秘密を明かせ、夜行の想い
今日は土曜日で学校は休みだ。いつもより遅く起きて今は午前十時。
ヘヴンは待っていてくれてるかな。来るのが遅いと文句を言われそうだなと自嘲を浮かべた。
土曜日だけあって公園にはいつもより人が多かった。親子連れや犬の散歩、ウォーキングをしている人がいっぱいいる。そんな緩やかな風景を眺めていると叫び声がした。
聴き間違えるはずがない。この声はヘヴンだ。僕は走った。そしてヘヴンを視界に入れた。
ヘヴンは子供に必死に何かを言っている。その表情は尋常じゃないくらい焦って見えた。何をそんなに―――と思っていると僕は一瞬で顔が青ざめた。
子供の手にはハサミが握られていたのだ。子供は青い薔薇を、ヘヴンの本体を切ろうとしているのだ。
僕と子供の距離はまだ二十メートルはある。走っても間に合わない。その子供は今にもヘヴンを切ろうとしている。ヘヴンも必死で叫んでいるがその声は届かない。僕の足は既に地面を蹴っているが距離があまりにも遠かった。こんな事で終わってしまうのか? こんなことでヘヴンは居なくなってしまうのか?
子供はハサミを薔薇の茎にあてた。ヘヴンは目を閉じた。
「止めろっ!」
叫び声が辺りに響きわたる。子供はビクッと体をすくませて手を止めた。その声は子供に届いたのだ。しかしその場には三人しかいない。
「この糞ガキが。その薔薇に触れるな」
再び叫んだ。子供は怒鳴られて泣きながらその場から消えた。
「夜行……? しゃべれるの……?」
そう。叫んだのは水無月夜行。しかし、その雰囲気や言葉使いはとても本人だとは思えなかった。長い前髪をかき上げ、胸のポケットからメガネを取り出してかけた。
「お前がヘヴンか?」
「そ……うだけど。夜行? 夜行だよね?」
その少年は答えた。
「俺は夜行じゃない」
「嘘よ。だって夜行じゃない」
「正確に言うと俺は夜行であって夜行ではない。俺の名前は百鬼。水無月百鬼だ」
百鬼と名乗った少年の姿は夜行そのものである。ヘヴンは何が何だか理解出来なかった。
「本当は夜行がゆっくり説明するはずだったんだが。お前も早く知りたいだろうから俺が説明する。いいな? 夜行」
そう言うと少し目をつぶった。そして目を開け話し出した。
「簡単に説明すると、この身体は夜行のもんだ。しかしその夜行の身体を今、動かしているのは夜行ではなく俺」
「……意味がわからない」
ヘヴンは腕を組み、眉間にシワを寄せている。
「……夜行は多重人格者なんだ」
「多重……人格者……?」
「そうだ。一つの身体の中に二つの人格が存在している。俺、百鬼は夜行が創り出したもう一人の人格だ」
多重人格者は希だが確実に存在する。過去、恐怖によって傷ついた事が原因で発症すると言われている。それは病気の一種だと言われているが夜行はそうは思わなかった。
もう一人の自分、百鬼と上手く生活していけてるし何も不満はない。
病気だとしても治す気もない。百鬼がいてくれたからこそ、夜行は自分がここまで成長できたと思っている。
それほど百鬼の存在は夜行にとって大きい。
「そんな事が……」
「なんだ? 妖精が存在しているのに多重人格者は信じないのか?」
問われヘヴンは直ぐに言い返した。
「そんなことない。……ただ驚いているだけ」
百鬼は『ふん』と鼻を鳴らした。
「でもなんで君はしゃべれるの?」
「さぁ? 俺は俺だからな」
矛盾しているとヘヴンは思った。
「さぁ。俺は戻るとする」
「あ……ありがと。助けてくれて」
百鬼は一瞥しベンチに座った。そして俯き目を閉じた。
静かにスっと目を開けるとメガネを取り外し、上げていた前髪を元に戻した。表情はいつもの夜行だ。
「夜行?」
その問いかけに僕はゆっくりと笑みを見せた。そしてペンを手にとった。
『ごめん。驚いたよね?』
「……うん。驚いた。でも……これでおあいこだね」
ヘヴンは笑顔で言った。その言葉に僕は笑顔で頷いた。
なぜ百鬼は喋れるのかは分かっていない。本人曰く、『俺はお前だが俺は俺だから』と矛盾な回答をする。
実際、僕はその事に関してはどうでもいいと思っている。一つの身体しかないけれど自分は自分なのだから。
それをヘヴンにも説明をした。もう一度、僕から伝えたかった。
それを見たヘヴンは特に何も言わなかった。そして白い目で見られる事はなかった。それを言うと『夜行は夜行でしょ』と百鬼と同じ様な事を言われた。
こういう言い方はあれだか、存在があやふやな者同士で意外に気が合うかもしれないと僕は内心思いヘヴンにバレない様に笑った。
百鬼とヘヴンは必ず気が合う。百鬼にも、もう少し表に出て欲しいんだけど百鬼はそれをかたくなに拒む。『お前の身体だ。お前が表に出るのは当然。俺は引きこもりだから外に興味はない』といつも言う。
それは単に気を使ってくれている事はとっくに分かっている。
いつも僕の為。それが自分の存在理由なのだと過去に言われた事がある。
それでも僕は諦めない。外の世界は輝いている。今まで辛い事ばかりを経験してきた百鬼に輝いている世界を見せたい。僕はヘヴンに出会い初めてこの世界も捨てたもんじゃないと思えた。
百鬼もいつかそう思える日がくるのだろうか。大切な人には幸せを感じてもらいたい。
そんな事を思いながらヘヴンといる心地よさを噛み締めたのだった。