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三百年のブランク

「いただきます」

「…………」

 詠治が無言で目玉焼きに胡椒を振って食べようとすると、ユリアがそれを咎めた。

「エイジ、食事の前ではいただきます、ですよ」

「お前は俺のオフクロか、馬鹿馬鹿しい」

「母親を馬鹿などと言ってはいけません」

「僕はそんなこと言っていない」

「とにかく、いただきます、です」

「…………いただきます」

 詠治はしぶしぶそう口にして、皿に乗った目玉焼きを食べ始めた。卓袱台を挟んだ向かい側では、ユリアが箸を不器用に使いながらも白身の部分を切って口に運んでいる。

「美味しい……」

 なんでもないただの目玉焼きを、ユリアはとても美味しそうに食べている。三百年前の食事事情など知らないが、たぶんろくなものを食していなかったのだろう。

 ――ユリアと住み始めてから十日が経った朝である。


       *


 ユリアとの同居は、一言で片付けてしまうとするなら、留学生のホームステイみたいなものだった。何せ三百年ものブランクがあるから、魔法はおろか日常生活における些事すらも、彼女の認識は旧時代的だ。以下はそのやり取りの断片をまとめたものである。

『エイジ、井戸はどこですか。水浴びをしたいのですが』

『ない。銭湯に行け』

『エイジ、厩舎はどこですか。馬を一頭お借りしたいのですが』

『ない。自分で走れ』

『エイジ、斧はどこですか。見たところこの家は薪を切らしている。私がそこら辺の木から調達してきましょう』

『ない。ていうか薪なんか必要ない。それと間違ってもそこら辺の木を無断で切るなよ』

『エイジ――』

『今度は何だよ……』

 というような具合である。

 またある時にはこんなこともあった。

 夜、ユリアが窓を開けてぼんやりと外を眺めていた。最初こそ放っておいた詠治だったが、いつまで経っても窓を閉めないユリアにいい加減腹が立った。

『寒い、いつまで風に当たっている気だ』

公示人こうじにんか吟遊詩人が来るのを待っているのです』

『あ?』

『世情を知るにはやはり彼らの報せがなければ。私もこの時代に生きるとなれば、少しでも現代の知識とやらを仕入れなくてはなりません。けれど待てど暮らせど彼らが現れないのはどういうことでしょう。公示人のラッパの音も、吟遊詩人の歌声も聞こえないなんて。昼間に来ないということは、もしや夜に来訪するのではと待ち構えているのです』

『…………』

 詠治はこの時も三百年の空白を感じずにはいられなかった。

 公示人とは、現在の公示結社アースガルズの原型とも言うべきものだ。ユリアが生きていた頃は、公示結社から公示人が各地方に派遣され、民にニュースを届けたのだ。

 ラッパを吹いて現れるとは知らなかったが。ただ吟遊詩人が報せを持ってくるとはどういうことなんだろう。

『公示人も吟遊詩人も現代には存在しない。公示人はまあ進化した形であるけどな。でもなんで吟遊詩人なんて出てくるんだよ。ただの弾き語りじゃないか』

 詠治がそう言うと、ユリアは首を横に振った。

『エイジ、吟遊詩人を侮ってはいけません。彼らは各地を旅しているので、自然、生きた情報を仕入れてくる。故に吟遊詩人は歌だけでなく、報せも届けてくれるのです。私は公示人よりも、吟遊詩人がもたらす報せのほうに信頼を寄せていました。どうも公示人は公示結社の意のままに報せを届けていた節があったので……』

 ユリアは最後のほうは言葉を濁した。いつもあまり表情を変えない彼女だが、この時は苦々しい顔をしていた。

 ――まあ、ユリアの言っていることは正しいし気持ちはわかる。公示結社は今もそんなようなものだ。

『それにしてもまさか……公示人も吟遊詩人もいないだなんて。それではいったいエイジはどうやって世情を知るのです』

『これだ』

 詠治は畳の上に放っておいたリモコンを手にし、スイッチを押した。するとテレビの画面がパッとつき、つまらない漫才を映し出した。

『なっ――――これはなんですか! まさか……召喚魔法!?』

『だったら良いんだけどな』

 詠治は無表情に言い、番組をアースガルズ・ニュースに切り替えた。

 アースガルズ・ニュースとは、公示結社アースガルズによる報道番組で、テレビで見ることのできる唯一のニュースである。この番組に限らず、ほかの局も全てアースガルズの子会社で、テレビというメディアは完全にアースガルズの管轄化にあると言っても差し支えない。

 衰退気味ではあるが、新聞とラジオもアースガルズの完全支配下にある。古くは公示人を派遣する公示結社から始まった公示結社アースガルズは、今や世界中のメディアを牛耳っているのである。

 ネットの世界では、まだ完全支配とまではいっていないが、それでも九割以上の情報サイトはアースガルズの息がかかっていると見て間違いない。

 ニュースでは、魔導省が友好国であるスウェイデンに魔導士を派遣するかどうかの検討に入ったことが明らかとなった、と伝えている。いわば友好国へのエネルギー支援だ。魔法大国としての維新を内外に見せつけたいという狙いも垣間見える。

 ――稚拙な政策だ。

 詠治は眉間に皺を寄せる。

 続くニュースは中央魔都に建設中の商業ビルの足場が崩れ、下を歩いていた通行人が死亡したというもの。足場に施す補強術が不十分だった、作業監督をしていた魔導士に責任があるのではという見解と、納期を早め作業員達に普段の倍の作業をさせた建設会社の責任でもあるという見方に分かれている。謝罪会見で建設会社社長は謝罪の定型句を簡単に述べた後に、自分に責任はないと記者の質問に答えていた。

 次のニュースでは警察魔導士による不祥事だった。駅の階段でつむじ風を発生させ、上を歩いていた女子高生のスカートの中を露にしたという。この警察魔導士は過去にも同様の罪を犯していたが、そのときは警察署による隠ぺい工作で事件そのものが闇に葬られていたとニュースは伝えている。警察署はこの事実を否定し、警察魔導士の処分を早急に決めると述べた。

 ――やれやれだ。どいつもこいつも――

『無責任ですね』

 詠治が思い浮かべようと思った言葉をユリアが先取りした。虚を突かれたような心地で詠治はユリアを見やった。彼女は正座し、テレビを食い入るように見つめている。

『どの者も責任者の有り方をわかっていません。管轄下にある者が罪を犯したならば、上に立つ者は命を差し出すぐらいの気概を示すべきです。見ていて腹が立つを通り越して呆れますね』

『……そうだな』

 お前の強すぎる責任感もどうかと思うけどな、とは言わないでおいた詠治であった。

 それ以来、ユリアはすっかりテレビに夢中になっている。とくに母国スウェイデンのニュースになると、興味津々といった様子でテレビと向かい合う。

 テレビの威力は絶大だったらしく、ユリアの現代に関する知識は加速度的に増していった。

 またユリアを外に連れ出す機会も何度かあり、そこでもまた彼女は乾いたスポンジのように色々なものを吸収していった。その中で、当たり前のように氾濫する魔法を示されて、ユリアはようやく自分がいる世界を理解したようだった。

 ――でも。

 詠治には一つ気がかりがあった。

 ユリアの武器や鎧を卵に封じ込めた時、彼女は言った。自分を殺せ、と。その責任の所在は自分にある、と。

 魔法があって当たり前、それを肯定しているという事実を見せたからこそ、ユリアはようやくそのいらぬ責任感から解放されたのだ。

 けれど、全ての人間が魔法を肯定しているかと言えば、決してそうではない。

 ――ユリアには、グレムの連中を見せないようにしないと。あんなヤツら見たら、また面倒なことになるからな。


       *


「エイジ、エイジ」

 ユリアの呼びかけに、詠治はハッと顔をあげた。

「どうしたのです? 体の具合でも悪いのですか。ぼうっとしていましたが」

「ぼうっと? この僕が? 何を馬鹿なことを……」

 と、否定はしてみたが、たしかにここ十日間にあったことを反芻してぼうっとしていた詠治である。

「疲れているのではありませんか? 貴方はまるで剣の稽古に励むかの如く毎日勉学に取り組んでおられますから」

「剣の稽古、か」

 例えまで旧時代だな、と詠治は思った。例えに持ち出すぐらいだから、ユリアは日々、剣の鍛錬に励んでいたのだろう。その強さはあの大魔女エーファをも討ち果たすほどだから、想像を絶するというほかない。

 まさに最強。

 けれども、そんな最強の戦士、ユリア・トラドットには致命的な弱点があった。否、〝現代に生き返ったユリア・トラドット〟の弱点というべきか。

 朝だというのに締め切られたカーテン、それがユリアを弱点から守っている。

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