1R-3
疲れた。
初めて学園祭に出た感想はただそれだけだった。
いくらバイト代と引き換えとはいえここまで仕事をする奴らには感心する。
「まぁしかし休んでいる暇はないか」
当初の目的を忘れてしまっては今日の汗が無駄になるというものだ。
明日の天皇賞なんとしても獲らねばならん。
そのためにはこの前の晩の予想というのが大事なのだ。
普段からあまり講義やら課題レポートには努力を割かないが,これに限っては話が違う。予想にかけた時間が物を言うのだ。今回は妹に会いに行くという大義名分もかかっている。時間をかけないわけにはいかなかった。
はっきり言ってこのレース難しい。どうにも妙な予感がする。一番人気のザゼンノロブ,間違いないと言われている。去年の勝ち馬であることも考えれば,間違いなくこのステージに合っている。力落ちもないようだ。外国人ジョッキーからの乗り替わりもあまり問題にならないだろう。
「よし,ザゼンノロブからの三連単だな。しかしハートナミダこいつは気になる。出てきた頃から強いとは思ってるんだ。この二頭は間違いないだろ」
偶然にも一番二番人気の三連単だが,まぁよくあることだ。うちの学園祭もそうだが,だいたい人気者が上位を固めて,他は隅っこで黒子をしている。唯一競馬のいいところは全然人気のない,見向きもされない奴がふいに飛び込んできたりする。人間の世の中にはないことだ。俺みたいな。
というわけで人気馬二頭から穴馬への三連単!みたいなのを買うことが多いのだ。所詮人気者には勝てないけどまぁ三着ぐらいは頑張ってくれや,って訳だな。
気になる穴馬がいつも複数頭いないわけではないが,そいつらを軸に,という買い方では勝ったことがない。さすがに馬でも俺たちと同じで人気を下からが数えたほうが早いような奴が一位のやつを蹴飛ばしてってことはめったに起きない。今回もそうだろう。
「よし決めた。ザゼンノロブ,ハートナミダ……いや,ハートナミダ・ザゼンノロブからエイブラハム,あとなにか良さそうな穴は……」
低人気馬の成績をざっと眺める。
十三番人気の馬が目に留まる。昨年度の天皇賞秋二着馬である。
「ダンスイン・ザパーティか……去年も十三番人気から二着,極端にこのステージに適正があるパターンか?よしこいつを三着に入れよう」
時々こういう得意なことがひとつだけあるやつがいるのだ。願いをこめて三着付に
二番人気のハートナミダ。ここいつなら一番人気のザゼンノロブをやっつけるポテンシャルがあるだろう。こいつが一着ならかなりオッズもつくしな。妙な気配の正体はこれだろう。
二・一番人気から,三,十三番人気へ。いつもの俺の買い方だ。三連単二点に二番人気からワイドで二点。各1000円だ。バイト代を全てぶっこむ。
まぁワイドぐらい忌々しい一番人気君を外してもいいよなってことだ。
予想を終えた俺は電気を消してベッドに潜る。ヘルロマンスとはうまいこといったものだな,と明日の出走馬の中に混じっていた馬の名前をふと思い出す。馬の名前というと自由に名づけても良いという規定からかふざけた名前が多い。
このヘルロマンス,人気は十八頭中十四番。正直実力不足で中途半端。やる時はやるポテンシャルを持っているのにやろうとしない。時々おっと思うタイムを出したりするが,肝心の所ではさっぱり奮わない。俺みたいな奴だ。買う気は起きない。自分のロマンだけ語って結局何もしないから地獄のような暇な日々。ダメだとは思うがやはり何もする気が起きない。今回学園祭に金のためとはいえ出てきているだけマシかと思わなくはないが……。
電気を消した部屋に携帯の光がまぶしい。携帯のメールボックスには妹からの新着メールが一件。俺はそれを見ずに削除して乱暴に携帯を閉じ,ぐっと深く布団を被った。
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「いい天気だな。お祭り日和だ」
妹と手をつなぎ,地元の夏祭りへ向かう。
年の離れた妹はお祭り好きだった。毎年このお祭りは二人で楽しみにしていた。
「うん!今年も花火楽しみだね!」
夏祭りは街の神社で行われる。
今年は宣伝効果もあってか,非常に人が多かった。
「うわー。人いっぱいだ!賑やかで楽しいね!」
「暑いなしかし。賑やかなのはいいが」
熱帯夜だったその日,俺は妹と祭りを回った。この祭りという日の空気感は俺も好きで毎年楽しみにしていた。ここまで蒸し暑いのは初めてだが,これはこれで夏らしくて良いかなと思う。当たり前だが,ひと通り回って花火の時間が近づく頃には全身汗だくになっていた。
はしゃいでいる妹だが,まだやはり体の調子が良くないのか走っても息切れしている。
「あんまりはしゃぐとまた体壊すぞ」
「うーん,大丈夫だって。ちょっと疲れただけだから」
やはり祭りのムードは良い。活気あふれたムードが妹の体に活力を送り込んでくれているように感じるのだ。疲れたといって歩き始めた妹も,しばらくすればまた祭りを楽しんでいた。
そろそろ花火だな,そういう会話をしていたのを覚えている。
昨年の花火はそれは見事な物で,去年開始されたビッグイベントだ。初めて打ち上げ花火を見た妹は目を輝かして,また見たい,また見たいと繰り返し言っていた。
しかし現実は非情である。開始時間まであと五分,頬に冷たい雫が落ちる。
一つ,また一つ,嫌な感触に祭りの明かりで明るくなった空を見上げる。
ポツリ,ポツリと雨が降りだしていた。
花火の時間にはすっかり雨模様で,俺と妹は二人家路についていた。
「花火中止になって残念だったな」
「うん」
「また来年来ような」
「約束だよ?」
「ああ」
妹はすっかり落ち込んでしまい,雨は二人を濡らし沈んだムードに拍車をかけていた。
雨は妹からまるで活力をすべて奪っていくようだった。
「懐かしい夢,見ちまったな」
翌朝目を覚ます。あの頃は祭によく行っていたものだ。体の弱かった妹は,あの雨のあと体調を崩し,入院がちになってしまった。元々体調が悪かった日に無理を言って連れだした自分の責任だと当時は悔やんだ物だ。
今思えば丁度あの頃から何をするにしてもやる気が無くなっていったような気がする。夏祭りには妹の体調面が問題で行けず,祭のムードがあの日連れだした後悔を呼び覚ましすっかり祭も嫌いになってしまった。俺が大学に編入し,こちらへ来た頃から体調が回復傾向に向かったようだったが未だ約束は果たせていない。
今年は時間が取れそうだったので,妹の誕生日に合わせて帰省して秋の花火大会にでも連れて行ってやろうと思っていたがこのざまである。
「よし,まぁ今日もバイトして,馬券当てて,妹と花火見ないとな」
いかんせんそれなら金を使い込むなよと自分で苦笑しつつ,二日目の学園祭に向かう準備を始めた。