第19話 契約の天使
いつも通り沢庵を離れて、各々消耗品の購入をすましエレメンタル・ガーデンの噴水前に再び集合した俺たちはスノーの「エントリー」のかけ声とともにクエストにアクセスした。
一瞬の意識の消失と得も言われぬ浮遊感を味わいながら、不規則に明滅する歪んだポリゴンに視界を支配されつつ、足の裏に感じる確かな接地感を待つ。フィールド転送時のこの何とも言えない気持ちの悪さ『転送酔い』は何度経験しても慣れはしない。まるでたちの悪い安酒を空きっ腹であおった後のような巡りの悪い思考で、爪の先まで感覚が戻るのを感知しながら、俺はゆっくりと目を開けた。
頬に感じる乾いた風にマッチした、荒涼感漂うこの岩山フィールドは…… ってあれっ?
目に飛び込んできた風景に、転送酔いでかき回された脳が悲鳴を上げ一時的に思考が停止する。そんな自分の脳みそを叱咤し記憶にある岩山フィールドの風景とかけ離れた景色に脳が必死に検索、照会作業を繰り返す。どこだ? ここ……
「おい、どこよ此処……?」
と追い打ちをかけるように呟くリッパー。
少し青みがかった大理石のような光沢のある石が敷き詰められた床が広大に広がり、それに輪をかけて馬鹿高いドーム上の天井に描かれた宗教画の天使達が俺たちを見下ろしている。一切の照明設備が見あたらないのに、まるで陽光の下にいるような暖かい明るさは、天井自体がうっすらと発光しているからで、それがこの天井いっぱいに描かれた絵をより神秘的な神聖さを演出していた。
「此処って……大聖堂?」
そう呟いたドンちゃんの言葉と、俺の脳内の検索結果の照合が同時だった。
ああそうだ。間違いない。俺も過去に何度か足を踏み入れたことがある。クエストNo.37『聖画の詩』の舞台、『スローンズ大聖堂』だ。
「おいスノー、クエスト間違えたのか?」
「馬鹿言わないで、私がレベルいくつだと思っているの?」
俺の問いにそう冷たく返す白銀の魔女。まあ確かに……
クエスト間違いは初心者にはよくあることで、クエスト発注時に違うクエストNoを申請してしまい、クエストタイトルなどをよく確認しないでエントリーしてしまうことが多いが、上級者はまず間違えない。
「じゃあ転送エラーじゃね?」
「ええ、恐らくね…… サポート呼び出してみるわ」
リッパーにそう返しながら、スノーは懐から純白の携帯を取り出し耳に当てた。サポートコールをかけるようだ。
「転送エラー…… でも変じゃない? 何で転送先がベースじゃないのかしら?」
とドンちゃんが首を傾げる。そうなのだ。俺もさっきからそう思っていた。
普通エントリーの場合、プレイヤー達はそのクエストの出発地点である『ベーステント』に転送されるはずなのだ。そこをすっ飛ばしていきなりメインのフィールドに転送されるなんてのは聞いたことがないし、むろん経験したこともない。
「……あれ?」
そんなことを話している俺たちの隣で携帯の画面をのぞきながらスノーが怪訝そうな顔をする。どした?
「おかしいわね、サポートに繋がらないんだけど……」
「圏外なんじゃね?」
アホか、リアルじゃねぇんだぜ? 此処の携帯に『圏外』があるわけねぇだろっ。
とりあえず俺も携帯を取り出してコールしてみる。
「―――あれ? 俺のも駄目だ……サム、お前は?」
俺の言葉に促されサムも携帯でコールをかけるが、数秒耳に当て大げさに両手を上げ首を振る。
「あたしのも駄目みたい…… あ、そうそう、ねえ見て見てっ♪ あたし迷彩色にしてみたの。かわいいでしょ?」
と俺やサムに習って同じようにコールを試していたララが相変わらず場違いな声で自分の携帯を見せびらかす。
あのなララ、ウッドランドパターンの迷彩柄が『可愛い』かどうかつーのも微妙だが、今はそんな場合じゃないって事、判らないかなぁ? ねえマジでさぁ?
「この前のサーバメンテの影響かしら? 仕方ないわね…… 一度リセットして再エントリーするしかないわ。各自リセットして再度噴水前に集合よ」
用を成さない携帯を仕舞いながらスノーがそうみんなに指示を出す。
「じゃあ私から…… リセット!」
そう言って目を閉じるスノー。しかし―――
リセット宣言をしたにもかかわらず、スノーには何の変化も見受けられない。
「……? おかしいわね……?」
首を傾げつつスノーは再度リセットを宣言するが一向にリセットが掛かる気配がない。
「おいおい、マジかよ……」
そんなスノー様子を不思議に思ったリッパーもリセットを試みるが結果は変わらず、その様子を見ていた他のメンバーも各々リセットを試したが、俺を含め誰一人成功しなかった。
「サポートとの連絡も取れない、リセットも不能…… ってじゃあ俺たちは閉じこめられたって訳か? マジで? どーすんだよ!?」
リッパーが呆れたように言う。
「ねえシャドウ、どうなってるの?」
「わからん。こんな事は初めてだ。サポートの件もそうだが、リセットが掛からないなんて聞いたことがない。なあスノー、あんたどうだ?」
自分自身何が起こったのか判らないのでララの問いに俺が答えられるわけもなく、俺はスノーに話を振った。
「私にも判らない……エントリーも間違いなくNo,78を申請したはずなのに……」
そう言って考え込むスノー。俺より確実に詳しいスノーですらこうなのだから俺が判るはずないじゃん。
「此処にこうしていても始まらん。最悪はタイムアウトまで待つしかないが、幸い此処はセラフが出現しないフィールドだ。確か出入り口が有ったはずだから外に出てみよう」
俺がそう言うと、とりあえずやることもないので他のメンバーも一応装備を点検し移動を開始する。
とその時――――
「アハハハッ! 驚いちゃってる? 驚いちゃってる感じですかぁ?」
とおよそ場違いな子供の声が耳を打った。俺たちは一斉に声がした方を見やる。
すると100mほど先に白いワンピースを着た少女が立っているのが見えた。年の頃は10歳程度か、頭にはなぜか大きめの麦わら帽子を深めにかぶり、黒髪のロングヘヤー以外は帽子のつばで表情どころか顔まで判らなかった。
「女…… の子?」
俺の横でララが首を傾げる。そう、確かに見た目は女の子。けど今の声は男の子だったよな?
「なに? あの子……」
声が掛かった瞬間に体が反応してすぐに攻撃態勢を取ったドンちゃんが警戒を緩め、手持ちの撃滅砲をガチンっとならして床石に突き立てる。
「ようこそ、僕の遊び場へ。みなさんがとっても面白いので特別に招待しちゃいました〜 驚かしちゃってゴメンね〜っ!!」
ぱちぱち〜っと両手を叩いて拍手する女の子。やはりどう聞いても男の子の声にしか聞こえず、その見た目とのギャップがちょっと不気味だ。
しかし、招待した? なに言ってんだ、コイツ?
「ねえ、あの子もリセットできなくなっちゃったのかな?」
「いや……」
ララの質問に俺は答えを見いだせなかったが、そもそもオープンでエントリーしてないはずだから他のプレイヤーじゃない。それにさ……
「ララ、注意しとけ。あいつぜってー変だ」
「えっ? 何で? 可愛い女の子じゃない。同じプレイヤーだったら一緒に出口探した方が良くない?」
「女の子…… そこが問題なんだよ」
「はぁ?」
俺の答えにララが意味が全く分からない様子で聞き返す。お前、利用規約とルールーブック全く読んでねぇだろ。
「セラフィンゲインでのプレイヤーキャラクターの容姿はリアルのそれと基本的には変わらない。選べるキャラに亜種人類もないしな。性別も同じだ。よってリアルでの本人の容姿がそのまま反映される……判るか?」
「じゃあ子供の姿って事は、単純にプレイヤーは子供って事でしょ…… あっ、そうか!」
ララもようやく俺が言わんとしていることが判ったらしい。良くできました。
「そう…… 加えてセラフィンゲインの登録権は知っての通り18歳以上だ。EXPの換金制があるからな。つまりセラフィンゲインに子供の姿をしたプレイヤーなんぞ存在しないはずなんだ」
「じゃああの子はセラフって事? あ、それかNPCかも?」
ララの質問に俺は答えを返せなかった。俺はこれまでに人語を話すセラフにはお目に掛かった事がない。魔法を使う知能の高いセラフも居るが、あくまで『知能が高い』という表現にとどまる程度だ。
ララも言ってたNPCも考えられるが、この場所、しかもこのタイミングで出現するとも思えないし、確かにセラフィンゲインのNPCに組み込まれているAIが知能が高いといっても、此処まで明確に会話出来るとは思えない。ましてやプレイヤーを明らかにこっちをからかう口調はAIでは無理な気がする。『パラドックストーク』を仕掛けるまでもない。コイツはアレ達とは別物だ。
じゃあ、コイツはいったい何なんだ?
「あれ? シャドウ。その顔は僕がプレイヤーじゃないって判っちゃってる感じ? まあでもそうか、こんなカッコだしね」
そう言ってその女の子はすうっと帽子のつばをあげ、その顔を露わにした。
子供らしい歯並びの整った小さな歯を覗かせて微笑むぷっくりした唇と、すっと通った鼻筋。そして濃くも薄すぎるでもなく引かれた眉の下の大きな瞳。ニコッと笑いかけたなら、大人なら何でもしてあげたくなるような愛くるしい少女の顔だった。
「なぜ俺の名前を知っている?」
「アハハ、キャラ名だけじゃない。君のことなら何でも知ってるさ。『ヨルムンガムド』の事とかね。でもね、君だけじゃないよシャドウ。他のメンバーみ〜んな。この世界で僕が知らない事なんてな〜んもないんだ」
そう言ってカラカラと無邪気に笑う少女。声のギャップもそうだが、話の内容も濃くてギャップの差が激しく何とも不気味だ。
「だから、何なんだよお前はっ!?」
俺とのやりとりにイライラしたのか、リッパーが苛立ちを露わに少女に向かって怒鳴る。しかし少女の方はまったく動じずマイペースで返す。
「そう怒らないの。やだなぁ、切り裂き癖のある人は。まだ判らない? 鈍いねぇ…… スノーはそろそろ気が付いたんじゃないの?」
そう言ってスノーを見る。俺も少女を警戒しつつスノーに視線を移す。
「――――!! まさか……まさかあなた……!?」
少し考えた後、スノーの表情が驚愕の表情になる。なんだ? スノーコイツ知ってんの?
「メタトロン……!?」
何だって!?
「ビンゴ!! さっすが『使徒』の妹だけの事はあるって感じ。頭の回転がはやーいね」
自立学習型高性能戦術AI『メタトロン』
『契約の天使』はたまた『神の代理人』なんつー大仰な名前を冠した作られた人工天使。この『天使が統べる地』という名の世界を支配する統治者がこの少女ってわけかよ!
「もともと僕には固有の姿が無いからね。つまんないから自分で何個か作ってみたんだ。中でもこの姿は結構お気に入りなのさ♪ イケてるでしょ? シャドウ」
そう言ってメタトロンはくるっとその場で回転する。ひらひらとワンピースの裾がなびいてなんともかわいらしい。
あ――、一応言って置くがロリでもなければショタでも無いぞ俺は。
「やかましい。この世界を統括管理するAIのお前が俺たちに何のようだ?」
このわけのわからん状況で、もしかしたら最悪の敵になるかもしれない相手にいつまでも話のペースを握られているわけにはいかない、つー傭兵時代に覚えた交渉セオリーに従い、俺は少々ぶっきらぼうに答えた。
「あー、酷いなその言い方。差別だよ さーべーつっ! そんなこと言ってるけど君たちだって今はただの『プログラムデータ』じゃんか。セラフィンゲインは『すべからく平等』なんでしょ? それは何もプレイヤーだけに当てはまる物じゃないと思うんだけどなー」
そう言って口をふくらます少女。その動作一つ一つが本物の少女のそれを完璧に模していて可愛らしく、それがかえっていちいちかんに障る。お前ホントに何しに来たんだよ?
「まあいいや。僕はね、君たちに凄い興味があってさ、結構前から注目してたんだ。それで今日は僕自ら会いに来たってわけさ」
ふくれっ面だった表情が急に明るく無邪気な笑顔に変わる。ころころ変わる秋の天気のような表情がまるで本物の人間の子供のようだ。前にスノーが『進化するAI』みたいなことを言っていたが、その成長の精度に驚かされる。AIって此処まで出来る物なのだろうか?
「君たちさいこーだよ。知ってからずっとトレースしてたんだけど楽しませてもらってる。僕の見てきたどのチームよりも奇抜で楽しくて、何より強い…… 戦闘能力もそうだけど、戦術や連携、いや結束力って言うのかな? 各人の練度に差があるけど、チームとしての完成度はかなり高いよね」
高評価されてるってのは気分いいけど、それだけ分析されているって事は、逆を言えば俺たちの戦闘パターンはバレバレってわけね。もしコイツと最悪戦闘になったらやっかいなことになるな…… 他の連中も恐らく同じ事を考えてるだろうな。
そう思いながら他のメンバーを横目に見る―――――が
「い、いや、それほどでも……ハハ」
「ば、ばか、そんなんじゃねぇって……」
「でも、あたし昔から『やれば出来る子』だったし……」
「いやいや、参ったね…… ミーに惚れちゃ駄目だYo〜」
「わ、私はリーダーとして、と、当然の行動をしてるだけで……」
「…………」
「一人残らず照れてる場合かぁぁ―――――――――――っっ!!」
サムやララは別にしてもスノー、お前まで何赤くなってんだよっ!
おいサンちゃん! アンタ何うつむいて鼻の頭とか掻いちゃってんの!?
「アッハハハハっ! それっ、それが良いよね〜 やっぱり君らさいこーだよ。ずっと退屈だったけど君らのおかげでホント楽しい。感謝したいぐらいだよ」
「「「いやいやいや、どういたしまして〜っ!」」」(一同礼)
死ね―――――――っ! みんな死んでしまえ――――――――――っ!!
「お前ら気は確かかっ!? 相手はもしかしたら最悪の敵になるかもしれないんだぞっ!」
ラスボスに褒められて舞い上がってるチームってどうなのよ、ねぇっ!?
「日頃から人に褒められる人生を送ってないだけに、褒め殺しに弱いわねウチって……」
おいちょっと待てスノー、ちょっぴり赤い顔して何冷静に分析してんの? あんただってキャラ変わってたやんけっ!
俺さぁ、今ほどリセットしたいって思ったことねぇよまじで。できないけどさぁ……
「まあそのお礼もかねてさ、こんなプレゼントを用意してみました〜♪」
そう言って右手を高々と挙げる少女姿のメタトロン。するとその後方の空間がゆっくりと歪み、空間を構成するプログラムが悲鳴を上げるようにバチバチと音を立ててポリゴンを弾けさしていく。
細かくバラバラになったポリゴンがやがて中心部へと収束していき、8m〜10m程度の物体を出現させていった。大型ボスセラフがこの空間に出現する前兆である。大型セラフの実体化はそうそうお目にかかれない現象だ。俺も久々に見るが、その大きなオブジェクトを苦もなく出現させてしまうシステムの底力に驚嘆の息を漏らさずには居られなかった。
細かな輪郭がハッキリしてきたところで、一度空間全体が身震いしたように揺れ、地響きのような獣のうなり声を聖堂全体に響かせながら、その怪物は明らかな敵意をその瞳に宿しつつ俺たちを睥睨した。
超人ハルクのような緑色の肌の覆われたムキムキ筋肉の上半身をさらけ出し、戦車でも一発で叩き潰せそうな巨大なハンマーを掲げ周囲を威嚇する巨人。おまけにキングコングみたいに凶暴そうな類人猿系のお顔が二つも付いてるよ……
なんだこのセラフ? こんなの見た事ねぇぞ?
「『バルンガ・モーフ』って言ってね、次回のバージョンアップ、バージョン2.4に登場予定のレベル6セラフなんだ。ベータ版のデータベースから連れてきたんだよ。どう? なかなかカッコイイでしょ?」
自分の足下の少女の紹介コメントに返事をするかのように、凶悪そうな口元からよだれを垂らして喉を鳴らす双頭の巨人。なまじ体が人間なだけに、その姿はある種狂気ささえ伺える。理性のかけらもない双眸が敵意の色を帯びてにらむ視線に、俺は身震いする思いだった。見るからに激ヤバそうなセラフを前に、他のメンバーもさっきまでのおちゃらけた気分が嘘のようにゴクリとつばを飲む気配が伝わってくる。
「気に入ってくれたぁ? 実践テストも出来るし、君たちの実力もはかれる。まさに一石二鳥って感じぃ。さあ、思う存分戦って、退屈な僕に見せておくれよ。スペクタクルってのをさっ♪ イッツァショータイム!!」
明らかに場違いな声での開戦宣言を合図に、少女の後ろに控えた双頭の巨人がずいっと前進を開始した。
くそ〜 情報の全くない未知の6セラフとなんてやりたかないがしょうがない。それにあいつをどうにかしないとこっから出られそうにもないし…… やるっきゃねぇかっ!!
このくそガキ、お前にしか懐きそうにないその危ないペットやっつけられてほえ面掻くなよ。つーか泣かす。ぜってー泣かしてやる!!
心の中でそう毒づきながら、俺は安綱を握る両手に力を込めた。
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。
毎度読んでくださる方々、心から感謝しております。
第19話更新いたしました。
当初の予定を大幅に変えた19話です。今回はちらっと少し違うスノーが出ました。なんだかんだ言って、ちょっとぼけたこのチームになじんできた感じです。やっぱりほら、このメンバーのリーダーですし、少しは砕けてもらわないと。
メタトロンも、最初はもっとおどろおどろしく登場させるつもりでしたが、真逆を選択しました。なんとなくこの物語のノリが崩れちゃう気がして変更したのですが、なんかやっちまった悪寒がする……
鋏屋でした。
次回予告
突然始まってしまった『聖櫃』前の前哨戦。少しとぼけたセラフィンゲインの管理者『メタトロン』が連れてきた新種のセラフと戦うチームラグナロク。だが驚異の強さを見せる新セラフ『バルンガモーフ』の前に苦戦を強いられることに…… そして『バルンガモーフ』に秘められた驚愕の事実とは!?
次回 セラフィンゲイン第20話 『虚構の囚人』 こうご期待!