難しき、この行為
「おはよう。待ってたよ」
公園の入口でヘヴンは僕を待っていてニッコリ笑って挨拶をしてくれた。でも僕はその言葉に返す事は出来ない。小さなホワイトボードに『おはよう』と書いて見せた。
「それ買ったの?」
頷きペンを走らせる。
『紙が勿体ないから』
「あら偉いのね」
ヘヴンは『ふふふ』と笑いながら歩きだした。
「携帯持ってないの? それに打ち込めばいいじゃない?」
『持ってない。電話できないし必要ない』
「そっか」
僕は後ろについて行った。ヘヴンは自分の本体がある場所へ向かう。
「やっぱり自分と離れすぎるのは怖いな」
そう言いベンチに腰を下ろした。そんな場所にベンチなどなかったはずだと僕は強く思ったがあえて聞かなかった。
どこからか持ってきたんだろう。全く自由でやりたい放題の妖精だ。
ヘヴンはニコニコと笑い僕を見ながら自分の隣をポンポンと叩いた。ここに座れという事かな? ストンと腰をおろす。どうやら正解だったみたいだ。
少し穏やかな時間が流れた。朝日に心地よい風に鳥の声、そして薔薇の香りがゆっくりとした時間を作っている。薔薇の匂いはリラックス効果があると聞いたことがある。なるほどその通りだ。
ここで僕はあることを思いだした。僕はペンを走らせた。それをヘヴンはチラリと一瞥し、直ぐに視線を前に向けた。
『なんでヘヴンに触れたら駄目なの?』
それを読んだヘヴンは笑った。
「あはははっ。夜行、君それ、アタシに触りたいって言っている様なもんだよ?」
言われ、僕は顔が赤くなるのを止められなかった。ヘヴンはまだ隣でクスクス笑っている。
「いいわ。可愛い夜行を見せてもらったお礼に教えてあげる」
僕は頷いた。
「アタシはね薔薇なのよ? 薔薇には代名詞と呼べる言葉がある。なんだと思う?」
僕はしばし考えた。答えは分かっている。やはり考えてもそれ以外ありえない。ホワイトボードの上をキュッキュッとペンが走る音がする。
『薔薇にはトゲがる』
ヘヴンはそう書いたホワイトボードを見ると『御名答』と言った。
「それは人の形でも変わらないの。見えないだけでアタシにはトゲがある。触れれば見えないトゲが刺さり皮膚は裂け血が出て怪我をする。アタシは夜行に怪我なんかしてほしくない。だから約束して絶対に触れないで」
少し悲しげな表情。それを無理矢理に笑みの形に変えようとしているのがわかる。僕は頷くほかなかった。
「だからね。アタシと手を繋ぎたいと思っても出来ないから諦めてね?」
一瞬、ヘヴンが何を言っているのか理解出来なかった。その言葉が頭に入ったとき、僕の顔は耳まで真っ赤だったに違いない。
ヘヴンはそんな僕を見て再び『ふふふ』と笑う。ベンチから立ち上がり、少し前に歩きながら僕を見ずにヘヴンは言った。
「でもアタシは夜行と手を繋いでこの公園を歩きたいな」
そして振り返り『無理だけどね』と意地悪そうな顔で言い、その後に小さな声で『諦められないのはアタシの方か……』と呟いた。
悲しげな表情。僕はそんなヘヴンの顔を見てるだけしか出来なかった。
相手に触れるというものが凄く簡単であって難しい。手を繋ぐことすら叶わない。一般的にそれは当たり前の行為だ。それが何よりも困難だ。肌と肌が触れるのは会話よりも一段上の行為だと思う。僕は喋れない。会話も出来ない。触れることも出来ない。何から何まで……。
自分に出来る事を考えるしかない。
そんな事を考えているとヘブンの表情が不意にパッと表情が明るくなった。
「ところでまだ学校行かなくていいの?」
そう言われ時計を取り出し時間を確認する。そしてバッ立ち上がった。やっばい。これは冗談ぬきでやばいかもしれない……。
もうこんな時間になっていた。急がないと遅刻すると思い、何気にヘヴンに目をやる。
「その慌てようは遅刻かな?」
クスクス笑っている。誰のせいで―――と思ったが後悔はしていない。ヘヴンといると時間が経つのが早い。ホワイトボードをカバンに押し込み走り出して直ぐに足を止めた。そしてゆっくりと振り返るとヘヴンは見たことのない様な優しい笑顔で手を振り『いってらっしゃい』と言った。僕は頷き走り出した。するとヘヴンが叫んだ。
「また帰りに寄ってねー」
手を大きく振りながらピョンピョンと跳ねている。その姿が可愛くて僕は笑いながら手を大きく振り返した。
僕はその時、久しぶりに笑ったことに気がつき、その事にまた笑ったのだった。