第四章 名探偵の迷推理ショー
「さて、皆さん。事件の謎が解けたようですよ」
「!」
俺が一声かけるだけで、皆が一斉にこちらの方に注目した。
署の者は尾崎の推理力を知っているため慣れっこだが、第一発見者としてこの場に居合わせている山瀬さんと大村さんはかなり驚いているようだ。
「あの、刑事さん。井沢君は自殺なのでは」
大村はだいぶ戸惑った様子でこちらに尋ねてくる。無理もない話だが、こればかりは受け入れてもらうより他はない。
「私もそうかなあと思ってはいましたが、生憎うちの尾崎の目はごまかせなかったようでしてね」
「おや、あなたが推理を披露するのではないのですか」
「私の頭は、至って凡人レベルでしてね。でも尾崎は人と一味も二味も」
「でも、横の方、眠っていらっしゃるようですが」
「はい?」
眠ってる、ですと?
「おい、ちょっと尾崎」
「ZZZ……」
「ああもう」
横を向いてみると、そこには立ったまま目を閉じていびきをかく尾崎が。推理を披露する直前に、ウトウトする奴がどこにいる!
「起きろ、尾崎! 早く謎解きしろ!」
「あ、悪い。昨日ずっと、嫁とゲームやってたから」
「知るか! ほら早く、推理の方を」
「うんうんうん。やるから」
尾崎はきょとんとする周囲を尻目に、特大のあくびを堂々とかます。そしてようやく、推理ショーのために口を開いた。
「では、始めます」
固唾をのみ、彼に注目する一同。さあ今こそ、我が署が誇る名探偵が活躍を……!
「犯人は山瀬さん。以上です」
……は?
「もう、帰っていいですか?」
あの。終わりですか? たった一言で、推理ショーは終了ですか? 嘘だろう⁉
「待て待て待てっ! お前今ので、周りに伝わったと思ってるのか」
「犯人、ちゃんと言ったけど」
「プロセス! その結果に行き着くまでの説明を下さいよ!」
「言わなくても、わかると思ったんだけど」
「わかんないから! 君の思考回路、はっきり言って他の人とかなーり違いますからね」
「……それほどでも」
「褒めてませんけどぉ⁉」
嫌だ! また漫才になっているじゃないか! 犯人として指名されて放り投げられた山瀬さんが、ずっとこっち睨んでるし。
「ちょっと、どうして私が犯人だって言うんですか。証拠でもあるんですか」
ほら、やっぱりめっちゃ怒ってるよ。
「だって、あなたが犯人なんだから仕方ないでしょう」
「だから、証拠はあるのかって聞いてるんです! ちゃんと答えて下さいよ」
「いや、口下手なんで」
「言い訳になってません!」
挙句、こちらでも即興漫才が始まっちゃってるし。相手をツッコミ役に変貌させる、この天性のボケ体質は何とかならないのだろうか。
「わかりました。話すのは苦手ですが、頑張ってみます」
やっと尾崎の馬鹿が、やる気になってくれたようだ。もし通じない部分があっても、俺が通訳すればまあ、何とかなるだろう。
俺は奴の言わんとすることを一字一句拾い上げるため、全神経を集中させた。
「まずは、毒物についてですね。犯行にはストリキニーネという毒が使われました。すごく苦いです。とにかく苦いです。ありえないくらい苦いです」
「まあ、味をごまかさずに飲むのは厳しいものがあるということですね」
「でも、彼は飲みました。プライドを傷つけられたからです」
「は?」
何か、いきなり通訳不能な流れが出てきたのですが。プライドって?
「彼は、極度の甘党だったようです。冷蔵庫に入っていたコーヒーも、加糖でした」
「あ」
そういえば、冷蔵庫にあったのは甘い物ばかりだった。
でも、こぼれている染みは黒っぽかった。絶対にあれは、ブラックコーヒーの染みだ。
「鑑識に確認しましたが、あのコーヒーには毒以外のものは何も入っていなかったそうです。甘党の人間が、牛乳も砂糖も入れずにコーヒーを飲むとは考えにくい」
「でも、絶対にそうとは言い切れないと思いますよ。彼、趣向が変わったのかも。私が会わないうちに」
山瀬さん……いや、被疑者は尾崎の目を見ながら推理を否定する。しかし、彼は人の話をろくに聞かないということを忘れてはならない。
「彼はプライドが高かったそうですね。そんな彼が女性から、こう言われたらどう思うでしょうか。大人のくせに、ブラックコーヒーも飲めないのか、と」
確かに、被害者がプライドの高い男だとしたらありえる話かもしれない。これは確認した方がいいかもしれない。
「大村さん。何か、心当たりは」
「心当たり、ですか? そういえば以前、友達を部屋に集めて騒いでいたことがありましてね。あまりにうるさいので注意をしに行ったら、井沢君が苦しそうにもがいていましたね。何でも、いまだにワサビが食べられないことをからかわれ、意地になってサビ入りの寿司を口に突っ込んだとかで」
どうやら、彼には近い前例があったらしい。これなら間違いなさそうだ。
「私は誰がなんと言おうと、自分が食べたいものしか食べないので気持ちはさっぱりわかりませんが、彼ならやりかねない。彼女に挑発されれば、特に」
「そんな。私、彼とはしばらく会ってないんですよ。それなのに、どうして」
「本当に、彼とは会ってないんですか?」
「はい。会ってません」
「……無理に嘘をつかなければ、言い逃れできたかもしれなかったんですけどね」
「⁉」
被疑者の顔に、動揺の色が浮かぶ。
それを前にしても全く動じず、尾崎は続ける。
「あなたと彼は今日、ここで会う約束をしていた。一緒にドラマを観るために。多分、月9の連ドラでしょう。ちなみに、今週分の録画もしっかり行った痕跡がありました」
「!」
もしかしてこいつ、それを確かめるためにテレビをいじっていたのか⁉
まあ確かに、自殺を考えている人間が録画予約をするなんて考えにくいし。基本と言えば基本か。
「毎週録画にせず、全て手動で撮っていらっしゃったようで。よっぽど録画予約をするという行為が好きだったのでしょう」
「……尾崎。それは違うと思うぞ」
毎週録画の機能を使うと、アドリブがきかないからたまに録画を失敗することがあるんだよな。俺も妻に頼まれたドラマを取り損ねた時、さんざん文句を言われたっけか……。あ、いかん。ここは泣くところじゃない。
「で、どこまで話しましたっけ」
出た。自分でしゃべったことを忘れちゃう、お得意の症状。わりといい調子だったのに、やっぱりフォローは必要らしい。
「……被害者と彼女が、月9を観ていたんじゃないかってところ」
「あ、そうでしたね。彼はおそらく、彼女にコーヒーを入れてもらったのだと思います。その時にでも言われたのでしょう。相変わらず、ブラックコーヒーの一つも飲めないのかと。そして、怒りに燃えた彼は彼女に言った。飲めるに決まってるだろ。砂糖もミルクも入れなくていいと。それを聞いた彼女は、彼のコーヒーに致死量のストリキニーネを溶かした。何も知らない彼は、運ばれてきたコーヒーをケーキとともにいただいた。そのコーヒーはさぞかし苦かったことでしょう。もしかしたら、ケーキでごまかしながら飲んだのかもしれませんね。でも、彼は元々苦い物は苦手。これがブラックコーヒーの味なのだと思って全て飲んでしまった」
なるほど。話としては一応筋が通っているような気がする。被疑者以外は、納得しているようだ。
「私、この部屋でドラマなんて観ていません。家でじっくり、放送されたものを観ていました。頼まれれば、細部まで語れますよ。あと今、彼はケーキで味をごまかしながら食べたって言いましたね。ただ単に彼は、ケーキで味をごまかしながら自殺したんじゃないですか? ブラックコーヒーだったのは、きっと趣向が」
「先程から、趣向という言葉を推しますね。ここでせめて、牛乳も砂糖も切らしていたのではと言えば、あなたを信じてもよかったんですけど」
「だって、彼の冷蔵庫に牛乳……」
「何故、彼の家の冷蔵庫に牛乳があることを知っているのですか。しばらくここに来ていないはずのあなたが」
「……!」
彼女は口をつぐみ、探偵から目をそらす。
「彼、牛乳が好きだったから、切らしてるわけないと思ったんですよ」
「あなたは、彼に出されたケーキを冷蔵庫に入れた時に見たのでしょう。冷蔵庫の中の牛乳を。ケーキは買ったら普通、わざわざ皿に移して冷やすなんてことはない。あれは彼に出されたものを、あなたが手をつけずに戻したものですね。箱に戻そうにも、ゴミ箱に突っ込まれていて修復不可能みたいでしたし。指紋を調べれば……あ、どうせ拭き取ったから安心とお思いでしょうね。ですが、それはそれでおかしいことになりますよ。一人暮らしの男の家にあるものに、誰の指紋もついていないとなると。この家に侵入者があったことだけは確かですね。自殺説は消えます」
「そ、それが私とは限らないじゃないですか。彼には友人もいますし。そ、そう。彼の家の扉には、鍵がかかっていたんですよ。私は彼から、合い鍵なんてもらっていません。だからきっと、私以外の合い鍵を持った誰かが」
「さっき玄関をふらついていた時、郵便受けでこんなものを見つけたのですが」
「!」
こいつ、いつの間に。
尾崎の手の中にあったのは、この家の鍵だった。これで密室の謎は解けたも同然だ。
「いるんですよね、鍵の紛失対策にスペアキーを郵便受けに隠しておく人。すごくわかりづらいところに、テープで貼ってありました。こんな隠し方、漫画だけの話だと思ってましたけど。彼女であるあなたなら、知っていてもおかしくないですよね。それを知っていながら、わざわざ大家さんに頼んでここの鍵を開けさせたのって、どうも矛盾していると思うのですが」
「し、知らなかったもの。彼がそんなところに、鍵を隠していただなんて。そうよ。これなら誰でも犯行が可能じゃないですか。きっと、彼を恨んだ誰かが」
「あなたは何故、野球の試合結果を知らなかったのですか」
「は?」
通訳不可能。どうしてこのタイミングで、野球の話が出てくるんだ。
「だから、あなたは何故、野球の結果を答えられなかったのですか」
「さっきも言いましたよね、私は野球に興味がないから。それで」
「ドラマをじっくり観ていれば、絶対に答えられるはずなんですけど。だってドラマの途中で、でかでかと字幕が出ていたのだから」
「!」
そうだ。俺は月9を観ないけど、妻がめちゃめちゃ文句を言っていた。いいところで字幕なんて出やがって。せっかくのシーンが台無しだと。
「あなたはドラマを耳で聞きながら、彼がコーヒーをしっかり飲み干すかをずっと見ていたのでしょう。おそらく、ストリキニーネが彼の身体をむしばんで命を奪うところも、ずっと見ていた。だから、字幕を確認しなかった」
「た、単に野球に興味がないから、覚えてなかっただけですよ。こんな言いがかり」
「では、他のことでもいいですよ。ドラマに出ていた、視覚的な部分なら何でも。例えば、主人公の服装とか。答えられて当然ですよね。もしこの部屋ではなく、自宅でじっくり観ていたのなら。でも、殺人の計画を練っている人間に、ドラマをじっくり観る心の余裕なんてあったのでしょうかね」
「うう……」
「あなたの言動は、ちぐはぐしていておかしい部分が多い。嘘をつき過ぎている。嘘をつく必要があるのは、やましいことがあるから。だから、犯人です。調べればきっと、証拠も出ます」
「ううう……」
決定的な証拠を突きつけるとまではいかなかったが、尾崎の推理は彼女の心を折るには充分だったらしい。被疑者はその場に膝をつき、肩を震わせて泣き始めた。
「許せなかったんです。私は別れたいって言ったのに、自分が振るならともかく、振られるなんて気に入らない。もし別れるなら、恥ずかしい写真をばらまくって……。だから、だから」
人によっては同情してくれるかもしれないが、彼女が行ったことは犯罪だ。それこそ、決して許されることではない。
「……」
仕事を終えた探偵は、そんな被疑者の姿を冷淡な眼差しで見つめる。こんな男にもきっと、罪を憎む心くらいはあるのだろう。
そんなことを考えていると、尾崎が俺の肩をポンと叩いてきた。
「蔵橋」
「何だ」
「……ラーメン」
「…………」
こいつ、飯のことしか頭になかったのか。
被疑者の泣き声と、アホの腹の虫の合唱が、静まり返る室内にこだました。