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ソラが笑う。  作者: 朝生
本編
2/11

後編(アマネ)

 


 ソラが意識を失ってから、一月が経つ。

 ちょっと見ただけでは殆ど怪我らしい怪我もないのに、意識が戻らない。

 ベッドに横たわる姿は、寝ているだけのようで。

 今にも慌てて起きてきそうだ。

「おはよう、アマネちゃん! 寝坊しちゃった!」とでも言いながら。

 騒々しく。


 私だけのヒーローだったソラは、見知らぬ子どものヒーローになった。

 そして、それっきり、目を覚まさない。


 ◆◆◆


 その日の朝も、いつも通りの朝だった。

「行ってきます!」って言いながら、慌てて走っていくソラを見送る朝。

 見送る前に、「アマネちゃん、今日も大好きだよ」って言いながら、頬に軽くキスをくれる。


 何かの祝福みたいに、儀式めいて。

 そんな朝だ。


 だから、いつも通りの昼が来て、いつも通りの夜が来る。

 そして、いつも通りの明日が来ると、理由もなく信じていた。


 朝にたてた予定通り、いつも通りの昼はやって来た。

 けれども、いつも通りの夜はやって来なかった。


 花の配達帰りに、車道側に転んでしまった子どもを助けたのだと、聞いた。

 それは、誰からだったか。

 事故の知らせをくれた病院の看護師だったかも知れないし、話しを聞きに来た警察の人からだったかもしれない。


 もしかしたら噂を聞いてお見舞いに来たという、近所に住む女の人からだったかも。


 あの人は、いつも、ソラをどこかバカにした目で見てた。

 弱虫。頼りない。情けない。考えが足りない。

 他にもたぶん、色々と。


 それがどうだ。あっというまに手のひらを返して、ソラを褒めちぎっているではないか。

 助けた相手の子どもがどうだ、勇気のある行動だ。ヒーローだ、と。


 なんでもよかったし、どうでもよかった。

 ソラは昔から勇気があるし、私のヒーローだ。

 そんなこととっくに知っていたし、それ以上のことも知っている。

 少なくとも、この人に認められるためにソラは行動したわけではない。


 かと言って、どうしてかとたずねたら、

「わかんないや」

 って、ソラは笑うのだろう。ちょっと困って。


 どこか、当然の顔をして。


 ◆◆◆


 ベッドの横に腰掛けて、ただただソラを見つめる。

 眠り続けるソラを。

 不思議と、笑って見える顔だ。意識がないはずなのに。


「笑って、アマネちゃん」


 そう言って、ソラが笑った気がした。

 でも、私は笑えなかった。


 ◆◆◆


 こんなにも笑わない日々は、いつぶりだろう。

 ソラが隣にいる日々は、いつも笑顔でいっぱいだった。


 苦しい日も、悲しい日も、自然と笑顔になれた。

 気負うことなく。


 幼稚園の年少で、ソラとであったあの日から。



「ぼくの名前は、ソラだよ。空太(そらた)

 あの日のソラも、笑っていた。


「ねぇ、きみの名前はなぁに?」

 すみっこで、絵本をながめてた私に、手を差し伸べて。


天音(あまね)

 お日様みたいに、笑ってた。


「アマネちゃん! よろしくね」

 名前通り、晴れた青空の明るさで。

 部屋の隅まで、明るく。


 その日、私たちはであった。

 それからずっと、私の隣にあなたがいる。


 ◆◆◆


 結婚してからの毎日は、いつも幸せだった。


 ソラは、いつも私を可愛いという。世間での評価とは、まるで真逆だ。

 でも、ソラは、私が可愛いって信じてる。本気でそう思ってる顔で、いつも言う。


「アマネちゃんは、可愛い」


 二人で眠る夜。ソラはいつも以上に幸せそうだ。

 普段から幸せそうなのに、もう、これ以上ないってくらい。

 幸せそうに笑って、私をぎゅっと抱きしめる。


 触れ合う素肌に私はどうにも慣れなくて、そんな自分にちょっと困る。

 きっと、これからも慣れてしまうことはないのだろう。


 ソラの幸せがあふれて、私をひたひたに侵していく。

 そのうち、私の幸せ漬けにでもなってしまうのではないだろうか。

 そうしたら、ソラがおいしく食べてしまうのかもしれない。


 もったいない、とでも言って、大切にしまってしまう気もするけれど。


 そんなバカみたいな想像をしてしまう程度には、私は幸せで。

 頭の中まで、幸せにふやけきっている。


 ◆◆◆


 ソラがいなければ、朝も昼も夜も始まらないことに気づいた。

 たぶん、とっくに知っていたけれど。

 知っていたことと、実際体験することはまるで違う。


 思っていたよりも、苦しい。

 思っていたよりも、平坦だ。


 ソラがいてもいなくても、勝手に夜が来て、夜が明ける。

 だけど、ソラがいないと私の夜は明けない。


 ソラがいないと、ご飯が美味しくない。

 ソラがいないと、風を感じない。

 ソラがいないと、花だって美しくはない。

 ソラがいないと、眠れない。

 ソラがいないと、私の生活は回らない。


 心が動かされることもなく、時間は同じように過ぎていく。


 ソラ。ソラがいないと、私は……。


 ◆◆◆


 それから、助けられたという子どもとその母親も見舞いに来た。

 母親はずっと泣いていた。

 子どもはといえば、不思議そうな顔をしてソラを見ていた。


「お兄ちゃんは、いつになったらおきるの」

 子どもらしい、無邪気な問いが胸に突き刺さる。

「お兄ちゃんがおきたらね、ありがとうっていっぱい言うんだ。そんで、そしたら、あそんでくれたらうれしいなぁ」


 子どもはニコニコと嬉しそうに笑う。

 ソラも、何となくいつもより笑ってる気がした。

 私も笑ってた。久しぶりに、笑った気がした。


 ソラが、ますます嬉しそうに笑う。

 そんな気がした。


 ◆◆◆


 やっぱり笑ってる。

 今日も、ソラは笑ってる。


 幸せそうに。


 だから、私は笑顔を作る。

 自分が笑っているのに私が笑っていないと、ソラは困った顔をするから。

 頬の冷たさは、無視して笑う。


 ◆◆◆


 春の、午後の、柔らかい陽射しの中。

 ソラのまつ毛が、ふるえた。

 まぶたにかかる明るさが、くすぐったいとでも言うように。


 ソラの目の中に、光が差す。


「おはよう、アマネちゃん」

 ソラが、少しまぶしそうに私を見る。

 驚く私を、まぶしそうに。

 彼の目が、最後に光をうつしていたのは、寒さの厳しい時期だった。

 久しぶりに目にする陽の光が、たぶん、少し痛い。


 ささやくような声は、空気に溶けて消えてしまう前に、私に届いた。


「あれ? 僕、もしかしてまた寝坊しちゃった?」

 ソラが笑う。困ったみたいに。

 かすれた声で聞いてくる。


「ううん。寝坊なんてしてないよ」

 確かにソラはちょっと長く寝すぎだけれど、起きてくれた。それだけでいい。

「おはよう、ソラ」

 おはよう。毎日二人で交わすことが当たり前だった挨拶を、ちゃんと交わせる幸せ。

 私の頬を伝う涙は、どこかあたたかい。


「そう。よかったぁ」

 そう言って、ソラが笑う。


 ソラが笑うから、私も笑う。




お読みいただき、ありがとうございます。

とりあえず、これで完結。

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