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卵が奇跡

 スーパーの帰りに図書館まで足を伸ばし、借りていた本を返してまた別の本を借りた。学校の授業で出された課題に必要な資料だ。

 ユリアは図書館には全く興味がないらしく、入り口のところにあるベンチに座って待っていた。

 詠治が本を借りて図書館から出てくると、ユリアは南の方角を指差して言った。

「エイジ、向こうを歩いてみてはいかがでしょうか。何やら多くの人々の気配を感じる。察するに繁華街というものではないかと」

 たしかにユリアが言う方角には駅があるし、その周辺は繁華街となっている。時刻は七時半を過ぎ、しかも今日は金曜日だから人通りも多く賑わっていることだろう。

「馬鹿か。せっかくこうして資料を借りたのに、暢気に街なんかぶらついてどうすんだよ。時間の無駄だ。無駄なことに、脳を使うな」

「無駄ではありません。貴方の勉学に励む姿勢は尊敬に値しますが、いささか必死になりすぎているきらいがあります。剣の稽古もそうですが、鍛えすぎはよくありません。時には休憩も必要です。もし本日気分転換に街を歩いた暁には、エイジの勉学は大いにはかどることでしょう」

「……そうかな」

 そうかもしれない、と詠治は思った。考えてみれば、休憩という言葉の存在は知っているが使ったことはないというようなレベルである。

「――――――――行って、みるか」

「ええ」


「お前、自分が街を歩きたかっただけだろ」  

「な、何を仰いますか。私は家主であるエイジを気遣ったのですよ。あ、エイジ、あれは何でしょうか。行ってみましょう」

 ショッピングモールの中を駆けるユリアの背中を見ながら、詠治は溜息をついた。

 繁華街エリアに入ってからは、ユリアはもういつもの冷静沈着な様子などどこかに置き忘れたみたいにはしゃいでいる。表情こそ乏しいけれど、彼女が楽しんでいるのは誰が見てもわかるほどだった。

 ショッピングモールの中を見て周り、ゲームセンターに寄って貴重な金を使ってゲームに興じ、街中の店々をウインドウショッピングしながら散策する。まるで――デートじゃないか。

 詠治はそう考えた途端、頬が火照ってしまい、慌てて首を振った。

 一方ユリアはというと、物珍しそうにケーキ屋の中を覗いている。甘い匂いに誘われたのかもしれない。女だからてっきり興味の対象は服だとばかり思っていたが、ユリアは現代の食べ物に執心の様子である。

 ショッピングモールの中でも、彼女は服などにはあまり興味を示さず、レストラン街を好んで歩いていた。ショーケース越しに展示されたメニューを眺めているその姿は、宝石や指輪を欲しがる女の顔のようだった。

 思えばユリアは普段から何を作っても美味そうに食している。三百年前の食事事情はそこまで荒んだものだったのだろうか。

「……ユリア、昔ってどんなものを食ってたんだ?」

「え、昔ですか?」

 ユリアは視線をケーキ屋の店内に向けたまま、どこか寂しげに答える。「パンとスープがほとんどでした。パンは時間が経つとすぐに硬くなってしまいましたし、スープも少量の羊の肉や野菜が入っているのみでした。それがあっただけでもまだいいほうで、飢饉に見舞われたときなどはパンがあるかどうかというような具合で……。卵など、年に一回食べられれば奇跡と呼んで差し支えありません」

「卵が奇跡……」

 つまり、生き返ってからのユリアは、毎日が奇跡ということだ。卵でそこまでなのだから、レストラン街のショーケースに並ぶ色とりどりのメニューの数々は、宝石の如き輝きを放って見えたことだろう。ケーキなんて、もはやダイヤモンド級ではなかろうか。

 ――仕方ないな、ったく。

「入るぞ」

「え……でも」

 戸惑うユリアを尻目に、詠治はケーキ屋に入る。ユリアもそれに続き――

「こ、これは……素晴らしい!」

 歓声をあげた。一緒にいて恥ずかしくなるほどに。

 若い女性店員が「い、いらっしゃい、ませー」と引きつったスマイルで詠治とユリアを迎える。

「……ユリア、とりあえず落ち着け」

 詠治の言葉も今のユリアには届かない。彼女は陳列されるケーキの群れに心を奪われ、半ば放心状態である。食べたことはないだろうが、店内に漂う甘い香りで食べずともその味が想像できてしまうのだろう。

 値札に目をやると、思っていたほど高くはなかった。財布の中を確認し、明日以降の家計簿予測に思考を巡らす。一抹の不安はあるものの、どうにかならなくもない。

「ユリア」

「…………」

 詠治の呼びかけに、ユリアは無反応だった。彼女の熱い視線の先には、赤々とした大きな苺がのったショートケーキがある。

「すいません、そこのショートケーキを一つ、いや二つ」

 詠治は店員にそう告げた。

「え、エイジ!?」

 ユリアが青い瞳を大きくして驚いている。

「ん? 何だよ」

「大丈夫なのですか? その、買って、しまって……」

「フン、ケーキ二つ買うぐらい、何の痛手にもならない」

 この先切り詰めれば、と内心で付け足す。

「……ありがとう、エイジ」

「こんなことで礼を言われても嬉しく……ない」

 なぜか急に気分が高揚し、頬が熱を持った。詠治は感情の持って行き場に困り、ユリアから目を逸らして外のほうを向く。街を歩く人々が、キラキラとして見えるのが不思議だった。その中に、自分が含まれていることも。

「でもそんな、二つも食べていいのですか?」

「阿呆、もう一つは僕のだ」

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