Lycanthropes Liberation 04
かちゃん、とガラス玉のぶつかる音が聞こえた。
気付かぬ間に握っていたガラス玉を足元の木箱に落としてしまったようだ。
「おっと、危ない危ない。割れてはいないな」
「ルーキー。てめェ、大丈夫なのか」
「ん、いつからそこにいたんだ。 俺はいつも通りだっぞ☆」
「……そんなセリフが出てくる時点で重症だぜ」
突然現れ、わけのわからないことをいう駄犬に眉をひそめる。全く、俺が何だというのか。
そういえばいつの間にか陽が傾きかけているな。駄犬の接近に気づかなかったのも不覚だが、集中している間に結構な時間が過ぎていたようだ。
予定数には全然届いていないが――俺は周囲に視線を投げかける。そこにはいつもより大幅に明るさを減らした視界が広がる。
「今日はこんなものか」
木箱を馬車に戻し、大きく伸びを一つ。と、そこでシャルが手をブンブン振りながら俺を呼んだ。
「ワーズワードさーんっ。お風呂の準備ができましたー」
「ありがとう。では、先にいただこう」
元気なシャルの姿を見るだけでこれまでの疲れが吹っ飛んでゆくな。だからといって、一日一回の入浴が不要だというではないが。
なんだかんだで旅の人数が人数なだけに、皆がこの癒やしの時間を得るためには効率よく順番を回さなくてはいけない。
「暇ならお前も一緒に入るか?」
「はぁ!? バッ、バッカじゃねーの!! この変態野郎!」
「……ただの冗談だろうに」
火のついたような罵倒を返された。なんという心の余裕のない駄犬だろうか。
「まあいい。用事があったのなら後にしてくれ」
「……忙しンならフロの一回くらい、抜いてもいいんじゃねーの」
「バカな。忙しいからこそ入るんだ。日本人が仕事のストレスに強いのは入浴の習慣を持っているからだともいわれる。日常生活に根付いたこのリラックスタイムがあるからこそ、戦後の高度成長が可能だったという論文もあるくらいだ」
「ハッ、戦後復興てンなら、こっちは東西に分割された状態で経済の奇跡を起こして見せたんぜ。フロの有無なんざ関係あっかよ」
「なんだ、お前にも祖国愛はあるんだな。その意見を否定するつもりはないが、ここではお前もちゃんと入っとけよ。地球ではないこの異世界ではどんな風土病があるかわからん。近代医療を受けられない状態で衛生管理を怠れば、最悪死ぬぞ」
「そりゃ、わかってっけど――」
衛生問題、それがわからぬ駄犬ではない。
さすがに反論の矛を収めた駄犬がやや目を伏せ気味に、口を尖らせながら言った。
「……こんな野外でハダカになんの、恥ずかしいじゃねーか」
「乙女か」
そりゃ、即座のツッコミも入ろうというものである。
…………
……
「ふう」
先に身体を洗浄し、掛け湯をした後、なみなみと張られた湯の中に一気に身を沈める。俺の体重とイコールの湯量がざばりとタルの縁を超えてこぼれ落ち、そのまま下の地面に吸収されてゆく。
大きなタルではないが、軽くあぐらを組んで入れば、肩まで湯の中に沈めることが可能だ。さっき蹴られた太ももがやや湯に染みる。
タルの底には簀子が敷かれ、その下には二つのガラス玉の入った布袋が沈められている。【ウォーターフォウル・レイン/降鵜雨】の魔法効果を込めたものと【フォックスファイア/狐火】の熱源効果のみを付与した【フォックス・ヒートコア/狐熱核】の二つである。これらの魔法道具の複合効果が無限のお湯を生み出す。
要するに樽の底からとくとくとお湯が湧き出る仕組みだ。
ワーズワード魔法道具店の裏庭に設置した【ホット・ウォーターフォウル・バレル/沸鵜樽】と基本は同じ造りだ。向こうは軒に吊るした小樽にも仕込んでいる分、シャワーも浴びれるという差別化があるが。
ユーリカ・ソイルを出発するにあたり俺が馬車に積みこんだ風呂樽には、シャルでさえはじめ疑問を禁じ得ない表情をみせたものだが、毎日熱い湯に浸かるという日本特化の習慣に、皆すぐに順応した。
「んんっ」
湯の中で腕や首を軽く揉んでマッサージを行う。
こうして触ってみるとなんだかんだで筋肉が増えている気がするな。こちらに来てからは、部屋に引きこもる事もできない最低限健康的な生活を送っているためだろう。ユーリカ・ソイルでニアヴの手を引いて全力疾走したときには呼吸器系に深刻なダメージを受けた俺であるが、今なら二〇〇メートルくらいの全力疾走には耐えられそうだ。いやそれはさすがに欲を出しすぎか。一〇〇メートルくらいに見積もっておこう。
「ぶくぶくぶく……」
更に脱力して顔の半分まで湯に浸かる。その分、足の配置が窮屈になる。足、伸ばしたいな。それだけはどうしようもない樽風呂の欠点だ。
深く浸かることで体が芯から温められ、疲れた精神が柔らかく解きほぐされてゆく。逆にここまでしないと脳内の疲労感が抜けないのだから、どれだけ精神的疲労が強いのかという話である。
昨今の俺の多忙さ、その原因はルルシスにあった。そしてラーナも。にっくきルルシス&ラーナ、許すまじ。
それにはこんな経緯があった。
◇◇◇
今から見れば一ヶ月と少し前になるか。北辺衛星都市・サイラスでなんやかんやがあった日の翌日。
中央広場は飲みつぶれた有象無象が無数転がる漁港の朝セリの様相を呈していた。
結局俺は宿に帰ることもなく、ニアヴや獣人たちと夜を徹して飲み明かした。
そして、レオニードと数人を叩き起こしたあと、街の外に集合場所を定め、大の字で地面に転がるニアヴは放置して宿に戻った。
そこで俺はまずサリンジの裏切りについて聞かされた。
あれほど宿に自主待機しておけと言っておいたのに、夜の内に神紅騎士隊をつれて、街を出てしまったというのだ。自主待機という言葉には二つの意味がある。それは自主待機(自主的な待機)と自主待機(強制)の二つである。俺は当然のように後者の意味で言ったつもりなのだが、サリンジは前者の意味にとってしまったのかもしれない。意図伝達の齟齬。異世界言語の理解に関する課題はどこまでもつきまとうものである。
その件は【風神伝声】で軽く遺憾の意を伝える程度に留めておいた。もちろん、これは遺憾の意(恫喝)の方である。こっちについては、先の失敗を踏まえての言語選択を行ったので、間違いようのない正確な意図で受け取ってくれたと思う。
とはいえ、いなくなってしまったものは仕方ないのでそれは諦め、次に獣人たちの問題にとりかかった。
獣人たちを自国に帰る組と残って解放運動を続ける組とに分け、残る組と解放運動の今後の方針について話し合いを行った。
その結果が今日の状況だ。
獣人解放運動はすでに法国の四分の一を飲み込み、数日の内に東辺衛星都市・シュルツにまで到達することだろう。そうすれば、獣人解放運動は東西南北全ての外辺衛星都市まで広がることになる。
第一の戦略目標である『二重のリング』の完成だ。
国境の外側に構築された大紗国同盟――聖国、光国、皇国による支援・外圧包囲網――が一つ目のリング、そして法国国境線に沿って広がる獣人解放運動が二つ目のリングである。この二重のリングが互い連動することで、法国内部で活動する獣人及び工作員に対する継続的な活動支援が可能となる。
それは同時に法国側が国内の全方位に目を向けなくてはいけなくなることを意味する。活動地域について定点を置かず、分散と集中をコントロールことで、例え兵士や騎士を動員してこの解放運動を抑えこもうとしても、一箇所に注意や戦力や集中することができなくなるのだ。二重のリングが完成すれば、法国での内部工作や解放運動が更にやりやすくなるだろう。
周辺各国の支援を得るという基盤戦略は俺とルルシスで考えたものだが、法国内にもう一つ輪っかを作るという戦略拡張はパレイドパグの発案である。まさか駄犬にこのような才能が――とは驚くまい。さすがは世界に名を馳せるウイルス作成者、こと侵蝕と汚染を目的とした発想・思考は俺の上をいくというだけの話である。
法国を二重のリングで包むこの戦略について、発案者のパレイドパグに敬意を表して、『バームクーヘン大作戦』と呼ぶことにした。見よこのナイスネーミング。残念なのはこの作戦名称を俺しか使っていないことである。
この大きな年輪の準備に約一ヶ月がかかった。いや、たったの一ヶ月でここまでこれたというべきか。
最大の功労者はルルシスであろうが、同時にレオニードとシーバも獣人解放運動の旗印としてよくやってくれている。シーバというのは、活動初期からレオニードに合流して、その後ずっと協力してくれている犬族の青年の名だ。サイラスでの演説を聞いて駆けつけてくれたのだろうが、これが思わぬ拾い物だった。大都市では獣人弾圧の非を唱えるレオニード型演説が効果を発揮し、小さな村落や樹村ではこのシーバ青年独自の素朴な語り口での演説が効果を発揮していた。
どういう環境で暮らしてきたのか知らんが、シーバは獣人奴隷制度があるにも関わらず、この法国を本当に愛しているらしく、恨みのないその呼びかけには不思議に人間の賛同者を増やす力があった。
いつからかこの解放運動は『アルムトスフィリア』と呼ばれはじめ、北辺衛星都市・サイラスから時計回りの拡大はシーバが、反時計回りの拡大はレオニードが旗印となり、ぞくぞく交流してくる獣人たちを取りまとめている状況だった。
アルムトスフィリアに触発されて個別に活動している人数までは把握できないが、本隊であるレオニードのところには、すでに千を超す獣人や協力者が集まっている。一地方領主の小貴族程度では、その行動を阻むことすらできない規模だ。それだけの団体を維持できるのは国境を超えた支援を受けられているおかげであるが、やはり最大の要因としては、獣人の人権問題がこの国のアキレス腱なのだと言う点につきる。制度への批判、虐げられる同胞解放のために行動する彼ら獣人族のパワーは小貴族でなくとも、誰にも止められないほど大きく膨らんでいるのだ。
とある事情で彼らと別行動をすることになった俺は、毎日耳に入ってくる各種情報を整理分析して最適な行動を指示する程度の助力を行っている。
これは俺にとっては何の負荷も感じない作業であるので、今の忙しさとは無関係である。
問題は『とある事情』の方なのだ。
それはルルシスから三国同盟の締結に成功したという話を聞いた頃の話だ。
「レオニード、お前にこの魔法道具を渡しておく」
「マジック……まさか、あのアーティファクトのナイフ以外にもまだ何かを?」
「まずこれを首から掛けて見てくれ。そう、水晶玉が心臓――胸の位置に来るように。起動のコマンドワードはこうだ。『コーリング・ユー』」
「こーりんぐ・ゆー?」
そうレオニードが繰り返した瞬間、水晶玉の中の三角形が魔法効果発動の光を放った。それに呼応するように俺持つ緑源素の三角形が込められた水晶玉も輝きを放つ。
『これは【風神伝声】の魔法効果を込めたマジックアイテムだ。【パルミスズ・マインドフォン/風神伝声珠】と名づけた。俺からは普通に【風神伝声】の魔法で連絡できるが、今後はお前から俺に連絡する手段も必要だろうと思ってな』
『が、がお……』
お前、それは心のなかでもそう言っていたのか。
【風神伝声珠】は白い三角と緑の三角の対となる二つが揃ってワンセット。今後のことを考え作成した新しいマジックアイテムである。
通話機能だけを持つオールドタイプケータイ電話というコンセプト。通話対象が対となる水晶玉の持ち主限定であることを考えれば、トランシーバーと呼んだ方が実は正確だ。しかし【パルミスズ・マインド・トランシーバー/風神伝声珠】ではいかにも語呂が悪い。いずれ機能を高める前提で最初からマインドフォンの名前を採用した。通称はマイフォンで定着させたい。
何かに使えるかと持ってきた水晶玉のうち、一〇個はすでに【フォックスライト/狐光灯】の魔法を付与して、シャルの村への置き土産にしている。
【風神伝声珠】は便利な魔法道具なので数セットは作成が必要だ。でもって花を咲かせる三連珠アーティファクトのコピー品もいくつか作成しなくてはいけない。
水晶玉がまるで足りなかった。ついでに言うと水晶玉は高価であるので、こういう数が必要な魔法道具にはガラス玉を採用したい。
『というわけなんだが、良い案はないか?』
『おお~っと。おっそろしくいきなりですね、店長。お久しぶりですっ』
『口で言うほど驚かないお前の順応性はさすがだ、ラーナ』
そんなわけでとりあえず、手軽な相談相手としてラーナに連絡をとってみたのだ。
『そりゃー、魔法道具を作れちゃう店長相手にいちいち驚いてたら店長代理はやってられないですよ』
まあなんだ。ラーナは元気にやっているようだった。
『で、なんでしょー。お店の状況を報告すればいいですか?』
『いや、実は少し困っていてな。相談がある。今の状況を説明するとだな――』
一通り説明し終わるまで、ラーナは茶々を入れることなく静かに聞いていた。
『というわけで水晶玉が不足しているわけだ。ガラスの方でいいんだがどうにかならないか』
『イヤイヤイヤ。そこに至るまでの話がありえないんですけど。なんです、獣人さんを解放するって? どこの英雄様の話ですかっ』
『レオニードという英雄様の話だ。俺はただのヘルプ役』
『う~ん。そのありえなさが店長らしいちゃ、店長らしい話ですね。シャルちゃんも苦労するなあ。えと、ガラス玉の話ですけど、それならシズリナ商会さんにお願いしてはどうでしょうか』
『イサンに?』
『シズリナ商会さんは法国にもたくさんお店をもってますし、ラニアン様から連絡をとってもらえれば、法国にあるシズリナ商会さんを通してガラス玉の補充を受けられると思います』
『なるほど。いい案を出すじゃないか』
『でしょでしょ! これは昇給待ったなしですね!』
『雇用契約書の昇給規約には、能力条件の他に三ヶ月以上の勤務経験が必要とあったはずだが?』
『ぶーぶー!』
契約書の重要性は、働く側ではなく雇用主になって初めて実感できるものだな。
まあ、ラーナのこれは会話の潤滑油なのだろうが。ラーナが続ける。
『あ、そういえば、私からも店長に報告があるんでした』
『なんだ。店で問題でもあったか』
『ええまあ。ぶっちゃけ【狐光灯】と【降鵜水筒】に使う魔法道具のコアが足りません』
『足りない……?』
『さっきの話の逆で物品の受け渡しの際に、シズリナ商会さんを通して新しいのを送ってくれませんか? 新しく作ったっていうマジックアイテムも一緒にお願いしまッす。面白そうですし、絶対売れますよ!』
『それは可能だが……ちょっと待て。【狐光灯】と【降鵜水筒】のコアは五〇〇以上のストックを作っておいたはずだ。予定の一ヶ月は余裕で持つ数だろうに』
『いやー。ベルガモ様がオーダーメイド品用にって持って行ったり、ラニアン様が商品サンプルに持って行ったりして、結構減ったんですよね』
『なぜ断らない』
『大商人のベルガモ様とラニアン様ですよ。あたしなんかでお断りできるわけないじゃないですか。代理店長は所詮代理店長ですってば、やだなあ』
あっけらかんと話すラーナもラーナだが、オージャンとイサンも俺がいないと思って、好き勝手やってくれているようだ。これだから商人という人種は信用できない。大江戸序列、士農工商、間違いなし。
『でもって、そのあとバルハス男爵様が店にこられまして』
『……ああ、ルルシスからいくつか魔法道具が欲しいという話は聞いている。直接ワーズワード魔法道具店へ行って受け取ってくれと話をした。ミゴットはその使いだろう。それくらいの余裕はあると思い、お前に連絡しなかったのは悪かったが。……で、何個渡したんだ?』
もう嫌な予感しかない。
『ほぼ全部です。なので今日お店を閉めたら、明日から暫くはお休みです。あはっ、今日店長からご連絡いただけて、丁度良かったですっ』
『…………』
あのやろう。やってくれるじゃないか。
言葉もない。が、俺が許可を与えた手前、責めることもできない。しかし、ミゴットが自分の考えでそんな物欲行動をとるとも思われないな。これはルルシスの言葉足らずが原因か。いくつか、の部分を完全に切り取って指示したに違いない。
『わかった。それで何個必要なんだ』
『えっとですね、皆さんの要望を集計した結果をお伝えしますと、とりあえず五〇〇〇個くらいは必要みたいです。店長なら余裕でしょ』
『ごせん……』
『【狐光灯】と【降鵜水筒】のそれぞれで。新製品の魔法道具もっていうとご負担でしょうから、そっちはもうちょっと少なくてもいいです』
【風神伝声珠】は二個ワンセットなので、それでも二〇〇〇〇個弱。一つの魔法付与を最短三〇秒で計算しても、一六六・七時間はジャパニーズリーマンの平均月間労働時間(残業なし)とニアリーイコールである。それだけの源素をどうやって確保するかも問題だ。
『あ、ガラス玉の話は私からラニアン様にお伝えしておきますね。どーせ、明日からヒマになりますし。店長が今いる場所って、どこの街が近いですか? 受けとり場所とか決めちゃいましょう!』
『…………』
この件に関して、イサンは非常によく働いてくれたというべきだろう。さすが世界中に手を広げているという大商会だ。二〇〇〇〇個ものガラス玉を、たった数日の内に俺の元に届けてきちゃうなんて、本当にすごいゾ☆シズリナ商会。
――かくして、俺はレオニードたちと別れ、源素を求め各地を渡り歩く忙しデイズを開始せざるを得なくなったのである。
ワーズワード「手伝って」
パレイドパグ「やだ」
――交渉、終 了。




