太陽の光で満たされた中で
詠治とユリアの足は、自然とアパートのほうへ向いた。ユリアは平気なふうに歩みを進めているが、その姿に透明度が加わるのを詠治は嫌でも気付いてしまう。
アパートに着く頃には、もう彼女の姿はかなり透けていた。竜の血で染まったという深紅の鎧も、もう薄めたトマトジュースのような色にまで変化している。
カーテンと雨戸で締め切った暗い部屋に入っても、ユリアの姿はもう以前のように元には戻らない。前はすぐに締め切ったが、今回はあまりにも長く日の下にいたからだろう。
この判断は間違っていたのかも、と思わずにはいられなかった。
もし最善の結果をもたらす方法がほかにあったとしたら……。
それを選択できなかったのが自分の力不足だとしたら……。
――ぼく、は、
サッという音が聞こえた。見ればユリアが部屋のカーテンを開け放っていた。それから窓を開け、雨戸に手をかけてギイギイと言わせながら横にスライドさせる。
部屋が、日光で満たされた。
ユリアが振り向く。卓袱台を挟んで、詠治とユリアは視線を交わす。
「やはり太陽の光は良いものですね」
ユリアは気持ち良さそうに深呼吸をする。その顔には憂いなど塵ほども感じられなかった。春が来るのを待ちわびた北国の民のような趣さえある。
「一度、こうしてこの部屋のカーテンを開けてみたかったのです」
「……大した景色でもないだろ」
「そんなことありません。絶景ですよ」
ユリアが笑顔を向けてくる。
――せめて、太陽を呼んだ僕を憎んでくれたら。
「――憎んでくれたら、などと思っていたとしたら」
「えっ」
「それは、貴方らしくないですね、エイジ」
「…………フン」
詠治はユリアの言を鼻で笑う。「そんなこと、思うわけがないだろう。この僕が」
「ふふふ、それでこそエイジです」
「僕はお前にがっかりだぞ、ユリア。散々誇りが大事だとかぬかしておいて、その実、お前は友情を第一にしてたじゃないか。王に忠誠を誓った戦士が聞いて呆れるな」
「面目ない。エイジの言うとおりですね……」
詠治の憎まれ口で、彼女の笑みが曇った。最後の最後でどうしてこんなことしか言えないんだっ、そんな自己嫌悪の渦に詠治は呑まれる。
「エーファは、私の唯一の親友でした。彼女に剣を向けるなんて、私にはできなかった。鞘から抜くことすらも。ならばいっそ、エーファは私が守ってしまえばいいと、そう思ってしまったのです。たとえ世界中を敵にしてでも。戦士としての誇りも、王への忠誠も捨てて……」
「……ユリア」
「けれどエーファを守ることもできず、しかも私のせいで魔粒が……。エーファが魔粒となってしまったのは、彼女にとっても誤算だったはずです。死後の身のことなどわかるはずがありませんから。もし私が彼女の自害を止めて二人で逃げていれば……」
ユリアは俯き、悔しそうに唇を噛んだ。
彼女が拘り続けていた責。
それは戦士としての誇りによるものではなく、親友を守れなかった自分への戒めであった。
魔女になった女たちに償い、
守ることができなかったエーファへ許しを請う。
そんなユリアの責任の取り方は、やがて彼女の中で誇りとなり、自分を支える柱としての役割を持つようになる。その柱が棘だらけなものだから、拠り所にすればするほど傷ついていく。故に自殺願望の態を成していた。
詠治はそう理解した上で、ユリアの誇りを壊すことにした。
「不毛だな。全くもって不毛だ」
「……でもそれが私にとって唯一の――」
「誇りか? お前がいつだか言った拠り所なのか? フンッ、そんなものは誇りじゃない。立派だと思える自分こそが誇りなんだ。言葉の意味をまず理解した上で己の誇りとやらを考えろ、馬鹿が。ユリアにとっての誇りは、エーファとの友情を守ろうとしたお前の生き様だ。他のヤツが何を思おうと関係ない」
「でもたくさんの魔女たちが………………」
「歴史が明らかになったんだ。もう誰もお前を憎むヤツなんていない。死んでいった魔女たちも、お前を許すんじゃないのか? お夏さんだってお前を許しただろ」
詠治の語り口はどこまでもぶっきらぼうだった。傍から見たら優しさなんて微塵も感じさせない態度である。けれど、ユリアの気持ちにはしっかりとその不器用な心遣いが伝わっていた。
ユリアはゆっくりと顔をあげ、詠治を見つめる。その顔にはもう憂いはなかった。
「…………なんだか、心が軽くなりました」
ユリアがそうつぶやいた途端、彼女の透明度がまた増した。背負っていた重荷から解放されたように。
今や日差しがユリアを貫いて詠治に差し込んでくる。
残された時間は、もう僅か。
――あと言っておくことは。
そう自問自答する詠治だが、喉元までこみ上げている言葉はある。
けれど、それを口にするだけの素直さを表に出すことがどうしてもできない。
――せめて、最期に、最期に、最期に……。
「エイジ、最期に訊いておきたいことがあるのですが」
ユリアに問われて、詠治はハッと我に帰る。「な、なんだよ」
「なぜ私をここにいさせてくれたのですか?」
「あ?」
思わぬ質問に、詠治は素っ頓狂な反応を示す。
「いえ、最初は私の居住に全く取り合わなかったエイジが、いきなり手の平を返すように許可してくれたので、私はまた何かに利用されるのかと。でも貴方は何を要求してくるわけでもなく、私をここに住まわせてくれた。その意味が、私にはわからないのです」
「あぁ……はは」
ユリアに言われ、詠治は苦笑いする。
「目的はあったんだ。でも今はもうどうでもよくなった」
「……それはどういうことでしょうか?」
「お前は歴史の生き証人だ。過去のことを色々聞こうと思ってな。もしかしたら歴史の闇に葬られた新事実があるかもしれないだろ。それをアースガルズに差し出せば、僕の評価にプラスに働くと思ってな。何せついさっきまでの僕は、アースガルズに入社することに全てを捧げていたから」
「ですが、その割りに貴方は私が話した歴史の事実を利用しようとなどしなかったではありませんか」
「それ、は……」
ユリアの語る歴史を利用する? そんなことしてみろ、僕が僕を許さない。
ユリアをアースガルズに紹介する? そんなことしてみろ、僕が僕を馬鹿呼ばわりしてやる。
それに何より、
――お前と一緒にいるのが楽しすぎて、忘れちまったんだよ。
なんて、言えたら。
そう願わずにはいられない。
ユリアの自殺願望めいた責任感に呆れたけれど、詠治は事ここに至ってもなお素直になれない自分も似たようなものだと思った。
代わりに全く関係のないことを口にする詠治。
「さ、さあな。それより誰だよ、お前に魔女殺しなんて異名付けやがったのは。結局一人も魔女を殺してないのにな。アースガルズか?」
「かもしれませんね。やはり公示人は信用なりません。今だから言いますけど、私、本当は……」
ユリアの体の輪郭がぼやける。陽炎のようにゆらめき、彼女を徐々に溶かしていく。
「……本当は、吟遊詩人になりたかったんです」
ユリアは恥ずかしそうにそうつぶやいた。たぶん、頬を赤らめて。
「あんな、下手な、朗読じゃあ……無理だ、馬鹿」
視界が揺れて、詠治は心臓がひっくり返るほど焦った。ユリアの姿がグニャリと曲がったのだ。けれどそれはユリアが消えたのではなく、彼の瞳がそう映していただけだった。
「そんな顔しないでください、エイジ」
ユリアの声が遠くなる。もう声を出すこともままならないようだ。
「貴方に、生き返らせてもらってよかった」
ユリアが笑いかける。詠治は思わず目を逸らし、湿った瞳を見られないように色褪せた畳を睨む。
「…………き、消えるなら、さっさと消えちまえよ……」
「そうこなくちゃいけませんね、エイジは」
「フンッ」
「ありがとう、ございまし――た――――」
ユリアの声がすーっと小さくなっていく。詠治はハッとし、喉元までこみ上げてきた言葉を外に出そうとする。
「ゆ、ユリアッ、僕、お前の、こ、と――――――」
詠治が顔を上げ、ユリアがいた方を見ると、ユリアの姿はもうなかった。
最初から誰もいなかったかのように、そこには開け放たれた窓があり、日差しが差し込んでいる。
「――――――――嫌いじゃなかったからな」




