ありがとう
「ねぇ。なんで百鬼が表に出ているの?」
「夜行がたまにはってさ。俺も出来ることなら出たくはない。お前に恨まれたくはないからな」
珍しく百鬼が表に出て机に座り何やらプリントに目を通している。
「なら早く夜行に変わってくれないかなー?」
百鬼はそんな言葉を無視しプリントに夢中だった。
「ちょっと聞いてるの? 何見てるのよ?」
ヘヴンがひょいっと百鬼の手元のプリントを覗きこんだ。
「進路相談……?」
「夜行のやつ……どうするのかねぇ」
「聞いてないの?」
「聞いているが俺の口からは言えん。聞きたければ本人の口から直接聞け」
「なにそれ。わかったわよ。今度聞いてみる」
少し不服な表情を浮かべながらヘヴンは言った。
「あぁそれはそうとお前……」
百鬼は夜行が聞いていないことを確認しヘヴンにあることを打ち明けたのだった。
次の日、僕は学校で頭を悩ませていた。
それは昨日、百鬼が言ったことだ。「顔なら大丈夫」。それはつまり―――。考えただけで顔が赤くなりそうだった。
僕は机に頬をつけて外を見ながらため息をついた。その時、声がした。
「よう」
僕は身体を起こして声のする方に顔を向ける。
「なに黄昏てんだよ」
そう言い僕の机の上に座ってきた。
彼の名前は奥村夜見。少し長めの黒髪に端整な顔立ちをしている。奥村家は有名な財閥だ。そこの長男にもかかわらず、こんな普通の学校に通っているなんて信じられないぐらいの変わり者だ。普通に考えて僕などの一般人が友達になることなどありえない。しかもタイプが全く違うのだ。
僕は地味で根暗でいつも一人でいるタイプ。
夜見は見た目が派手でいつも周りに人がいて、言葉は悪いが若干チャラいタイプ。
そんな二人がなぜ友達かと言うと、それは夜見が変わっているからとしか言いようがない。
根暗な僕に唯一かまってくれる。僕の唯一の友達だと言ってもいい。
「そう言えばお前最近、物語物語言わなくなったな」
そして過去、僕に物語を提供してくれた大切な友達だ。夜見の話しは面白い。時折り現実味がないことを言うが、それも本当の事ではないのだろうかと思えるほどだった。
僕は密かに夜見は妖精なんじゃないかと本気で思うことがある。それほど変わっていた。
「お前なんか最近変わったよな」
僕は机に文字を書く。
『そう?』
それに夜見は頷く。
「あぁ変わった。明るくなった気がする。さてはお前……女が出来たな?」
僕はそれを聞き、急いで首を横に振る。夜見は右腕を僕の首に回し、軽く締め上げた。
「嘘をつくな。俺たち友達だろ? 言え。ってか吐け。むしろ教えろ。相談に乗ってやる」
有無を言わせない言葉だが、それには優しさが含まれているので怖くはない。
僕は少し考える。
たしかに夜見は顔もいいしモテる。相談すれば一発で答えが出るかもしれない。そう思い再び机に文字を書いた。
『誰にも言わない?』
夜見は右手を上げて「誓って」と答えた。
『夜見はファーストキスはいつだった?』
その問いに夜見は右手を顎に当て目を瞑った。
「……覚えてないな」
僕は夜見にバレない様にため息をついた。
『じゃあ、どうやってそこまで持っていくの?』
その問いには考えるまでもなく即答した。
「んなもん勢いに決まってんだろ」
なんとまぁ男前な発言だろうと僕は関心してしまった。しかしそれは参考にならない。そんな事を考えていると夜見の顔はニヤついていた。
「ま、お前は喋れないし何かと大変だとは思うけど、そこに言葉はいらねぇよ。雰囲気だ雰囲気」
夜見は僕に遠慮しない。普通に喋れない事をイジってくる。それでもそこに悪意はない。本当に変わっている。
「こら夜見。また貴方は水無月くんをいじめて」
そう言葉を投げて来たのはクラスの委員長だった。夜見とは幼馴染みらしい。金髪でクォーターで夜見に負けず劣らずの男前だ。
「うるさいのが来たな。別にいじめてねーし。んじゃ夜行、頑張れよ。次はお前の物語を聞かせてくれ」
そう言って夜見は去っていった。
夜見になら全てを話してもいいのかもしれない。百鬼のこともヘヴンのことも。きっと普通に受け止めてくれるだろう。
雰囲気と勢いか……。僕はその言葉を繰り返し思い、自分のヘタレさにため息をついた。
僕が学校から帰ってくるとヘヴンが僕のベッドで寝ていた。その寝顔に僕は思わず見惚れてしまった。綺麗すぎるのだ。
その寝顔は透き通る様に澄んでいてこの世のものとは思えないほどだった。実際に妖精で人間ではないのだから当然と言えば当然だが。
僕はスヤスヤ眠るヘヴンの隣に腰を下ろした。それでもヘヴンは起きる様子などなかった。百鬼の「顔なら大丈夫だ」と言う言葉が頭をよぎる。
確信はない。それでも試せずにはいられないのが人の性だろう。僕はゆっくりと左指の背をヘヴンの左頬に近づけた。
そして触れた。
痛みは感じられなかった。とても柔らかくスベスベした肌だった。そのまま少しなぞっていると唇に触れ、手をパッと引っ込めた。
心臓が高鳴る。血が全身を凄い勢いで駆け巡る。気が付けば僕は身体を折り曲げて顔をヘヴンに近づけていた。
心臓がさらにバクンバクンと音を立てる。もう顔と顔の距離は拳一つ分もないだろう。決心がつかずに顔がとまる。時間にすれば十秒ほどだったが僕には果てしなく長く思えた。
不意にヘヴンの目がパッと開いた。
バッチリと目が合った。もう僕の頭の中はパニックだった。起き上がることも出来ずに頭の回路はパンク寸前。
するとヘヴンの手が僕の顔にニュっと伸びた。その手には手袋がされており、僕の顔をがっしりと掴んだ。
そして―――。
ヘヴンは僕の顔を自分の顔へと引き寄せた。ヘヴンは目を閉じ、僕はあまりの衝撃なことで目を見開いてしまった。
顔が離されると再び目が合い、ヘヴンは照れくさそうに言った。
「グズグズしてるから……」
その言葉を聞いた瞬間、僕は理解した。
ヘヴンは寝てはいなかった。狸寝入りをしていたのだ。手袋をはめて。つまりはこのことを予想していた? わかっていたということになる。そう理解した瞬間、百鬼の意地悪そうな顔が浮かんだ。はめられた……。
全ては計画的。百鬼とヘヴンで打ち合わせをし、今に至るのだろう。
「アタシ夜行のこと好きだよ? 夜行はアタシのこと嫌い?」
僕は思い切り首を横に振った。今この瞬間ほど声がほしいと思ったことはない。声が出るなら自分も好きだと言えるのに。でも言葉は使えない。違う方法でこの気持ちを伝えなければ……。
僕は今度は止まらなかった。
今度は逆だ。僕は目を閉じ、ヘヴンは驚き目を見開いていた。顔を離すと、恥ずかしそうな嬉しそうな満面の笑みのヘヴンの顔があった。
「夜行の気持ち、確かに受け取ったよ。ありがとう」
僕たち二人はこれまでにないくらい幸せな表情をしたのだった。