコンの効果時間は確か20分前後…… その間俺たちは回復を自前で行わなければならない事になる」

「マジかよ……」

 俺の言葉にリッパーが呻くように呟いた。地味すぎてその存在自体忘れていたリディアルコンにこんな使い方があったなんて考えてもいなかった。

「ちっ、気がついたか。ホントはその状態で回復魔法をかけさせるのを狙ったんだがな…… そこまで馬鹿じゃなかったようだ。なかなか正確な判断が出来るビショップだな」

 鬼丸はそうサンちゃんを評価する。

「回復魔法はその特性上敵にかけることは出来ない。そもそもこの魔法を敵から受ける事なんてチームバトルぐらいだ。地味な魔法だが自分たちが食らうとやっかいだろう?」

 鬼丸はおかしそうに笑ってそう言った。

 確かにその通りだ。しかし、鬼丸の戦略には舌を巻く思いだ。その天才的な頭脳に加え、セラフィンゲインを知り尽くしている。1年半前、そばで散々見てきた奴の天才的戦略を改めて思い出していた。敵に回すとこれほど恐ろしい奴はいない。

 俺はチラリとスノーを見た。サムがやられ、ララが戦闘不能。そして回復とサポートの要であるサンちゃんが魔法を封じられた今、彼女の強力な攻撃魔法だけが頼りだ。だが、前衛が2人戦線に復帰できない状態では、彼女の『メテオ・バースト』や先日の『ディメイション・クライシス』を詠唱している最中に前衛を突破されるだろう。

 いや、仮にサムとララが万全だったとして、あの理解不能なスピードでは同じかもしれない。スノーもきっとそれが判っているからうかつに魔法を唱えないのだろう。鬼丸は『リディアルコン』でサンちゃんを、そして自分の攻撃スピードでスノーを無力化しているのだ。

「どうだシャドウ、この状況でまだルシファーモード無しで戦いになると本気で思うか?」

 鬼丸の唇に不敵な笑みが浮かぶ。鬼丸の言うことはつくづくもっともだ。ルシファーモードになれば鬼丸のスピードについていけるかもしれない…… だが、本当に鬼丸のスピードはいったい何なのだろう。先ほどサムの背後に回ったときなど、全く判らなかった。普通に考えて、肉眼でとらえられないスピードなんてあり得ない。ホントに移瞬間移動したとしか思えない。

「お、おい、シャドウっ!?」

 そこにリッパーの慌てたような声が届く。俺がリッパーの顔を見ると、リッパーは血の気の失った表情でくいっと首を捻って俺に視線の先を指示する。俺はリッパーの視線の先を見て言葉を失った。

 見ると先ほど鬼丸に切り落とされたサムの腕が、切り口からチリチリと細かなポリゴンを散らしつつ消失していくところだった。

「これは安綱と同じ……!?」

 すぐに視線をララに移すと、ララの切断された両足も同じように消失しかけていた。

「そう、この『鬼丸國綱』の刃にもお前の持つその『童子切り安綱』と同じ、『イレーサー』が付加されているのさ」

 鬼丸がさも面白そうにそう言った瞬間、まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。

「鬼丸、てめぇ……っ!!」

 ララが消える。そう思った瞬間、口から出た声は、自分の声ではないような憎しみを含んだ低い声だった。

「なかなか威圧的な気配を纏うようになったじゃないか、シャドウ」

 そうからかうように言いながら、倒れているララの前に立つ鬼丸を睨みつつ俺は手にした安綱を振りかぶって一気に間合いを詰め、鬼丸に斬りかかった。だが鬼丸は俺の攻撃を易々と國綱で受け止めるとすかさず反撃してくる。

「そこをどけっ! 鬼丸っ!!」

 鬼丸と斬り合いながら、俺はそう叫んだ。数合斬り結んだとき、鬼丸の口から呪文が飛び出す。

「メガフレイア!」

 瞬間的に愚者のマントを翻したが、ほとんどゼロ距離で食らったため、ちょうど鳩尾あたりで爆発が起こり、俺は後方に吹っ飛ばされ地面に這い蹲った。愚者のマントである程度緩和されてはいるが、全身がバラバラになりそうな衝撃だ。さっきもそうだが太刀での戦闘中に魔法攻撃を仕掛けるなんて聞いたことがない。いったいいつ詠唱したんだ!?

「ちくしょう……っ!」

 震える膝を押さえつつ、安綱を杖代わりにして立ち上がり鬼丸を睨むと、リッパーが攻撃を仕掛けていた。怒濤のようなリッパーの連続攻撃だが、鬼丸は涼しい顔で捌いている。スピードが圧倒的に違うのが端で見ているとよくわかる。

 そのとき、鬼丸の後ろで未だにポリゴンを散らしながら消えゆくララの両足が目に入った。

 ――――――あれ?

 俺の頭の中に一つの疑問が浮かび上がる。


 『なぜまだ…… 消滅していないんだ?』


 前のバルンガモーフの時は、斬ったそばから数秒で消滅していったはずだ。なのにララの両足は未だに消滅しきっていない。見ると僅かではあるが、サムの腕も未だに残っている。安綱と同じ『イレーサー』を付加された装備と言っていたが、アイテムでそのスピードに個体差でもあるのか?

「何で当たらないのよーっ!」

 ドンちゃんの叫び声とともに、撃滅砲の発射音が連続して響く。リッパーのダブルブレイドの攻撃を交わし後方に飛び退く鬼丸を追尾するかのように迫る魔法弾をことごとく空中でたたき落とす鬼丸。飛んでくる弾丸を黙視できるって、どんな動体視力だよっ!? 鬼丸には弾丸がスローモーションで見えてるってのか?

 ――――――!?

 俺の頭の中で、あることがひらめいた。

「スローモーション……」

 そう口に出しながら、俺はもう一度ララの方を見る。ララの斬られた両足は確かに消滅しかかってはいるものの、やはり未だに存在していた。

 圧倒的なスピードの差…… 

 鬼丸のスピードの速さ…… 確かにそれもある。だが、鬼丸が速すぎるのではなく、俺たちが遅すぎるのだとしたら……

 頭の中にその仮定が浮かび、やがてそれが確信へと変わっていった。

「そうだったのか……」

 そう呟いた瞬間、鬼丸と斬り合いを演じていたリッパーの右腕が、鮮血とともに宙を舞い、リッパーの口から絶叫がほとばしった。

「ギガボルトン!」

 リッパーの絶叫に被るように鬼丸が呪文名を叫び、強烈な青白い光とともに雷鳴が轟き、リッパーは崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだ。

「リッパーっ!!」

 悲鳴のようなドンちゃんの声が、薄れゆく雷鳴の反響音に乗って俺の鼓膜を刺激した。

「おっ? その顔はやっと判ったみたいだな、シャドウ。手品のタネが」

 鬼丸は太刀の刃に付着したリッパーの血糊を振り落としつつそう言った。俺はそんな鬼丸を畏怖の念を込めた目で見据えた。

「『クロノスフォール』…… まさか魔法剣士であるあんたが『時間魔法』まで操れるとは思わなかった。いつかけられたのか全く判らない……」

 そう言いながら、俺はどの場面でかけられたのかを必死に思い返してみたが、鬼丸のそんな素振りは全く思いあたらなかった。

「此処に来てすぐにだよ。正確には自分のスピードを加速させる『クロノスゲイン』もな。時間魔法はその効果が最大になるまでに時間がかかる。それまでに解除魔法『リディン』をかけられるとリセットされるから、それまでお前達に悟られないように俺が離れつつあるお前達との時間差にあわせていたのさ。わざとゆっくり動いてな」

 やられた……! 俺たちは完全に鬼丸の罠にはまっていたのだ。鬼丸が徐々に離れていく俺たちとの相対速度に素直に従って動いていれば、もっと早い段階で気がついたはずだ。だが奴はその効果を最大限に生かすために、わざとスピードを殺して時間を稼いでいたのだ。やはりこの男はハンパ無い。『ガーディアン』というこの世界じゃ半ば反則的な肉体を使わずとも、この世界の法則【ルール】に則った戦闘方で、完全に俺たちを圧倒している。『天才』とは、まさにこの男の為にあるような言葉に思えてならなかった。

「さて、そろそろなってもらおうか…… 『ルシファーモード』に」

 そう言いながら俺を見る鬼丸の瞳が怪しく光っていた。

 


初めて読んでくださった方、ありがとうございます。

毎度読んでくださる方々、心から感謝しております。

第31話更新いたしました。

年末から年始にかけてやたらと忙しく、ぜんぜん書く暇がなくってもう嫌!(涙

さて、もうのっけから無敵っぷりを発揮する鬼丸の目的がハッキリしました。勘のいい読み手さんには、にわかにばれていた気もしますが、まあこういう訳です。ガチガチのベタ王道ですが、楽しめていただけるなら幸いです。もう少しだけこのしょーもない物語におつき合い下さいませ。

鋏屋でした。


次回予告

その天才的な鬼丸の戦略の前に次々と倒されていくメンバー達。まさに全滅必死の状態に歯ぎしりするシャドウ。そんなシャドウに鬼丸はルシファーモードを誘うべく、その刃を実の妹であるスノーに向けた。その光景を目の当たりにしたシャドウは、それをきっかけに、ついにルシファーモードを発動させる。果たして、シャドウのルシファーモードは魔人鬼丸に通用するのか!?


次回 セラフィンゲイン第32話 『魔人と堕天使』 こうご期待!

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