【田中】伝染する悪意1
一つ前の話ですが、大幅に加筆修正しました。
文章量倍になっていますので。
宜しければ、ご確認下さい。
僕は高校二年生。
図書委員の田中。
本名、田中寅蔵。
今時珍しい名前かもしれないけど。
これが本名だ。
住民票にも、学生手帳にも書いてある。
歴史に詳しい人はピンときたかもしれない。
詳しくない人はネットでググると分かる思うけど。
幕末の有名な剣客集団。
新撰組に同じ名前の隊士がいる。
その名も「田中寅蔵」。
僕と同じだ。
彼は加賀国 (今の石川県。石川県は、岐阜の上にある県)で生まれ。
隊内の撃剣師範になる程、剣の腕は高かったと言われている。
因みに、新撰組には7人の撃剣師範がおり。
彼の他には。
沖田総司 (一番隊隊長)
永倉新八 (ニ番隊隊長)
斉藤一 (三番隊隊長)
吉村貴一郎
池田小三郎
新井忠義
剣客ぞろいの新撰組の中のトップ剣士。
沖田、斉藤辺りは漫画で。
吉村は映画にもなっている「壬生義士伝」で有名だ。
そんな彼だが。
色々な事があり、最後は新撰組に裏切られる形で切腹した。
切腹とは、自分で自分のおなかをズバっと剣で切り裂いて自害する事。
多分、凄い痛い。
彼の死ぬ前の最後の言葉。
辞世の句は以下だ。
『四方山の 花咲き乱れる 時なれば 萩も咲くさく 武蔵山までも』
この言葉を聞くと。
心がしんみりと震える。
心の琴線に触れる。
句の意味は色々推測されており。
一部では。
長州藩 (萩)を支持し。
武蔵句の国出身の近藤・土方ら (新撰組の局長と、副長)を批判した句と言われている。
wikipediaに書いてあった。
彼の死因は新撰組に裏切られた事であるからだろう。
でも。
僕はそう思わない。
ただ、山々に美しい花が咲き乱れる光景を思い浮かべる。
とても奇麗な景色の中で柔らかい風を感じる。
句の意味をどう読み取ろうと、読者の自由だと思うから。
僕はよく。
夜自分の部屋でこの句を読んで心を清める。
不思議と口ずさむと、心が落ち着くのだ。
もしかしたら。
僕の祖先は本物の田中寅蔵で。
血が、魂が共鳴しているのかもしれない。
なーんてね。
そんなことはないかな。
僕は幽霊や魂などは信じていない。
小説はよく読むけど。
さすがに現実と虚像の区別はついている。
でも。
最近は中々大変だった。
衝撃の日々だった。
まるでフィクションの中の日々だった。
僕は初めて学校を停学になったのだ。
これまでは先生に怒られた事もなかったのに。
いきなり停学。
停学をくらった事がある人は分かるかもしれないけど。
とっても暇だ。
それに心苦しい。
ジワジワと罪悪感のようなものが襲ってくるのだ。
皆が学校で授業を受けている時に家にいる。
それはあまり嬉しくない。
病気などで学校を休むときとは違う。
病気で学校を休み、午後になって体調が回復していると。
なんだか休日が増えたみたいで嬉しいけど。
それとは全く違うのだ。
「学校に行けない」事と、「学校に行けるけど、行かない」という事は。
明確に意味が異なる。
心にくる意味合いが全然違う。
学校という共同体から拒否されたと感じるのは、ずっしり重いのだ。
停学の理由は、クラスメイトを百科事典で殴ったからだ。
僕の好きだった人。
クラスのアイドル堀北さんにひどい事をした奴だったから。
今でも後悔していない。
いや。
殴らなかったら。
僕は自分を自分で許せなかったかもしれない。
僕は今。
自分の部屋で勉強している。
停学中も勉強はしないといけないからだ。
遊んではいられない。
生徒思いの愛子先生が、僕が授業に遅れないように。
色々プリントを用意してくれた。
それもどっさりと。
1週間の停学期間だけど、毎日の勉強量は通常時よりも多いかもしれない。
でも。
移動時間が短縮されるので時間は余る。
僕は暇つぶしに、パソコンでネットを見る。
お気に入りのサイト「小説家になろう」だ。
主に、書籍の小説を読むけど。
ネット小説もそこそこ好きだった。
勉強を一休みして・・・・
【読書中】
ブックマークしている作品を読んでから。
新しい作品を探す。
すると。
一つの作品が目に入った。
「ビューティフルざまぁ~」
タイトルから、ざまぁ系の小説かな。
俺は読んでみる事にした。
【読書中】
目を見開かれた。
すさまじい小説だった。
まさに衝撃だった。
腰が砕けるほど衝撃を受けた。
僕はこの物語に深く共感したのだ。
今の僕は社会から阻害された存在。
停学をくらい、学校から追い出された存在。
同じだ。
「ビューティフルざまぁ」の登場人物も同じだった。
同じように社会から阻害され。
今の僕よりも大変な目にあっていた。
登場人物に深く共感することで。
僕は今の境遇を客観的に見ることが出来た。
一条が堀北さんにひどいことをした
↓
僕、激怒。一条を百科事典で殴る。
↓
停学中 ←今ここ
事件の推移を考えると。
やっぱり、僕は正しいことをしたと思う。
それは直感的な感覚だった。




