第28話 魔女の仮面
クラブマチルダでのオフ会の後、僕たち『ラグナロク』は数回のクエストをこなし、いよいよクエストNo.66『マビノの聖櫃』に挑むこととなった。
一番レベルの低いララも、フィールドクラスAのレベル6クエストクリアで見事生還を果たし、晴れて上級者になった。いやー、初アクセスから約1ヶ月半でレベル6クエストクリアから生還するなんてたぶんララが初めてだ。確かにチームのメンバーの強さも桁違いだが、何よりララ本人の資質に寄るところが大きいね。
リアルでも『格闘家』としてのセンスはあるんだろうけど、セラフィンゲインでは、リアルの肉体的な『性能』は一切反映されないはずだ。だが、ララはそれを覆して見せた。普通に考えてあり得ない。このまま成長したら、史上初の『モンクのソロプレイヤー』になるかもしれない。僕も冗談でマリアを『ビジュアル系悪魔』なんて呼んでるけど、もしかしたら、マリアは本当に『人間』じゃないのかもしれない……
あ、でもマリアが例の『ガーディアン』じゃないことは確か。僕の持つ安綱がマリアに反応しないのが何よりの証拠。やっぱり、あの底なしの胃袋も含めて、ホントの悪魔なのかもしれないな……
まあ、そんなララのことはさておき、僕たちは満を持して、あの難攻不落の代名詞、『マビノの聖櫃』に挑むことを決意したのだった……
「リッパーっ! 後ろだぁっ!!」
俺の怒鳴り声に反応し、まるで鞭のようにしなりながら、唸りを上げて迫る銀色の尾の一撃を間一髪で交わしたリッパーは、即座に地面を蹴って跳躍した。
馬鹿っ! それじゃ次が交わせないっ!
俺はそう心の中で舌打ちし、瞬間的に視線を横に飛ばす。視線の先には、2本の尾に執拗に攻撃されて迂闊に懐に飛び込めないララが居た。ララも頑張ってはいるが、近接攻撃が主体なキャラだけに、こうも鞭のような長い尾の攻撃を乱舞されると捌くだけで精一杯なようだ。
と、そこへ後方から放たれた魔法弾が着弾した。直撃した敵の首回りを飾る鬣が瞬間的に凍り付き、まるで教室の黒板を引っ掻くような不快な絶叫が迸り、幻龍種『マンティギアレス』はリッパーを追撃する機会を失って大きくよろめいた。
いつもながら惚れ惚れする着弾タイミングだ。ドンちゃんの予測射撃はまさに神業と言っていいな。
「スノーっ! やめろっ!!」
俺は視界の隅にとらえた純白のローブ姿の魔女にそう怒鳴りつけた。手にした杖を掲げ、呪文詠唱を始めようとしていたスノーが、杖を持ったまま硬直し俺に視線を移した。
「でも……っ!」
「よせ、スノーっ! 魔法はもう使うなっ!!」
俺はスノーの言葉を遮り、そう叫んだ。ここまで来るのに冷却系の高位呪文を連続使用したせいで、かなり魔法力を消費しているはずだ。元々冷却系と雷撃系の魔法は爆炎系に比べ魔法力の消費が大きい。比較的に下位の冷却・雷撃魔法でセラフの行動を抑制し、前衛による直接攻撃でとどめを刺す方法で、この聖櫃に続く通路を突破するというスノーの基本戦略に乗っ取って行動してきたが、いかんせん遭遇するボスセラフの数が多かった。以前鬼丸と挑んだときよりも確実に多い。どうやら挑むチームレベルに対応しているようだ。
ここから先は何があるかわからない。予想される聖櫃内部での戦闘を前提に考えるなら、もう彼女の魔法は使用できない。少なくともメテオバーストクラスを3,4発…… 先日のバルンガモーフの様な防御属性を変更するセラフに対処するには、少なくとも旧魔法である『ディメイションクライシス』を放てる魔力は残しておきたい。俺の『ルシファーモード』の発動条件がいまいち不明確な今は、スノーのあの呪文が唯一の切り札だ。この時点では、彼女の魔法無しで切り抜ける他にない!
俺のそんな思考に答えるかのごとく、続いて何かが天井から急速に飛来するのが見えた。その手に神槍『グングニル』を構え、まるで獲物をとらえる本物の鷲のごとく急降下する黒い大鷲、サムだった。
「キエェェェェェッ!!」
と、相変わらずの奇声を上げ、後頭部に矛先を突き立てる。相変わらずその奇声に何の意味があるのか、いやそもそも『奇襲』であるジャンプ攻撃に、何故奇声を上げるのか全く持って理解できないが、サムはまんまと龍族共通の弱点である『延髄』にその刃を突き立てた。
俺は先ほどよりもさらにでかい鳴き声に鼓膜を痺れさせながら、尚も未練がましく振り下ろされた、獅子のような大きな前足の攻撃を安綱で弾いた。
それを最後に、俺に弾かれたその前足は二度と地に付けることなく、マンティギアレスは、その後ろに横たわるもう1体に折り重なるように、ゆっくりとその身を横たえていった。
俺は安綱の刃に付着したマンティギアレスの体液を1振りで払い落としつつ、肩で息をしながらリッパーに声を掛けた。
「はあっ…… リッパー、接敵が、長すぎるって……」
「ああ、今のは、ちょっと、危な、かった……」
俺と同じように肩で息をしつつ、こめかみにしたたり落ちる血をぬぐいながらリッパーが答える。1体目で負傷した事にも起因しているのか、珍しく自分のミスを認めるリッパーも、いつもの軽口を吐く余裕もないようだ。確かに余裕なんてありはしないだろうな。やはりここはハンパ無い……
かく言う俺も、つがいのマンティギアレスの前に倒したレオガルン戦で、2度の嘴攻撃を食らい、HPを大きく削られた。すかさずサンちゃんに掛けて貰った回復魔法でHPは全快近くまで回復しているが、相次ぐボスセラフの挟撃で体力とスタミナを回復する暇がなく、攻撃に隙が生じているのも確かだ。サンちゃんの回復魔法もこの先にある『聖櫃』が未知なだけに、温存しなければならず、今度ダメージを食らったら自前の回復液で回復するしかないと言う現状だ。
「だいぶスタミナを消費してるネ、シャドウ」
そう言いながらサムが俺の側にやってきた。所々に血が滲む腕で槍を担いでいる。細かいダメージが蓄積しているはずだが、当の本人はケロっとした顔で笑っている。コイツ、疲れるって事知らないのか?
「連戦、だからな…… さっきちょっと無理したし」
俺はそう答えながら安綱をさやに戻し、ポーチの干し肉を千切って口の中に放り込んだ。
「確かに、マンティギアレスの首を一降りで斬り落とすなんて見たこと無いわ」
とドンちゃんが撃滅砲をリロードしつつ寄ってきた。
そうなのだ。つがいで現れたマンティギアレスのうち、1体目は俺が安綱で首を切り落としたのだ。
「確かにグレートだったネ。まるで鬼丸みたいだYo~」
サムの言葉に俺は答えなかった。確かにさっきは自分でもビックリだ。安綱の切れ味も凄かったが、何より自分の反応に驚いた。やはりコレは……
「ガーディアンシステムの影響…… もしかしたら、この前アクセスしたことにより、シャドウの脳がシステムに、よりダイレクトに反応できるよう同調率を上げて対応しているのかも……」
スノーが俺を見ながらそう呟いた。確かにあり得る話だな……
「鬼丸の強さが、今なら理解できるな……」
俺は口の中の干し肉を飲み込むと、スノーにそう言った。
「だが、確かに戦ってるときは良いんだが、一戦闘終える度に体力とスタミナをごっそり持って行かれる。こう連戦が続くと回復が間に合わない」
それにさっきから体中の関節が鈍く痛み出していた。前回経験したあの『ルシファーモード』ではないものの、明らかに俺の現状ステータス以上の動きと反応速度だ。脚力と腕力にたっぷりパラメーターの数値を振り分けてはいるが、オーバーワークであることは間違いない。狂戦士【バーサーカー】の寿命は短い物と相場が決まっている。反則技には、それなりにリスクがあるってわけね……
ここまで来るのに俺達が倒したボスセラフは6体。そのうち2体はレベル6セラフだ。この先にある聖櫃でも、恐らく何かある。こりゃあまたリアルで筋肉痛で動けなくなるかもな……
「でもここまで、誰も欠けることなく来たぜ。マジ凄くね? 俺達」
とリッパーが呟く。
「ホント、ララちゃんも頑張ってるし」
そう言いながらドンちゃんはララを見る。が、当のララは……
「うん(もぐもぐ) あたし(もぐもぐ) やれば出来る子だし(もぐもぐ)」
と、持ってきた弁当を頬張りながら答えた。沢庵で売ってる携帯食料『特製沢庵弁当』なんて、買う奴がいるとは思わなかったよ。ネーミングも微妙だし……
確かに体力回復の効果があるけど、あれってほとんど洒落で売ってるんだぜ? 経験値に余裕があるならレベルアップに回すとか考えねぇのかお前……
「みんな、見て……」
ララのそんな姿に呆れていたところに、スノーの声が掛かった。見るとスノーが、奥に続く通路の先を見ている。俺達はスノーに引きずられるようにその視線の先を追った。すると馬鹿高い天井の通路が続き先に、大きな扉のような物が見える。
「あれってもしかして……!?」
ドンちゃんがごくりと唾を飲み込みそう呟いた。
「ええ、恐らく……」
ドンちゃんの質問に最後まで答えずに、スノーもまた息を飲む。
横幅は6メートル前後、上部が丸みを帯びてアーチ型になっていて、その上端はこの高い天井にほとんどくっついている。未だかつて、ここまでたどり着いたプレイヤーがいないだけに、その形状すら謎だった『開かずの扉』
青銅のような、若干青みがかった不思議な光沢を放つその表面には、海に浮かぶ島の上空から、優しそうな微笑を浮かべながら見下ろす、何枚も重なる大きな翼を広げた天使が彫刻され、まさに『天使が統べる地』と言う名を持つこの世界の最終地点に相応しい、荘厳な気配を纏いながら俺達を見下ろしていた。
「さあみんな、行きましょうか。伝説を創りに……」
そう言ってスノーはメンバーに視線を移す。
「と言っても、私は兄のことを知りたかったってのもあるんですけどね……」
スノーは少しおどけてそう言い、ぺろっと小さく舌を出した。
ううっ、可愛い! 萌えすぎだろ――――――っ!?
「何言ってんの、スノーの望みは『ラグナロク』の望みでしょ?」
弁当を食べ終わり、満足顔のララがそうスノーに声を掛ける。
「そうよ、今じゃあたしは、最強だの伝説だのって方より、スノーの目的の方が優先になっちゃってるんだからぁ~」
情に厚いドンちゃんだけに、確かにそうかもしれないけどさ、その顔でうるうるするのはやめてくれ。普通に怖いから。
「ミ~は楽しめればグーYo~ ララちんと一緒に笑い道極めれば本望ネ」
ソロで極めろそんなモン。オフ会で俺に質問した人間と同一人物だとは思えねぇよマジで。
「う~、やべえ、ゾクゾクしてきた~っ! 何か出たら、のっけから全開モードで斬りまくらなきゃ治まんねんじゃね? この感じ」
そう言って手にした双斬剣をくるくる回すリッパー。切り裂き狂なのはもう仕方ないけど、ちゃんと回りを見ろ。さっき自分で認めたのにまだ懲りねーんかお前は!
スノーの傍らに、まるで従者のように控えるサンちゃんも、何か言いたそうにしているが、「むっ……」と声を漏らすだけで無言で頷いていた。いやあのさ、普通に喋れば良いんじゃないかと……
全く、ここまで来てもよくわからんメンバーだな。だけど、俺、このメンバーでチームを組んで良かったと思っているよ。確かに皆少々変わっているが、仲間だという事をここまで意識したことは、今までなかったのだから……
みな一応の装備の点検を終え、通路の向こうに見える扉に歩き出す。俺はその後ろ姿を見ながら、そんなことを考えた。
リアル、バーチャルひっくるめ、胸を張って友達と呼べる存在なんて居なかった俺が、人生で初めて本当の意味で『仲間』を得た。喩え仮想の世界でも、共に死線をくぐり抜けてきたこのメンバーは、リアルで軽く言われる友達じゃない。
たかがゲーム仲間だろ? って言う人は少なくないだろう。
ああそうだ。確かにその通り。でも俺は逆にこう聞いてやる。じゃあそれが本当の死じゃなかったら、痛みや死の恐怖をわかってて、自分のために命を張ってくれる仲間がお前にはいるか? 襲い来る、身の竦むような恐怖の中で背中を任せられる仲間が、あんたにいるのかってな。
リアルで普通に暮らして、世間や周囲に流されて、ただ単調に過ぎていく毎日を生きている中じゃ、まず得られない仲間が俺には居る。必要とされ、また自分も仲間を必要とする。『信用』なんて安っぽい言葉じゃない。機能としての絶対の『信頼』
リアルでどんな形容詞で飾り立てた『友達』を表す言葉をささやかれても、この世界で、現実世界での地位や名誉、立場やコンプレックスなんか一切関係なく、襲いかかる脅威に共に立ち向かう仲間からの『任せろ!』の一言には敵わない。
スノー、あんたには感謝してる。あんたに誘って貰わなかったら、このメンバーには出会えなかったのだから……
だからこそ、俺はどうしても鬼丸に会わなければならない。
喩え もう俺の知る あんたじゃなかったとしても な……
「よし、俺達も行こうぜスノー」
俺は干し肉に続けて回復液を飲み下し、乱れた愚者のマントの留め金を直しながらスノーにそう声を掛けた。どうやら俺を待っているようだった。ん? どした?
「ねえシャドウ…… 聖櫃に入る前に、あなたに話しておきたいことがあるの」
スノーはこの世界でのみ視力を持つ、その澄んだ瞳で俺を見る。
「……言ってみろ」
「この前ドンちゃんのお店でサムに、あなたが答えていた事。もし、本当に鬼丸が現れたら、確実に『消滅』させて欲しいの。敵であろうが、そうでなかろうが、あなたの持つその太刀『童子切り安綱で」
「スノー……」
俺を見るスノーの目には、固い意志の光が宿っていた。
「本当は私がやるつもりだった…… 私の『コンプリージョン・デリート』で……」
安綱に掛けた俺の左腕をそっと掴み、うつむきながら続ける。
「システム領域に近い聖櫃で、アレを使えばどんなことになるか…… 恐らく私や、その時聖櫃内にアクセスしているメンバーの意識も、削除される可能性が高い事は想像できたわ。でも…… 聖櫃に行くには、どうしてもチームでなければならなかった。私は、みんなを巻き添えにするつもりだったのよ……」
左腕から伝わる振動に、スノーが少し震えているのがわかった。下を向いてうつむいているからその表情まではわからない。
「じゃあお前ははじめからそのつもりで、このチームを作ったのか? お前の兄である鬼丸の意識を消すために、メンバー全員をロストさせる事になるのを覚悟で……!」
俺は声に怒気を込めた。おいスノーっ! それじゃ鬼丸と変わらねぇじゃねえかっ!!
「ええ…… そうよ。私にはどうしてもここまで来れる、仲間意識の強い『チーム』が必要だった。そして、どんなに窮地に陥っても、決して仲間を見捨てない傭兵『漆黒シャドウ』をメンバーに欲しかったのも、その目的のため…… 初心者であるマリアさんをチームに入れたのだって、あなたの彼女だと思ったから。彼女がいれば、より結束が強まるだろうという計算があったから。大学の学食で、あなたに会ったのも偶然じゃない…… 私はあなたが同じ大学だと言うことを前から知っていた。知っていてあなたに近づいた。あなたと安綱をどうしても手に入れるために……」
俺の脳裏に、雪乃さんと初めてあったあの時のことが蘇る。
『それがあそこでの貴方の存在理由だから。貴方は逃げない……』
あの時、妙に澄んだ瞳が、なんだか俺の心の中を見通されてるみたいで目をそらしたのだ。だがスノーは俺の心を見通そうとしていたのではなかった。ただ冷静に俺を観察し、俺の反応を伺いつつ、仲間に引き入れる為の計算を働かしていたのだ。
「ロストしたプレイヤーって、見たことある? ベッドで天井を見つめたままぴくりともしない。手を引かれて歩いていても、まるで人形のように表情を凍らせて、ただ引かれるまま…… 放っておいたら食事も取らずに、ただベッドで天井を見つめるだけ…… まるでOSのインストールを待つコンピュータ…… 意識を封入されるのを待つ素体の様な『人間』達…… 私は目が見えなくて良かった。そんな姿の兄を見たら、私はきっと壊れていたかもしれない…… 意識がないまま肉体が滅んで、体を焼かれて墓の下に収まっても、墓に手を合わせる残された私にとっては、それはあまりにも空しい儀式でしかない。あのお墓の下に眠る兄は、兄の抜け殻だけだもの……」
「だったらっ! そんな気持ちを味わったスノーなら! そんな人間を増やすだけの行為をやろうとする自分自身に、何も感じなかったのかよっ!!」
俺のその言葉に、スノーはビクッと体を震わせた。
「……好き だったの。私は兄を 愛してたの…… 妹としてじゃなく、一人の女として……」
下を向きうつむくスノーの顔から何かがしたたり落ち、俺の腕を掴む手のローブの袖に薄いシミを作る。
「前から薄々は感じてた…… 何となく意識しだしたのは私が中学生の頃。そして実験的にアクセスした『エデン』で初めて兄を見たとき、それは確信に変わった。ああ、やっぱりそうだったんだって…… でも同時に、絶対言えない事もよくわかった。兄は私を当たり前に『妹』として愛してくれていたんだって気が付いたから。
それでも良い…… 喩え妹としてでも、兄が私にくれる愛情は嘘じゃないから。喩えそれが虚像の世界であっても、私に向かって微笑んでくれる笑顔は、私だけにくれた宝物だもの…… 私はそれで十分だったのよ。
でもそんな兄が、人形のような姿で逝くなんて、私には絶対受け入れられ無かった。あの兄が、私が愛し、私を愛してくれた兄の死が、あんな不完全な死であって良いはずがない。あれは兄の…… いえ、人の死じゃない! 私はそう思って、兄の意識が無くなった最後のクエストを調べたの。
兄が執拗に聖櫃を目指していたのは知っていたし、兄の『聖櫃はこの世界のシステム領域ではないか』と言う言葉を思い出して、私は兄の体から抜き取られた意識が、まだこの世界にあるんじゃないかって思ったの。もしそうなら、兄の意識を弔うのは、妹である私の役目、それが、私が兄を好きだった証…… 半身不随で普通の人間らしい生き方を送れなかった兄に、せめて人間らしい『死』を迎えさせてあげたかった……」
「だからって…… 仲間を巻き添えにしても構わないって話じゃない……」
スノーの震える涙声に、俺は努めて冷静に言った。スノーの話は同情できる。でも、それに巻き込まれる人間には、当たり前だが罪はない。他のメンバーにだって、兄を失うスノーのように、残される人間はいる。悲しみが増えるだけの行為に他ならないのだから。
「あなたの言うとおりよ、シャドウ…… でも私にはこれしか考えつかなかった…… 考える度に怖くなって、みんなの笑顔を見る度に、胸が張り裂けそうになって、そのたびに、あの時のカインみたいに、抜け殻の様な兄の顔が脳裏に浮かんできて私を苦しめた。そして眠れない夜が増えていったわ。まるで何かの罰みたい……
そんな気持ちを誤魔化すために、私は『絶対零度の魔女』の仮面を被り続けた。心に魔法を掛けて、冷血にすることで私は自分を保つようになった。今じゃもう、どちらが本当の自分かわからないぐらい」
その言葉に俺は沢庵でのスノーを思い出す。みんなと笑いながらテーブルを囲み、皆相応に盛り上がっているのに、何故かその場にそぐわない冷たくて寂しそうな目は、そんな彼女の気持ちを表していたのかもしれない。
「でも、私は自分が思っていたよりも全然弱かった。いいえ、弱くなったって言った方が良いかもしれない。あの日リアルであなたと会ってから…… あなたやマリアさんと親しく過ごすようになってから、私はどんどん弱くなった。リアルだけじゃない…… 私は今まで土壇場でリセットしそうになる仲間を躊躇無く凍らせてきた…… 同じチームのメンバーからでさえ『絶対零度の魔女』と畏怖の念を込めて呼ばれていた私なのに……
学食で、あなたと初めて2人で食事をした時、私はチームを作った目的を…… 自分が『魔女』であることを忘れた…… あなたの袖を掴んだ指の感触、あなたの声、あの時食べたオムライスの味…… ほんの些細なことで、地獄に堕ちても良いとさえ思っていた決心が、簡単に崩れていくのを感じた。その後マリアさんにからかわれて、私は自分の感情の変化に情けないほど動揺した。顔を覆うずれた仮面で声も出ないほどに……」
うつむき、肩を振るわせながら話を続けるその姿は、味方からも恐れられる彼女の異名『絶対零度の魔女』のそれではなかった。
「あのバルンガモーフと戦う前に、あなたが言ったこと…… 憶えてる?」
「ああ、憶えている」
あのとき、ロストプレイヤーの意識を強制的にインストールされたバルンガモーフに攻撃を仕掛ける際に、思い詰めた表情で固まるスノーに掛けた言葉。
『―――せめて同じプレイヤーである俺たちの手で消してやろう…… 少なくとも俺ならきっとそう願う!』
「あのバルンガモーフが、私には兄に見えた。それがたまらなく怖くて、私は逃げ出したくなった…… その時、あなたが言ってくれた言葉に、私は思い出したの。この世界に残存する兄の意識を消すのは、妹である私の義務なんだと…… 幼かった私が兄に言った一言が、兄をこの世界に縛り付ける原因なら、それはやっぱり私の責任なんだと思った。
でももう私には出来そうにない。あなたやララ、リッパーやドンちゃん、サンちゃんにサム…… みんな私の目的のために付いてきてくれた。『伝説のチームを作ろう』なんて方便で、私が兄に会うためだけに聖櫃を目指しているってわかっても、みんなは私を『仲間』だって…… そんなみんなを巻き添えになんて、取れ掛かった仮面が支えて息も出来ないような今の私には、絶対に無理……」
そう言うとスノーは顔を上げ、俺を見た。あふれる涙の奥に、透き通った悲しい色の瞳に俺の顔が映り込んでいる。
「だからお願いよ、シャドウ! 鬼丸を…… 兄の意識を、完全に消去して! 今の私には『コンプリージョン・デリート』は使えない。あなたの安綱だけが、みんなを巻き込まずに、兄の意識を消せる唯一の手段なの。今更こんなお願いなんて言えた義理じゃないこともわかってる。出来ることなら私がその安綱で兄を斬る…… でも安綱は『ガーディアン』じゃなきゃ使えない、あなたじゃなきゃガーディアンシステムにアクセスできない!
気に入らないなら、その後で私も消して。どのみち『聖櫃』でコンプリージョン・デリートを使えば、術者だって無事じゃ済まなかったはず、覚悟してた事…… むしろあなたの手で消してくれた方が私は……」
そう涙ながらに哀願するスノーの震える腕を、俺は右手でそっと放した。
「……もういいよ、スノー。あんたの言いたいことはよくわかった。俺が何とかする。ただ、敵だったらアレだけど、そうじゃなくて現れた場合は、あいつがそう望んだらって条件付きだけどな」
反則だよスノー。あんたにそんな顔してお願いされて、断れる男がいたら会ってみたいよまじで。
「それに、あんたを斬るつーのも却下だ。俺の太刀は、何故か女を斬れないようになってるのさ」
俺はちょっとキザっちく答えた。リアルの俺がやったんじゃ、絶対引かれる以前に、言葉にならないだろうけど、ここでの俺じゃアリだろう?
「シャドウ……」
俺の答えに、スノーは泣き濡れた顔できょとんとして俺を見る。
「この前、ドンちゃんの店で、サムにはああ言ったが、実は俺にも迷いがある…… あいつが敵として俺達の前に現れたとき、あいつを斬ることが出来るのか、正直自信がない。でも、あんたの今の話を聞いて、何となく決心が付いた。みんなをロストさせるわけにもいけないし、何よりあんたが『兄殺し』をするとこなんて見たくはないさ。もっとも、『ルシファーモード』になっても、あいつに太刀打ちできるのかつー方が先だけどな」
そう言って俺は笑った。いやなに、スノーの顔が近いしさ……
「ゴメンね…… 友達だったあなたが、辛くないわけないのにね……」
「兄妹よりマシだろ。それにサムに刺されるのは願い下げだしな。なに俺は元傭兵だ。やっかい事には慣れているさ」
「なら私は、全力であなたをサポートする。私の全ての魔法を駆使してあなたの道を作るわ、シャドウ……」
そう言ってスノーは涙に濡れた顔を近づけてきた。あわわっ! 顔近すぎるでしょっ!!
「で、でも傭兵を雇うには契約料がいる。当然腕利きは契約料も桁違いだ。俺の契約料は高いぜ、何せ俺は一流だったからな」
潤んだ瞳のスノーの顔がやたら近く、俺は動揺を隠すようにそう軽口を吐いた。やべえ、まだクエスト中なのに、気絶どころか接続が切れそうだっ!
「経験値以外は取り引きしない…… 初めてあったときにそう言ってたね」
「ああ、だが今回は特別だ」
スノーは涙を拭いながら、不思議そうな顔で俺を見る。ああ、なんて可愛いんだろう……
「沢庵でビネオワ…… つきあえよ? スノー」
俺のその言葉に涙を拭うスノーの顔が一瞬ぽかんとし、続いてゆっくりと明るくなった。
「うん、ありがとう…… シャドウ」
そう言いながら微笑むスノーの笑顔は、かつて『友』だった男が俺にくれた、あの極上の笑顔によく似ていた。
「おーい、何やってんのーっ!」
とそこに、もうすでに扉の前に移動したララが大声で叫ぶ声がした。
「さあ、行こうぜスノー、あいつに会いに」
「ええ、そして全てを知るために」
そう力強く言うスノーは、なんだか前より柔らかくなった気がするのは気のせいだろうか?
それにしても、また一つ鬼丸に会って、やることが増えちまったな。聖櫃にいるなら待っていろよ鬼丸。もうすぐ会いに行くからな!
俺はそんなことを心の中で呟きながら、通路の先に見える馬鹿でかい扉に向かって歩いていった。
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。
毎度読んでくださる方々、心から感謝しております。
第28話更新いたしました。
やっとこの物語のテーマの一つである『仲間』ってのに戻ってきた気がします。相当寄り道しましたが……
いや~、いたる所に貼り続けてきたスノーの伏線をやっと回収出来ました。まあ、ぶっちゃけただのシスコン&ブラコンなんですけどね(爆) スノーの目的&手段については…… う~ん、はじめから考えていた事ですが、納得できない人多いだろうなぁ 失敗だったかもなぁ(マテコラ!)
しかし智哉とシャドウは別人だなまじで。まあいいか、仮想世界だし……リアルじゃヘタレでも、コッチじゃ英雄ですからw 書いてて危うく、シャドウとスノーをちゅーさせてしまうところでしたw あぶねぇあぶねぇ……
27話での次回予告を変更しました。スノーの話が長くなりすぎたもので……
もうすぐ完結になりますが、ご意見ご感想、お待ちしております。
鋏屋でした。
次回予告
ついに聖櫃内部に足を踏み入れたシャドウ達チームラグナロク。初めて目にする聖櫃内部、だがそこに広がる光景にシャドウ達は言葉を失った。驚愕の聖櫃内部とはどんな世界なのか? そして困惑するシャドウ達の目の前に現れた人物とは!?
次回 セラフィンゲイン第29話 『黄昏の天都』 こうご期待!!