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魔女の血なんて、どうだっていい

 あまりにむごたらしい光景に唖然とし、ユリアは自分が泣いていることにすら気がつかなかった。彼女の心は三百年前のとある少女のものとなって、内側からユリアを壊していく。

 母親が向けた侮蔑のこもった視線は少女の心を切り裂き、

 自害した母の姿は少女の心を罅割れさせ、

 攻めてきた魔女狩りの兵たちの咆哮は少女の心を恐怖させ、

 虐殺されゆく人々の姿に少女の心は凍りつき、

 焼かれる故郷の景色に少女の心は砕けた。

 砕けた途端、ユリアの心のほとんどが澱で埋まった。もうあと少しで完全に闇で満たされる。心から死ぬ。そうなってしまっては、身の破滅は放っておけばやって来る。自害という形で。

 目前に迫る心の死を、それでもユリアは受け止めようとする。責を果たすためならば、火あぶりだろうが心の死であろうが、甘んじて受けよう、と。

 そして、死を間近に感じた。

 ――が、唐突に、死は遠ざかり、心を満たしつつあった闇は、あっという間に蒸発していく。

 徐々に視界が戻り、天から降り注ぐ光線に思わず目を細める。その光源の正体に、ユリアは首を傾げる。

 ――おかしい、今は夜のはずだが。

 空に、太陽があった。

 ユリアは大勢の人々の中に、一羽の鶏を見つけた。


       *


 状況は詠治の狙い通りの展開となった。ユリアを燃やし続けていた闇の炎は消えうせ、お夏婆さんが放つ魔法もろとも吹き飛ばした。

 それは、詠治が呼び出した太陽の光りのおかげである。

 鶏に変身した詠治は、何も卵を産むばかりがスキルの全てではない。彼は鳴くことによって、いついかなる時でも太陽を呼び出すことが可能なのだ。

 詠治にとっては全くもって意味を成さない術、それが〝朝来術ちょうらいじゅつ〟である。

 朝来術は三百年前、魔女の血を得た片桐家の祖先が編み出した術だ。当時、雨天が続いて農作物が育たなかったことを憂い、晴天を願って生み出されたのがこの魔法である。三百年前から今に至るまで、片桐家に代々伝わっている。

 片桐家の者は農家からの頼みで太陽を呼び寄せるようになった。地元農家から『晴天の神』などという通り名で呼ばれもしたが、昨今の栽培技術の進歩もあって、近頃では朝来術の依頼はあまりなくなり、片桐家の収入は年々厳しくなっている。

 詠治がユリアに毎朝鳴くように頼まれた時に躊躇したのは、つまりはこれが理由だった。

 それでは毎日が晴れてしまう。ただでさえ梅雨のこの時期だ、毎日が晴天では環境に悪影響を及ぼしかねない。

 それに何より、不完全な形で蘇ったユリアにとって太陽は脅威だ。そんなものを毎日のように自ら呼び出していた詠治は、毎朝心苦しさを感じていた。

 こんな魔法、何の役にも立たない。

 詠治はいつも自分に流れる魔女の血をそうやって罵倒していた。ユリアが来てからは特に。それが――こんな形で役に立つとはな。

『どんな魔法を駆使しても、太陽に勝る力を呼び出すことはできないでしょう』

 ユリアのこの言葉があったからこそ閃いた策だった。闇が相手とあればなおさらだ。

 詠治は自嘲する。思惑通りになった光景を目の当たりにしても、彼の心は晴れなかった。

 闇を消すと同時に、ユリアも――。

 彼は姿を戻し、ユリアに駆け寄る。誰もが呆然として状況を飲み込めずにいて、彼の動きに反応を示す者はいなかった。お夏婆さんも憔悴しきった様子で、地に両手と膝をついて息を荒くして動けない。

「ユリア!」

「エイジ……」

 詠治はユリアの姿を見て、息を呑んだ。まだ姿ははっきりと見えるが、彼女が常に帯びていた強い魂の気配が弱っている。

「ユリア、僕は――」

「何をしているのです!」

 突如、その場に今までなかった声が轟いた。焦っている様子のそれは、校舎のほうから聞こえた。声の主は校舎から転がり出るように走ってくる。

 その人物に見覚えはなかったが、後ろから後を追う男は知っている。宮上――宮上武人だ。宮上魔導学校の理事長にして、宮上家の当主である。

「何をしているのです! 夏!」

 その男はオールバックにした金髪が乱れるのも構わずに、今にも倒れそうなお夏婆さんの肩を揺さぶる。

「急いでくださいっ、夏。今のユグルズを御覧なさい。彼女はもう間もなく消えてしまう! そうなる前に、早く彼女の息の根を止めてください! 今ならまだ間に合う! さあ『真夏の雪』の再来はもうすぐです!!」

 早口でまくし立てる男に、お夏婆さんはかぶりを振る。

「……ごめん、レキ。あたしにはもう種火を出すほどの力も残ってないわ……」

「なんですと! くっ、おのれ……まさか不完全な形で生き返っていたとは……」

 そこで彼――レキ・アースガルは詠治を睨みつけた。「君か。ユグルズをイドゥンのリンゴで生き返らせたのは。なんてことをしてくれたんだ君は!!」

 詠治は呆気に取られて激昂するレキ・アースガルを見やる。

 レキ・アースガルといえば、公示結社アースガルズの日本支局の支局長、詠治が目標としてきた組織の長である。それがまさか――

 ――こんなみっともないヤツだったとは。興醒めだ。

「誰でもいいっ。早くユグルズを殺せ! 我々に魔粒を浴びさせるんだ!」

「ちょっと待て。いったいどういうことだ。魔粒を浴びさせるだって?」

 詠治が問うと、レキは声を激しくして答える。

「そうだっ。そこのユグルズを殺せば、エーファのときのように魔粒が降り注ぐんだ!」

「なぜそうなる。ユリアは戦士であって魔女ではないだろ。こいつを殺したところで、何も降らない」

「君は何もわかっていない。エーファを討った時、一番近くにいたのは誰だ? ユグルズだろう。ならば、彼女が一番多くの魔粒を浴びているのだ。私が推察するに、エーファほどではないが相当な魔女の血をその女は保有している」

 レキの言葉に、詠治はハッとする。レキの言うとおりだ。三百年前、エッゾで魔粒を大量に浴び且つ生き残ったのはお夏婆さんだけじゃない。ユリアだってそうだ。しかもエーファを目の前にして魔粒を浴びたのだ。その量はお夏婆さんの比ではないはず。

 ――ユリアを狙うもう一つの理由、それは『真夏の雪』の再来ってわけか。

 そうなるとこの衆人たちにも説明がつく。彼らは魔粒を浴びに来たのだ。そうすれば魔女の血を宿し、魔導士として生きていける。

 魔女の血を一切宿していない非魔導士の連中や、詠治のように魔女の血が薄い者たち、もしかしたら、濃度の高い者がさらに強い魔女の血を求めてやって来ていることだって考えられる。

「君にとっても都合が良いだろう。調べはついているよ、片桐詠治くん。君の魔女の血は薄いようじゃないか。しかし魔粒をひとたび浴びれば君だって一流の魔導士になれる。知っているだろう、僅かでも魔女の血が流れているのなら、男性もその恩恵にあずかることができることを。濃度の高い魔女の血を、魔粒を浴びることでその身に宿すことを!」

「…………」

 一流の、魔導士。

 その言葉の響きに、以前の詠治ならば落ちていただろう。

 魔女の血を濃くするなど、決して叶わぬ願い。だからこそ、詠治は知識特待生としての道を選び、アースガルズ入りを果たすべく日々を勉強に費やした。

 アースガルズで地位を築けば、世の中を動かすことができる。この魔法一辺倒のジパングを変えることだってきっと――。

 けれど本当は、魔女の血が欲しかった。

 一流の魔導士の仲間入りを果たしたかった。

 魔法の授業を受けられるクラスメイトたちが、羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。

 生まれの不遇を幾度となく呪った。

 宮上有人の罵詈雑言に、殺意を抱くことなど毎日だった。

 でも、それももう過去のこと。

 詠治はレキを見据え、不敵な笑みを浮かべながら、言い放つ。

「魔女の血なんて、どうだっていい」

 彼の答に、レキは耳を疑った。「……なんだと?」

「魔女の血なんてどうだっていいと言ったんだ、レキ・アースガル。大事なのは魔女の血なんかじゃない。ほかに、あるんだ」

 ユリアのほうにちらりと視線を投げかける。「だろ?」

「エイジ……」

 ユリアは青い瞳を潤ませ、エイジを見つめる。それから彼女は何かを決意したように頷き、レキのほうに向き直った。 

「エイジの言うとおりです。魔女の血なんて些事だ。それに、私を殺したところで魔粒は降りません。私は、一切魔女の血をこの身に流してなどいないのだから。貴方が言っていることは、徹頭徹尾間違っている」

「馬鹿な……!」

「語り継がれる歴史が真実だと思わないことです。私がエーファを倒したという事実が、そもそも虚偽なのですから」

「えっ……」

 レキ・アースガルが絶句する。それは詠治も同じだった。ユリアが殺した魔女はエーファだけ、それが真実だと思っていた。教科書にも載っていない、学者たちも知らない真実だと。

「そん、な……」

「では、私が真実を聞かせて差し上げ……ま、しょう」

 言葉につっかえるユリアに、詠治は慌てて声をかける。「大丈夫か!? もう随分と長く太陽の光を浴びてるぞ。さっさとこの場から逃げたほうが……」

「いいえ、まだ大丈夫です」

 そう言うユリアは、弱々しく笑みを見せた。何を言ってもこいつは聞かないからな、と詠治は苦笑し、ユリアに続きを促す。

「では……そうですね、吟遊詩人のように歌ってみせましょう。公示人よりも信頼に足る情報を、皆様に」

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