四話
梓はむくりと怠い体を起こした。閉ざしたカーテンの隙間から差しこむ陽光。爽やかな小鳥の声。目を擦ると、ぽろぽろと零れる目ヤニ。
泣きながら、いつの間にか眠っていたらしかった。
ぼんやりと座りこんで、梓は緩慢に瞬く。そうしているうちにゆるゆると脳が目を覚まし、梓は昨夜のことを思い出していた。
――そう、先日梓はナナシを絞め殺してしまった。
そしてその遺体は今もなおリビングに転がっているのだ。昨日のまま。
想像して、ぞっと鳥肌が立つ。しかし後悔してみてももう遅い。
好意すら抱きはじめていたはずのナナシを殺してしまった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
自分はどこかおかしい。いつからだろうか。
どうしたらいい? 一体、どうしたら……
考えても考えても答えは見つからない。ただいたずらに焦燥だけがぐるぐると頭を廻った。
これではまるであの日のようだ。――そう、ナナシと初めて出会ったあの日の。
「おはよう」
心を決めてリビングに顔を出すと、いつもと同じようにナナシがパソコンに向かっていた。ごく普通に声を掛けられ、おもわずきょとんとしてしまう。
梓はしばらく目の前の情景が理解できずに固まっていた。
「……え?」
「ん?」
「な、なんで……?」
「なにが?」
なんで、何事もなかったかのような顔して仕事をしているの。だって昨日、確かに、この手で絞め殺したじゃない!
……なんてことは口が裂けても言えるはずがなく、梓はぽかんと開口していた。
「ナ……ナナシ……?」
「ん?」
「ほんとにナナシ、だよね?」
「どうしちゃったの」
ナナシが曖昧に微笑う。よく見かける、お決まりの表情。それを見て、梓は脱力したようにがっくり肩を落とした。
じゃあ、昨日のは夢だったのだろうか。
それともこれがまだ夢の続き?
あんなに生々しく、手に感覚も残っていたのに一体どういうことだろう。
しかしいずれにせよナナシが生きて笑っているということは確かだった。
リビングに死体はない。それは事実だ。
ずるずると座りこんだ梓に、ナナシは困ったような微笑を浮かべながら言った。
「昨日は脅かしてしまって悪かったよ」
「!」
「僕が意地悪だったね。あんなに錯乱するなんて思わなかったから……でも、もうしないよ。安心して」
「う、うん……」
ナナシの言葉を聞きながら、梓は考える。
ということは、ニュースを見て耐え難い恐怖に襲われたのも、ナナシにあやすように抱き締められたのも現実だったわけだ。
ならば、どこからが夢だったのか。
首を絞めた辺りから? 錯乱、と言うからには、実際梓は暴れたのだろうか。それを覚えていないだけなのか。幻覚を見たのか。
「……」
頭が痛い。なんにせよ自分は、まだ「大丈夫」だった。
「……った……」
「え?」
「よかった、ナナシが生きてて……」
呟くと、どっと涙が溢れた。
取り返しのつかないことをしてしまわなくてよかった。何よりも安堵が大きくて、緩んだ気持ちの隙間から延々と涙がこぼれていく。
「僕が死ぬ夢でも見たの?」
感極まって泣く梓をよしよしと撫でながら、ナナシは相変わらずの笑みでこう言ってみせた。
「心配しなくても、僕は死なないよ。だから泣かないで」
優しい言葉を掛けられると、涙腺は余計に緩むもの。梓はつい声を上げてわあわあと泣いてしまった。