野望、三年越しの実現
ようやくポイントがたまったとはいえ彼、彼女らの存在を考えると、『魔王化』するべきかどうか非常に悩ましい。はっきり言って、わざわざ強者の目の前で剣を振りかざすのは狂者か愚者以外の何者でもない。
ここまで時間がかかったんだ。そいつらが消えるまでの間、待つことにしようか。なに、三年に比べたら一週間ぐらいは誤差の範囲だ。
そう結論づけ、アルマは自身を納得させようとした。――しかし、どうしても右手と意識がダンジョンウインドウから離れない。
興奮しているのだ、どうしようもないくらいに。いくら正論を並べ立てても、心の奥深くではどうしても妥協できない部分がある。諦めようとしているその心のどこかでは、自分が手にする能力なら例え相手がどんなに強くても、軽くひねりつぶせると感じていた。
しかし、いくら確信があったとしても、少しでも失敗する可能性があるのなら断念するのが大人というものだ。アルマは自分も中々に子供っぽいなと、ほおを掻きながら苦笑した。
思考が泥沼にはまりそうになったところで、ちらとダンジョンウインドウに視線を向ける。ページは能力取得を行うためのものだ。下位スキルと特殊スキル、そして上位スキルの名称がつらつらと並んでいる。
名称は薄ぼんやりと光っており、タッチすれば詳細が確認できるようになっているようだ。
試しに上位スキルのひとつに触れてみる。ページ全体が一瞬光り、刹那のあとにスキルの説明に切り替わった。やはりスキルの最高峰ともいえる上位系統らしく、能力は恐ろしいものだった。しかし何よりもアルマを驚かせたのは、ポイントの高さもさることながら、取得条件の厳しさである。『侵入者を一〇〇〇〇体討伐すること』。アルマには到底、というよりも絶対に無理だ。討伐者〇の自称は伊達ではない。
しかし莫大なポイントを使用して手に入れたいのは上位スキルではない。一般的にそれよりも劣ると言われている『特殊スキル』だ。アルマは、特殊欄の深い方、前にそのスキルを眼にした辺りをもう一度探した。
そのスキルの数とバリエーションの豊富さに戸惑いながらも、高速でスクロールしていく。名前はちらりと見ただけで、目的のものと違えば無視している。
「――みぃつけた」
そして五分ほど膨大な文字列と格闘したのち、唐突に手を止めた。アルマの視線の先には、淡く発光しているスキルがある。その文字は他のものと変わらない光量だったが、期待によるものなのか、どんな感情のいたずらかはわからないが、どことなく神々しい雰囲気をまとっているような気がした。
『彼曰く無敵』。
これが最強への片道切符である。アルマは誰に教えられる訳でもなく、その事を本能的に理解していた。
興奮に震える右手で、優しく――実際は力が入らないだけだが――そのスキル名に触れる。画面から溢れ出る光に身を震わせた。
瞬きをしたのちに、説明欄に眼を通した。相変わらずぶっ飛んだ性能だ。これほどのポテンシャルでなぜ特殊スキル止まりなのか。それはやはり取得条件の厳しさと、そのスキルの特殊性の影響が大きいのだろう。アルマは苦いものを噛み潰した時のように口許をすぼめながら、ウインドウの下方に視線をくれた。
要求ポイントは、所持限界であり、現在保有している量と同等の《一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇》。これだけでも笑ってしまいそうになるが、それよりもぶっとんでいるのは取得条件の一文。
このスキルを取得するためにはダンジョンマスターである必要があり、モンスターの召喚を行ってはならない。条件を破った場合、この能力は項目から除外される。
いったいどうしろというのか。ポイントは肉体ひとつで侵入者を殺してまわれと? 久しぶりに見返したのだが、相変わらずの理不尽さにふと苛立ちがつのった。その怒りを発散するかのように、握りしめた左手を、目の前にある木のテーブルに思い切り叩きつけた。
彼の筋力に耐えかねたのか、もともとがたがきていたのかはわからないが、硬いものが砕けるような、乾いた音を聞いた。
アルマは砕けた左手の小指をなるべく動かさないように気遣いながら、先ほどよりも不思議と輝きを増したウインドウに手を伸ばした。
中央に堂々と鎮座しているスキル取得という文字。そこに、興奮か、期待か、それとも左手の小指から絶え間なく発せられる痛覚信号が原因かは知らないが、小刻みにけいれんする右手で触れた。
いつも通りの硬質な反応。指は鈍い抵抗を受けて、それ以上は進まない。
しかしいつもとは違い、触れた直後、アルマの呼吸が止まった。
三年越しの野望なのだ。喜びや安心、期待など様々な感情が次々にわいてきて、少しだけ涙がこぼれた。
いつもと同じように、読み込みによる数瞬のラグが発生しているのだろうが、一秒にも満たない刹那の時間にも関わらず、しばらくの間だけこの世界全部が動きを止めているかのように錯覚した。
このままずっと世界が時を置き去りにして、アルマは激情に胸を震わせる甘美な時間が続くのを心から願った。
しかしそんなことは決してありえず、まぶたを固く閉じて息を潜めていた時間たちが、唐突に息を吹き返した。
スキル取得が完了したという旨を伝える一文がウインドウに表示され、アルマも我にかえる。
画面に触れればメッセージは消え、何の痕跡も残さずに見取得である大量のスキル欄が現れた。
自身がさっきのスキルを手に入れた証明はどこにもなく、もしかしたら今のことは夢だったのではないか、失敗に終わってしまったのではないかと不安に包まれる。
アルマは慌ててダンジョンステータスを表示させ、ポイントに注目した。
記憶にある膨大な数字はなくなり、ポイント欄には何も表示されていなかった。失敗ではない、間違いなく成功である。
取得した『彼曰く無敵』の効果が発動しているのだ。このスキルの説明は非常にシンプルだ。
ポイントの概念をなくし、ダンジョンポイントの消費を常に〇にする。
ダンジョンマスターにとってはのどから手が出るほど欲しい、垂涎の能力だ。
そこでふと、視界のはしに最新の情報があることを伝えるアイコンが表示されていることに気が付いた。どうやら取得したスキルについてメッセージがあるようだ。
アルマは、ウインドウのはじっこにぽつりと存在するアイコンに触れた。
すると小さなアイコンは中央までやってきて、大きく広がった。ステータスを背景にして表示された一文に眼を通した。
なんてことはない内容だ。今さっき取得したスキルは自分が最初の持ち主だから、特別に一〇〇〇〇ポイントを進呈するとのことだった。
アルマはそのメッセージをゆっくりと噛み砕き、理解するために繰り返し読み込んだ。反復するごとに、アルマの口角は徐々に歪んでいき、しまいには凶悪な笑みを形作った。
進呈を喜んでいるのではない。ポイントの概念が消えた今、いくら保有していようが意味をなさない。
問題なのは、『彼曰く無敵』を取得したマスターが、自分が一人目だということだ。
アルマは実のところ、生存説がささやかれている初代魔王を警戒していた。様々な偉業を残し、今までに魔王になったやつらの中でも最強と言われる初代魔王は、世界統一の後に生脚王国を建造するという自分の計画の邪魔になる可能性が高かった。
問題である寿命を解決することが可能になりそうなのは、全てのスキルの中でも『彼曰く無敵』のみ。
そしてたった今、その懸念も払拭された。
「くくく......あっはっはっはっはぁああぁぁぁああああ!!!」
笑いが止まらない、最高の気分だ。
念願の能力を手に入れたり、長年の心配がなくなったり、今日は本当に幸せな日だ。
アルマは喜びに身を任せ、両手を上に突き上げた。その時の衝撃のせいで、興奮によって痛覚が麻痺していた、左手の小指に走る激痛を認識した。その痛みはとてもではないが堪えることができず、そのすさまじさにアルマは床を転げ回った。
小指が地面と接触する度に激痛が加速するという悪循環におちいり、冷静さを取り戻したのはしばらく後になってからだった。