第九話 指示
どうも、パオパオです。
隔日……。
うん、まあ。
勉強も、頑張ってますよ。多分、おそらく、きっと……?
さて、と。
童女の姿が完全に見えなくなると同時、わらわらと虫達がにじり寄ってくる。
大小様々な虫達が一同に会しているのは、酷く信じがたい光景だ。
何故なら、彼らは彼らの間でも食物連鎖を結んでいるのだから。
全身を鎧で包んだ百足の頭殻を撫でる。
数日前に見た、余所からやって来ただろう小型の百足と比べて、その威容は段違いだ。
全長は俺の体に巻き付いても尚余る程に長く、堅固な甲殻は、豚人が主に使うような粗悪な刃物では間接部に上手く刺し込まなければ通らない。
一体一ならエルフを葬る事もある程優秀な昆虫だ。
……が、あまり俺の好みではない。
撫でる手に力を込めて、頭殻を拉げさせる。
ブチュブチュと滲み出る体液で塗れた掌を一舐めし、少し減っていたエネルギーを充足させる。
体が重くなるものの、頭の回転を速めるためには必要な犠牲だ。
ふと見覚えのない虫の集団を発見し、観察する。
小型の虫だ。数百体集まっても俺の右手程にも足りず、何か攻撃用の武器を持っているようにも見えない。
強いて言えば、その口元に薄らと光る、針のような物体が見える限り。
また、他の音に掻き消されているからかもしれないが、羽音が全くと言っていい程聞こえてこない。
全く強そうには見えないが、進化を遂げているという事は、伊達ではない実力があるという事を表している。
領域の中に生息する昆虫は、きちんとした進化の軌跡を辿ってきているのだ。多分。
何年もこの森で生きてきて、まだ俺が知らない虫が居た事に驚きが隠せない。
殆ど毎日虫達と接している俺は、まず間違いなく誰よりも虫を多く知っている。
と言うか、基本的に虫を知ると言うことは、戦闘行為が付属するので、多く知るのは極めて難しい。
昆虫はそれぞれが多種多様な性質を持っているため、とある虫を楽に倒せる者も、別の虫には一方的に殺されるしかなかったりする。
エルフ達は大抵の虫には優勢ではあるが、それでも大型を全くの犠牲なしで倒せるかと言われれば否である。
本来、昆虫の駆除も豚人に任せたかった仕事なのだろうが、生憎と他の同族は虫と遭遇しない。
豚人にとって、昆虫とはただの隣人なのだ。
それにしても、この見知らぬ小さな虫は、どことなく蚊を連想する。
口から伸びる突起は体の大きさからすれば異常に大きく、逆にそれ以外に特徴らしきものはない。
何とはなしにその虫を招き、小指を差し出す。
虫達は戸惑ったように近くを飛び回った後、一匹がその突起物を指へ突き刺した。
「……?」
予想以上に、何の感覚もない。
刺されているという事も、指に接地する虫の存在すらも。
そのままぼんやりと何かが終わるのを待ち、暫くして丸々と膨らんだ蚊が飛び去った。
針を抜いた感覚も、飛ぶ際の反動も何もない。
それを見送ると、続こうとした蚊を睨んで止め、引き戻した指の観察を始める。
「……止まりそうにないな」
ほんの小さな傷口から、絶えず血が流れ出している。
俺の肉体であれば数秒と経たずに塞がる筈だが、その予兆は一向に現れない。
ボタボタと止まらない血が地面に垂れ、小さな虫達がそこにたがる。
蚊も例外ではなく、必死になって微かな血を手に入れようとしていた。
「んっ」
指の根本を握り、ぐっと力を込める。
ぷしゅっ、と情けない音がして、血が勢いよく吹き出した。
羽虫達はそれを喜んで浴びに行き、地虫もまた地面で待ち構えている。
微笑ましさに目を細めつつ、視線を向けた指は漸く治療が終わっていた。
「蚊と蛭の合成生物、みたいなものか?」
気付かれぬように血を吸い、また出血を強制してマーキングする。
流れる血の臭いに釣られて、別の虫達がやって来る。
その中に紛れてまた吸血し、出血を増やして餌の居所を知らせる。
……ざっとこんな所だろう。
普通に迷惑な昆虫だ。エルフにとって。
「だが、まあ。色々と使えそうではある、か?」
音もなく飛び、群れつつも単独での行動が本領であろう蚊を見て、考えを進める。
今日の思考内容は、童女がどこへ帰っているのか。
前々から疑問に思いながらも、優先順位が低かったために後回しにしてきた案件。
丁度いい手段も新しく手に入れた事だし、実験的に行ってみるのも一興だ。
懸念は、虫達がやり過ぎてしまわないかどうか。
元より昆虫、しかも小型種に複雑な命令が理解出来るとは思えない。
蚊達を斥候に出して、童女の血を吸われでもしたら非常にまずい。
あの童女に、大型の昆虫を一体一で討伐する事は難しいと言わざるを得ない。
それは外見からの推測でしかないが、客観的な事実である。
戦闘能力にして、童女は子供の豚人にすら劣るだろう。
エルフ達は豚人を従える際に人質作戦など使っていたが、それとて非戦士階級とはいえ、豚人を圧倒するだけの力が個々に備わっていたからこそ出来た芸当だ。
実際、戦士階級の豚人と大人のエルフが戦ったならば、ほぼ間違いなく勝つのはエルフだ。
肉付きの乏しい外見とは裏腹に、彼らは戦闘の巧さが卓越している。
けれど、童女にそれは望むべくもない。
だから、きちんと命令を行き届かせておかなければならない。
見張り、動向を報告するだけで、決して襲わないようにその場の虫達に言い含める。
何となく了承したような雰囲気があるものの、心配は払いきれない。
とは言っても、これ以上に複雑な命令をしたところで理解出来るかは疑問に過ぎる。
暫くは、このまま様子を見ておくのが最善だろう。
何を以て最善と見なすかは、自分でも分からないが。
「それじゃあ、任せる。……解散」
ギチギチ、ギィィィ、ビィ、ィイイイィ。
多種多様な唸り声を上げながら、虫達が散り散りに離れていく。
置き土産代わりに出遅れた大振りの蜂を鷲掴みし、頭上に掲げて潰して出た汁を啜る。
……最近、虫の体液を飲む頻度が増えた気がする。
良くない傾向だ、と思う。
何が良くないのかは、分からないままに。
相変わらず、見上げた空の濁り具合は変わらなかった。
読んでくれてありがとうございました。
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