表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.8 狐の嫁入り
96/143

Lycanthropes Liberation 06

 翌日。

 どこまでも高い快晴の空の下、馬車は走る。

 ニアヴはいつものように屋根の上で風を受け、リストを加えた車内は前にもまして騒々しい。

 そこでは楽曲や料理の話もすれば、この世界の地理や風習の話を聞いたりもする。

 狐は論外として俺を除けばセスリナが一番年上というくらい若い年齢層であるため、お喋りのネタは尽きないらしい。

 

「♪自由を得る たった一つの方法を教えてあげる」

「闘おう 立ち向かおう」

「そうしてはじめて 得られるものがある」


 今日はうたを歌う日であるらしい。

 セスリナが歌詞をつけたこの曲はアルムトスフィリアの拡がりとともに、獣人たちの間に絶賛拡散中である。

 実際、ゆく先々の街で訴えを起こすだけではこんな短期間での拡大はなかっただろう。

 作戦計画。行動指示。物資輸送。俺の手助けは全て物理的な手助けだ。そんな支援を受けてなお失敗する要因があるとすれば、それは精神的なものであろうと予測していた。


 自由を得るただ一つの方法。すなわち、『立ち向かう覚悟』の有無である。

 

 レオニードにはそれがある。だが、今や二〇〇〇を超えたアルムトスフィリアの全員が持ちえるものだろうか。ただ、現状から逃げたいという理由で合流してくる者は少なくないのだ。

 立ち向かう覚悟を持たず、ただ従う相手を法国のご主人さまからレオニードに変えただけ。その割合が増えるほど、アルムトスフィリアはただ数が多いだけの烏合の衆となる。

 俺はそれを潜在リスクの一つとしてカウントはしていたが対策などは考えておらず、それで失敗するならそれはそれでよいと考えていた。良いというと少し違うな。どうでも良い、というのが正しい。

 俺はあくまで手助け。最終的には自分のことは自分の責任で解決すべきというのが俺の考えだ。成功するも失敗するも彼ら次第。当然の理論だ。

 

 そんなところでこのうたである。

 

「♪闘おう 命のために」


 同じ歌詞を口にすることで、


「闘おう 未来のために」


 皆の心を同じ方向へと、強く結びつける。


「闘おう 誰かのために」


 自分一人では逃げ出してしまいそうな状況でも、


「それができることが」


 誰かのために踏ん張ることのできる勇気を持つ集団は、


「本当の自由なのだから」


 もはや俺の危惧した烏合の衆ではない。



 人を動かす――『うた』の力。



 今リストと声を合わせうたを歌うセスリナ。自分がどれだけすごいものを生み出し、そして彼らに与えたのか。

 

「わたしの顔に何かついてる?」

「いやなんでもない」


 ――当の本人にその自覚はないんだろうな。

 ここまではただ俺の敷いた線路の上を歩いていただけ。次にくるであろうターニングポイントは法国貴族との武力衝突。そこで初めて『立ち向かう覚悟』が試される。

 これまで積み上げてきたものを槍の一突きで脆くも崩されるか、あるいは更なる飛躍に変えられるか――それは俺にもまだ判然わからない。だが、大丈夫なんじゃないかと考えている。

 このぽやぽやしたセスリナの無自覚が、やがて多くの獣人を救うことになるかもしれないなんて……それはものすごく面白い話じゃないか。


「もー、なによー?」


 なおも意味深に見つめる俺に、セスリナは少し頬を赤らめた。

 

 ちなみにこのうたを歌うことで『自由を司る女神』の加護が得られるらしい。

 レオニード、それはちょっと適当な設定盛りすぎだと思うぞ。

 

 そんな、久しぶりに穏やかに流れる時間である。

 人間、忙しいだけでは疲れてしまうからな。こういう時間も必要なのであろう。

 

 馬車が進む。

  

 昨日ニアヴが言った川を超えたところで、道が途絶えた。

 この先は『パルメラ治丘』――人を寄せ付けぬ濬獣ルーヴァの支配地にして、毒ガス吹き出す死の世界となれば、川を渡る者すらいないのだろう。

 別にここまでも舗装された道ではなかったわけだが、この先は更に険しい道になりそうだ。空間を歪めて進むことのできる六足馬シーズがいてくれて本当によかった。

 

「ついにここまで来てしまったのう。見よ、あれを」


 ニアヴの指差す先、そこにはなだらかな起伏をもった背の低い山々の連なり――丘陵地帯――があった。

 ということは、あの場所はもうパルメラ治丘のエリア内なのだろう。

 遠く見える土色の丘陵斜面にはいくつか白い煙がわだかまっている場所があり、それがゆっくりと動いていた。白煙は上昇するほどに薄くなり、やがて空の青に溶けていく。

 アレが例の毒ガスというやつだとすれば、目に見えぬとか言っていたはずだが、おもいっきり見えているんだが。

 念には念を入れ、更に注意深く前方を見つめる。俺一人であればどうでもよいが、シャルまで危険に巻き込む訳にはいかない。

 しかし、眺めるほどにこの低い山並みと渓流の組み合わさった地形は見覚えがあるというか、懐かしさがあるというか……

 

 同じく前方を見つめるフェルナが恐々と呟いた。

 

「聞いたとおり、パルメラ治丘は恐ろしい場所です。あの煙は大地に変じた世界魚・靜爛裳漉マルセイオの全身をめぐる灼熱の血液が大地に噴き出す前兆だと聞いたことがあります」


 灼熱の血液。それってもしかして。

 

「いや、そういうことなのか……?」


 そもそもニアヴはなんと言った。


 『目に見えぬ毒ガス』『毒は水中からも吹き出し』『立ち込める腐敗臭』

 

 俺は毒ガスという言葉の先入観から、気化したシアン化合物や化VXガスなどの化学兵器的な毒ガスをイメージしていなかっただろうか。よくよく考えれば、そんな致死性の高い猛毒であれば、腐敗臭など嗅ぎ分ける前に濬獣であっても即死である。


「ニアヴ」

「なんじゃ」

「お前が言っていた息もできない腐敗臭というのは、具体的にはどんな臭いだ」

「そうじゃな……あれは腐った山鳥のタマゴをあやまって食してしもうたときに嗅ぐ臭いに近いじゃろうか」

 

 いやしいハラペコ狐らしいエピソードだ。

 ふと見ると、馬車は先ほどの川につながっているのであろう清らかな渓流と平行して走っていた。

 つまり、そういうことでいいんだな。あるんだな、アレが。

 

 慢性的な疲労感に包まれていた全身に活力が漲る。

 ガッツポーズよろしく、俺はグッと拳を握り締めた。

 

 いざゆかん、パルメラ治丘!



 ◇◇◇



 それはいずこであるか。

 暗黒の空間に一人の男が立っていた。

 誰が見ているでもないこの空間にあって、その堂々たる佇まいはまるで一枚の絵だ。

 彫りの深い顔立ち。高い鼻と形の良い顎。瞳には知性の輝き。長く伸びた無精髭もワイルドな魅力となる。

 軽く持ち上げられたその手のひらの上には、光の粒が図形をなしていた。

 そういう意味では、ここが暗黒の空間であるという認識は男にはない。

 彼の目には色とりどりに乱舞する光の粉が見えているのだから。

 

 『妖精のフェアリー・パウダー』。男はそう呼んでいる。

 

 男の手のひらの上にあった光の図形が崩れる。

 

「これも失敗ですねぇ」


 男の名はエクシルト・ロンドベル。いやここではアルカンエイク(A.A.)と呼ぶべきだろうか。世界最高の頭脳を持つ世界の『初めての敵ファースト・エネミー』。人の域を踏み越えた生きた厄災リビング・ディザスターと呼ばれる存在の一人であった。


「質の問題でないとすれば、やはり数でしょうか。試してみるのはタダですし、初心に戻り二万ほど注ぎこんでみましょうかね」


 言葉の意味は判然らないが、その独白には不吉な印象があった。


 アルカンエイクの背後で正確なドットを刻んで浮かんでいたフェアリー・パウダーが渦を巻く。闇の宇宙に彼を中心にした小銀河が生まれる。

 その渦の回転の中からいくつかの星がその位置を固定するかのように残されてゆく。

 一つ、また一つ――

 最終的に緑のものと白いものと赤いものが六つずつ、都合十八個のフェアリー・パウダーが、小銀河の中に残された。

 星々の回転が止まり、再びアルカンエイクの背後に並ぶ。そして、残された十八個が手をつないでいく。星々をつないで描かれる図形であるので、これも一種の星座ということになるだろうか。

 そうして描かれた美しい幾何学図形を言葉で表すならば『円の中におさまった六芒星』だった。

 それが向きを変えて、地面の上にペタリと張り付く。そうすると今度は魔法陣のイメージに切り替わった。

 

 『円の中におさまった六芒星』、中距離の空間転移を可能とする【パルミスズ・エアセイル/風神天翔】の発動図形である。

 それは単純な六芒星を図形とする【パルミスズ・マインド・ネイ/風神伝声】の点を増やし、大きく詳細にしたような図形だ。【風神伝声】が心に思い描いた相手と言葉をつなぐように、【風神天翔】は心に描いた場所への転移を可能とする。となれば、その発動図形が似ているのも道理であるのかもしれない。

 ただ一点、アルカンエイクの使う【風神天翔】は四神殿が使うそれとは一部フェアリー・パウダーの色が異なっていた。

 フェアリー・パウダーを視認できるがゆえの構築図形のカスタマイズ。赤い粉を混ぜあわせることにより、距離的制約のある【風神天翔】の移動距離を延長させているのだ。

 

 そこで魔法陣が発光した。魔法の発動光である。

 魔法発動と同時に、一八ある点のうち半分の九つが消え去った。あとに残るのは九つの粉でつくられた『円の中におさまった白い三角形』だ。おそらく転移先に『円の中におさまった緑の三角形』が出現しているのだろう。

 

「あと少し、ほんの少しの時間が必要です――」


 ゆっくりと足を進める。


「我が生涯をかけた『伝承有俚論ナーサリーライマズ』の完成は近い」


 最後のつぶやきと共に魔法陣の上からアルカンエイクの姿が掻き消えた。

 そして――



 ◇◇◇



 『南の法国イ・ヴァンス』・アルトハイデルベルヒの王城

 

 宝物が多く陳列された王の私室であるが、この部屋が使われることは少ない。

 アルカンエイクは国政に興味を持たない王である。政治を行わないのだから王城に留まる理由もない。

 とはいえ、それはアルカンエイクの事情。王城付きメイドとしては王不在とはいえ、部屋の掃除は欠かせない。恭しく声を掛け、その後そっと室内を覗きこむ。

 室内に誰も居ないことを確認したメイドが掃除道具を持ち上げたところで、室内に緑の閃光が走った。

 思わず目を閉じたメイドが再びまぶたを開けたとき、そこには一人の人間の姿があった。

 

「あっ。法王様、お帰りなさいませ」


 メイドが慌てて室外まで戻り、平伏する。

 そして、ゆっくりと身を引きパタパタと急ぎ足で通路を戻ってゆく。

 

 「アルカンエイク王お帰り。アルカンエイク王お帰り」


 声を上げ、王の帰還を触れて回る。メイドとはいえ王城に働く者の一人。王の姿を見つけた者が成すべきことは十分に理解していた。


 一方の室内である。


「そういえば、そろそろ一ヶ月が経ちますかねぇ。ピーターパン氏の情報も掴めている頃合いでしょうか」


 ネットも情報機関も存在しないこの異世界でたった一人を見つける困難さをアルカンエイクは三〇日と見積もった。

 転移者だけがもつ圧倒的な魔法能力のアドバンテージを持ってしても、それくらいはかかるであろうと。

 

「どうなのですか?」


 誰もいない室内。のはずが、虚空から声が返ってきた。

 

「既に一合打ち合い、打ち負かされてござる。面目次第もござらん」


 声とともに天井からくるりと落ちてくる黒い塊。その着地に音はない。

 『エネミーズ10』ジャンジャック(J.J.)である。面目ないとはいうが、その口調はあっけらかんとしたものだ。

 いつから天井にへばりついていたのか……などということで驚くアルカンエイクではない。ニンジャとはそういうものであるという知識くらいは彼にもある。

 驚くべきは――

 

「どういうことです? もしや、もうワーズワードさんを見つけているというのですか」

「左様にござる。あれはもう一月も前のことでござるかなあ」

「それはあなた方をこの世界に呼び寄せた頃ではありませんか」

「まさしく」

「聞いていませんよ?」

「聞かれておらぬゆえ」

「……ワタシは貴方の主君ではなかったのですか?」

「如何にも唯一無二の主君にござる。なんでも命令してほしいでござる」

「……」

「……」


 孤絶主義者同士で会話が成り立たないのは今に始まったことではないが、それにしてもAとJでは相性が悪すぎた。

 アルカンエイクにとって王の身分は『有機部品ティンカーベル』を効率よく収集するための手段でしかなく、三人の協力者も『不確定要素ワーズワード』排除の駒でしかない。段取りくらいは整えるが途中経過など確認したことはなかったのだ。ワーズワードを見つけたのなら、あとは結果だけがあるはずだった。

 その表情にややの不愉快さを浮かべて、問いかける。

 

「これはどう反応すべきか、困ってしまいますねぇ。お話を伺っても?」

「もちろんでござる」


 ジャンジャックが腰を落ち着けるべく、重厚なテーブルの上にどっかとあぐらをかく。

 そこでタイミングも悪く現れる人物がいた。


「失礼する。王がお帰りだと聞いたのだが」

「……後にしていただけますか。フィリーナ王女」


 部屋に現れたのは男装の麗人、フィリーナ・アルマイト・アグリアスであった。

 よほど急いで走ってきたのであろう、額にかいた汗で髪が濡れている。


「王よ。そなたが城をあけている間にいろいろな問題が湧き上がったんだ。どうか話だけでも聞いて欲しい」


 正確に言えばこの一ヶ月の間アルカンエイクは何度かこの部屋に戻ってきてはいたのだが、それは睡眠や休憩のためであり、城の誰かと会話をするということはなかった。

 室内に潜むジャンジャックの存在に気づいてもいたのだが、一言も話しかけない放置っぷり。そんな放置プレイが約一ヶ月。おかげでジャンジャックの機嫌はすこぶる良い。

 

「くどいですよ。戻ったばかりで私は疲れているのです。そしてこれから大事な話があります。これ以上私を煩わせないでください」

「私であれば、後でいくらでも罰を受ける。頼む、国の一大事なんだ」

「困りましたねぇ」


 頭を抑え、何気ない仕草で左手をフィリーナに向けるアルカンエイク。フェアリー・パウダーが猛烈に渦を巻いて乱舞する。そこに生まれた小宇宙を視認できない彼女には自分が今どれだけの死地に立っているか理解できていないだろう。

 自分の全てを――誠心誠意を尽くすフィリーナ。だが、彼女のどのような願いも想いもアルカンエイクには届かない。

 両者の断絶はどこまでも深い。

 フィリーナの生命が掻き消えるその寸前、黒衣のジャンジャックが言葉を挟んだ。


「丁度良いではござらんか。ワーズワードのことを聞きたかったのでござろう」


 ピクリとアルカンエイクが反応する。


「どういうことです、ジャンジャックさん」

「なろうとしてなるのではござらん。ただ己がままに動いた結果、世界が『敵』と認識した。秘することなど不可能。どう隠しようもなく水面に浮かび上がる。そも『エネミーズ』とはそういう存在でござろう」


 ただの癇癪が、ただの思いつきが、ただの『遊び』が世界を揺るがす。彼らの認識ではどうということのない行動が、それを受けとる世界にとっては大いなる厄災となる。

 アルカンエイクとて、ただその方が便利だからという理由で一国を支配してみせたのだ。ワーズワードがこの異世界で行動するならば、どうしてそれが平穏なものになろう。

 

「……こちらから探す必要などなかったということですか。よろしいでしょう。ではフィリーナ王女、まずは貴方のお話を伺いましょう。ジャンジャックさんのお話はその後に伺いますよ」

「よかった」

「承知にござる」


 ここ一ヶ月の間で法国に吹き荒れた嵐の様子をフィリーナが事細かく報告する。

 順を追う意味で、王命を受けた神官の任務失敗の話から。獣人の人権保護を訴える運動の始まりと、それが大規模化した『アルムトスフィリア』――フィーリアを呼ぶ革命アルムト――の拡がりにつながってゆく。

 そして、最新の情報である傷害事件をきっかけにした法国貴族とアルムトスフィリアとの一発触発の事態がアルカンエイクに伝えられる。

 

「東辺衛星都市・シュルツ周辺と旧皇国ルーワス領はゼリド宰相の迅速な対応で冷静さを取り戻している。だが、被害者であるライドー子爵領ではもはや王の決断がなければ、どちらの動きも止められないところまで緊張が高まっているというんだ」

「……」

「私は『アルムトスフィリア』の言い分にも聞くべきところがあると考えている。ライドー子爵には悪いけれど、国の将来を考えれば、獣人奴隸制度なんてなくしてしまったほうが良い。今日の事態は、私たち国を治める者が彼らの痛みをわかってやれなかったことが原因なんだと思う。もちろん、彼らの願いをそのまま聞き入れることは多くの貴族の反感を買うことになる。でも、そなたならできる。王に従うのが貴族アルマなんだ。私たちが彼らと同じ痛みを受け入れて初めて、手を取り合うことができる。そなたにはどうかこの国のために良い決断を下して欲しい」

「なんという、面倒な」


 この一言を引き出せたのならば、ワーズワードの苦労も報われるというものであろう。

 アルカンエイクはワーズワード以上にこの異世界総体の技術力、知識レベル、文明度を理解している。

 獣人という数的劣等種族が己の意志だけで、これだけ周到な集団行動をとれるはずがない。必ず裏にそれを操る勢力が存在する。

 他国勢力。国内の反動勢力。どのような人物がこのように獣人を利用して内部の混乱を煽る戦略を思いつくことができるだろう。獣人が奴隸として扱われている状況はこの世界の『常識』であり、それを利用するにはその『常識』を外側から見つめる視線を持っていなければいけない。

 それにしても獣人だけを使い、たった一ヶ月でこれだけ広範に火種をばら撒くなど、そうそうできることではない。

 唯一の可能性は魔法を管理する四神殿が黒幕であることだが、その四神殿こそが獣人奴隷制度を最も強力に支持しているのだから、それはありえない。

 国家レベルの影響力とこの世界の常識を逸脱した戦略眼を持つ、異次元レベルの勢力――


「そなたの新しい紗群アルマの出迎えに失敗した神官についても寛大な処遇を願いたい。リズロット殿から伝え聞いているとは思うが、そなたの知人を自称するワーズワードという者は確かにそなた同様の強力な魔法を使だったと聞いている」

「……まさかその名をアナタの口から聞くことになろうとは」


 アルカンエイクがジャンジャックを見る。

 今日のニンジャはいつもの黒頭巾をしておらず、その人好きのする笑顔を晒している。

 

「そこな少女の情報こそ、ひと月も前にこの城まで伝わっていたもの。主君が聞く耳さえ持っていれば、このように面白い事態にはなっておらなんだでござろうな」

「まさしく耳の痛いお話です」


 私はもう少女などと呼ばれるような歳ではないぞ。

 目の前で明らかに自分より年下に思われる幼女に少女呼ばわりされ、さすがのフィリーナも心のなかで反論する。

 だとしても、あの冷徹な王と対等に会話する幼女に対し、直接口にできはしなかった。

 あの幼女が何者であるのか、それすらもフィリーナは知らないのだ。

 王の一番傍にいるのは自分であるという自負がある。それなのに、王のことを何も知らない自分が悔しかった。

 

 そんなフィリーナの葛藤など完全に視野の外に置いて、会話は続けられる。

 

「しかししかし、それではアナタはここで一体何をしているのです? それがわかっているなら今すぐに再びお出になるべきでは? なんでしたら命令して差し上げますが」

「命令とあれば否もなし。が、よいのでござるか。今拙者が動けばリズロットめも敵に回すことになるやもしれぬでござる」

「なるほどなるほど。リズロットさんが動かれているのですか。それでは邪魔をするわけにも行きません」


 孤絶主義者の行動に横槍を入れて、敵対するなどという愚はアルカンエイクといえども犯せない。


「ですが大丈夫なのですか? リズロットさんはアナタよりも余程荒事向きの人間にはみえませんでしたが」

「かっかっか。それこそ、見た目で判断しては拙者同様、痛い目を見ることになるでござろうな。リズロットめはなかなかどうして化け物にござる。今のあの者の姿を見れば――」


 見ればどうなのか。ジャンジャックは最後まで言葉を続けず、ピタリと言葉を切った。

 アルカンエイクもそれ以上の言及はせず、しばし思考をまとめる。

 

「ジャンジャックさん、改めて命令します。リズロットさんのやり方に手出しは無用ですが、すべての結果を仔細漏らさず私に報告してください」

「主命、承ってござる」

「フィリーナ王女。そういうお話なのでしたら仕方ありません。そちらには私が直接向います」

「良かった。王が出てくれるならば、皆も心強いだろう」

「では明日の朝、ゼリドさんを部屋に呼んでください」

「明日か」

「ええ。今日はもう寝ます」

「あっ、それはすまない。そなたは城に戻ったばかりだったな。わかった。ゼリド宰相には私の方から伝えておく」


 さすがの魔人・アルカンエイクもワーズワード同様、疲労と無縁ではいられない。

 疲労回復は何よりも急務である。

 法王になった彼が最初にゼリドに命じたのは、水鳥の柔らかい毛のみを集めて布団の中に詰め込むことであった。


 ジャンジャックの話によれば、まるで平穏に思われたこの一ヶ月の間、リズロットはなにかしらの目的を持って行動していたということになる。

 一体何を目的としてどのような行動していたのか。そして、いつ再びワーズワードの前に現れるのであろうか。

 さらにアルカンエイクが動くとなれば、ワーズワードはリズロットだけでなく、間接的にではあるが、かの『ファーストエネミー』も同時に相手しなくてはいけないということになる。

 一対多。相手の見えぬ非接触対決。外から見れば、それは対決とは呼ばれないものかもしれない。だが、これぞ『トリック・オア・トリート』の真髄なのである。

 

 電脳世界から異世界へと舞台を変えた悪疫どもの謝肉祭。

 その第二幕が開かれようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ