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処刑開始の合図

 ユリアは疾駆する。深紅の甲冑姿で走る彼女の姿を、通行人が呆然とした様子で眺めている。もう日は完全に沈み、ユリアの自由行動の時間である。

 草野風香が教えてくれた宮上魔導学校の位置は、アパートからは少し離れていた。こんな時に馬があればと、ユリアはつい無いものを望んでしまう。風香には『せいぜい敵を待たせて苛立ちを煽りましょう』などとのたまったが、それは焦っている自分を静めるための言に過ぎなかった。人質に手を出す輩など、昔から掃いて捨てるほどいた。

 ――詠治、どうかご無事で。

 風香とはアパートの前で別れた。一流の魔導士たちが相手とあっては、危険な状況になることは目に見えているし、何より風香とユリアが一緒に姿を現してしまえば、宮上たちにどのような印象を与えるかは明白だ。風香は一緒に行くと進言してくれたが、風香が一族の裏切り者の烙印を押されるのは忍びない。ユリアは風香に敵地がいかに危険かを話して聞かせ納得させた。

 遠くの方に魔力による壁を感じる。目に見えないが、その存在ははっきりとユリアの魂を揺さぶる。

 ――こんな遠くにいても外の者を押し出そうとするとは、余程の魔導士による術とみた。

 しかしユリアは怯まなかった。彼女は結界を見据えながら、腰に下げた愛剣グレムの柄を一撫でした。


       *


 ――さすが、だな……。

 詠治は結界を破って学校の敷地内に入ってきたユリアを見て、思わず感嘆の溜息をついた。剣を突き出し結界を砕いて穴を穿つその姿は、少女の姿だというのに猛々しさを周囲に振りまいていた。ユリアは堂々と正門から入り、グラウンドにいる大勢の人々など気にもしないふうに詠治に駆け寄ろうとする。

 詠治はグラウンドのほぼ中央、校舎に近い位置に立たされている。彼の左右を、黒いスーツ姿の男二人が固めている。

 十分ほど前に見張りの黒スーツの男に連れられて、図書準備室から移動してきたのだ。

「エイジっ!」

 ユリアが叫ぶ。彼女は詠治から二十メートルほどの距離で立ち止まった。立ち止まらずおえなかった。まるでユリアを囲むように、人々が集まっているのだ。それはさながら、闘技場の観衆のようだった。円形のスペースを確保して、彼らは遠巻きにユリアを眺めている。

 ユリアが歯噛みするのを、詠治は見逃さなかった。観衆たちには敵意も悪意もないと、ユリアは判断したのだろう。

 ――どうする気なんだ。

 詠治は訝しげにその異様な光景を眺める。お夏婆さんが何を企んでいるのかさっぱり理解できなかった。ユリアが殺される様をたくさんの人々に見せようという腹なのか。けれどそんなことをする意味があるとは思えない。観衆は幼い子供から年寄りまで様々だ。ただ、彼らには共通している点が一つある。

 ――こいつら……何を期待してんだ。

 観衆たちの目はギラギラとしていて、誰もが何かを心待ちにするかのように気味の悪い笑みを浮かべている。ユリアが現れてからというもの、期待のざわめきは最高潮を迎え、波のように広がっている。

「ようこそ、処刑場へ」

 グラウンドに響き渡るほどの音量で、お夏婆さんがユリアを迎えた。瞬間、ユリアから五メートルほど距離を空けたところに、お夏婆さんが転移する。

「ナズナ!?」

 ユリアが驚愕する。その様子をお夏婆さんが冷ややかな目で見ている。

「ナズナじゃないよ。喫茶無菌室の店主、夏だよ」

「夏? 馬鹿な……いや、そうか。若返りの術ですね」

「へー、あんまり驚かないんだ」

「えぇ、私も魔法の類には多く関わってきましたので。若返りの術を駆使して美しさを維持していた魔女など、珍しくなかった。もっとも、貴女のように老婆から少女へと姿を変える者は初見ですが。もはや若返りというより変身というレベルですね」

「ま、そう言われても仕方ないかなぁ」

「夏、今すぐエイジを解放してもらおう。貴女の狙いは私の命と聞く。『真夏の雪』による恨みを晴らしたいのでしょう。ならば、エイジがここにいる必要はもうあるまい」

「あれ、あんたがそんなこと知ってるなんて意外。ユリア――ううん、ユグルズ。なんでそこまで事情に詳しい」

「吟遊詩人が語っていた」

「フフフ、まさか魔女殺しが冗談を言うとは思わなかったね。まあ、大体は想像つくけど。ここのところ水晶玉を使うときに妙な雑音が入っていたからねー。それを逆に辿れば、正体など容易に知れちゃうけど。まだまだヒヨっ子だねぇあの子も」

「夏っ、貴女と言う人は――」

「安心しなよ。名を明かしたりはしないから。そんなことをしたって、意味ないし。それに、聞かれても問題ないものしか盗声されてないしね」

 お夏婆さんはクツクツと笑ったが、一瞬にしてその笑みを消す。鋭い視線をユリアに向けた。

「――じゃあ、殺されてもらうよ、ユグルズ」

「その前に、エイジを解放せよと私は言ったのです、夏。彼がここにいる意味はもうない。私が来た時点で、貴女の目的は達成したも同然だ」

 ――あの馬鹿!

 詠治は怒りで頭が熱くなる。ユリアは、戦う気がないのだ。

「悪いけど詠治にはここにいてもらうよ。詠治にとっても、ためになるからね」

「どういうことだよ、お夏婆さんっ」

 詠治は声を荒げた。

 しかしお夏婆さんは取り合わず、ユリアだけを見据える。

「詠治が力を手にするのは、あんたにとっても望むことでしょ、ユグルズ」

「夏、私には貴女の話の意味するところがわからない。私を殺すことと、詠治が力を得ることに、いったい何の関係があるというのです。それに、力というのも言葉足らずです。いったい力とは――」

「自分の性質をよく考えろ!」

 お夏婆さんが激昂した。憤怒の形相でユリアを睨みつけている。「よくもそんな戯言をぬかせるわ! ユグルズっ、あたしはあんたが憎くて憎くて仕方がない! あんた、エーファを討ったんでしょ!!」

「たしかに私がエーファを滅ぼした。それは間違いありません。けれど、それと私の体の性質にいったい何が――」

「黙れっ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! この三百年、あたしがどれだけ苦しんだと思ってる……。あんたがエーファを殺して魔粒を降らせたせいで、何もかもが狂ったんだ! あたしはあの雪を浴びて魔女になってしまった。母から魔女だと軽蔑され、その母も自身が魔女だとわかると首をくくり、エッゾは魔女狩りであたし以外は皆死んだ。

 本領に来てからも、あたしはこの身に流れる魔女の血のせいで無為に長命だったから、友人や恋人ができても、誰もがあたしより早くこの世を去った……。誰も彼もが、あたしを置いていく……。たぶん、そこにいる詠治だって、あたしより早く逝く……」

「お夏婆さん……」

 詠治からだと、お夏婆さんの姿は背中しか見えない。彼女は少女の姿で、肩を震わせている。

 辺りに沈黙が降りる。観衆も今だけは静かに祈りを捧げるかのように、お夏婆さんを見守っている。

 沈黙を破ったのはユリアだった。

「――わかりました」

「……何がわかったっていうのよ」

「いずれにせよ、私が貴女に殺されるべき存在だということが、です」

「ユリアッ!」

 詠治は声の限りに叫んだ。駆け出そうとする詠治を、黒スーツの魔導士二人が抑える。

「戦えユリアッ! お前が殺されなきゃいけない理由なんてないだろう! エーファが雪になったのだって、そんなこと誰が想像できたんだよっ。無理だろ!? 想像の枠超えてんだよっ! だからユリアに責任なんてないんだ! 戦え! 敵が目の前にいるのなら、その剣で――」

「いいえ、エイジ」

 ユリアは重い声音で詠治を遮った。

「想像の枠など、私は設けていません。敢えて枠を設けるのなら、起こり得る全ての事象がその枠内に収まる。それが、責を課せられた者の定めです」

 ユリアは、握っていた剣を鞘に戻した。

「あの雪によって悲しむ者がいる限り、私は彼らの恨みや憎しみを、この身に受けます。故に――」

 そこで彼女は腰から鞘を外し、地面に放った。ガシャ、という音と共に砂埃が舞う。

「さあ夏、私を殺せ」

「……あんた、正気?」

「もちろん。何を怯えているのです? 先ほどまでの怒りはどうしました。私は責務を果たし、貴女は恨みを晴らす。双方の思惑通りではないですか。躊躇う必要は一切ない。それとも、私を滅ぼす自信がないのですか?」

「あんた……!」

 ――あの馬鹿っ、お夏婆さんを挑発してやがる!

 詠治にはユリアの狙いが手に取るように伝わってくる。彼女はお夏婆さんに全力を出させようとしているのだ。塵ほどの恨みを残すことなくこの身を滅ぼせ、と。

 ユリアは続ける。

「たしかに貴女はエーファほどの魔導士ではなさそうですしね。私の鎧を砕くほどの魔法を行使できるとは言い難い」

「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 お夏婆さんの咆哮が、処刑開始の合図となった。

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