VRMMOマシンの導入初日にありがちなこと
とうとうこの日が来た。
俺は行列の最前列で期待と興奮を抑えられないでいる。
『アナザーワールド』。
アメリカのベンチャー企業が開発したそれは、世界で最初のVRMMOである。
つまり――ヴァーチャルリアリティ技術を活用し、ゲームの中に入れるゲーム。
遙か昔にアニメで見た本物のVRMMOだ!
この日を長いこと待っていた。だが、俺が生きているうちに、VRMMOが実用化されるなんて、今でも信じられない気分だ。
この『アナザーワールド』は、いわゆる業務用タイプのVRMMOマシンである。大昔ゲーセンにあった『戦場の絆』みたいな感じなんだけど、今の若い子には「ゲームセンター」からしてなにか分からないかもしれないな。
つまりはお店にゲーム用のマシンがずらりと並んでおり、これでプレイするのである。ハード自体がきわめて高価なので、家庭用として売り出すのは不可能だったと聞いている。
テストオープンの初日に当選したのは本当に運が良かった。あまりにうれしくて、必要もないのに三時間前から行列してしまったぜ。
時間が来てアナザーワールド・トーキョーセンターの扉が開かれる。並んでいた客たちが歓声を上げる。取材に来ていたマスコミ陣がフラッシュを光らせた。行われた開店セレモニーは地味だったが、現場の盛り上がりはとどまるところを知らない。
俺は最初のプレイヤーとしてセンターに入場した。エキサイトしすぎて、まだゲームに入ってないのに、これが現実かどうか分からなくなってきた。落ち着くんだ、俺。ここはまだ仮想現実ではない(多分)。
センターの中は意外と地味で質素だった。まず、受付で誓約書へのサインを求められる。ゲーム中になにが起きても私は怒りませんよなんて感じの文面だった。VRMMOは、脳という旧世代ハードを直接叩く新技術なので、そりゃ何か変なことが起きる可能性はあるだろう。大いにあるはずだ。
でも……、知ったことか!
サインする。俺はとにかく本物のVRMMOを体験したいのだ。
次に案内されたのは、白衣の人たちがいるテストルームであった。ここで脳波を取られて調整的なことを行う。ちなみに、『アナザーワールド』のアカウントは一人ひとつで、IDやパスワードを打ち込まなくても、脳波認証による自動ログインが可能とのことだった。
調整にやや手間取ったが、OKのサインが出ると、俺はチケットをカードで購入した。代金は1時間あたり18ドル(最大2時間まで)。2時間分の36ドルを支払う。高いような気もするが、代金のほとんどは通信料とワールドジェネレーター(メインサーバ)の維持費に消えるとのことで、実際には出血大サービスみたいな値段らしい。その上、これだけ専門のスタッフを使ってたら儲けなんて出ないだろうな。
トイレの後で、いよいよ接続インタフェースがあるプレイルームに通される。ここには人がそのまま入れるタンク型ベッド、通称『棺桶』があった。靴を脱いで中に入る。衣服等はそのままである。白衣の人が頭脳にヘルメットのようなヘッドギアを取り付けてくれる。
ちょっと調整。すると、脳がきゅいんきゅいんする。
………………
…………
……
なんか今、意識がどこかに飛ばされたぞ!? でも、それでOKだったらしい。スタッフさんのカウントダウンでゲームを始めるという。もうか! とうとうか! これでゲームの中に入れるのか!
三、二、一……
五感がフェードアウトし、真っ暗になる。
まるで闇の中にいるかのようだ。
そこからいきなり部屋の中に出た。
――なんだこれは!?
木目調の一室である。説明するなら、ログハウスの内側みたいな感じかな? 壁の一面にはそれにそぐわぬコカコーラ社の看板が取り付けられていた。部屋に窓はないのだが、どこかにつながっているであろうドアが認められる。
まさか……ここはもうゲームの中なのか!?
俺はぺたぺたと顔にさわる。感触は現実とまったく一緒だった。寝てる間にこの部屋に運ばれたと言っても信じてしまいそうだ。
(しかし、すごいテクスチャだな……)
俺は壁や床を間近から凝視する。まさに本物にしか見えない。こんなもんを一から作ってエンジンで描画してるわけか。いったいどれだけのマシンパワーが必要なんだろう。
(おっ!)
俺はドアに鏡が付いてることに気づいた。喜び勇んで覗き込むと――
「うわっ、バタ臭ッ!」
そこにいるのはだれかであった。
俺はもちろん日本人だが、これは日本人の顔ではない。白人や黒人にも見えない。肌は少し浅黒い程度。きめ細かい肌だ。目玉や口がまるで人間のようによく動く。口を大きく開けると……のどちんこまでモデリングされてるのがわかった。
こいつが今の俺のアバターってことか。バタ臭いのは確かだが洋ゲーなんだから仕方が無いだろう。たしか『アナザーワールド』を開発した会社はアメリカのフェニックスにあるんだったかな。スタッフ自体は世界中から集まってるはずだけど……
ともかく――俺は新しい世界への期待を込めてドアを開けた。木製なのにやけにがっしりとした手応え。
その先に広がっているのは……西部劇のような酒場であろうか?
人が五、六人いる。カウンターで酒を飲んだり、テーブルでカードをやっていたりするようだ。あれはNPCなのか? それともプレイヤーなのか!?
「おや、日本のプレイヤーの方ですか?」
と、日本語で声をかけられる。
俺のアバターと同じくバタ臭い顔の男性であった。
「これはようこそ、新しい世界へ! おそらくあなたが日本人で最初のプレイヤーですよ」
と、祝福してくれる。
残念ながら、世界初のプレイヤーではなかった。ロサンゼルスのアナザーワールド・センターで最初のβテストやってたからね。
「あなたは?」
「私は『アナザーワールド』のモデリング担当スタッフです。会議まで時間があったんで覗いてみたんですよ。どうですか、このまったく新しい世界は」
「世界はすごいんだけど……アバターの顔がちょっとアレじゃないスか? キャラクターメイキングとか出来ないんスかね?」
「ああ……、キャラメイクはまだ実装されてないんです。今のところアバターモデルが男女6種類ずつしかないんで、同じ顔の人もいるはずですよ」
「マジか」
スタッフさんの説明から色々と現実がうかがえた。
「キャラの個性というか、ステータスとかはないんスか?」
「ステータス? ひょっとして、知力とか敏捷力とかああいうのですか? ないですよ。現状では全員のアバターが同じ性能ですね」
「これどういうゲームなんです?」
「ここはロビーなんですよ。あの扉から、個別のゲームにアクセスできます」
「おお!」
俺は喜び勇んでその扉を開けた。
すると……
「おお!?」
真っ暗な世界だった。その先にはなにもない。暗闇が延々と広がっている。俺は怖くなって扉を閉めた。
「なにもないじゃないか!」
「そうなんですよ、ソフトやアプリケーションがまだないんです」
「どういうこと!?」
「考えてみてもください。『アナザーワールド』はまったく新しいタイプのハードでありシステムでありアーキテクチャなわけです」
「そうだろうね」
「だからソフトを作る側のサードパーティーに、まったく制作ノウハウがないんですよ。まず、ハードとシステムに慣れてから、ゲームなりアプリなりを作らないとならないんです。現状では開発機材もない、ミドルウェアもない、ライブラリもないですからね。まともなソフトが出るまであと四年くらいかかるんじゃ?」
「ファーストパーティーであるあんたらが作れよ!」
「いやー、このロビー作るだけですごい予算と日数がかかってるんですよね。あまりにお金かかりすぎて開発会社一回つぶれてますから」
うーん、それは聞いたことがあった。何年か前に、一度、プロジェクトが頓挫しかけたのだ。
「なんでも米軍から資金が入って、やっと開発を再開したとか。『アナザーワールド』のシステムは、兵士の訓練やシミュレーションに有用ですからね」
「生臭い話だ」
「このプロジェクトに集まった人材って、ほとんどが脳神経技術者だったり、システム・エンジンの開発者だったりするわけでしてね……。予算はほとんどがそっちに使われています。我々モデリング班は地味にこつこつやってますよ」
「じゃあ、RPGとかできないの?」
俺にとってVRMMOといえば、やはりRPGであった。VRMMORPG! これだ。FPSでもいいが、とにかく戦うようなゲームがしてみたい。
「無理ですねぇ……RPGなんてどれだけ開発リソースを消費することか」
言われて見るとそうかもしれない。これほど精緻な世界でRPGを作ったら、軽く百億、二百億飛んでいきそうだ。ペイできるかどうか怪しい。
「じゃあ、野球は? デモ動画で見たけど」
「あれも難しいんですよ。バットってスイングのときにしなりますよね。そして叩かれたボールはつぶれてその反発で飛んでいく。いまエンジン開発班のほうで反発係数の計算が難航してましてね。この間なんか、バントしたらホームランになりました」
「燃えプロか!」
古いゲームであった。
「じゃあ、なんなの? ゲームできないの? まさかロビーだけの技術デモ状態なの?」
言われて見るとこれはあくまで「テストオープン」なわけである。本当にテストするだけなのか。
「いや、勘違いしないでください。『アナザーワールド』は本当にすごいんです」
「それはわかるんだけどさ……何のゲームがあるの?」
「トランプとか」
と、ポケットからデッキを取り出す。
「パーティーゲームかよ!」
「ぼくがカードのモデリングしたんですよ。ほらプラスチックの質感がリアルでしょ? シャッフルだって出来るんですよ」
「すごいけど、どうでもいいよ。他にないの?」
「他には、麻雀があります」
「麻雀ねぇ……」
「新ハードのローンチといえば、麻雀が伝統でしょう?」
「そんなしょうもない伝統守らなくていいんだよ!」
「ちなみに将棋はありません。日本人しかやらないから」
「いらないよ、一時間18ドル払ってまで長考したくないよ」
うーん、なにもないというのなら、麻雀をやるしかないのか。こんなすごい技術があるのに、麻雀しかやれないとは……。
スタッフさんは新たに入ってきた日本人プレイヤー二人に声をかけて、卓に誘ってきてくれる。
「いやー、おまたせしました。これが麻雀です」
木製のテーブルの上にスタッフさんが牌をぶちまける。重なってごろごろと回転する麻雀牌。
「どうですか、この物理計算! すげぇ! これが世界最先端の技術ですよ!」
「いや、確かにリアルだけどさあ……」
俺は牌をつまむ。見た目も手触りも本物そのものである。技術だけは本当にものすごいんだが。
「なあ、この牌ちょっと大きいような気がするんだけど……モデリングミスってない? って、ちょっと待て。これ、ひょっとして手で牌を積まないとダメなのか?」
「ええ、全自動雀卓とか作ってる暇はありませんからね」
「……………………。山って横何枚にするんだっけ?」
この麻雀は、いったいアナログなのだろうか、デジタルなのだろうか。
ため息をつきながら牌を混ぜる俺は、すぐそれに気づく。なんか……お洒落な牌が混じってるぞ。『秋』って書いてある。なんだこの牌は。
「花牌です。これ、中国式ですから」
「中国麻雀かよ!」
「中国麻雀は日本式よりプレイ人口が多いですからね」
「まあそうかもしれないが……」
「でも中国にアナザーワールド・センターないから、中国人プレイヤーは今のところゼロですけどね」
「意味ないじゃん!」
花牌8枚だけ抜けば普通に日本式の麻雀が出来るということで、俺たちは山を作り配牌する。手積み・手打ちで麻雀したことのあるメンバーがいなかったので、ドラをめくる位置はどこかなどで事態は紛糾した。ともかく俺たちはどうにか麻雀を進める。
「――っと、それロン」
序盤にリーチした俺はスタッフさんからあがることが出来た。
「えーと、リーチと中で二飜なんだけど何点だ?」
「さあ……」
「点数計算も自前かよ!」
符数とかよくわからないので二千点だけもらっておいた。まったく点棒の感触だけは無駄にリアルだよ。
「――っと、失礼。そろそろ会議が始まるところなので、途中ですが、抜けさせていただきます」
「いいよ、行けよ」
俺は投げやりに牌を投げる。ヴァーチャルリアリティで麻雀はもうこりごりであった。
「それでは……と、その前に」
「?」
「なぜかみなさん、がっかりされているようですから、『アナザーワールド』がどれだけすごいのか、私からお伝えしたい」
「なんだよ」
「『アナザーワールド』って、世界中から人が集まって、顔を合わせられるから、とある分野に最適なんですよ」
「なんだ?」
「ネット会議」
「知らねーよ!」
ショートショートというか、途中からショートコントの台本みたいになりました。
現状、海外製の大作ゲームは、制作費と宣伝費あわせて、ハリウッド大作数本分の予算がかかってるそうです。これが、VRMMORPGともなると、どれくらいの制作費・スケジュールが必要になるのか……想像もつきません。あるいは、その頃になれば、ゲーム自動生成ツール的なものが出来て、開発がずっと楽になっているでしょうか。