Lycanthropes Liberation 05
源素が足りない。
見渡す限り、そこら中に浮遊している源素であるが、密度で考えれば非常に薄い。魔法道具の作成に使った分の源素が自然回復する速度は決して速いとはいえない。
仮に俺が身に纏っている従源素を全て消費したとすると、元の一〇〇カンデラ相当の光量に回復するまで一週間以上は確実にかかるだろう。ジャンジャック襲来の件もあり、そもそも全消費はさすがにありえない。安全マージンを考えれば、最大でも五〇%消費程度に抑えておくべきだ。従源素を使わず、他所から集めた源素のみで全て賄えれば一番よい。
ということで、考えるべきはどのように源素を集めるかだ。
他所から源素を入手する案としては二案が考えられる。
一つは大気中に浮遊する自由源素を集めてまわる案。もう一つは、他者の持つ従元素を収集する案である。
前者は先に言ったとおり、そこら中に浮かんでいることは浮かんでいるが、いかんせん密度の面で効率が悪い。
後者は人の多く集まる大都市にでも潜り込めればかなりの効率が期待できる。個人差はあるが、誰でも微量の従源素は持っているからだ。
ちなみに、他者の持つ従源素への干渉は、この世界の人間が相手であれば大変容易なのだが、同じ地球からの転移者同士となるとかなり難しい。俺たちはやたら明るい源素光量を身に纏う分、源素を引きつける引力も非常に強いらしく、例えばパレイドパグの従源素を外部から操作しようとしても、それはかなり動かしづらい。絶対無理ということはないが、相手に抵抗の意志があれば確実に弾かれるだろう。
そういう意味で、俺はジャンジャックの魔法技術を『焼き付け刃』だと言ったのだ。
もし彼女が源素の扱いに熟練し、かつこの源素特性を知っていれば、俺の魔法妨害は成功しなかったはずだ。
たった数日というわずか経験の差、知識の差。それが勝敗を分けた大きな要因だった。
ジャンジャックと言えば、翌日あの場所に戻ったとき、そこには赤黒い大きな染みが残っているだけだった。
つまり――
話が逸れた。それは転移者同士の話。こちらの世界の人間からは取りたい放題だ。まあ見えないものを取られても痛くも痒くもないだろう。それが魔法を使わない一般人ならなおさらだ。
だが、そこで一つ問題が出てくる。一般レベルの人間が身に纏う源素光量は平均五〇〇ミリカンデラ以下。数的には魔法道具一、二個分といったところだ。そこそこの光量を持つセスリナの源素を全部使っても一〇個分というところだろう。一〇〇人と接触して、やっと二〇〇個弱の魔法道具しか作れないのでは、それだって効率が良いとは言えない。一〇〇人が集まる村すら、そうそう近距離にあるものではないのだ。
結局、馬車移動しながらの自由源素ハンティングが一番気楽だという結論に落ち着いたわけだが、これだって決して効率が良いものではない。
ではどうすべきか。俺が出した結論がこれだ。
「ニアヴ、『パルメラ治丘』にはまだかかるのか」
「サイラスの街より約一月。急いでおれば、今頃はついておろうに。お主の作業に合わせ馬車が止まる故、歩みが遅うなっておるのじゃろうが」
「俺にだって従えておくことのできる源素には限界がある。集めた自由源素はその場で付与していくのがより効率的だ」
「それがわかっておるなら、不満気な口ぶりはやめよ。とはいうても、あと一つ川を超えればパルメラ治丘はその先じゃ。明日には到着するじゃろう」
「そうか、やっとか。しかし遠かった。うーん、お前がアラナクアなら、こんなに時間がかかることはなかったのにな。はー、やれやれだわ」
「……くふふっ、それは妾に喧嘩を売っておると考えてよいのじゃろうなァ!」
「ニアヴさま、許してあげてくださいっ、最近のワーズワードさんはとっても疲れていて、ヘンなんですっ」
「シャルさん?」
「むう、そうじゃな。許さざるを得ぬか」
「待て。なぜそんなに理解が良い」
牙を納めるニアヴ。俺に向けるその生暖かい視線をやめろ。
まるで子を守る母のようにきゅっと俺の頭を抱えこんでくるシャルだが、俺は別にヘンじゃないのでそういう対応はやめていただきたい。駄犬といいシャルといい、何を根拠にそんなことを口にするのか。
それはそれとして、サイラスの街を出て以来、こういった過度とも思えるスキンシップの回数が増えた気がするシャルである。なんだろう、この距離感の変化は。
「聞いてなかったけど、なんで行き先が濬獣自治区なのかな」
「そこに源素があるからだ」
濬獣自治区は異世界転移の特異点にして、人ならざる濬獣の治める人外魔境であるが、それ以外にも他の場所と異なる特性があった。単純に源素濃度が濃いのである。むしろ、その発想自体が逆で源素濃度が濃い場所が濬獣自治区となるのかもしれない。
どちらにしても、慢性的な源素不足を解消するには濬獣自治区に向かうのが手っ取り早い。十分な源素さえ確保できれば残り半数の魔法付与は数日で終わらせることができるだろう。
「げんそ。げんそかぁ。うーん、ボクにはよくわからないけど、すごい話だね!」
理由もなくただ感心する、そんな純真な反応。
俺に質問を投げかけてきたのは、焚き火の照り返しを受けてなお皚い雪の肌を持つ、少年のような少女だった。
「リスト様、食事のおかわりはいかがでしょう」
「ありがと、フェルナ兄サン。もらっちゃおうかな。シャル姉サンの作るご飯、本当に美味しいんだもん!」
ガジガジと木のスプーンを咥えながら、フェルナからおかわりを受け取るのはリスト・ナラヘールである。兄とか姉とか。
「何を普通に輪の中に溶け込んでいる。フェルナ、お前もこの状況を受け入れているんじゃない」
「申し訳ありません。ですが竜国豹王家のリスト様に失礼があっては、それこそワーズワード様の名に傷がつきます」
「つくわけないだろ」
『ワーズワード』はそもそも、最低最悪な賞金首の識別名なんだぞ。傷がつくどころか、傷しかない。
こんなやりとりも何度目か。言いながら俺ももう諦めていた。
レオニードと別れた俺たちにリストがついてきた。それも六足馬・シーズの曳く馬車の後を走ってだ。
いくら足の速い豹族とはいえ、ありえない持久力である。
ついてくるなと何度も注意したのだが、いくら言っても一定の距離をあけて、離れることがなかった。
姿が見えなくなるまで引き離しても、馬車の轍を追って深夜には追い付いてきた。
その健気さを不憫におもったシャルが食事に招きはじめてからは、少しずつ俺たち一行の中に溶け込みはじめ、今では馬車の空席の一つを埋める存在になっていた。
男女問わずの愛されキャラとはリストのことを言うのだろう。一度この人懐っこく天真爛漫な少女を受け入れてしまえば、嫌う要素を見つけるほうが難しかった。
足の速さだけでなく、豹王家秘伝の格闘術が持つ足技もなかなかのもので、今ではフェルナの訓練相手やニアヴの遊び相手として重宝されている。
馬車で移動しつつ自由源素が一定光量集まれば、そこで停止してすぐさま魔法道具の作成にとりかかるという俺の作業都合で、皆には結構な無駄時間を過ごさせているので、その点については感謝している。
俺としても紗群になりたいという話さえなければ、追い返す理由はないのだ。
「ねぇ、ワーズワードサン。ボクのこと、早くアルマにしてほしいな」
「よし帰れ」
残念ながらその「さえなければ」の付帯条件が満たされていないので、追い返す理由は依然存在しているのだが。
「なぜそこまで俺に拘る」
「あのね。豹王家には大人になったら武者修行に出るっていう代々の掟があるんだ」
「レオニードが言っていた諸国遍歴の旅というやつか」
「うん。本当は一人旅の掟なんだけど、母サマがボクには誰かつけなきゃ心配だって。それでボーレフと二人旅をしてたんだ」
「お前の母はお前のことを非常によくわかっている」
「うん、自慢の母サマなんだ!」
いい笑顔だ。皮肉が通じない。
「俺についてきては武者修行にはならないのではないか」
「ううん。いろんな国を旅しながら、この人だって認められる群兜を見つけるのが本当の目的なんだって。母サマもそうやって父サマと結ばれたんだ」
「……へー」
「ボクはワーズワードサンのこと、すごいと思う。魔法もそうだけど、ボクたちのことを獣人だって違う目で見ないで、同じ人間なんだって助けてくれたその行動がすごいと思う。こうね、しっぽの先にビリビリーって感じたんだ。絶対この人だって。だからワーズワードサンにボクの群兜になってほしいんだ!」
湿り気のない笑顔を向けてくるリスト。単純に真っ当に、ただ本当に自分が認めた相手をマータとして呼びたいのだと、そう全身で訴えかけてくる。
コクコクとシャルが頷く。何に対する頷きであるのか不明だが、リストの言葉の中に心響くものがあったのだろう。
――地球では『世界の敵』と呼ばれた俺だ。
では『世界』とはなにか。
今や末期ともいわれる地球環境。水は濁り、大気は汚染され、森林は減少している。多くの動植物が絶滅し、新しく発見される種は奇形である。平均気温は上昇しているのに、冬に降る雪の量は過去最高を記録し続ける。地下資源は枯渇こそしないが、使えば使った分だけ環境を汚染する。
自然エネルギー。再生技術。地球にやさしい有機部品。それらを産み出す工場が廃液を垂れ流す。これはもう欺瞞ではなく詐欺であろう。
大地・海・気象・生態系。広範に壊れつつある『世界』。だが、それら自然破壊を行う人も企業も『世界の敵』とは呼ばれない。
それを指して人は『世界』と呼ばない。
大量誘拐。時間停滞。衛星支配。要人殺傷。電脳戦争。遺産破壊。違法製造。端末汚染。不正侵入。
エネミーズの係る犯罪行為は全て人に関わるもの。人間以外の自然・動植物を一切含まないヒューマンオンリーの独善認識で語られる、それが『世界』の定義だ。
そして、そんな世界に属さない者がいる。人とのつながりを求めない。求める必要がない。世界から孤絶した存在。孤絶主義者。
最初からそうだったわけじゃない。否定されるがゆえ、否定を受け入れた。絶望ではなく、理解で世界を別ったモノたちだ。
孤絶主義者に分類されるべき俺が、この異世界では誰かに求められる状況にある。かつての俺が手に入れることのできなかったなにか。
それは変化だろう。
俺を取り囲む世界の変化だ。
「やっぱりダメかな」
そして、世界が変われば俺も変わるのかもしれない。
「……保留だ」
いや。そんなことは考察を深めるまでもない問題ではないな。
こうして、多くの仲間に囲まれている今をかつての俺が見たならば、まず最初にお前は本当に俺なのかと問いかけるだろうから。
◇◇◇
リストに続き、シャルからおかわりを受け取ったニアヴが、はぐはぐと串にかじりつく。
今日の献立は山鳥の串焼きに山菜とキノコのスープ、そしていつもの硬いパンである。シズリナ商会の商人と定期的に接触するようになってから、一ヶ月以上旅を続けているとは思えないくらいに献立が改善されていた。
ちなみに七日を基準とする週の単位や三六五日を十二等分する月の単位はこの世界には存在しない。俺が脳内で日数計算して勝手に地球の暦に置き換えているだけだ。もっと言えば、この世界の一日は二四時間ではない。正確な計測ではないが、おおよそ二八時間といったところだ。これが三〇時間を超えていたり、二〇時間を切っていれば、ここまですんなり異世界の生活に順応することはできなかっただろう。
「シャルよ、今日の食事も絶品じゃ。このように味が染みた柔らかい肉など、人族の高貴なる身分の者とてそうは食しておるまい!」
「はわ、ありがとうございます、ニアヴさま。これも全部ワーズワードさんに教えてもらった料理方法ですよ」
ニアヴが絶賛したのは山鳥の串焼きである。
切って焼くだけ、水で煮るだけ。確かにそれだけでも料理としては成立する。この世界ではそれを料理と呼んでいる。だが、そこに一手間、丁寧に羽をむしり小骨を抜いて、タレに三〇分漬け込むというごく簡単な下ごしらえの一手間を加えるだけで、ただの串焼きが人を感動させる料理に変わる。技術的な意味での調理方法、献立レシピという意味では俺の指導もあったろうが、それにしてもこの短期間でシャルは大きく料理の腕をあげていた。
『料理は愛情』といわれる通り、常に誰かのためにという気持ちが心にあるシャルだからこその成長だろう。
と、そこで手首に巻いた数珠の一つが発光した。
半ば無意識の動きで、手首を胸元に引き寄せる。およそ一分後――
「はあ。本当に犬族というのは……勝手にしろとも言えんし、さすがにここらが限界か」
つい、声に出してしまっていた。
「群兜、なにかあったのですか」
「ん、そうだな。一応皆にも話しておこうか」
俺の手首に巻かれた数珠は全て【パルミスズ・マインドフォン/風神伝声珠】の片割れだ。
レオニードとシーバには毎日の報告義務を課している。
そうして、すべての情報を統合した上で全体の行動指示を行うことも俺の仕事である。
向かう先の街や地域に関する報告を受け、行動を指示し、状況を分析して活動方針を決定する。集団のコントロールだけでなく、そこから更にルルシスに情報を連携し、プロを使った裏工作も行う。
この場合のプロというのは、国外から呼び寄せたプロのスパイのことを指す。
獣人解放の大義を掲げた旗の陰で策謀、扇動、買収、流言といったウラの作戦行動をとっていることは誰にも知らせていない。ゆく先々の街で獣人人権保護の訴えを行う際、その意見に強く賛同する人間の工作員を紛れ込ませているなんて、あのバカ真面目が知れば、必ずボロがでるからな。
なんだかわからないけど、ものすごくうまく行っている。そのくらいの気持ちで動いてもらったほうがいい。
そこだけ聞けば安楽椅子参謀的なカッコイイ仕事をしているようにも聞こえるが、俺の助力が十であれば、そんなカッコイイ作業は一か二だ。
メインの作業は情報管理と雑用である。
今や参加者が一〇〇〇人を超え一大勢力となりつつある獣人集団が二つあり、そこに支援する国家が三つある。
街から街へ、アルムトスフィリアは一箇所に留まってはいない。法国軍などの排除勢力に察知されることなく、支援勢力とは合流できなくてはいけない。
援助物資の輸送に関する案件だけでも、集団維持に必要な物品の品目、数量の整理に輸送手段、合流地点の選定など。それらは全て俺が計画・指示している。
レオニードもシーバも、常に移動を繰り返している自分たちの毎日の食事が、誰のどのような手配によって届けられているのかなど考えたことなどないのではないだろうか。
また一つ、手首にまかれた数珠が光る。
マイフォンは連絡先が増えるほどにその数を増し、今ではこうして装飾品の如く俺の手首に巻かれることになった。
この食事中だって皆と食事をしながら心の中では三つの報告を同時に処理していたのだ。一つ一つは誰にもできる雑用だが、この作業数を一人で全てこなすとなれば、それができるのは俺以外にそうはいまい。
多重並列思考はBPM(ブレイン・パーソナライゼーション・メソッド)が本領発揮する場面である。
パレイドパグは五並列が限界らしいが俺ならもう少し上までいけるからな。
ここ最近魔法道具作成以外何もしていないように見られているかもしれないが、やるべきことはちゃんとやっているのだ。
一方で、二〇〇〇〇をカウントするまでの耐久レースでしかない魔法付与の単純作業は多大な苦痛と疲労を伴うものなので、早く終わらせたい。
この場合の苦痛とは源素不足による非効率な作業を強いられる苦痛である。単純作業であっても、効率的な作業が可能であれば、与えられた労働を厭う俺ではない。
労働が苦痛なのではない、非効率が苦痛なのだ。
一刻も早くパルメラ治丘にたどり着かなければいけなかった。
それはさておき、アルムトスフィリアの状況だが――
まだ一部食事中ではあるが、話を始めた俺に皆の視線が集まる。
「少し前に西辺衛星都市・アストンの街で、法国貴族が獣人奴隸に刺されるという事件があった」
「ハン、知ったことかッて感想しか出ねぇよ」
「それだけならただの傷害事件だしな。話はここからだ。その犯人が――これは猫族の幼い兄妹だという話だが――事件後、シーバの一隊に合流した。もちろん、逃亡奴隸の受け入れはこれまでも行っているし、この兄妹でなくともワケありの人物は他にもいるだろう。だが、この兄妹の場合、相手が悪かった」
「ふむ」
「その貴族がライドー子爵という貴族なのだが、これが獣人奴隸の迫害と酷使で悪名高い人物でな」
「そのような者であれば刺されて当然であるとも聞こえるの」
幼い兄弟、獣人に対する迫害と酷使というキーワードが出れば、まあそう思うだろう。
「アルムトスフィリアはここまで平和的に活動してきた。敵を作らずに来たからこそ、誰とぶつかることもなく支持を広めることができた。だが、怒りに燃えるライドー子爵はその兄妹を引き渡さねば、軍を動かしアルムトスフィリアに賛同する者全てを共犯者として処罰すると通告してきた」
「なんでさ、悪いのはそのナントカっ貴族の方じゃないか!」
「いくら納得できなかろうが、この国では獣人奴隸は合法であり、貴族への犯罪は重罪なのだ。ただの逃亡なら言い訳もできたが、刃傷沙汰では分が悪い。犯罪者を匿っているとなれば、獣人の人権保護に理解を示した民衆の支持だって離れてゆく」
「(コクリ)」
確かに、と頷きで同意を示す御者くんにこちらも頷きを返す。
「ライドー子爵の言い分は正当なものだ。大局的見地に立って判断すれば、その犯罪者兄妹を引き渡すべきだ。今、法国に付け入る隙を与えるべきではない」
「……そうしたら、その兄妹さんはどうなるの?」
「殺されるんじゃないか。見せしめの意味も込めて」
希望的観測を口にしても仕方ない。俺がそのライドー子爵なら絶対そうする。
「そんな! 絶対ダメだよ!」
「シーバも同じ答えだ。折衷案として引き渡すまではしなくとも、とりあえず匿うのはやめとけと言ったんだが、それもダメで絶対守るのだと」
「さすがシーバ殿です」
あの従順なシーバが初めて俺の指示を拒否したのだから、これ以上どう言ってもムリだろう。
「それじゃ、これからどうなるんですか」
耳を竦め、俺の答えを待つシャル。
「ライドー子爵の要求を拒否し、なおかつこれまで通りの活動を続けることは不可能だ。引き渡しに応じない以上どうしても衝突することになる」
「そんな」
俺の答えに、そのまま青ざめた表情を見せる。
「妾たちがそこにおれば話は違うのじゃろうが、こうなると離れておるのがイタいの」
「今から合流するというのはどうでしょうか」
「うーん、ちょっと遠すぎるんじゃないかな。法国だって広いんだよ」
「シーバサンのとこにはボーレフもいないし、どうすればいいのさ」
皆が知恵を出し合ってどうすればよいかを考えるが、意見がまとまるはずもない。
法国貴族との衝突。金と権力を持つ貴族を相手に戦闘のシロウト集団がどう立ち回れるのか。ニアヴは集団を相手に戦うことはあっても、自分が集団を指揮した経験はないだろう。当然戦略など立てられるわけもない。
フェルナとリストは多少の訓練や実戦経験があるかもしれないが個人戦闘レベル。シャルと御者くんはそれすらない一般人で、セスリナに至っては論外である。
全ての意見が出尽くしたところでフェルナが悔しさを口にする。
「だから限界だということですか、マータ。これ以上アルムトスフィリアは続けられないのでしょうか」
そんな顔で俺を見るな。憂いの表情すら美形であるとか、もう本当卑怯だわ。
「それは少し意味が違う」
「どう違うのでしょうか」
「俺が限界だといったのは、俺の名を隠して解放運動を続けるのが限界だという意味だ」
思ってみない俺の答えにフェルナがピクリと耳を動かす。
俺の名前を出さないこと。それはレオニードやシーバへの指示でもあるし、ルルシスにも言いつけていたことだ。
「名を隠す? お主、そんなことをやっておったのかや。何故じゃ」
「まあなんだ、いくつか考えがあってな。一つはおそらくまだ生きているジャンジャックに俺の居場所を掴ませないためだ。あの忍者が本気の暗殺に来たら、次も同じく撃退できる自信はない」
それは偽らざる本心である。
「ほかにもあるが、それはおいおいな。問題のライドー子爵についてだが、今は料理で言えば『下ごしらえ』の時期だ。満を持すなら『バームクーヘン大作戦』の二重輪が完成するまで法国貴族との衝突は避けたほうが良い。だが、全てが計画通りにうまくいくとも期待していない。避けられるなら避けるが、無理だというならそれでいい。『解放運動』実行計画書の次の一ページを捲るだけだ。そして、そのときには隠していた俺の名前も出すことになる。それだけだ」
名を出すことで求めるは最大効率。何の効率かというと、それはアルカンエイクへのイヤがらせ効率である。ジャンジャックはこわいが、だからといってこの効率を捨てるなんてありえない。俺が獣人解放運動を手助けしている目的を履き違えてはいけない。
「なんにしてもまだ数日は余裕のある話だ。そっちが忙しくなる前に魔法道具作成を終わらせることが、今俺たちのやるべきことだ」
視界の中にキラキラと輝く四つのお星様が生まれた。
「下ごしらえって……はわわ、ワーズワードさんのお料理は私と規模が違いすぎますっ」
「さすがマータです」
「……まあよいじゃろう。これもお主がよく口にする『想定内』の範疇なのじゃろうしな」
細かい説明がなかったことに、やや納得の行かない表情を浮かべたニアヴであるが、これ以上議論しても仕方ない話なのだと、すぐに割りきったようだった。
その瞳が真剣さを増す。
「話を戻すが、何度も言っておるようにパルメラ治丘に向かうのは、妾は反対じゃ。パルメラの治地と妾のニアヴ治林を同じであると考えておるなら、それは間違いじゃ」
それは過去にも聞いたパルメラ治丘に関する注意、いや警告だった。
「毒に汚染された危険な土地だというのは聞いたが、事前にそのパルメラに治地に入ってもいいか確認をとってもらい、問題ないとの返事を受けとったのはお前自身のはずだ。治地の主が良いというのに何が問題なんだ」
それでもなお苦い表情を崩さないニアヴである。
「お主は理解しておらぬ。許可のありなしの問題ではない、土地そのものが危険なのじゃ。それは目に見える毒ではない。目に見えぬ毒ガスが至る場所から吹き出しておるのじゃ。毒は水中からも吹き出し、水面を泡立たせる。知らず迷い込んだ生物の死骸がそこら中で腐っておるのじゃろう。立ち込める腐敗臭が鼻をつき、呼吸すらまともにはできぬ。そして、草木の一本も生え育たぬ丘陵斜面は見渡す限り灰褐色――それが『パルメラ治丘』じゃ。そのような死の世界を目にしてなお、同じ言葉が口にできるとは思わぬ」
「こ、こわいです、ワーズワードさん」
シャルがきゅっと腕にしがみついてくる。それもかなり密着度合いで。ニアヴの耳がピクリと動く。
あの、シャルさん。みんながいるところでそういうことをされると反応に困るので自重頂きたく。
右腕を柔らかく包みこむシャルの温かい体温は感じていないことにするとして、ここまでニアヴは強く警告を発する以上、そこに嘘はないのだろう。
だがこちらにも事情がある。
「聞くだに恐ろしい土地のようだが、そんなに奥まで行くつもりはないし、端の方なら危険はないはずだ。それにパルメラというお前のお仲間は毒で死んだりしていないのだろう。それなら、その毒ガスを無毒化する魔法とかがあるんじゃないのか」
「そのような魔法があるとは聞かぬがの」
「それならそれで、別の回避方法があるのだろうが……そんな場所に住んでいるパルメラとはどんなヤツなんだ」
「そうじゃな、まず言えるのはパルメラが妾たちにとっては不可欠な存在じゃということかの。濬獣は不老であるが不死ではない。妾もパルメラの治癒魔法に命を救われたことは一度ではない」
治癒魔法といったか。濬獣の使う治癒魔法となれば、四神殿が使うやっすい治療魔法とはレベルが違うのだろう。パルメラ治丘に向かう理由が一つ増えたな。
「あのような土地を治地と定められたパルメラはまこと気の毒じゃ。じゃが、あやつはそれで構わぬと、むしろ喜んで治地を治めておる。その穏やかな人柄と深き慈愛の精神は妾をも超えよう。それがパルメラという濬獣じゃ。妾たちは親愛と尊敬の念を込め、こう呼んでおる――」
今、そのパルメラの姿を心に描いているのだろう、ニアヴがその表情にいつくしみを浮かべた。
「――『白耳』と」