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プロローグ

 ――三百年前。

 少女は歓喜の声をあげ、家のドアを蹴破るように開けて外に出た。彼女は窓の外に、大好きなアレを見たのだ。じっとなどしていられない。編み物をしていた母親が何事かと驚いている。

「わーっ」

 少女は小さな手をいっぱいに広げ、空から舞い降る雪を受け止めた。雪ははらはらと鳥の羽のように大地に降り注いでいる。肌に触れた途端、それはまるで少女の肌に染み込むように消えていく。少女はくすぐったそうにその感触を楽しむ。

 けれど彼女は首を傾げる。

 ――どうして雪が降ってるの? それにこの雪、冷たくない。

 仰ぎ見る空は快晴。一転の曇りもない鮮やかな青空である。雪の感触は冷たいどころか、むしろ温かさを感じる。

 お天気雨みたいなものかなぁ、と少女は考えるが、それでもこの降雪はおかしい。

 なぜなら、今が夏だから。

 ここエッゾの地はジパング領土内の北に広がる大地で、冬は極寒の寒さと豪雪によって様相を白く染め上げる。ジパング本領に比べ、春の到来は遅く、秋の深まりは早い。

 とはいえ、夏が皆無というわけではなく、短いながらも汗を拭う日々が本領同様にある。冬が厳しく長いエッゾの人々にとって、この季節はまさに癒しのときだった。

 だが少女は真冬の真っ白い世界のほうが好きだった。雪だるまを作り、父親にかまくらを作ってもらってその中で餅を焼いて食べる。そんな冬の営みを、少女は楽しみにしていた。

 だから、突如夏のこの時期に降ってきた雪に、少女はその小さな胸を躍らせた。早く積もらないかなぁ、と先ほど感じた疑問など、もうどうでもよくなっていた。雪が冷たくないのも、きっと夏に降っているからだと幼い彼女は思った。

 ――あれ。

 少女は心臓が一拍、跳ね上がるように鼓動したのを感じ取った。血がまとめて体中に行き渡り、体が燃え上がるように熱くなる。

 だがそれも一瞬で、熱はすぐに引いていく。心臓がほのかに熱を持っている気もするけれど、それ以外は特に異常はない。

 ――なんだったんだろ。

 雪はこんこんと降り続いている。少女の家の周囲は一面が畑、その向こう側には広大な草原が広がっている。雪は草原の果てまで続いているようだ。

 雪を見ていたら、少女は無性に火が恋しくなった。囲炉裏に灯る火に手を当て、かじかんだ肌をほぐす自分の姿が思い浮かぶ。

 そのとき、少女は掌に火があるような気がした。掌を見てみると、そこだけ陽炎のように空間を揺らめかせている。

 少女は、直感した。

 あたしは、手から火が出せる、と。

 理屈を飛ばし、ただ天啓のように閃くものが、どういうわけかその時の彼女にはあったのだ。

「あらあら、夏に雪が降るなんて、珍しいこともあるわね」

 少女の母親が家から歩いてきた。

「ねえねえ、お母ちゃん、ほらほら、見て見てーっ」

「んー、何かしら?」

 母親は微笑みながら少女が自分に見せてくるものに思いを馳せる。――早速小さな雪だるまでも作ったのかしら。

 しかし、少女が見せたものはそんな牧歌的な光景ではなかった。

「ほらっ、あたし、火ぃ出せるんだよー」

 少女は掌をかざし、念を込めた。すると、少女の掌上に揺らめいていた空間が収束し、赤く光りだした。光は球体状に変形し、みるみるうちに完成する。

 拳大のそれを見て、母は絶句する。

 少女の掌の上には、火の玉が浮かんでいた。

「ぁ……ぁ……………」

 母親は少女から一歩後ずさる。恐ろしいものを見るように、汚らわしいものを見るように。

「あ、あんたは……魔女だったの?」

「まじょ?」

 少女は首を傾げつつ、心に傷を負っていた。

 彼女は母親が自分に向ける侮蔑のこもった眼差しを、決して忘れなかった。


       *


 ――およそ一年前。

 場所は公示結社こうじけっしゃアースガルズ・ジパング支部。ジパングの都市――中央魔都ちゅうおうまとの中心地にそびえるそのビルは、アースガルズタワーと呼ばれ、周囲のどの建造物をも見下ろすほどの高さを誇っている。

 アースガルズタワーの最上階にある支局長室にて、支局長レキ・アースガルは、魔導省の省長と極秘の会談を行っていた。

 魔導省の省長といえば、この魔法大国ジパングにおいてはある意味最高の権力者と言っても過言ではないのだが、レキは全く媚びることも畏怖することもなく、省長氏と向かい合って革張りのソファに悠然と腰を下ろしていた。

 ガラステーブルを挟んだ向こう側には、省長氏がハンカチで禿げ上がった額についた汗を拭いている。部屋が暑いわけではない。彼は緊張しているのだ。

 これから裏の最高権力者と交渉せねばならないのだから。

 口火を切ったのはレキだった。世間話など挟むことなく、彼は単刀直入に訊く。

「――で、どのようなご用件で?」

「は、はぁ、実はですね――」

「まさかとは思いますけど、また魔節ませつを呼びかけてほしい、などと仰るわけじゃありませんよね?」

「それは……その…………」

 省長氏は口ごもる。まさにそう口に出そうとしていたからだ。

「先日お願いされたレベルの魔節は十分に達成されていると窺っていますが。たしか前年比の三割は削減できたとか。国民の節約意識も十分に高まったと思いますよ」

「そうなのですが……」

「ですが?」

 レキは鋭い視線を相手に向け、先を促す。

 省長氏はその視線に耐え切れず、俯きながら語る。

「正直に申しまして、まだまだ魔力の節約が必要なのです……。ご存知の通り『真夏の雪』からもう三百年も経っております。あの時誕生した魔女達は今、続々と寿命を終えております。そして彼女らの子孫はもちろん存在しておりますが、代を経るごとに魔女の血は薄くなっていく一方です。このままでは、この国のエネルギー供給に支障をきたしてしまいます。ですから――」

「そうなる前に、先を見据えて今のうちに魔力を溜めておこうと。そのための魔節、ですか」

「ええ、その通りです。アースガルズのお力で、どうか国民に今一度魔節の呼びかけを」

「なるほど」

 と、言っておきながら、レキはまるで理解を拒否するといわんばかりに肩をすくめてみせた。それからオールバックに撫でつけた金髪を手櫛で整える。

 その様子に省長氏は焦った。交渉が暗礁に乗り上げる雰囲気をなんとしても打破しなければ、自分の政治家生命は終わる。

「わ、私どもはこれから先の世代のためにも、少しでも魔力の貯蔵を――」

「違いますね。態の良い言い訳をなさらないで頂きたい。あなた方がやっておられることは、少なくとも自分達が生きている間の安定したエネルギーの確保に過ぎません。先の世代ですって? 聞いて呆れますよ」

 レキは嘲笑い、すくっと立ち上がる。

 省長氏を見下ろし、彼はきっぱりと言い放つ。

「そんなことは、問題の根本的な解決にはならない」

「……わかっています。ですが、ほかにどうしろと……」

 省長氏は我を忘れて頭を抱えた。魔法大国として他国を圧倒してきたジパング。現在も世界有数の魔法大国として他の追随を許さないが、それも魔女の血が薄くなり、優秀な魔導士がいなくなれば事情は変わる。

 エネルギー供給が滞れば、産業や軍事に多大な影響を及ぼし、国民生活もままならない。下手をすれば、それを知って他国の侵略だって――。

「魔節などせずとも、問題を解決する方法はありますよ」

「えっ、それはいったいどういうことですか!?」

 レキの言葉に、省長氏は藁をもすがる思いでテーブルに身を乗り出した。

「なに、単純な話ですよ。新たな魔女を増やせばいいのです。初代の頃のような濃い魔女の血を」

「そ、そんなことが可能なのですか……」

「えぇ、おそらくは。イドゥンのリンゴさえ見つけられれば」

「イドゥンのリンゴ……聞いたことがある。たしか神暦しんれきの時代、神々の若さを保っていたという伝説の果実だとか」

「仰るとおりです。ただ効果はそれだけではありません。人間に対しては、蘇生をさせることも可能です。例えば、かの大魔女エーファなどいかがですか?」

 レキの提案に、省長氏は彼の狙いをすぐに察する。

「なるほど……そういうことですか。確かにエーファほどの魔女がいれば、おそらく千年先だって魔力に事欠くことはないでしょう。しかしそのリンゴはいったいどこにあるというのですか。神暦の時代の遺物とあっては、そう易々と見つからないかと思うのですが」

「ご心配には及びません。私どもアースガルズは遥か昔よりずっとイドゥンのリンゴを探しておりました。そして先日、古文書などを頼りに、ついに私の母国スウェイデンの何処かに眠っていることを突きとめたのです。ただ残念なことにスウェイデンにはこの国のように優秀な魔導士が少ないので、未だ発見に至ってはおりません。恥ずかしながら我が国の魔導士の探索術は貧弱でして。そこでジパングのご協力さえあれば、時間はかかるやもしれませんが、見つけられることができるかと」

「なるほど」

 省長氏は少し間を置き、呼吸を整える。思わぬ希望の光に、高笑いをしたくなるがどうにかそれを抑え、彼は重々しい口調を演出してレキに言う。

「――わかりました。それでお願いします。優秀な魔導士たちなら我が国は大勢おりますから、スウェイデンに派遣させましょう」

 レキはソファに腰を下ろし、満面のビジネススマイルを浮かべた。

 交渉成立ということだ。

宮上みやうえ家の人間の手を借りたいのですが、よろしいでしょうか。魔女の血が国内随一の濃度を誇る彼らならば、おそらく一年程度で見つかると思います」

「わかりました、宮上のほうには私から伝えておきましょう」

「それと、成功した暁には、我が国への魔導士の派遣を増員して頂きたい。よろしくお願いしますよ」

「ええ、それはもう」

 省長氏は思った。抜かりない男だな、と。

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