八話
「まだ時期尚早だと思ってたけど、もう潮時みたいだね……」
全部話すから、泣かないで。ね、落ち着いて。
ナナシはそう言って梓の背中を宥めるように軽く叩いた。
「ナ……ナナシは、何者なの……?」
しゃくり上げながら梓が言うと、ナナシは苦笑してみせる。
「僕は僕だよ、そうとしか言えない。ただどうあっても死なないみたいだってことは確かかな。前にもそう言ったろう?」
あれはだって、慰めるための言葉だと思って。
「此処は何なの……? どうして私を拾ったの?」
最初に同じ質問をしたときは、単に気になったからとナナシは答えていた。しかしやはり、実のところは違っていて。
「血の匂いがしたから」
そう言われて、梓はぎくりとナナシを見た。
「……それ、って」
まさか、最初からぜんぶ知っていた?
梓が一体どういう人間で、なぜあんな風に雨に打たれていたのか。
けれどおかしい。それなら尚更拾うメリットが見えない。
ナナシはどこか哀しそうに微笑うと、梓の手をそっと取った。
「ねえ、君はどうして人の体温が恋しいんだと思う?」
ナナシの手はひどく温かく思えた。いつもいつも、触れるたびに思う。
温かい。
自分より。
対する梓の手は、いつも冷えていて――
ナナシがてのひらをぴたりと梓の左胸の上に当てさせた。
梓はその行為の真意が分からず困惑していたが、やがてはっきりとある事実に気づく。
(心臓が)
動いていない。
梓は呆然と、ナナシを見た。
――そんな、まさか。
まるで胸に穴でも開いたかのように、絶望感が吹き抜ける。
信じたくない。
信じられない。
けれどその一方で、どこか納得している自分がいた。
脳裏に走馬灯の如く駆け抜ける記憶。
そうだ、と梓はようやく思い出した。
あの日自分は死んでいた。
我に返って、自分のしたことの恐ろしさに耐えられなくなって、それから――――
「君がニュースを見るのを怖がってたのは、本当は自分が死んだことを認めたくなかったからだろう?」
言って、ナナシがテレビをつけた。
図ったようにアナウンサーが例の事件を報道している。その日付は事件から「二日後」。
アナウンサーは淡々と、容疑者と見られる人物が自宅で首をくくっていた旨を報道した。
顔写真とともに梓の名前が公表される。それを見て、ふっと息を吐いた。
とっくに自分は「大丈夫」なんかじゃなかったわけだ。
「死んでたんだ、私……」
言葉にするとそれはなお実感となり、梓の胸にすとんと落ちた。
自分が死んだことを思い出したからなのか、心なしか指先が透き通って見える。
……否、見間違いではなく、本当に消えようとしている。
「ごめんね」
ぽつりと、ナナシが言った。
「僕、なにもしてあげられなくて」
今にも俯いてしまいそうなナナシに、梓は違う、と首を振る。
「何言ってるの。ナナシは私のこと、受け入れて傍に置いてくれたじゃない」
罪を犯して、挙句自殺したどうしようもない自分を傍に置いてくれた。
あの雨の中で、立ち止まって傘と手を差し出してくれた。手を引いて温かい家まで連れてきてくれた。
それを救いと言わずして、何と言う?
「……ありがとう」
ぬくもりを、ありがとう。
穏やかな時間をありがとう。
消えかけの両手でそっとナナシの手を握りこむ。
ありがとう、ナナシ。
きっと今こんなに穏やかな気分でいられるのも、あなたのおかげ。
「何度も殺してしまって、ごめんね」
そう言うと、ナナシはふっと眉尻を下げた。
「……まったくだね」
感覚がなくなって、粒子状に解けていく体。
曖昧な笑みに見送られながら梓はそっと目を閉じた。
ねえナナシ。
私たち、また会えるかな……?
答えも返されぬまま、問いは空へと消えていった。
了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この話は私の二次創作サイトで書いていた小説の「焼き直し」という形になっています。
なのでここまでのストーリーはほぼ元の話のまま書き進めており、おかげでサクサクと書くことができました。
普段焼き直しは考えないのですが、この話は一次創作として書きたい想いがありまして、このような形で書かせていただいています。
とりあえず頭にあるところまでは形にしていこうと思っておりますが、どこまで話を続けていくかは未定の部分があります。
少しでも楽しんでいただき、続きを読んでみたいと思っていただければ嬉しいです。
この話について何か感想等ありましたらお待ちしております。
次話もおつきあいいただけますと幸いです。