風香は立ち上がった。
ファーストフード店のカウンター席で、草野風香は不安げな面持ちでいた。注文したハンバーガーや飲み物には、一切手を触れていない。ただ何も頼まずにいるのは申し訳なかったから頼んだまでだ。
周囲には自分と同じ年頃の者たちが散見される。学校帰りに友達と立ち寄り、暢気に雑談に耽っているらしい彼らを、風香は羨ましく思う。
彼女は今、頭を抱えたい衝動に耐えている。詠治が今、どういう状況にあるのかを想像するだけで、おかしくなりそうだ。
ここ数日間、風香はずっと盗声術と水晶玉を用いて、宮上氏たちによる会話を盗み聞いていた。宮上氏、レキ・アースガル、それにナズナ――否、お夏さん。詠治といっしょにいる少女がユリアという名だということも、ナズナやレキたちの会話から把握済みである。
三人が交わす会話から、風香は彼らが企てている計画のほとんどを知ったと言っても過言ではない。それは過去の歴史を繰り返すことだ。
魔女殺しのユグルズの処刑。
風香は身震いする。
計画遂行のためにナズナは詠治に接近し、あまつさえ魔法による砲撃まで行ったという。ユリアが本物のユグルズかどうか、それを知るためだけに。それを知った時、風香は心臓が止まるかと思った。
そして、今日。
計画は最終段階に移行するという。
詠治を拘束し囮にして、ユリア――魔女殺しのユグルズをおびき出す。これまでのお夏さんによる観察から言って、ユリアは必ず現れると彼らは踏んでいる。風香もこれには同感である。傍から見ても、詠治とユリアの間には、目に見えない固い絆があるように感じる。
ユリアをおびき出した後は――。
風香はそこで身震いし、アイスコーヒーをストローでひと口吸った。温かい飲み物にすればよかったとすぐに後悔する。寒くないはずなのに、今は体の芯から冷えているみたいに震えが止まらない。
ユグルズとエーファの戦いがどんなものだったのか、これまで歴史学者たちは様々な見解を学会で述べてきたが、資料が残っていないためにそれは学者たちの想像の域を出ていなかった。
ただ、世界規模で影響を与えた『真夏の雪』の原因であるエーファを討ち果たしたのだから、その戦闘たるや壮絶さを極めたであろうという見方は、どの学者の意見にも共通している。
そんな戦いが、もしかしたら今日、行われるかもしれない。
風香は店の壁にかかっている時計に目をやる。もう五時を過ぎている。詠治にはすぐに帰るように促したけれど、彼が風香の言うことを聞くとは思えない。おそらく、いつも通り図書室で勉強しているのだろう。
お夏さんはどういうわけか部活棟を覗いたり、空き教室を見て回ったりと、見当外れな行動に出ていたのを、風香は見かけた。何のつもりかは知らないが、まだ詠治と接触できていないのかもしれない。
――間に合う、かも。
今すぐに宮上魔導学校に行き詠治にこのことを知らせて帰らせ――いや、それでもし宮上の手の者やお夏さんと鉢合わせになったら、詠治と風香では太刀打ちできない。それにここは宮上魔導学校から離れている。むしろ、詠治のアパートに近い。
――ユリアさんに、知らせるしか……。
ユリアならば、もし万が一のことがあっても大丈夫だろう。聞けば彼女は宮上氏の刺客が放った砲撃を素手で受け止めたという。にわかには信じられない強さである。
風香はここに来る前、学校の中の様子をそれとなく探ってみたが、まだ宮上家の魔導士たちは到着していなかった。ユリアの処刑にあたって、宮上家から選りすぐりの魔導士たちが派遣されると宮上氏やお夏さんは話していたのだ。かつての魔女殺しを相手とあっては、並みの戦力では勝てないということだろう。
今のところ学校にいるのはお夏さんと彼女が従えている二人の魔導士だけだ。処刑は夜に実行するということだから、まだ来る時間ではないのだろう。その三人相手ならば、魔女殺しのユグルズが負けるとは思えない。
そこまで思考してなお、風香は迷う。
今考えたことは全て、宮上家と草野家を裏切ることにほかならないからだ。風香は、宮上家の次期当主である宮上有人の婚約者。
全ては魔女の血を維持するため。両家の発展を願っての結びつき。壁のように立ちはだかる魔女の血の風習が、風香が前に進むのを拒む。
ふと、風香の脳裏に詠治の姿が浮かぶ。
そんな風習を打破せんと日々躍起になって勉強を続ける、詠治。孤軍奮闘する彼の姿を、誰も評価しない。血の薄さを嘲笑われ、心無い虐めにすら遭っている。
それでも詠治は揺るがない。壁など壊せばいいといわんばかりに突き進む。
独りで。
いつも、独りで。
その強さの欠片でも構わない。風香は切実に分けて欲しいと願う。
――片桐くんを、助けなきゃ。
風香は立ち上がった。




