魔粒の飛散区域
レキ・アースガルは校舎の屋上からグラウンドを見下ろしている。校門に視線をずらすと、続々と人々がやって来ている。彼らはアースガルズが流した情報に釣られてやってきた者たちだ。
〝魔女の血が手に入る〟
そんな奇跡が実現するとあらば、何を放り出してでもやってくるだろう。校門付近では押し合いへし合い我先にと、ラッシュアワーのような様相を呈している。レキの狙い通りの展開である。
レキの傍らには宮上氏、それに夏が立って同じようにグラウンドに広がる光景を見守っている。
宮上氏はこれから起こることに胸の高鳴りを感じないわけにはいかなかった。すでに一族の者たち全てを呼び寄せている。今はあのたくさんの人の中に混じっていることだろう。窮屈な思いをさせるのは忍びないが、魔女の血の濃度をより高くするためだ。
「夏、そろそろ結界を張って頂けますか。このままではグラウンドが人で埋まってしまう」
レキが言った。
「それは構わないんだけど、いいの? 〝魔粒の飛散区域〟が狭まっちゃうよ」
「狭まりますが、その分一人一人が浴びる魔粒の量が増えて、魔女の血の濃度は高くなります。薄い魔女の血が多くなったところで、意味はありません。量より質ですよ。それに、どれほどの量の魔粒が飛散するかどうかも不明ですからね」
「まあ、たしかにあんたの言うとおりだね」
夏はあまり関心がなさそうに答えた。「あたしはユグルズを殺せればそれでいいし」
彼女は両手を天に掲げ、呪文を唱え始めた。
*
――なんだ……あれは。
詠治は図書準備室の一角――窓際に、椅子に体を固定された状態でいた。
本棚に囲まれたそこは、貸し出し禁止の資料や魔導書で溢れている。本棚に全てが収まらず、床にまで書物がうず高く積まれている。古い本特有の臭いが鼻につく。詠治は鼻をかみたいと思うも、ティッシュは詠治から少しはなれたところにある机の上。立ち上がって歩いていかなければ届かない距離だ。しかし、今の詠治に身動きの自由はない。
縛られているわけではない。それはお夏婆さんによる魔法の効果だった。背中と尻がまるで接着剤で貼り付けられてしまったかのように椅子から離れない。椅子の足もしっかりと床の上で固まっている。
図書準備室には詠治のほかに、ダークスーツの男が一人、見張りとしてドアの前に立っている。能面と言ってもいいほどに表情がない不気味極まりない男だ。見るからに隙がなく、腕力魔力共に詠治では足元にも及ばないことは容易に想像できる。
ドアの向こうは図書室に続いているのだが、こんな最悪のコンディションではとてもじゃないが逃げ出せそうにない。
けれど、今の詠治は窓から映る景色に心を奪われ、逃走しようなどとは毛ほども考えてはいなかった。
先ほどまではごく当たり前の風景が広がっていた。暮れゆく太陽に照らされて、陸上部の連中がグラウンドを駆け回っていた。やがて彼らは使っていたハードルを片付け始め、夕日に染まるグラウンドだけが残された。
けれどそれから間もなくした今、グラウンドに人が溢れている。それも生徒ではない。年齢、も性別もバラバラの人々が大挙して校門からグラウンド目掛けて殺到しているのだ。
不思議なことに、彼らはグラウンドの中心に円形のスペースを作り、そこ以外に群れている格好を取っている。円の大きさはざっと見た限り直系二十メートル以上はある。まるでそこで何かが行われることを見越して、スペースを空けているかのようだ。
人の流入は三十分近く続き、唐突に止まった。学校全体に結界が張られたのだ。
結界術、外敵を寄せ付けぬ魔力による壁。それがどうやらドーム上に学校を包んでいるらしい。察するに、外敵を寄せ付けぬ、というよりは、これ以上学校の敷地に人を入れないようにするための門の役割だろうか。
こんな大規模な結界は並の魔導士では行使できない。宮上家の人間か、あるいはお夏婆さんか。いずれにせよ――
――ユリアを殺す以外の目的があるな。
詠治はそう推察する。ユリアだけが目当てなら、直接詠治のアパートを襲撃すればいいのだ。成功するかどうかはともかくとして。大体こんな大掛かりな仕掛けらしきものを用意していったい何をするというのか。大勢の人々がいる意味も判然としない。
でも、たとえ裏に別の目的があったとしても、お夏婆さんがユリアを殺そうとしていることに変わりはない。
グラウンドに展開する人の群れと円形のスペース。詠治にはそれが、ユリアを捕らえるための網のように思えてならなかった。
――頼むから、
詠治はここにはいないユリアに懇願する。
――頼むから、戦ってくれ。ユリア……。




