第十七話 後の祭
その日は、何という問題も起きなかった、平凡な一日だった。
街の自治組織の実働部隊の一員である男は、そう記憶している。
「そういや知ってるか? 最近、オークの変異種が出没するらしいぜ?」
「ああ、最近騒がれてるアレか。何だ、面白い情報でも手に入ったのか?」
活気に満ちた酒場にて、仕事を終えた相方の男が酒飲み話のネタにしたのは、最近話題のオークについて。
何せここ数年もの間、近くに出没しなかったオークだ。
その変異種ともあれば、少なからず興味を引く。
「いや、聞くところによると、討伐に向かった冒険者が軒並み殺られてるらしいんだよ。殺された中には、結構高位の冒険者も居て、結構な騒ぎになってるって話だ」
「へー。で、どんな奴なんだ? 変異種って事が分かってるんなら、特徴位は把握してるんだろ?」
つまみの枝豆を剥いて、出てきた豆を頬張る。
良い塩梅の塩味が口に広がり、自然と笑みが浮かんだ。
「それなりにデカイ事は確からしいが、異常ってレベルじゃあないらしい。体も緑色で、豚鼻だって普通と変わらん。パッと見で識別する事は無理だってさ」
「何だそりゃ? それのどこが変異種なんだよ」
呆れながら相方の男を見れば、赤ら顔ながらも表情は確りとしていた。
まだ酔っているという訳ではないらしい。
「何つーか、眉唾モノの話なんだが……ハーフエルフの雌を連れてるらしい。しかも、オークに首輪が付いてるんだと」
「……あぁ?」
枝豆に伸びた手が止まる。
ハーフエルフがオークと一緒に居る?
何だ、その奇怪な状態。
「オークってのは、食欲と性欲しかない豚だろう? それが何で、ハーフエルフの雌なんかを連れてるんだ。あいつらは普通、女を見たらその場で犯して食う連中だろうに」
昔、冒険者と連れ立って討伐したオークの集団を思い返す。
巣を作っていた彼らをどうにか殲滅した後、戦利品を回収する作業の最中、巣の一角で幾つもの白骨死体を見かけた。
そのどれもが原型を留めない程に砕かれており、形が綺麗なものにはオークの歯形らしき跡が残されていた。
その一帯は他の場所に比べて、腐ったようなオークの臭いが強くもあり、何が行われたのかは自明だった。
冒険者や同僚達と、あらん限りに罵倒していたことを覚えている。
全く、当時を思い返すだけで胸糞が悪くなる。
苛立ちを抑えるように、ジョッキに半分残っていた酒を一気に飲み干す。
「ふぅ……で、首輪? そのハーフエルフの女は巷で言うところの魔物使いか何かなのかよ」
一応、オークも生物である。
生物である以上、手懐けた人間が居る、という都市伝説は聞いた事があった。
尤も、知っている話はエロ本の一幕で、洗脳で従わせたオークに浚ってきた貴族の女と延々と××をさせるという――思考を止める。
ぐいっと杯を傾けた。
「詳しい事は分かってないが、どうも隷属している感じではなかったらしい。寧ろ対等な関係で、楽しげに談笑していた……とか。流石に冗談だと思うがな?」
「談笑だぁ? はっ、馬鹿言うなよ。アイツらがそんな頭良い訳ねえだろ」
「だからこそ、らしいがな。喋れる位の知能があって、性欲だのを我慢出来るってんだ。本当にそんなオークなら、変異種扱いされてもおかしくはねえさ」
「……マジなんかねぇ」
ジョッキを傾け、既に空になっていた事を思い出す。
ポリポリと枝豆の残りを摘みながら、もう一杯頼もうかと逡巡する。
懐の軽さを思い出して、諦めざるを得ないと悟った。
「ま、所詮は噂だからな。実際はそんなんじゃねえだろうよ」
「だろうな。……面倒事になんなきゃいいけどよ」
「キャアアアアアァァァ!!」
はあ、と大きく溜め息を吐いた瞬間、酔いを吹き飛ばす程の悲鳴が聞こえた。
酒場の喧噪も一瞬で静まり、相方から視線を飛ばされる。
何だったか、最近はこういう状況を"フラグ"とか言うんだったか?
「やれやれ、今日の仕事はもう終わってんだけどな」
「だからっつっても、出向かない訳にゃあいかねえだろ」
内心で溜め息を吐きながら、机の上に財布から出した大半の有り金を叩きつけ、立ち上がる。
「だよな。……うし、おやっさん! 金はここに置いていく! 足りない分はツケに回しといてくれよ!」
「ああ、分かってらぁ! 女の子を助けて、ヒーローの真似事でもしてこいよ!」
「はっ、言ってろ!」
馬鹿を言いながら、酒場の扉に手をかける。
再びの悲鳴。連鎖するように、拡散していくように、続いていく。
予想以上に不味い事態かもしれない――手荒く扉を開け、それを見た。
「あ?」
黒。
一面の黒。
空を埋め尽くす黒を。
星の光を消し、月の光を遮り、漆黒の闇を生み出す黒。
ブンブン、ブゥゥゥン、と、よく分からない音が至る所から聞こえてくる。
辛うじて聞こえる高音の響き。
その原因を探ろうとして、気付いた。
黒が蠢いている。
「お、おい、何だこ」
相方の男が肩を叩いてくる。
首を後ろに回して、答えようとした。
だが、何も返せない。
何かを言おうとする前に、相方の男は首から上を斬り落とされていた。
「――ひっ」
腰を抜かして転んだ頭の上を、風切り音が通り抜けた。
振り返れば、酒場の中に入り込んだ、数十匹の黒い虫。
それが、先程まで一緒に酒を飲んでいた男達に向かい、次々と首を刎ねていっている。
その光景を目の当たりにして、自分も今、殺されかけた事を理解した。
「あ、あああああぁぁぁあああぁぁぁぁぁっ!!?」
絶叫する。
みっともなく泣き喚き、助けを求めようとして、見てしまった。
緑色の巨躯。
豚鼻に、暗闇でもギラリと輝く双眸。
オークが一体、蠢く黒の中から、這い出るように現れた。
かつて一度戦ったからこそ理解出来る。出来てしまった。
アレは、異常だと。
並のオークなどと比べるべくもなく、アレはただのオークなんかではあり得ない存在だと。
理解してしまって、それから。
何が出来るかを考えて、答えは出なかった。
武器もない。
仲間は居なくなった。
ならば、震える事しか、出来ない。
今も尚、断続的に悲鳴は耳に届いてきている。
けれどそれは、どこか遠い世界の出来事のように思えた。
はは、と笑いが漏れる。
「何だ、これ、あり得ない、何が、そんな、嘘だ、そうだ、夢だ、夢だよ、夢なんだ、だから、ね、眠りから、覚めれば、また――」
既に瞳は現実を見据えず。
近付いてくるオークにも、何の反応も出来ない。
ただ、掴まれる感触を最後に、その体はオークの地肉へと変えられた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
<最近出没する、凶悪なモンスターの情報です!>
<オーク変異種>
<見た目は普通のオークと変わりませんが、流暢に言葉を扱う程に知能の高いモンスターと推測されています>
<既に幾つもの近隣の村を襲い、塵一つ残らぬ更地へと変えています>
<また、ハーフエルフの少女を連れているという噂もあります>
<追記:いずれの情報も未確定ですが、既に何人もの冒険者が討伐に向かい、返り討ちに遭っています>
<万全の準備を整えた上で、討伐に向かって下さい>
<討伐報酬:12,000G(真偽を確かめるため、討伐証明となる部位の他、数日程調査のために時間を頂きます)>
とある建物の中、目立つ位置に張られていた紙に、そんな事が書いてあった。
手にとってしげしげと眺め、丸めて投げ捨てる。
適当に捨てたせいか、いつの間にか戻っていた童女に当ててしまったらしかった。
「ちょっとファリオ、痛いじゃないの」
「紙クズが当たった位で痛みを感じるような、柔な体してないだろうに」
「まず、女の子に物をぶつけた事を反省しなさいよ!」
「はいはい。すみませんでした、ティロル様」
「もう!」
チロル、改めティロル。
微妙にニュアンスが違うらしく、修正をを求められて何とか言えるようになった。
"ティ"を舌を巻くように発音するため、言いにくい事この上ない。
何が違うのか、今となってもよく分かっていないが。
因みに、今の童女は、俺でも理解出来る言語で話してくれている。
実は随分と昔から俺が使う言語自体は話せたそうで、何故二人きりの時にでも教えてくれなかったか訊ねると、
「ん? いや、ファリオが言葉が分からなくてオロオロしてるのが割と面白かったから。いや、身振り手振りで伝えようと努力するデカブツは、ホント可愛かったよ」
とか、そんな理由らしい。
納得は出来なかったが、無理にでもせざるを得ないのだろう。
悪そうな笑みを浮かべながら、そう言われてしまった事だし。
「それで、どうするんだ? 今日はもう、虫を殺さなくてもいいんだろう?」
「まあ、満足はしたからね。だから次は、王都とか向かってみようか。人がいっぱい居るらしいし、道は拷問して聞き出したしさ」
ティロルもまた、俺と同じく異常な生物らしい。
何故か、昆虫に対して抑えきれない憎悪と敵愾心を抱き続けているのだとか。
それと、生まれた時から意識がはっきりしており、言語を使いこなせたり、体を動かせたりしたらしい。
俺だけの異常かと思ったら、そこまでレアでもないのかもしれなかった。
尤も、肉体的な異常は人並み外れた身体能力以外にないらしいが。
俺のように、燃費が激しかったりはしないらしい。
不思議には思うが、どうにもならないので放置しているが。
ティロルはの虫への恨みは根源的なものであるらしく、一日に何十体と殺さないと鎮まらないらしい。
状態によっては二重人格染みたものにもなるらしく、苦労しているとか言っていた。
初め俺に近寄ってきたのも、やけに虫が集まっていた場所に居たので、だとか。
まあ、正直な話、何だって構わない。
「王都、か。さぞかし人間が沢山居そうな場所だな」
舌舐めずり。
俺は肉を食うために、村や街を襲っている。
幾らかは付いてくる虫達の苗床にしたり、食料にするため、という理由もある。
では、童女は何のために街を襲う俺と一緒に居るのかと言えば、単純な話。
俺に付いてくる虫達を殺し、俺が落とした町や村から食料を掠め取って、快楽に溺れる堕落した生活を送るためだ。
性欲については、まだ初潮も来ていないので関係ないが、一日の大半を俺の引く荷車で寝て過ごし、好きな時に起きて、虫を殺したり食物を食べて過ごす。
端から見て、駄目人間にしか見えない。
どこかに捨てていってもいいのだが、ティロルは中々どうして頭が切れる。
一言二言、ティロルの言う通りに街を攻めた結果が、今回の襲撃だ。
赤子の手を捻るが如く、簡単に大都市が一つ陥落してしまった。
その結果に頼もしさと同時に、恐ろしさを感じる。
まあ、餌を与え続ける限り、その知謀が牙を剥くことはないだろう。
その程度には、互いに信頼している筈だ。
「それじゃ、適当に略奪したら行くか」
「ん、そうね。虫共も久し振りにお腹一杯ご飯食べられて幸せだろうし、置いて先に行きましょう」
「ホント、虫嫌いなんだな」
「当たり前でしょう?」
何を馬鹿な事を言っているのか、と蔑みの視線を向けられる。
まあ、俺が馬鹿なのは事実なのだ。
刹那的な欲求に逆らえず、目先の物事にしか対処出来ない。
それを補ってくれるティロルが居るから、こんな大都市だって落とせたのだ。
感謝してもしきれない。
「……ありがとな」
「何か言った?」
「何でもないよ」
怪訝そうに首を傾げるティロルに、苦笑を返す。
ああ、そうだとも。
俺は独りじゃないのだ。
それならば、何だって出来る。
煙が立ち上っている先の空。
煙り、曇り、濁って、淀んでいる、灰黒の空模様。
それは嫌いな空だった。
蒼々たる青空。空を駆けるに相応しき空。
それこそが、俺が願って止まない空だった。
けれど、今は違う。
俺はもう飛べない。
飛べないのだ。
だから。
俺は、もう、要らない。
「空は必要ない。地に這うだけで十分だ」
「ファリオー? 早く行こうよー」
「今行く」
呼ぶ声に応え、歩き出した。
一瞬だけ、空から月が顔を出していた。
――英雄は独りに非ず。
――群衆を統率し、代え難き伴侶を得て、己の欲するままに行動する。
――力をの行使を躊躇わぬ強者が何を為せるのか、王国は数十万の民の命を支払って知る事となる。
――けれどそれは、別のお話。
どうも、パオパオです。
総計半年近くも書いていたBug's HEROは終了となります。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。
よろしければ、感想や評価、次回作への意見などを頂ければ幸いです。
今作は、全体的に手癖で書いていました。
感想の方にあった"転生"ネタ。これなら気軽に書けるかと思い、一話を書いてみて、完結までいけそうだと思ったので投稿。
その頃は、世界樹が変な方向に進んでしまい、貴族モノもイマイチ形にならず、スランプ気味だったので、何も考えず書けるモノをということで書き始めました。
また沢山の方に読んでいただけて嬉しかったです。
色々と放り投げてしまった感じは残りますが、これ以上書く事もないというのが実状です。
どうかご勘弁ください。
それに、これだけのペースで書き続けられたのは自分でも驚きです。
一ヶ月で五万文字強も書けるなんて、自分でも思っていませんでした。
下地が存在しているおかげか、指が留まることなく動いてくれました。
書き慣れたものの書き易さを、思い知らされた気分です。
次は、正直どうしようか悩んでいます。
貴族モノは上手く表現出来ていませんし、世界樹は書き直しが必要なレベル。
新作の案もありますが、書き始めても受験で忙しくなるので執筆に時間が割けず、エタりかねません。
なので、暫くは書き溜めに止め、投稿は控えようかな、と。
受験が終わったら、纏めて投稿する……予定です。
それが新作になるが、更新停止作品の続きになるかはわかりませんが、何かしら書いてはおくと思います。
それでは、以上で。
Bug's HERO、本編及び外伝は本当に終了となります。
ご愛読ありがとうございました!